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なぜ京都大学の立て看板だけが特権的に条例違反して良いのか?

「京大の文化」立て看板、景観条例違反指導で学生ら困惑:朝日新聞デジタル

 

こちらの記事、年々厳しくなる京都の景観条例に違反するとして、市側が京都大学の公道に面した立て看板をなくしてくれと指導したという記事です。モラトリアムを満喫する学生側が反発するのはわかりますが、ネット上でも部外者の大人に反発する人たちが多く見られました。記事の最後に代表的なコメントをあげて、ひとつひとつ論破していきますが、その前にこのニュースについての解説を簡単にしてみましょう。

そもそも京大の立て看板とはなんなのか

立て看板ってのは、どこの大学にもありますが主にサークルの宣伝だったり、学祭などのイベントの宣伝だったりに使われる、学生手作りの大きな看板のことです。けれど、京大以外のほとんどの大学は大学内の決められた場所に設置しているのに対し、京大は公道に向けて見えるように巨大な立て看板を大量においているのが現状です。また、「京大 立て看板」で検索すると大量に出てくるように、政治的に過激なメッセージや大学批判のメッセージも特徴。遠い昔の学生運動の面影を感じさせるものとして、異様ながらもどこか懐かしい風景を作っていました。

京都の景観条例は観光地に限定したものではない

日本は欧米先進諸国に比べると景観に対する意識が驚くほど低く、法整備もできていないことが特徴です。その中で、京都はさすが世界的な観光都市だけあって、年々景観条例を厳しくしています。京都の繁華街にいくと、新宿や難波のような汚い看板の洪水や超高層ビルが見られないのは、この景観条例のおかげ。茶色いマックも有名ですよね。

つまり、京都市の景観条例は観光地だけに限ったものではなく、市域全体を美しくデザインしていくことを目的としたものです。そもそも欧米では景観は観光のためだけでなく、そこに暮らす市民のもの。市民が誇りをもてる景観を作れば、観光もついてくるものなのです。

もちろん京大の立て看板も例外ではない

当たり前ですが、公道に向けて設置している以上、京大の立て看板も規制の範疇なのでしょう。なぜ京都市内の無数の商業用の看板は細かく規制を守って設置許可を受けているのに、京大だけが特権的に許されるということになるのでしょうか。京大は偏差値が高いから特別なんだ!という差別主義でしょうか。

そもそも立て看板は文化なのか?

数十年の歴史があるから条例違反してても文化!というのなら、行政がやっとの思いで改善してきた歩きタバコやゴミのポイ捨ても文化ですよね。そもそも立て看板自体は京大に限ったものではなく、少し前なら政治的な立て看板もどの大学でも見られるものでした。それを、京大だけが放置してきたから文化!というのはどうなのでしょうか。

マナー違反をして騒ぐyoutuberやDQNと何が違うのか?

よくyoutuberやDQNがマナーに反することをすると炎上しますよね。それと今回のニュースは何が違うのでしょうか。単に好き嫌いの問題では?それじゃあ合理的な説明はできませんよね。

 

まあ、最後にこのニュースに寄せられたコメントを見ていきましょうか。

 

外向けの観光地だけ小奇麗にすればいい!後は汚くても市民の事なんて知らない!ってことでしょうか。

なんでむしろ残すべきだと思うんでしょうか。その価値は何?

「京大 立て看板」でググると政治的に過激な立て看板が沢山出てきますが、本来特別にお目こぼしされていたものが、他の商業看板と同じように規制されたら今度は裏の意図ですかあ

あの時代錯誤な立て看板を規制すると自由な発送や柔軟な思考を持つ若者がいなくなるというのは、若者に失礼では。

大学内でやればいいでしょう。そして、パチンコや風俗の看板などを含むすべての景観条例に反対しないと筋が通らないのでは。

数十年前から景観を壊していたとは考えがいたりませんか?

当たり前のことを言っているだけですよね。ハハー!京大様は特別でござんす!ってすれば満足なのでしょうか。