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池田先生にお応えする為に

 投稿者:信濃町のネット対策チームの対策  投稿日:2017年11月25日(土)15時46分18秒
  信濃町のネット対策チームの対策です。

原田学会の職員が会員さんを奴隷のように使うための魔法の言葉があります。

「池田先生にお応えする為に」
※他に「喜んでいただく為」として使用されることもあります。

使用例
「池田先生にお応えする為に」政教新聞の大啓蒙をしましょう!

「池田先生にお応えする為に」政教新聞を家族全員取りましょう!

「池田先生にお応えする為に」公明党を大勝利させよう!

「池田先生にお応えする為に」○○候補を当選させよう!

「池田先生にお応えする為に」財務を三桁やろう!

「池田先生にお応えする為に」未曾有の額の財務をやろう!

このように全部池田先生の責任にして会員さんを各種活動に隷属させます。

この活動の全てが職員の権力維持の源泉になるものです。
原田学会の職員ははっきり言いなさい!

「我ら職員の生活の為に」財務を三桁やろう!
「我ら職員の生活の為に」未曾有の額の財務をやろう!
「我ら職員の生活の為に」公明党を勝たせて権力維持させよう!
「我ら職員の生活の為に」に○○候補を勝たせて権力維持させよう!

皆様は私の意見に賛成されますか?
職員の皆様は反対されますか?
 

阿闍世王

 投稿者:花の輪  投稿日:2017年11月25日(土)15時22分43秒
  阿闍世王の最後は
悪瘡が体中に出来て、大地が割れて落ちて死んだという
仏法の厳しい法則




 

七人の侍

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年11月25日(土)15時19分47秒
  獅子の子さんの仰る通りと思います。(私は悪く受け止めていませんよ)誤解も含めて様々な受け取り方をされているでしょう。最終確認はとっていないと思います。年長さんからはよく「彼らは甘い」と「若さゆえ」を指摘されています。「ただ、成長している」とも。その通りでしょう。危なっかしさもあると思います。が、100%固いということは無いとなると、ある程度のバクチ的要素は残らざるを得ません。
そんな色々が混ざり合って化学反応を起こすのが「衆生世間」という生命体ですね。
考え方が100%一致することはありません。私も波田地一派ではありませんが、共通・共有する部分で連携できます。宮川さんともできるでしょう。

メディア側にも思惑は当然あるでしょうね。ただ今回のWBSに関しては憲法9条についてで、学会内部について言いたいのではなかったと思います。

この前、ある人と話していたのですが、我々は『七人の侍』だと思うのです。彼らは誰もボスではない。親分は存在せず、上下関係なし。完全に独立・自立した野武士たちが、ただ共通(共業:ぐうごう)する目的のために連携・協力して闘いました。それは自身のためであり、共通する皆のため。そして最後にこう言うのです。「勝ったのは百姓たちだ」と。
百姓たちも七人の侍を雇ってはいましたが、何もしなかったわけではなく、彼らの立場で闘いました。この勝った百姓たちが我々「民衆」なのだと思います。
 

元職員さん方を批判しているのではありませんよm(__)m

 投稿者:獅子の子  投稿日:2017年11月25日(土)14時36分59秒
  番組側が編集し放送する部分を最終確認したいとまで取材交渉されているのでしょうか?

此方の意図とメディア側の意図とでは思惑が違うと言う場合もあり活用するつもりが足元救われる可能性もありますので…。心配になった次第です。

不当な除名処分を受けた元職員さん方の戦いには頭が下がる思いで居ります。
並々ならぬ戦いでしょうから…
痛みもはかり知れません…。
その元凶である原田執行部への怒りは私も同じなんです!

だけどもあの報道では マイナス印象として
《創価学会=洗脳宗教》
《内部分裂*分派活動で仲間割れ》
《池田大作=無責任に雲隠れ》
と言うような悪い印象とメディア側の悪意を少なからず感じた次第です。
私の性格がネガティブなもので偏った見方になっているかも知れませんが…。

番組取材を受けた同志の皆さんの勇気ある声あげは本当に凄い!と感じましたよ。
勇気ある行動に敬意を表したいと思いますm(__)m

しかし一方では番組を見た内外問わずの方々に誤解を招いてしまったのではないか?
不快な思いを与え傷つけてしまったのではないか?と
心配になるような報道の仕方だったのではないかなぁと…。

TBSテレビ『報道特集』での天野さんの戦いを報道された際は『そうだ!そうだ!』と《共感》と心が奮い立たされる程の《感動》がありましたがメディア側の取り上げ方一つでこんなにも印象が変わるものなんですね…。

SaySayさんや他の方々の仰っている事 また元職員さん方を応援する気持ちもわかるからこそ大変複雑な心境です。

虹と創価家族さんが仰るように
今一度《祈りの確認》が必要なんじゃないかなと思いました。

元職員さん方の戦いを見守っていると なんだか危険な綱渡りをしているような…
不安な気持ちになる事があります。
仕方のない事かも知れませんが…

でもこう言った意見の相違や温度差で相手に嫌悪感を抱いたり攻撃したり手を携えない事だけは避けなければならないと思っています。

善は強いがゆえに団結しずらい…そうなると損ですよね。

色んな感性があって良いんです。
様々な視点から様々な意見がなされ より良い方向へ行く事を切に願い祈って居ります。

 

WBSみたけど。

 投稿者:二眼の亀  投稿日:2017年11月25日(土)14時17分55秒
  最後の山口代表のコメント

少数派の意見は黙殺されると言う事か?このタヌキ代表。枯れ葉を小判にしてみるがいい。
 

大白蓮華12月号

 投稿者:花の輪  投稿日:2017年11月25日(土)14時14分56秒
編集済
  大白蓮華12月号
11ページに掲載された写真
「会長として最後の本幹」での写真だそうである

