今日は25日、エンケンが居なくなってから一ヶ月が経ち、月命日となりました。
亡くなった前後、24日のネットでの死亡記述から始まり、膵臓がんや入退院を繰り返していたという…全く事実と違う記事が飛び交っていたので、お友達の方々にはメールを出しました。
ご挨拶が遅くなりましたが、少し落ち着きましたので、ブログでも皆さまにご報告をさせていただきたいと思いました。
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遠藤賢司が先月10月25日(水)早朝…永眠しました、享年70歳でした。
27日の家族葬では親しい友人達も駆けつけて、皆んなに「エンケンありがとう!」って言われながら、荼毘に付されました。
体調が悪く、10月23日(月)に入院させてホッとしたのもつかの間、翌24日(火)午前中に意識が落ちて呼びかけても返事がないとの病院からの電話ですぐ駆けつけ、そのまま翌朝25日(水)の4時過ぎに安らかな顔で眠りにつきました。
昨年3月に胃癌が解って以来1年7ヶ月、骨髄転移だったので手術ができず、死を意識しながらも音楽を生きる糧に前向きに過ごしてきましたが、最後は急すぎて本人も気づかずに天国にいるのかもしれません。
24日はレコーディング、25日は本を出すためのインタビュー予定だったので、本人も体調が落ち着いたら改めてやる気でした。
闘病中には、ピアノソロアルバム「けんちゃんのピアノ画」も制作発売し、最後だと思って演っていたというライブも何度かできて…ステージに立つと力が湧いてくるのか凛として圧巻!元気になったと誤解されるくらいで、うちで時折見せるうつむく姿とは別人でした。
8月頃から、頑張って押さえ込んで来た病巣の逆襲がすごい勢いで始まり…痛み止めで麻薬を処方されるようになり辛かったと思いますが、9月に1度だけレコーディングでき、入院する数日前まで打ち合わせもやってました。(「俺もとうとう麻薬をやりながらレコーディングか…」と、自慢するように笑ってました)
最新曲は、最後のライブとなった6月29日渋谷クアトロでのアンコール曲として披露された「 GOD SAVE THE BAKATIN」。
この楽曲をタイトルとしたハードパンクなアルバムのレコーディングも1度だけスタジオに入りセッション、その後予定通りに出来ないまま各曲の構想を色々練っていましたが、今や遠藤の頭の中のことはわかりません…残念です。
10年後20年後に本物の「史上最長寿のロックンローラー」として凄いこと演ってそうで楽しみだっただけに(本人もそう言ってたよ)…それも悔しい…でも90歳になっても走っていただろうから、途中だったよね。
そう…いつも逃げずに演りきってたエンケンだから、最後は清らかなサッパリした顔をしてました。
病気になってから何度も気遣われた言葉、「眠れた?」「ゆっくりでいいよ」「焦らないでいいから」「ごめんね」「ありがとう」。
音楽とともに生き、その音楽に助けられ、入院もせずに闘病生活を本当に頑張ってきたエンケン、「良くがんばったね」って、何度でも頭をなでて褒めてあげたいと…愛おしい気持ちにさせる可愛い人でした。
そして、音楽家としての凄さは、皆さんが今後語ってくれたらいいなぁ…。
新譜アルバムは残念だったけど、良い作品を、たくさん残したいです。
生前、愛情を持って応援してくださった皆さま、大変お世話になりました。
そんな温かい応援がエンケンの原動力となっていました。
どうか、こんな「不滅の男」を、時々思い出してくれたら嬉しいです。
これからもご支援、よろしくお願い致します。
30年を共にした家人として…スタッフとして、感謝とお礼を申し上げます。
長文、失礼しました。
遠藤賢司仕事室 関端ひかる
*エンケンは、昔からスケッチブックが制作ノート…貼ってあった付箋。
*9/18 レコーディング、いつも「死んでたまるか」って気持ちで演ってました。
*10/17「俺はちゃんと謝るんだ」と、大阪ライブ中止時に当日来場してしまった人達のために書いた色紙。
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2017-10-05
2017-09-13
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