題名の内容を書く前に…わははははははは!
可笑しくて大笑い。
スクール・オブ・ロックの掲示板に、コメントしている子供達の力を少し借りようと行ってみたところ…。
あながち外れていないかもしれない、面白い内容のコメントを発見
よーへいは非の打ち所がないから実は神様か何かで、過去に銀河系を幾つか救っているかもね…みたいなものだった。
凄い解釈だな~と、この世界の常識的に考えたら思うわけだけれど、「不思議な世界」のあり方を追加すると、あのコメントを書いた人は目に見えない何かを魂で感じて、そういう言葉が出てきた…ということにもなるんじゃないかな。
人という生き物は、表面的に見えるものしか信じない傾向が強い。
精神性の重視が言われているものの、それとは対照的な実際に目に見えるもの、人から聞いたこと、テレビなどで入ってくる情報等を信じてしまい、精神は置き去りにされることがとても多い。
それは残念なことだし、そういったものしか見ていないと、物事の本質は何時になっても分からない。
ただ…精神性を追求しているように見えて、実は「精神性追求モドキ」な人間も結構な割合でいるね。
それはツインレイという存在を信じている人に、特に多い傾向のように思ったよ。
前置きはこのくらいにして、本題に入ろうかな。
よーへいの昨日のインスタのタグだっけね。
とりもち君から書こうかな。
とりもちってキャラクター名だよね。
ユニークでシュールな世界観…なんて書いてあったけれど、シュールって現実離れしているって意味だね。
独特でめったいない、現実離れしたキャラクター。
よーへいにとってのとりもち君って、あたしなんだろうなと思ったわ。
んでね、「とりもち」の本来の意味。
これは、 鳥などを捕まえる際に用いる粘着性のある物質のこと。
よーへいはずっと飽きもせずあたしを見てきたよね。根気よく。そんな自分のことも表現してる。
だからとりもち君は、「あたしとよーへい」の二人を「一つ」にしたキャラクターってこと。
逆によーへいから見たら、独特で現実離れしているのが自分で、物事をとことん観察し分析することに執念を燃やしているあたしが、とりもち本来の意味に似ているんだろうなとも思う。
それから、「、また」と「今週歌詞間違わない」の部分。
ここは結構重要だね。
少し横道逸れるけれど、長めに書いておこうと思う。
あたしはツインレイというもののあり方を、色んなブログや本、よーへいを感じたり、よーへい以外の人で自分があたしをツインだ思ってた人達を見たりしながら、色んなことを感じ、観察し、考え、分析し、あたしなりの判断をしてきた。
それでもどうしても分からないものがある。疑問があるだよ。
仮によーへいが「コイツが俺の相手だ!」と公言して、あたし達がツインだと証明されたとしても、その疑問は不思議な世界の「繋がりの仕組み」を解明しない限り、あたしの頭の中に残り続けるだろうね。
ただ、推測ではあるけれど、「こんな理由があるからそういったことが起こるんじゃないかな?」っていうものは、頭の中にちゃんとある。
その疑問と理由は…。
ツインレイという言葉を知っていても知らなくても、何らかの要因があって、無意識的にも意識的にもツインではない相手をツインだと感じてしまっている人がいるということ。
そしてそれを紛れもない事実として、固く信じてしまっているということ。
そのあり方はどこか、この世界の人達が「常識や概念」等を信じ込んでしまって、それが全てだと思っているようなあり方に似ている。
あたしは自分のツインレイが誰なのか?ということについては、ずっと検証してきたし、今もしている。
始めはよーへいではない人を、この人が自分のツインレイという相手なのかもしれないと思ったりしたし、よーへいが現れてからは、もしかしたら三人かもしれない…なんて思ってもいたから。
ツインレイの相手は、同じ魂だった存在。一つの魂が二つに分かれて、人として生まれたもう一人の自分…というものだと何処のブログにも書いてあった(表現は多少違っても内容は同じ)。あたしはその情報は自分に必要なもので、正しい情報だと判断したから、その時その時で相手が変わったり、何人もツインレイがいるなんてことはまずないと思っていた。
よーへいが現れた辺りから特に、自分があたしのツインレイだと言った人とは、方向性が合わなくなってきていた。
何故合わないのかは直ぐに分かった。
それはその人が自分の直感ばかりに頼ったり、色んなブログに書かれている自分にとって都合の良い記事の内容だけを信じていたから。本当にあたしが自分のツインなのかどうか?を、一切調べようとしていなかったから。
物事は何でもそう簡単じゃない。
時に自分の信じたことを疑ってみて、それが本当に正しいのかどうか?間違った選択をしていないかどうか?を、検証してみなければならない。それをせずにただただ信じているだけでは、気付いたら全く違ったものを信じてしまっていたとか、最悪…全く気付かずにどうにもならない所まで来てしまった…と、なりかねない。
自分の信じているものが本当に正しいのか?