「私が辞任するのはいい
  しかし、自分が辞任した後、どうしたら学会員を守ることが出来るのか?」
苦悩する先生
心労で目を悪くされた先生

それに比べて…
側近と言われる幹部の皆さんの明るい笑顔…

そして、この序列を見る限り、北条、山崎のようですね
北条氏急死の後、山崎氏ではなく秋谷氏が何故、会長になったのか?
その顛末を会員は全く知らされていないでは?
日達急死で日顕が「相承受けた」と言っているのと、同じ臭いがします

「1割離れても仕方ない」とのコメント
結果「1割位しか残らなかった」という現状になったように思います
残り9割近い人は
「胸の中の先生」と対話して頑張ればいい

先生は
信心を根幹に、それぞれの土俵で頑張り、勝利し、幸福な人を作りたいと思っておられたと思う
職場、家庭、地域等々

9割近い人が、離れている原田学会

原田学会は
会員の「時間、お金、エネルギー」そして
「1票」まで縛り上げて、自在にしようとしているように感じます
「先生を守る為」「先生に喜んで頂く為」と呪文の様に唱えて

会員に強いるのではなく、原田会長並びに
幹部、議員の皆さんこそ「先生に喜んで頂ける」ように頑張ってください

先生が喜ばれる事は
会員の幸福、国民の幸福、世界の平和です

会員は、これまで充分頑張って来ました
「魚は頭から腐る」
頭が腐っていない事を、口先だけでなく、是非行動で示してください










 

WBS見てないけど

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2017年11月25日(土)13時11分11秒
  たかだか数分のテレビ報道に、あまり過敏に反応することもないのでは。

視聴された学会員にとっては、ふだん外から自分たちがどう見られ、どのように認識されているかを考える一助にはなったでしょう。

裏を返せば、いつも思うことだが、立場を逆にして他宗教を一生懸命やってはる人の話を予断なく真面目に聞いている学会員がどれだけいるか……?

執行部と方向性が真逆でも硬直したイデオロギーに呪縛されて、
想定問答集があるかのように、あらかじめ結論の出尽くした「仏法対話」に自閉していては、
ただの一方通行、話し相手からすれば「宗教の押し売り」。

池田思想の宣揚の仕方も各人各様。受け止める側の解釈も様々。
自分がカテゴライズする「正義」や「幸せのかたち」に固執しないことです。

 ----- -----

信濃町という区域をもはや脳内地図から消し去っているような私から見れば、例の三人組+αがやってること自体はナンセンスそのもの。
だけども彼らが身体を張ってあそこまで騒ぎ立て掻き回してくれたから公の前にあぶり出された事案も少なくない。

彼らの行動について「私憤を公憤にすり替えている」と批判するツイートをお見掛けしたが、、、
すり替えりゃいいのさ、どんどん“公”の場に暴き出しゃいいのよ。自由に解釈の余地を与えて。。

子供やあるまいし、他人様の行動を評価するのに自分のちっぽけな尺度で全肯定か全否定で針を振らせることもない。
自らを硬直したドグマ、結晶化して脳裏にこびりついた価値体系から解き放ち、運動のバリエーションを広げるのに知恵を回そう。

他人様の事を「憎悪の念」にとらわれているかのように見下して論評よりも……。

 

昨夜のテレビ東京

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年11月25日(土)12時10分47秒
  昨夜のテレビ東京の番組。

偏向報道でもされたのかなと思っていたが、そんな事も無いようだ。

今起こっている事をそのまま伝えているだけで、私は何も違和感を感じなかった。

今創価学会で何が起こっているのか、全然気がついていない学会員さんにはぜひ見てもらいたい番組だ。

自分の目で見た後どう感じるかは自由だが、重要な変化が起きているとの認識が広まれば、学会改革への大きな力になって行く。

安保法案は、池田先生の平和主義に反すると考えている学会員がこんなにいる。その事を全国に伝える意義は大きい。
創価学会から村八分にされ、孤軍奮闘している人達への大きなエールにもなる。

山口代表がコメントを求められ、何も知らないと言うのはおかしい。
衆院選惨敗後の総括でも、学会員票の離反という話は出ていたし、そのずっと前にも、安保法反対署名の受け取りを、拒否していたりしたではないか。

安保法、秘密法、共謀罪、9条……。すべて信仰の根幹に関わる問題だ。
もうこれ以上ゴマカシは許さない。
混乱を招くから触れなくていいというような問題ではない。

公明党の自民追従政策を拒否し、創価学会を除名される学会員さんが多数存在している事について、どう思うかも聞いてもらいたかったが、今回はまあいいだろう。
次の報道に期待したい。

しかしテレビ東京はなかなかのものだ。
犬HK、日テレ、フジでは、なかなか放送出来ない内容だ。

今後、テレ朝やTBSでも取り上げてもらいたい問題だ。
別の考えもあるようだが、私はそう思った。


p.s.  ハンドルネーム「匿名」とかいう者へ

        お里が知れますよだと? 何だその脈絡のないセリフは?意味がわからん。 悪口のつもりか?
        ウチも一応天皇家につながる家系らしいがそれがどうした。何か文句あるのか。

         金は確かに無いがな。ハハ(笑)

         それよりネットで遊んでないでちゃんと仕事しろっ!  この供養泥棒がっ!!

         お前の事だっ!!





 

キャン・ザ・キャン

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年11月25日(土)11時48分7秒
  「学会の弱体化につけ込み、会員を取り込もうとする寺と左翼」が存在するとしたら愚かとしか思えない。創価学会はある意味、終着駅です。学会が嫌になって他の宗教、組織で積極的に頑張っている人は私の周りには一人もいない。殆どの人は宗教とか組織とかにウンザリしていて、もうコンリンザイ。
元職員らや波田地さん一派(笑)、宮川さんらをそのように言う人がいますが、彼らは不満分子を取り込もうなどとはしていない。逆に池田先生の創価学会を取り戻して自分も元に戻ろうとしている。ベクトルは真逆です。澄んだ川に帰りたい鮭です。そこで産卵する。
「元に戻る」です。「蘇生の義」です。それが本来の「円満・具足」だからです。そのために「開く義」を活用するのです。開かれた対話です。
閉じ込める? 逆効果です。その仏法という《法則》に逆らい、真逆を行ったから弱体化させたのです。それを続ける? それこそウンザリ。もうコンリンザイ。

