「夫は欲しいと思わないけど、お嫁さんはほしい」
「ほしいよね…」
「ほしい。お嫁さんがいてくれたら大事にするし、一生懸命働く」
独身の頃、一人暮らしの女友達同士で集まってこんな話が出たことがある。
クタクタに疲れて暗く寒い家にお腹を空かせて帰るのは辛い。お嫁さん、ほしい。
お嫁さんに家のことを任せて、帰ったらご飯とお風呂が用意されていて、清潔な衣類に着替えて一日の話をして、日向の香りのお布団で眠りたい。
しかし結婚してお嫁さん業が務まる自信はない。ましてお嫁さん業に加えていままで通り仕事もして、子供も産んでお母さん業も引き受ける自信はさらにない。
でももう一人はきつい。家族が欲しいし、誰かの家族になりたい。恋愛の延長としてのエバーアフターな結婚ではなく。
こういうときに「だったら髪型を変えて服装を変えて、つきあう人間を変えなきゃダメだよ。マーケティングの基本は、」なんて言ってくる友人がいなくてよかった。もうクタクタなのだ。どうしていいかわからないくらい。それでもひとりでやっていくしかないから、やっているのだ。
仕事以外のことに手が回らない、でも仕事を減らしたら暮らせない、誰か人生を手分けしてくれたらいいなあ。気が合う人、わかりあえる人。これ以上の無理を求めない人。
こんな風に思って、どうしてそこまでガミガミイライラされなきゃなんないんだろう。どんな仕事だって辛かったら誰か手伝ってほしいと思う。まして弱っているとき、くたびれはてているときは。
と、この増田を見てお嫁さんが欲しかったあの頃の気持ちを思い出した。
増田の言い分を見ると結婚とは努力の賜物で、結婚したいといいながら結婚する様子がない人たちは当然の努力を怠っているようだ。これは生存者バイアスの逆版、いうなれば敗者バイアスではなかろうか。
実際には見た目に気を遣わず、どちらかといえば人嫌いで、婚活市場におけるマーケティングなんて考えたこともなく結婚に至っている人も少なくない。小綺麗で人当りがよく、人を喜ばせるのが上手な独身の知人、友人をわたしは即座に何人か上げることができる。身も蓋もない言い方をすれば両者の違いは結婚につながる運があったか、なかったかだ。*1
夫はわたしに会ったこともないまま「この人は顔は悪いけど、いいことを書くな」とテキストに惚れ込んで結婚したいと言い出した。一方的に言い寄られたから気を引く必要もなかった。*2マーケティングなんか考えなかった。日記サイトに登録した日、もちおがたまたま新着日記欄を見たのがはじまりで、一回目の日記をあげて、それを読んだもちおは「この人と結婚するんじゃないか」と思ったという。
いうまでもないけれど、こんなことはお互い自分の人生の後にも先にもない。いろいろあったけれど、それで15年、夫婦になれてよかったと思えている。ただもう運がよかったとしかいえない。続くかどうかはともかく、たぶんこういう想定外の波に飲まれて結婚した人は一般的に考えられているより多い。
去年、50代の友人男性が40代女性と無料のマッチングサイトで出会って結婚した。出会って数週間で一緒に暮らし始めて、数か月で籍を入れた。独身時代はとにかく出歩くことが大好きな人だったが、いまは家でだらだらしながら布団で嫁さんの尻を触って喜んでいるとしょうもないLINEが来る。
彼は耐え難いようなダジャレを連発する癖をはじめ、無自覚に女性を怒らせる癖を数々持っている。でも妻とはうまくいっている。彼はしょうもないダジャレに耐性のある女性、それに和める女性と人生50年目にしてようやく出会ったのだ。思いつきで入ったマッチングサイトで。
「嫁さんがほしい」と思っていいじゃんな。わたしは両親が作った家庭がなくなってしまったので、夫と作った家庭に本当に救われている。「旦那さんがほしい」でもいいし、「ダーリン、ハニーがほしい」でもいい。ひとりが大変なときは、伴侶でなくとも、こんなときに誰かいてくれたらと思っちゃうよ、誰でも。
「だったらまず見た目を整える、自分から出向く、次にマーケティングを」って、要は「おまえの話を聞くのは飽き飽きだ。おまえは怠け者で考えなしだ、努力もせずに結婚したがるとは身の程知らずだと思い知れ」ってことでしょう。*3そういいたくなる自分の気持ちと、そこまで親身になれない相手と関わっている現状を、どうにかした方が建設的じゃないかしらね。
結婚は社会人認定資格試験じゃないのよ。