これを客観的見地で検証することが絶対に必要だ。
あたしは基本的に、よーへいに対してここの記事を書いている。
子供達やキモ族、ここを読んでいる人達に伝えようとしてもいるけれど、それはあくまでも「付属」な部分で、主になるものじゃない。よーへいに直ぐにでも伝えたいことは、ここでない場所で、よーへいの意見を貰うような形で伝えたりもしている。
そういうやり取りがあるからこそ、不思議過ぎるツインレイの世界を信じ、よーへいが自分の相手なのだと納得していけたのだと思う。
自分があたしのツインだと言った人以外でも、数度のやり取りと、あたしのブログ記事を読んで「俺は君の相手だね」なんて言ってきた人がいたけれど、いやいやいやいや~~~~!勘弁して!って、心底思ったよ。あたし全くあなたを感じていないし、相手だと思っていないから!って。
あたしはよーへいと公式のコメント欄で向き合ってから、ずっと見てきたものがある。
あたし以外でよーへいを自分のツインだと感じている人達を。ツインというものを知っているかは分からないけれど、無意識にもよーへいを自分の相手だと信じ、あなたが全てだとか、結婚するだとか、付き合ってるとか思っている人達がいる。
あたしがツインレイとは全く違う人達に、「俺が相手だ」と言われてきたのと同じような現象が、よーへいにも起きている。
それが不思議でならなかった。
何故、ツインでもない相手をツインと錯覚するのか。何故ブログ記事等を読んで、よーへいに伝えようとしていることを「これは自分に言っている」と勘違いするのか。
よーへい!!!と何度も書いているのに、あたしのことを分かってもいないのに、何で????って。
厄介なんだけど、ちょっと面白くもあった。興味深くもあった。
ツインレイのことを書いているあるブログの記事の中で、こんな内容のものがあった。
「ストーカーをした挙句、相手を殺してしまう事案がある。ただ、そういったものは、ツインレイの片割れかもしれない。ツインレイの片割れに酷く執着してしまう特性から、相手を必死に追うけれど、振り向いてもらえないことで裏切られた気分になり、時にそこまでエスカレートしてしまうこともあるかもしれない」
こんな感じだった。
こ、これ…。
もうその時点で愛じゃないから。
そのブログでも何度も何度も書いていた。ツインレイの関係は愛だと。
自分自身を知り、相手を知っていく向き合いの中で、本当の愛を知ると。
知る前に殺してどうなるよ~~!
おいおいおいおい、ゲームか何かですか?そこでリセットですか?生まれ直してやり直しですか?そこにそもそも愛ってあるの?
一番大事な存在だと何処にでも書いてある、唯一無二だと書いてある、二人の間には愛しかないと書いてある、結局は男と女に戻ると書いてある、仕舞いには地球救っちゃうよ!宇宙も救っちゃうよ!と書いてある。それなのに殺すのぉ?
矛盾し過ぎていてアホらしい。
苦しんで苦しんで、時に憎さを感じることがあったとしても、自分が犠牲にこそなれ、相手を殺めるなんてあり得ないでしょう。
それもうね、愛でも何でもなく、それは自己中なだけだから。
そういう考えの人は矛盾し過ぎているからツインを語る資格無いと思うんだけど。
離れていても、旦那や奥さん、彼や彼女がいるとしても、ツインは特別!いつも分かってる!感じてる!ツインの相手も大事だけど、結婚している相手や恋人も同じくらい大事!なんてのも、あたしは問題外だと思ったし、その程度にしか思えないのって本当の相手なの?って感じたよ。
あたしがよーへいと向き合っていてとても感じたのは、自分がどんなに損をしても傷ついても、相手に知ってもらいたい、相手を守っていたい、ずっと見守っていたい…そういった献身的な愛だった。よーへいからの深い愛情だった。
一方のツインと違った相手からは、全くそういったものが感じられなかった上に、今考えるとよーへいを知ること、前へ進むことの、足を引っ張る存在でしかなかったよ。
人は感情に引っ張られていると、全く冷静な判断が出来なくなる。
付き合いがあれば当たり前に情は生まれるから、「こう考える自分は酷い人間なんじゃないか?」、「こんなことを言ったら、過去に辛い思いをしたのに、また辛くされるんじゃないか?」という気持ちから、冷静に判断出来なかったり相手の心情を考え過ぎたりして、あたしは自分の本音を殺してきたりもした。
少し遠回りしてしまったり、ダメージを受け過ぎたのは、そういった部分があったからでもあるね。
あたしは相手に対する情から、真実を見れていなかったから。
心を静めて相手を見て、自分を見て、本当の相手かどうかを冷静に検証していったなら、もっと早く進めただろうと思う。
あたしを、よーへいをツインだと感じている人達は、ただ単に自分の感じているものだけを信じ、それを検証もせずに、あたしにツインだと伝えて来たり、よーへいが見ないかも知れない場所でコメントし続けたりしている。