“彼をモノにするために戦うのよ 彼を閉じ込めておくのよ”
“缶のなかに詰め込んじゃいな できるうちにやっちゃうのよ 閉じ込めちゃうのよ”
“独り占めよ やれるときにやっちゃうのよ 彼を誰にも渡さないで!”
“アンタの妹はまるでずる賢いネコのようね 彼女がアンタの気に障るのよ”
“アンタの恋人イーグルはもう一方で ちょっとばかし邪悪な欲望が好きなのよ”
“夜はキャットをイーグルの巣にいれちゃダメよ イーグルは抵抗せず「イエス」って言っちゃうかもしれないわ”
“彼を缶に閉じ込めちゃうのよ 強引にやっちゃうの 無理なようでもやっちゃうのよ”
“やったもん勝ちよ やっちまえ やっちまえ 彼を渡したくないなら
立ち上がるのよ!”
『キャン・ザ・キャン』スージー・クアトロ
https://www.youtube.com/watch?v=xYoogY-UGio
 

11月24日責任役員会メンバーは全員折伏弘教成果発表したんですか?

 投稿者:原田奴隷学会  投稿日:2017年11月25日(土)11時47分11秒
  財務で優雅で呑気な生活をしている責任役員会メンバーの皆さん、あんたがたは会員ですよね?会員の基本は折伏弘教、唱題行です。やってなければ、会の責任を担う者として不適格ですよ!怪鳥以下、本日25日迄何世帯折伏成果を出したか?聖教新聞紙上に公表下さい。
あんたがたは、先生でも師匠でもありません。単なる会員です、会の責任を担ってるだけです。それで財務でのんびり優雅な生活しているのであれば、会員が本部に押しかけて外へ放り出されますよ。

本部内にもかなりの不満者が溢れて誰も助けてくれなくなります。たまには、上野公園で路上生活を十年くらいやってみては?病気も治りますし、不摂生、ふしだらな生活にピリオードをつけることも出来るんじゃないですかね。
明年1月2日迄に五世帯本尊流布と活動家として即戦力で末端組織に組み込むんしよう。直弟子直結の新来者が組織のブロック長やらニューリーダーとして来年から登場する。あなたがた、怪鳥以下副会長、責任役員会の高齢者も死んでいる暇なく、即折伏成果を出して下さいよね。ロケットスタート!!愛人作ったりはしないで下さいよね。
 

創価学会は仏法なのか?それとも資本主義思想なのか?

 投稿者:くぼたてつ栃木の仏敵退治久保田哲メール  投稿日:2017年11月25日(土)11時44分16秒
  栃木の久保田です。ヽ(^○^)ノ

WBS・私も見ましたよ (^o^ゞ

創価学会が日蓮大聖人の仏法を教義とした宗教団体であるならば現在の執行部の会の運営は間違いなく違った方向に向かっている。

顕正会にしても邪宗門にしても対論の場で様々ないちゃもんを付けてきたのですが、御書の御金言から離れなければ負けることは120%無かった。必ず敵のデタラメが浮き彫りになりヽ(^○^)ノしどろもどろで『妖怪』の様な声で『ケッケッケッケッ』(笑)

と┐(´д`)┌話し合っているうちには見せない変な姿を見せたものです。

それこそが3代の会長が大聖人様の御金言を基にして会を運営していた証拠であり、秋谷は5口や原田は4号5号のニセ会長はアクセンチュア等と言う凡そ宗教とは何の関係もないコンサルティング会社などを取り入れ『儲けを中心に』会の運営を変えてしまった。

守銭奴共よ(# ゜Д゜)

お前達に民衆の幸せや世界の平和などを語る資格もないだろうし、人の幸せ平和に生きる権利なども眼中に無いのであろう!┐(´д`)┌

悲しい┐(´д`)┌可哀想な者共である。

これから社会の制裁を受けて行くのであろう

そのときになって泣きを入れるんじゃねーぞ!

散々正義の真面目な会員さんを処分してきたのだから・・・・。


 

ダンス・トゥナイト

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年11月25日(土)11時05分48秒
  『ビートたけしが「バカ」と言い続ける理由「時としてこの国は、バカ踊りしちゃうから油断ならない」』
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171125-00542481-bookbang-soci
>《日本はかつて真珠湾攻撃とかインパール作戦とか、バカとしか思えないことを国を挙げてやっちゃった過去がある。時としてこの国は、社会全体が阿波踊りのような状態になって、バカ踊りしちゃうから油断ならない。「鬼畜米英」だったのが、すぐ「ギブミーチョコレート」なんだから、その変わり身の早さったらない。本当に変な国だよね。》
《だからバカはおいらたち芸人ぐらいにして、日本全体がバカにならないように願っている。そのためには、何がバカか、どのようにしてバカが生まれるのかについて考える必要があって、本書(ビートたけし著『バカ論』)がそのきっかけになればいい。》<

この「バカ踊りしちゃう」習性を知り、だから「9割は大丈夫」と失効部。その結果、皆は幸せになったのか?
創価学会の弱体化……もはや深刻です。「限界集落」という言葉があります。
>65歳以上の高齢者が集落人口の半数を超え、冠婚葬祭や田んぼ・生活道路の管理など、社会的な共同生活の維持が困難な状況にある集落のこと。「機能を失った集落は消滅に向かう」とされる。旭川大学の大野晃教授(高知大名誉教授)が1991年に提唱した。
(2016-10-13 朝日新聞 朝刊 岐阜全県・1地方)<

今みなさんの座談会会場を見渡してどうかでしょうか? 65歳以上が半分を超えたらいずれここの座談会参加者はゼロになるという危機感はないでしょうか?

なぜこうなった???

