米国ではビジネス専用SNS(交流サイト)として定着しているリンクトインが、日本で再起動する。日本上陸から5年だがフェイスブックに押されて鳴かず飛ばず。11月初め、再建役に指名された人物の名が伝わると、ネット業界で驚きの声が上がった。ヤフーでモバイル革命の立役者となった「ロン毛の反逆児」こと村上臣(40)だ。
日本ではフェイスブックに完敗
「ついに本国が日本に本格投資することを決めたぞ。これからリンクトインのリボーン(復活)だ」。6日、村上が東京・丸の内のスタッフに語りかけると、わっと喝采の声が上がった。
とはいえ、その人数は10人余り。世界で利用者が5億人を超え、米マイクロソフトが2016年末に262億ドル(約3兆円)もの巨費を投じて買収した話題のスタートアップの日本法人としてはさみしい陣容だ。
リンクトインは米国では働く人のSNSとして定着している。学歴や職歴、スキルなどが書き込まれ、アポイントの前に相手を確認するツールとしてビジネスマンには不可欠。転職活動でも幅広く使われている。
だが日本ではその座を完全にフェイスブックに奪われ、登録者数は100万程度で横ばい。一方のフェイスブックは2800万と、大きく水をあけられている。しかも、関係者によるとリンクトインは大半が登録しただけで放置しており、実際の利用者数は英語が話せて高いスキルを持つ一部の人に限られると言う。
「とにかく使いにくさを改善することが第一」と話す村上は、リンクトイン日本代表ながら製品面の責任者も兼務し日本語版の刷新に着手した。
詳細はまだ明かせないと言うが日本語で読み書きできる内容を拡充し、エンジニアも増員するようだ。M&A(合併・買収)や提携についても「考えられる手段はなんでもあり」と言う。
リンクトインでのリボーン宣言から半年前のこと。4月26日、ヤフー社長の宮坂学(50)は17年3月期決算の発表会見でこう力説した。「パソコンからスマートフォン(スマホ)への移行は成功したのではないかと思っています」。村上はその言葉を万感の思いで聞いていた。自分の役割は果たされた――。
12年1月、44歳だった宮坂は突然、親会社であるソフトバンクグループ社長の孫正義(60)から急に呼び出された。「お前がヤフーの社長をやるべきだと思う」
頭の片隅にもなかった社長指名。宮坂に与えられた課題は出遅れたスマホへの対応だ。孫から指名を受けた宮坂が、ヤフー再生の切り札としたのが村上だった。
ただし、この時、村上はヤフーにはいない。10年余り勤めたヤフーに嫌気がさして辞め、ある事件を起こしていた。
11年10月26日、東京・汐留のソフトバンク本社25階。孫が後継者育成のために始めた「アカデミア」のプレゼン大会決勝戦が開かれていた。
そこに、ヤフーを去っていたはずの村上が現れた。代名詞のロン毛は相変わらず。するとスクリーンに「MOTTAINAI」と映し出された。
「モッタイナイ……。何がもったいないか。ヤフーの経営体制です」
孫氏の前でヤフー批判
スマホシフトに出遅れ、再生の決断ができないヤフーに対し、歯に衣(きぬ)着せぬ村上の批判が始まった。最前列に座る孫の目つきが険しくなる。場の空気は凍りついた。「あーあ、俺やっちゃったな」。村上はそのまま会場を後にしたが、この一件が孫にヤフー改革を決断させた。
宮坂もこの演説を聞いていた。社長に指名された宮坂は早速、自らの右腕として、子会社の社長だった川辺健太郎(43)を最高執行責任者(COO)に抜てきした。その川辺と示し合わせたのが、あのロン毛の男を連れ戻すことだった。
川辺と村上は学生時代に学生ベンチャーの電脳隊を一緒に始めた仲だ。村上は無線好きだった小学生時代から秋葉原のパーツ屋に通い詰めた筋金入りのテック・オタク。電脳隊はヤフーに買収されたが、村上はヤフーでもエンジニアとして頭角を現していた。
まず川辺が村上を六本木のカフェに誘い出した。「なあ臣、戻ってこいよ」。いぶかる村上に、川辺はこう告げた。
「今の経営陣は全員退任する。本気でスマホシフトをやるよ」
「マジっすか!」
驚きを隠せない村上。今度は場を変えて宮坂が口説く。「お前の力が必要なんだよ」。村上を執行役員CMO(チーフ・モバイル・オフィサー)に起用して「爆速経営」を推し進めていった。
それから5年。宮坂のスマホ移行宣言を聞いた村上は、再びヤフーを去ることを決めた。ヤフーの事業はほとんど国内に限られる。海外企業で自分の力を試してみたくなったのだ。ヤフー時代に提携を持ちかけられ、けんもほろろに断ったリンクトインの日本事業再建を次のテーマに選んだ。
村上は「外資系企業に転職したい人だけが使うツール」から、普段の仕事で社外の人と連絡を取り合うためのSNSを目指す。ビジネス利用に特化したサービスを築き、フェイスブックとの差別化を進める。その青写真はすでに頭の中にある。
村上はこう宣言する。
「まずはフェイスブックに追いつく。そして究極の目標は日本から名刺をなくすことですよ」
ヤフーを変えた反逆児の第2章が始まる。
=敬称略
(企業報道部 杉本貴司)