インターネットはすでに死んでいる*
(*個人の感想であり、体感には個人差があります)
なにかにつけ大きな主語を使ったり、隙あらば「○○は死んだ」と言ったりするのはインターネッターの悪い癖だが、ここで私は大きな主語を使いながらネットワーク中立性について書く。
ネットワーク中立性とは「ユーザー、コンテンツ、サイト、プラットフォーム、アプリケーション、接続している装置、通信モードによって差別あるいは区別することなく、インターネットサービスプロバイダ(インターネット接続業者)や各国政府が、インターネット上の全てのデータを平等に扱うべきだとする考え方である」(Wikipedia)である。
重要なのは、これがインターネットサービスプロバイダ(ISP)への規制であるということだ。ISPは、その回線上で流れるデータを差別してはいけない、ということである。
この原則はとても重要であった。もしインターネットにこの原則がなければ、ISPは自社と競合するようなサービスを排除していたかもしれない。たとえば、ISPの多くが電話会社であったことを考えれば、Skypeのような無料通話サービスはインターネット中立性がなければ存在できなかったかもしれない。同様にISPにコストを強いるようなデータ量の多いサービス、たとえばYouTubeやNetflixなども、早々に排除されていたかもしれない。
しかし、このネットワーク中立性は米連邦通信委員会(FCC)の新委員長アジット・パイ氏らによって、廃止されようとしている。細かい話は置くが、ISPはもちろんこの変化を歓迎している。一方、それ以外のインターネット関連企業、Google、Facebook、Amazon、Apple、Netflixなどは反対している。
いまネットワーク中立性が廃止されたらどうなるのか。FCCが廃止を決めても、すぐにその決定を巡って裁判が始まり、それが長く続くという見方もある。また、ISPにも顧客がいるわけで、あらかさまな自社関連サービスの優遇、競合サービスの冷遇は、行われないだろうという見方もある。ひどいISPがいたら、他社に乗り換えればいいじゃないか、と。
実際、ネットワーク中立性がなくなったとしても、ISPがYouTubeへの接続を遮断したり、Netflixへの通信料は倍になるというような施策は行われないだろう。それは目立ちすぎるし、愚策すぎる。しかし、基本料金を値上げしながら、自社が提供する動画サービスへの通信だけは無料・高速化する、というような「シナジーを生かした優れたビジネス判断」は十分に考えられる。
その来たるべき時に備えるかのように、ISPのベライゾンはAOLやヤフーの買収を経て、コンテンツサービスへの注力を進めている。コムキャストの傘下にはNBCユニバーサルがある。AT&Tはタイムワーナーと合併しようとしている。ネットワーク中立性がどうあろうと、ISPを含めた回線のビジネスと、その上で流れるコンテンツのビジネスは、メディアコングロマリットの中ですでに一体化しつつある。
だからこそ、中立性の原則が今までになく重要だと言えるかもしれない。しかし繰り返すが、重要なのは、これがISPへの規制であるということだ。ISP以外にはこうした原則がない。
そのため、ISPは回線上で流れるデータを差別してはいけないが、Appleは自社と競合するアプリをアプリストアから排除できる。Facebookは競合するサービスへのリンクを排除できる(私はこれでFacebookを辞めようと思った)。Amazonは競合する商品をコマースサイトから排除できる。Googleは競合する商品への自社サービス提供を引き上げられる(ちなみにこれは先日復活した)。
そう考えると、ネットワーク中立性が本来示すはずであった、自由で公平なインターネットというのは、すでに死んでいる。
確かにネットワーク中立性のおかげで、インターネットベンチャー企業はこれまでISPから差別されることなく、ウェブサービスを提供することができた。ただし今はそのかわりに、AppleやFacebookやGoogleの機嫌を損わないことが求められる。そうしたメガテック企業の台頭を横目で見ていたISPが、自分たちだけ束縛されているのはおかしいと感じても無理はない。
そうして何よりの問題は、こうした問題をもはや問題と感じなくなっていることだ。自社の顧客を囲いこみ、競合を排除するのは、ビジネスにおいてはごく当たり前のことである。上記のようなメガテック企業の事例も、彼らに対する規制がなかったから起きた、当然の帰結と言える。自由で公平なインターネットは、どこかの大企業がスイッチを押して破壊したわけでも、FCCが葬り去ろうとしたわけでもなく、これまでの長い時間をかけてゆっくりと死んでいたのである。
そう考えると、インターネットはただごくあたりまえのビジネスの場になったのであり、ネットワーク中立性の終わりは、今さらながらその象徴でしかないのだろう。