何が過去に「因」としてあって、現在の「果」なのか? ならば未来に現在と違う「果」を望むなら、過去と違う「因」を創ろう。

かと言って暗くなってはいけない。その暗さは「果」であるだけでなく、同時に「因」になるのだから。たけしさん、阿波踊り自体は素晴らしいでしょう? リオのカーニバルにも負けない。「果」としてのバカ踊りじゃなく「因」としてのバカ踊りなのです。阿波踊りは。勝利の「因」を創っています。だから「♪踊らにゃ損!損!」なのです。地涌の菩薩も踊って地から涌き出ました。まずは一度、現実を直視したら、次は陽気に前を向き直しましょう。陽気に!!!

“みんなフロアを踏み鳴らすのさ みんなビートを感じるのさ 今夜みんな踊りまくるのさ”
“みんないい気分になるのさ 今夜みんな踊りまくるのさ”
“みんな飛び跳ねて叫ぶのさ みんな歌い出すのさ 今夜みんな踊りまくるのさ”
“その気があれば、僕のところでもいいよ”
“やりたいことは何だってできる”
『ダンス・トゥナイト』ポール・マッカートニー
https://www.youtube.com/watch?v=1LFTxmERTbw
 

ワールドビジネスサテライト

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年11月25日(土)10時04分9秒
  『遠藤文書』のこの部分は極めて重要です。

>仏法に関する正邪は「主観」で決まるのではなく「文証・理証・現証」という「客観的」な基準に拠らねばならないということを教えてくださったのが、ほかならぬ目蓮大聖人であられます。だからこそ、その御精神のまま、主観的な思いではなく、互いの主張内容を
客観的に吟味すべきなのではないでしょうか。<
>具体的には、私どもの行動を「分派活動」と非難されましたが、私どもの主張のほうが正義であり、「執行部による性急な学会教義改変」のほうが池田先生の御指導に沿っていないのであれば、むしろ変更を無理に推し進めようとした行為のほうが、「池田先生を師とする創価学会」から逸脱しようとする、いわば「分派活動」となる――客観的には、こういう理路になってまいります。また、日寛上人の教学を根本としてきた戸田先生以来の伝統の学会から離反する「分派活動」ではないでしょうか。<
>お教えください。創価学会は、いついかなるときも「池田先生が基準」なのではないでしょうか。「そうでない」と言うなら、会長の意図に従わず、阻止しようとした私どもは「分派活動」となるのでしょう。「そうである。池田先生が基準である」と言うなら、池田先生の御指示でない教義変更を強要した方が「分派活動」をなされたことになります。<

「分派活動」とは何か? 「法を下げる」とは何か? 誰か? その《基準》は何か?

まず元職員らは取材を受ける際に必ず「池田先生、創価学会に傷をつけるような報道はしないでくれ」と約束させています。即ち《基準》は「池田先生の人間主義・絶対平和主義」です。
では、この「池田先生の人間主義・絶対平和主義」に傷をつけているのは誰か? 『WBS』番組・東京座談会で小平氏は「現在の原田会長を中心とする創価学会本部執行部は、師匠の“人間主義”“絶対平和主義”の思想と精神から逸脱し」と述べています。
これは事実か? それを見極める眼をまず持つ必要があります。死神と取引した眼ではなく、仏法者、池田先生の弟子であるなら信心の透徹した眼=仏眼、法眼、慧眼といった眼です。
その「眼」が「その程度か? たいしたことないな!」と民衆から言われることが「法を下げる」ことではないでしょうか。

「池田先生の人間主義・絶対平和主義」とはいかなるものか? まずこれを知らなくては、判断《基準》を正しく持っていないようでは「法を下げる」以前のことでしょう。
番組・座談会での登壇者は「こんなの絶対に変だ! 池田先生が認めるはずがない!」と述べています。これは彼女の知る「池田先生の人間主義・絶対平和主義」を《基準》にしての叫びでしょう。
ここで対決することになります。「池田先生の人間主義・絶対平和主義」を《基準》とするならば、その《基準》に近いのは彼女の方か、執行部の方か?
この《基準》から遠い方が、即ち「依法不依人」ではなく、「師弟不二」ではなく、「境智冥合」しない方が、執行部の方が「法を下げる」行為者です。

さらに番組に顔出ししていた男性信者は「現場の人たち(信者)が洗脳されている。自分で考えることができなくなっている」と述べています。
池田先生は本幹同中で「創価学会は学ぶ会なんだ!」と声を荒げて叫ばれ、自律・自立した信心を教えて下さっているにもかかわらず「池田先生の人間主義・絶対平和主義」を学ばず知らず、《基準》としていない9割かも知れない学会員こそが「法を下げる」人たちです。

時おり学会員は外部の人をあるいは馬鹿にして見下し、敵視しては池田先生・創価学会を知らないと批判するが、外部にも正しく「池田先生の人間主義・絶対平和主義」を知る人はたくさんいます。それと入会するかどうかは別です。ラカニエンヌさんはよく学会理解者である有識者の名前をあげておられました。
そんな正しく「池田先生の人間主義・絶対平和主義」を知る外部の人が「本当に安保法、共謀罪はいいの? 池田大作さんはOKと言っているの?」とその《基準》から疑問を投げかけられて来ているのです。

今は学会員よりも外部の人の方が池田先生・創価学会をよく知っているとはどういうことか?
これが「法を下げる」ことです。「何だ? ミスター・ダイサク・イケダには弟子はいないのか?」。こう思われ、思わせることが「法を下げる」ことです。

この「法を下げる」はいま現実に起きていることです。問題はその恥を外部にさらけ出すかどうか、マスコミを通じて知らせるかどうか、でしょう。
テレ東での「反対集会」とか「離反」とか「(執行部に対して)不満を抱える」という言葉は私も改めて欲しいと思います。不満と言えば愚痴に聞こえ、参加者に非があるように聞こえます。しかし「池田先生の人間主義・絶対平和主義」を《基準》とするならば、非は執行部の方にあり、「怒り」の方が的確です。