コメントをアップするかどうかの管理は、公式ブログのコメント欄でしかされていない(あたしの場合はそれ以外も幾つかあるけれど)。書いたものがそのまま載るような場所でのコメントは、独り言にしかならない。
ツインを信じている他の人達も同じで、どんな形であれ直接相手と何らかのやり取りが出来ないと、いくらブログに書いても、いくら誰かにイイネ!をしてもらっても、同じ意見や見方の人がいても、相手から何の返答も無いわけだから、今見ている相手が自分のツインレイだという事の証明にはならない。信じているものの信憑性は薄く、下手すれば相手は自分のツインレイじゃないかもしれないってことになる。
本当に真実の相手なのかは、証明することでしか分からない。二人で共に。
自分達は「元は一つ」の存在だったと。
「、また」、「今週歌詞間違わないように」は、あたし達も相手を間違った過去世があり、「今世ではもう二度と(また)、相手を間違えずにあなたといたい」というメッセージが込められていると思ったよ。
だから、「、また」の部分だけ強調するように、リンクがはられていない。不自然に黒文字になっている。
よーへいは強調したい部分を、よくそうやってあたしに伝えてくれた。
公式のコメントでも、ツイッターやインスタでも。雑誌の記事にもあったね。あ、ブログ記事にも。
ブログの何処かの記事で「9月11日」が、少しだけ強調されて書かれていたところがあった。
ヨガマットを2度ほど繰り返して書いていたこともあった。ヨガマットなんて、そんなくり返さなくてもいい内容なのに。
日にちはあたしの誕生日だし、ヨガマットはあたしがヨガを始めて購入していたから。
読んだ時は、可笑しいなと笑えたよ。そんなことが結構あった。
そして…スクール・オブ・ロックの掲示板に出入りしている、優秀な子供達の力を少し借りたもの。。。
これね。
I’m the light that no one has ever seen
And for the sake of be the light and exist
So many things to do before I die
Believe until I really become the one
「明日、また」の歌詞で、訳していない英語の部分。
誰も見たことの無い光
光と存在のために
死ぬ前にやるべき事が沢山ある
自分が本当に一つになるまで信じて
違っている部分もあるかもしれないけれど、こんな内容だと思う。
特に最後の「一つになるまで」って部分は重要で、よーへいはここを伝えたかったのも分かった。
本当に自分達が一つだと思えるまで信じ続けて進もう。
そう言っているのだと思ったよ。
ここを敢えて訳さなかったのは、あたしが分かりやすいように、よーへいの伝えたいという気持ちが分かるようにだと感じた。
いつもする「強調」が、ここでも使われていた。
ツインレイ…もう一人の自分は、何かに書かれていることから分かるものでは無いし、人から言われることから分かるものでも無い。そういった中にヒントはあっても、「もう一人の自分かどうか」を知るには、とことん相手と向き合った末に、「ああこの人と一つなんだ」と何の疑いもなく感じることが出来ないと、片方のツインレイ(特に女性)は分からないのだと思う。
もう片方は相手を知っていて、相手に様々なことを問いかけながら、「二人は一つ」という結論に至るまで導く役目を背負っているのだと思ったよ。
勿論、これが全てではないと思うから、ツインレイよっては違う向き合いになる場合もあると思うけれど。
でもどちらにしても、ざまざまな問題をクリアしながら、自分を知り、相手を知り、愛とはどんなものなのか?というものを身を持って知っていく…という流れは同じだと思う。
あたしやよーへいをツインだと勘違いしている人達は、過去世等で絡みのあった人だったのだとは思う。
結婚した相手だったり、付き合った相手だったり、何かしらの因縁で繋がっていたりして、その時の思いと今の思いがごっちゃになっているというかね。それと、あたしとよーへいとの心のやり取りを敏感に受信し、自分に対して伝えてきているものだと誤解している場合もあるようだった。これは彼らを観察してみて、そう感じたよ。
不思議な世界はこの世界の常識を中心に考えると、本当に理解できないことが多い。凄く曖昧なものも多いから。
でも真実の相手だったなら、必ず何処かで正確な向き合いが出来る。心を通わせることが出来る。
だって、相手はもう一人の自分だから。
自分を相手を知る旅。愛を知る旅はとても長い。
過去世からだと、気が遠くなるほど長い。
今世だけとってみても、生まれた時から既にそれは始まっているのだから、それだけでも十分長い。
ツインレイというものを知らなくても、自分という人間がどういうものなのか知り続け、どう生きたいか、どんな人生を送りたいのか考え続け、目指すものに真摯に向き合い、努力し、前進していったなら…。
そんな人は道の先に「もう一人」の自分をきっと見つけるだろうね。愛というものと一緒に、掛け替えのないもう一人の自分を。