「坂本龍馬が教科書から消える」には、大誤報が潜んでいる 「消えても仕方ない」じゃないんですよ
30年で4300語増…!
11月14日付の朝日新聞で「大学入試で歴史の細かい用語が出題され、高校の授業が暗記中心になっているのは問題だとして、高校と大学の教員らで作る「高大連携歴史教育研究会」(会長=油井大三郎・東京大名誉教授)が用語の精選案を発表した。
「用語が多すぎる」として、教科書の本文に載せ、知識を入試で問う用語を現在の3500語程度から約半分にすべきだとしている」と報道された。
この報道が話題になったのは、坂本龍馬や吉田松陰、武田信玄や上杉謙信といった、誰もが知る偉人も削除の対象になったからだろう。
27年間、高校で日本史を教えてきた私の個人的な見解を言えば、歴史用語の精選は大賛成である。
知らない人も多いと思うが、日本史で覚える事項や人名は、年々増えている。日本学術会議(内閣府が管轄する政府から独立した科学者たちの代表機関)は、10年以上前から学習内容の精選を求めているが、一向に減る気配がない。それどころか、ある日本史教科書で比較したところ、30年間で67ページも増えていた。
また、30年前(1987年)の『日本史用語集』(山川出版社)には、約6400の用語が収録されていたが、現在(2017年)は約10700の用語が採録されている。30年で4300もの新しい用語が足されたことになるわけだ。
「ゆとり教育」という詰め込み教育が否定された期間を挟んでいるのに、この数字はどう考えても異常である。
しかも大学受験では、いまだ些末な歴史知識を問う入試問題が少なくない。このため、教師は授業の中で一つでも多くの歴史用語や人名を生徒に暗記させなくてならない。これでは現場の教師も大変だし、覚えなければいけない生徒の負担も当然大きくなる。私がそれ以上に心配なのは、このことが若者の歴史嫌いを量産することにつながっているからだ。
ただ、2020年度からは大学センター入試が終わりを告げ、かわって「大学入学共通テスト」が始まる。すでに報道されているように、思考力、判断力、表現力に重点を置き、記述や論述を含む問題が導入される予定だ。日本史においても、歴史的な思考力が問われることになろう。
この改革には大賛成で、大学入試の抜本的な改革にあわせて、当然、高校の歴史教育も変わっていく必要があるということで、今回の提言になったのだろう。
私は、歴史教育で大事なのは、些末な用語や人名の暗記ではなく、歴史の流れや因果関係をしっかり認識させ、最終的には、歴史の教訓を自分の将来に役立てることのできる力を培うことだと考えている。
そういった意味では、多く史料が残り、今の社会と直結し、比較的なじみのある近現代こそを重視するべきだと思う。古代や中世といった、はるか昔の歴史は必要最小限にとどめ、ばっさり精選してもよいのではなかろうか。
さらにいえば、拙書『日本史は逆から学べ』でも提言したことだが、「歴史を現代から逆さからさかのぼって学ぶ」という手もあるのではないかと思っている。
歴史的な出来事が起こった背景には、必ず原因や理由がある。それを自分たちが生きる現代からどんどん古いほうへ探究を広げていくというやり方である。このやり方の方が、学習する上での意欲が圧倒的に維持できると思うのだが、いかがだろう。
いずれにせよ、歴史教科書の用語や人名は思い切って減らし、流れや因果関係を重視する学習にシフトする勇気を、文科省や教科書会社に求めたい。
ただ、一つ気になるのは、高大連携歴史教育研究会が提言する「坂本龍馬」の削除である。これについては、個人的に断固賛成しかねる。
色々な意見はあると思うが、武田信玄や上杉謙信などは地方の大名で、同時代の織田信長に比較したら研究会のいうように「実際の歴史上の役割や意味が大きくない」ということで削除対象になるのはある程度理解できなくもない。
しかし、坂本龍馬に限っていえば、十分大きな歴史的な役割を果たしたのではないかと、考えている。
とんでもない誤報
たしかに政治の表舞台で活躍したわけではないだろう。しかし、薩長同盟、大政奉還、五箇条の御誓文など、裏方として近代国家の誕生に果たした影響はきわめて大きい。なにより、彼のような縁の下の力持ちの重要性を高校生に教えることも必要ではないだろうか。
やや脱線するが、相次ぐ大企業の不祥事などは、経営者の方たちに、地道に現場で汗を流す、いわば裏方への配慮が不足していることが原因のような気がしてならない。
さらに言えば、今回の歴史教科書の用語精選のニュースはテレビ朝日の報道番組でも取り上げられていた。
だが、それを見ていて、とても驚いた。
「坂本龍馬は昔、教科書に載っていなかった」というとんでもない誤報を流していたからである。ここではっきり言っておくが、坂本龍馬が昔の教科書には載っていなかったというのはウソである。
たとえば、昭和18年の国定教科書(『初等科国史 下』文部省)には、
「朝廷では、内外の形勢に照らして、慶応元年、通商条約を勅許あらせられ、薩・長の間も、土佐の坂本龍馬らの努力によって、もと通り仲良くなりました」
と記されている。
とくに薩長同盟の箇所には、西郷隆盛や木戸孝允は登場せず、薩長を取り持った人間として坂本龍馬の名前だけが出ているのだ。国定教科書ゆえ、この記述は国民がみんな読んだはずだ。つまり人気があったかどうかは別として、坂本龍馬が戦前なら誰もが知っている偉人だったことは間違いない。
では、なぜ、こうした誤解が起こるのか。
なんとなく私たちは、司馬遼太郎氏の人気小説『竜馬がゆく』が刊行されたから、坂本龍馬は有名になったのであり、教科書に掲載されたのも、小説が出版された1960年代半ばぐらいからだと思い込んでいるのだろう。
でも、それも間違いだ。
昭和32年に発行された教科書には「土佐藩の尊王攘夷派を代表する坂本竜馬・中岡慎太郎らの藩士は、薩・長両藩の間を説き、一八六六年(慶応二年)一月、薩長連合の密約を成立させた」(豊田武著『高等学校社会科 日本史』中京出版)とあり、司馬氏の小説がブレイクする前から龍馬は教科書に登場しているのだ。しかも戦前同様、薩長同盟の項には両藩の代表であった西郷と木戸は登場していない。
このように、戦前からずっと龍馬は教科書に出てくるメジャーな人物だったのである。それが「昔の教科書には載っていなかった」などという誤った報道によって、「そうか。それなら消えても仕方ないな」という気持ちを視聴者が起こさないことを願いたいものである。