番組に顔出ししていたもう一人の男性信者は「(反対集会に参加して)下から変えていく力になりたい」と言われています。
どう変えていくか? 「池田先生の人間主義・絶対平和主義」を《基準》とするならば、本来のその《基準》に合った世界に戻していくということでしょう。「蘇生」です。
「妙とは蘇生(=空諦=如是性=ソフト=心法)」です。すると本来の姿「妙とは円満・具足(=中諦・中道=如是体=法則)」に戻る訳です。そのために「妙とは開く(=仮諦=如是相=ハード=色法)」を具体的に使います。色心不二の《法則》を活用するのです。
この「開く」を『WBS』にやって貰ったということです。《基準》を見失い「歌(池田先生の人間主義・絶対平和主義)を忘れたカナリア」が再びオンジョウ(音声・温情)を発するために。
この番組を見た外部の人が友人である学会員に「やっぱり、今のお前らおかしいで。池田大作さんとお前らの言うてることは違うで」と言ってくれるようなら、まだ諸天善神はこの国を捨て去っていない。御観念文から消されてヘソを曲げていなければいいが。
 

意味不明

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年11月25日(土)09時33分39秒
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/76812

『学会の弱体化につけ込み、会員を取り込もうとする』を法華講員や顕正会員が学会員を勧誘してる事実を僕はリアルにみてきてるけれどね

その『学会の弱体化』をさせてきたのは、27年も会長をやった秋谷元会長・現副会長であり、その流れを引き継ぎさらに弱体化させてる原田会長です

『学会の弱体化につけ込み、会員を取り込もうとする』という事態を招いたのは秋谷元会長・原田会長の指揮による結果ではないでしょうか

それだけではありません

この掲示板のこの状態もいうなればお二人の会長の指揮による結果のひとつというだけです
実権を持ったお二人が未だ最高幹部であれば、池田先生の責任ではなく、実権を持って指揮を行った両会長の責任と思いますね

昨夜のテレビも両会長の指揮による結果のひとつがこうなった、ということです
彼らに問題がある、ということであれば、10年ほども本部にいて両会長は彼らを問題のないよう育てることができなかった、という事実です

両会長の怠慢以外のなにものでもないでしょうね

それについてはスルーというのは両会長は無責任でもいいんです、と言ってるも同然ではないでしょうか

コメントしたついでだけど
なんだか「噂」になってる原田会長のご体調の話
事実うんぬんはともかく、年齢からしてそろそろ臨終のことを思う年頃なんじゃないでしょうか

僕の知り合いで原田会長にそっくりな人はほんと悲惨な亡くなり方をしたもんです
孤独死して発見されたのは三日後
玄関に入った直後に持病から心臓発作を起こした感じ

生前には希望を失いまともに生きる意欲すら失ってたっけ
持病でなかば自暴自棄気味の日々のようだたし、あんなアルコールの飲み方してたんじゃそりゃたった三ヶ月で逝っちゃうよ
正気あればやらなかったろうし、今でも生きてたろうと思う

周りの人たちはそんな状態に関わりたくないから、そんな日常が「孤独死」ということになったのです
持病があったにせよ、普段から良心的な人付き合いをしていれば「万が一」のときに必死に助けてもらえたんじゃないでしょうか

原田会長、あなたにはそういう「真心で必死に救おうとする人」が現在周囲にいますか?
僕は池田先生じゃないからこういう言い方しかできないけど、『真心』のままにっこり臨終を迎える人生が本当の裕福なんじゃありません?

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

メディアは反アベのために取材する

 投稿者:匿名  投稿日:2017年11月25日(土)09時21分29秒
  WBSを見たが、いつもの主張。
創価学会は平和主義や人間主義に戻ってアベに反対しろ。公明党に圧力をかけろ。
これである。

知識人が公明党を褒める記事の大半もこれ。
野党がだらしないから、与党内野党に期待しているに過ぎない。

創価学会や公明党のための取材にならないのが、残念である。
 

二十一世紀への対話 177

 投稿者:まなこ  投稿日:2017年11月25日(土)09時18分30秒
  【池田】 人間存在がなるほど現世の生だけのものだとすれば、死後の運命などということは問題ではなくなってしまいます。しかし、こうした死後についてのとらえ方の相違は、この世でのわれわれ人間の生き方を大きく左右することが考えられます。
そこで、生まれながらにして個々の人間の運命が異なるのはなぜかという点について、博士のお考えをお聞きしたいと思います。とくに、博士は“宇宙の背後にある究極の精神的実在”を主張しておられますが、それが人間の運命を左右する意志的な存在なのかどうかという点について、伺いたいと思います。

【トインビー】 人間の運命が異なるのはなぜかについては、私も、他の脱キリスト教的な西洋人と同じく、遺伝や環境の相違がこれを部分的に説明するものと考えています。しかし、それと同時に、彼らのうちでも運命予定説に近い考えをもつ人々の幾人かよりは、私はカルマの役割を重視しています。私はまた、彼らのうちでわれわれが経験的に知っている人間本性の精神面を越えたところに、何らかの“究極の精神的実在”が存在することを信じない人々とも、意見を異にしています。
私は、私自身の人生で直接にカルマの働きを体験してきましたし、私が直接間接に知っている人々の生涯にもカルマを見てきました。また、人間社会や制度の数々の歴史のなかにもカルマが働いていたことを、見ることができるのです。社会や制度は、死を免れない存在である人間群が、互いに関係して織りなす網状組織(ネットワーク)であり、これら人間群は一つの網状組織を一個人の一回限りの人生よりもずっと長期的に存在しうるものとするため――事実、しばしばそうなっていますが――順次交代しながら、前任者から後任者へと引き継いでいます。
したがって、社会や制度の歴史にカルマが作用していることを証明するには、個々の人間存在の場合のような、生死の繰り返しのなかで一貫した同一性を保っているといった仮説は、必要ないわけです。社会や制度の存続を支えているのは、あくまで人間関係の網状組織であり、そこに一時的な関わりをもつ個々の人間存在ではないのです。
ここで、私のいう社会や制度の歴史に作用するカルマの実例を、イギリスの歴史から三つあげてみましょう。
十四~十五世紀に、イギリス国民は、フランス攻略を目的として百年戦争を起こしましたが、結局はこれに失敗しました。このため、イギリス国民は、ヨーロッパ大陸制覇の野望を永久に放棄することになり、大陸列強によるイギリス攻略を防ぐという唯一の目的を除いては、ヨーロッパ問題に関する一切の軍事的・政治的干渉を差し控えるようになりました。これによって、イギリスは、その“カルマのバランス・シート”の借り方勘定を、首尾よく帳消しにしたのです。
また、十七世紀のイギリス国民は、国内政治において暴力的でした。彼らは、内戦を起こし、国王を死刑に処し、絶対君主制を廃して軍事政権を打ち立てています。しかし、これに幻滅を感じた彼らは、その後、政治面では非暴力的になりました。つまり、国内政治の面でも、イギリス国民は“カルマのパランス・シート”の借り方を、貸し方に転ずることに成功したわけです。
十八世紀および十九世紀初頭のイギリスでは、雇用者たちが情け容赦なく産業労働者を搾取し、私利を貧っていました。二十世紀に入ると、イギリスの中産階級は、産業労働者に対するそれまでの経済的圧迫を悔い改め、自らすすんで、より公平な経済的処遇を認めようとしました。しかし、そのときすでに労働者たちは自衛手段として、労働組合を結成していたのです。これらの労働組合は、いまや強大化して攻勢に転ずるほどになっています。そして、権力を握った組合員たちは、自己の利益のために、かつて雇用者たちがやったのと同じ、情け容赦のない行為に出ています。この場合、イギリス国民は、もう一度“カルマのパランス・シート”の借り方を貸し方に転じようとしたわけですが、今度はそれに失敗してしまいました。結局、経済関係では、互いに慈愛の念をもつことができなかったのです。労使の関係においては、互いの立場が逆転したとはいうものの、行為の無慈悲さには少しも変わりがなかったわけです。

【池田】 ただいま述べられた、社会や制度における宿業(カルマ)の作用というとらえ方には、私も全面的に賛同します。私には、個々の人間が集合して構成している社会も、一つの超生命体のように感じられます。社会は独自の運動法則をもち、成長し、増殖する働きをもっています。また、社会には自己再生能力のようなものも内包されているようです。これらの機能は、私には、生命体特有のものと思われるのです。したがって、社会、制度、国家というものが、生命体と同じように、宿業を自らの内に形成し、それによって影響され、さらに新たな宿業を形づくっていくという原理を設定することは、私には妥当であると感じられます。
とすれば、国家、社会をリードしていくべき為政者は、このような大きな次元での宿業までも考え、そのバランス・シートを調整していくという、高度な、また大局的な感覚をもたなければならないでしょう。たとえ政治的な技術や経済面の能力が優れていても、宿業を次から次へと悪化させて、バランス・シートを狂わせていくようなやり方は、終局的には国民を不幸にしてしまうといわざるをえません。第二次世界大戦時における日本は、まさしくこの宿業のもつ重みを無視し、その暴走を許し、清算のために多大の犠牲を強いられた、明らかな例であるといえましょう。
さらに、利潤優先の経済成長が日本にもたらしている公害の過酷な現状も、国土自体の宿業のバランス・シートを借り方にし、その結果、手ひどい反撃を受けているのだということができるでしょう。

【トインビー】 あなたは、カルマに関する私の考えを、さらに大きな次元で具体的に説明されたように思います。ところで、さきにあなたは、私のいう“究極の精神的実在”がどんなものかについて、おたずねになりました。
私は、ユダヤ教徒やキリスト教徒や、イスラム教徒が信奉しているような、唯一無二・全能の、しかもその他の点では人間的な男性神というものの存在を信じておりません。また、ヒンズー教や、キリスト教以前のギリシアやスカンジナビアなどの神々のような、人間の姿をした男女の神神も信じません。同様に、人間が、あるいは他の太陽系中の棲息可能な惑星上の人間に似た生物が、宇宙最高の精神的実在であるという説も、信じがたいものです。
人間は、善悪の区別を意識する存在です。また人間は、その良心によって、常に善行をなすように命じられるものです。にもかかわらず、現実には人間は、ごく控え目にいっても、しばしば悪行をなしています。人間が、自らの行為を体験でき、しかも自らの悪行に良心の呵責を感ずるということは、人間が、常に人間性にまさる何ものかを信じていることを示しています。

【池田】 つまり、人知を越えた何らかの実在に対する人間の謙虚さが、人間の倫理的行為を可能にしているということですね。また、その究極の実在への畏敬の念が宗教であると――。

【トインビー】人間性は、その本有的な自己中心性を克服できないかぎり、常に悪行をなすものです。しかし、ときとして、その克服を果たすこともあります。つまり、人間は自己を越える何ものかのために――他の人間とか、ある人間集団、または全人類とか全宇宙のために――自己を犠牲にすることもあるわけです。そのようなとき、人間は、自己の貪欲さを満たすために宇宙を利用しようとするのではなく、逆に宇宙に献身しようとしているわけです。人間に自己犠牲をなさしめる衝動は、愛です。愛も貪欲もともに欲望の一形態ですが、両者はまったく正反対の目的に向かうものです。貪欲性は、宇宙をその中の一小片に従属させようとし、愛は、その一小片を宇宙に従属させようとするものです。
『聖書』の一節には「神は愛である」とあります。しかし、私は、人間のような人格をもつ神の存在というものは信じません。もし人間に似た神が存在するとすれば、その神は愛するとともに憎みもするでしょうし、また、善行をするとともに悪事をも働くはずです。事実、ユダヤ系の神がおよそその通りであることは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖典に述べられています。このように、愛が人格を有するとか、その愛が全能であるとかいうことは、私には信じられないのですが、ただ、愛が“究極の精神的実在”であることは確信しています。ただし、これも神の存在に対する信仰、また人間の再生への信仰と同じく、あくまでも検証不可能な仮説です。

【池田】 しかし、もし“究極の精神的実在”が愛であるとするならば、愛とは本来人間の心の中にあるものですから、究極的実在とは宇宙に存在するものであると同時に、人間の内に存在しているものである、ということになるのではないでしょうか。

【トインビー】 人間にみられる愛は、人間同士の一つの関係をなすものです。人間は、愛する反面、憎みもし、善をなす反面、悪事もなすものです。“究極の実在”が、ヤーウェの神やビシュヌの神のような人格的なものであるとは、まず考えられません。しかし、“究極の実在”が人間以下のものであるとか、あるいは超人間的なものであるとかいうことも、考えられないのです。次のように否定語を用いて表現すれば、私の考えに最も近い定義となりましょう。すなわち、人間は精神的に最高の実在ではない、しかし、人間でない精神的に最高の実在ないし“究極の実在”は、また神でもなければ、神以外のものでもない――と。

【池田】 非常に含蓄のある、またそれだけに難解な定義であると思います。私は、この博士の定義を、次のように敷衍できるのではないかと思います。
すなわち、“精神的に最高の実在”が神でないという場合、その神が、ユダヤ系宗教でいう人格神を指していることは、これまで博士が何度も指摘された通りです。しかし、その実在が神以外のものでないという場合、この神とは人格神ではなく、あえていえば、宇宙生命に内在する“法”であるといえないでしょうか。この“法”とは、宇宙のさまざまな現象を起こし、かつそれらの現象の間に厳然と調和を保っている、あらゆる法則の根源となる実在であるといえます。
この“法”を根底とした宇宙の運行は、それ自体、万物の調和を築き、かつ保とうとする“慈悲”ないしは“愛”であると思います。人間が自己中心性を発揮することは、この調和を乱すことです。逆に、宇宙生命に内在する“法”を志向することは、宇宙の調和に従うことになりましょう。このような“法”は、博士のいわれた“精神的に最高の実在”と同じ考え方のように、私には思えます。
それはまた、博士がいわれたように、“人間以下”でも“超人間的なもの”でもありません。
つまり、人間が“精神的に最高の実在”を求め、自己中心性を克服したときに、その実在は、その人間の内にも顕現されるということです。いいかえれば、宇宙生命に内在する“法”は、宇宙の一部である人間にも、可能性として内在しているわけです。
また私は、人間の運命というものは、“究極の精神的実在”にその人間がどう関係するかによって決まるような気がします。つまり、その実在が意志的に人間の運命を決定するのではなく、むしろ人間の“究極の実在”に対する態度や行動が、人間自身の運命を決定づけていくということです。そういう人間の態度や行動が、人間の宿業(カルマ)を形成していくものと考えます。
そういう意味からも、運命を各人の宿業の因果であるととらえた仏法こそ、人間の本源的な次元での責任性・主体性を確立するカギを秘めていると思うのです。人間自身のそのような責任性・主体性を確立することが、人間の宿業はもちろん、社会や制度の宿業をも転換していく第一歩ではないかと考えるのです。

【トインビー】 カルマ(宿業)を非人格的な言葉で表現したことは、仏教の偉大な知的・道徳的業績の一つであると思われます。粗野な宗教は、同じ真理を人格的な表現によって――“神の羨望”とか“最後の審判”とかで――示し出そうとしてきました。このような描写は、カルマの概念に人間的な恣意的行為の意味合いをもちこむことになり、その本質を誤り伝えることになってしまいます。
 

わが友に贈る 2017年11月25日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2017年11月25日(土)09時05分38秒
  不屈の地涌の菩薩は
自らの苦悩と戦いながら
他者に尽くしぬく。
偉大な誓願の人生に
幸の光彩は輝き光る!
 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、ブラジル、アルミニオ市が池田先生に『名誉市民』称号、誠におめでとうございま~す(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年11月25日(土)08時42分53秒
編集済
  おはようございます。原田怪鳥様、ブラジル、アルミニオ市が池田先生に『名誉市民』称号、誠におめでとうございま~す(笑)

授与式は18日とのコトで、一週間遅れの掲載、相も変わらず遅い報道、誠にご苦労様で~す(笑)

ところで、やはりというか、時流なのか?、博正サンはナニしてらっしゃいマスかぁ~(笑)

目に見えぬトコロで「池田家外し」が進んでいるんデスかねぇ~(笑)


また、責任役員会が24日、本部別館で行われたみたいデスが、誠にご苦労様で~す(笑)

原田怪鳥様が出席されたとの記事がありませんが、怪鳥様は御参加されましたかぁ~? それとも御病気の治療デスかぁ~?

ともあれ、「諸案件について審議・了承した」ってありマスけど、やましいコトが無いのであれば、議事録を公開したらいかがデスかぁ~(笑)

「密室政治」じゃあ人心は掴めませんよぉ~(笑)


ところで、ハナシは変わるのデスが、原田怪鳥様は昨日のWBSをご覧になりましたかぁ~(笑)

ボケカス反板も狂ったように反応してましたけどぉ~、(笑)

ただ、学会員としては、残念なトコロもありましたねぇ~(笑)

師匠が威風堂々の歌を舞っている姿を、まあ、一般の方にはそう見えるのか? 「踊りを踊っている」と表現されたのは残念デスねぇ~、

「舞を舞っている」ぐらいには表現してもらいたかったでぇ~す。指揮を執る姿を「踊り」としか表現できないのは、会員としては不満なトコロかなぁ~?


オモシロかったのは、山口代表への質問デスねぇ~(笑)

「支援団体である創価学会の中で、反対の運動があることにいかがお考えででしょうか?」の質問に、

「コメントは差し控えさせていただきマスッ!」と仏頂面で答えたのは笑えましたよぉ~(笑)

何か言うと、ボロが出るから「差し控えた」のか?

ナニか? 「そんなコト、聞くなよぉ~」的な顔に見えたのデスが、山口代表サマ、ぜひ、お答え下さぁ~い(笑)


これまた、別件デスが、原田怪鳥様が怪鳥就任以来、そ~いえば指揮を執っている御姿を拝見したコトがありましぇ~ん(笑)

本幹では最後に「誓いの君よ」を合唱するのデスからぁ~、ぜひ「創価学会仏」のトップであり、「じ・き・で・し」の原田怪鳥様に、

「踊りを踊って」指揮を執って頂きマスように、期待しないで待ってまぁ~す(超爆)




 

「くノ一」性と「田力」性の真の平等について<下>

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年11月25日(土)06時54分32秒
  「くノ一」性と「田力」性の真の平等について<下>

 「畜生道とは愚癡無慙にして徒(いたずら)に信施の他物を受けて之を償(つぐな)わざる者此の報を受くるなり、法華経に云く『若し人信ぜずして此の経を毀謗せば○当に畜生に堕すべし』文」(十法界明因果抄430㌻)。

 「田力」性は、“道理”を表(おもて)としますから、段取りを大事にします。職場でも、段取りばかりを丁寧にして、「これでやった」なんて、安堵感に浸っている「田力」性もいますから、「くノ一」性からは馬鹿にされます。一方の「くノ一」性は、面倒な話が嫌いで「地区五ねっ、わかった」と途中を端折(はしょ)たりします。結果主義と言えば結果主義です。

 そもそもが、比丘比丘尼、優婆塞優婆夷の衆生、つまり人類全員が信用できるものではない、との仰せもあります。

 「第五比丘比丘尼有懐増上慢優婆塞我慢優婆夷不信の事 文句の四に云く上慢と我慢と不信と四衆通じて有り、但し出家の二衆は多く道を修し禅を得て謬(あやまっ)て聖果と謂い偏(ひとえ)に上慢を起す、在俗は矜高(こうこう)にして多く我慢を起す女人は智浅くして多く邪僻を生ず自ら其の過を見ずとは三失心を覆う、疵を蔵くし徳を揚げて自ら省(かえりみ)ること能わざるは是れ無慙(むざん)の人なり、若し自ら過を見れば是れ有羞(うしゅう)の僧なり記の四に云く疵を蔵くす等とは三失を釈するなり 疵(きず)を蔵(か)くし徳を揚ぐは上慢を釈す、自ら省(かえりみ)ること能わざるは我慢を釈す、無慙の人とは不信を釈す、若し自ら過を見るは此の三失無し未だ果を証せずと雖も且らく有羞と名く」(御義口伝718㌻)。

 「四衆」とは、出家の「比丘 比丘尼」と、在家の「優婆塞 優婆夷」です。比丘は「有懐」、比丘尼は「増上慢」、優婆塞は「我慢」、優婆夷は「不信」とされています。

 「有懐」とは、李白の詩に「答王十二寒夜独有懐」とあるのに習ったようです。「世人之を聞けば皆頭を掉(ふ)り、東風の馬耳を射るが如き有り」(かぐわしい春風が馬の耳を吹きぬけても、馬になんの感動もないこと)。いわゆる「馬耳東風」です。他人の忠言や批評などを聞いてもまったく心に留めず、少しも反省しないことの譬えだそうです。

 「優婆塞 優婆夷」は、在家の男女です。音写ではありますが、男性に要塞の「塞」をあて、女性に異民族や、たいらげる意の「夷(えびす)」をあてています。鎌倉時代の源頼朝は、東方の異民族を制圧する“征夷大将軍”でした。

 「三失心」は、「我慢」「上慢」「不信」です。「我慢」が自分の勝手な意見に執着するのに対して、「上慢(=増上慢)」はいまだ悟りを得てないのに得たと思うこととあります。「無慙」の「慙」は、恥じる、恥ずかしく思う。だから「無慙」は、その「恥」がないことになります。そこから、自分の罪を他人に対して恥じないことを意味します。

 もう少し、字義に立ち入ってみます。
 「慙」は「慚」と同じ。「斬」の下、あるいは横に「心」を置いている。「斬(きる)」の字義は、切る、刀できる、断ち切る、切り殺すの意味。

 「信」は、「恩」「報恩」「感謝」に通じます。「不信」を「無慙」と当てられたのは、忘恩、不知恩、非礼、不遜と読み取れます。「無慙」は、「忘恩」「不知恩」「非礼」「不遜」に通じる、心の違背だといえます。だからこそ、「偉大なる心はつねに感恩の情に満つ」(新渡戸稲造)です。

 「無慙の人とは不信を釈す」(御義口伝718㌻)
 「疵を蔵(か)くし徳を揚げて自ら省ること能わざるは是れ無慙の人なり」(御義口伝718㌻)

 「我慢」といのは自身の中の満(満杯)、「上慢」はこの上がないとする満(争い)、「無慙」は「恩」をないがしろにする満(断絶)でしょうか。「無慙」はやがてすべての否定の「不信」に向かうのでしょう。その意味で「忘恩」は「不信」への入り口です。とすると、「恩」を切り捨てる処から「不信」はやってきます。単視眼、固定観念、短絡的衆生が陥りやすい思考方法です。

 “男尊女卑”の側の巻き返しなんて思わないでください(笑い)。間違いなく両方が必要なのです。「くノ一」性はもちろん、「田力」性もです。「人間」という括(くく)り中で「一つ」のものです。どちらが欠けても、「人間」はありません。いま、あまりにも、「くノ一」性の重視になりつつある現代の文明に警鐘を鳴らすために、「田力」性の必要性、否、両性の調和ある文明の必要性を言いたいのです(笑い)。

 「田力」性の発揮をを求めるのなら、「田力」性の“場”をつくることが先決です。良くも悪くも、「田力」性は「道理」です。一枚の“紙切れ”を配って、「何も意見を言うな」では無理です。まるで犬・畜生を追っかけるような、家畜の“場”を造りながら、「田力」性の闘いだけせよといっても、誰も振り向きはしません。

 調和ある“文明”のあり方について、こんなふうに述べられておられます。

 「法華経の行者は日月・大梵王・仏のごとし、大日経の行者は衆星・江河・凡夫のごとしと・とかれて候経文なり、されば此の世の中の男女僧尼は嫌うべからず 法華経を持たせ給う人は一切衆生のしう(主)とこそ仏は御らん候らめ」(四条金吾殿女房御返事1134㌻)。

 「末法に入つて法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり、若し然れば貴賤上下をえらばず南無妙法蓮華経と・となうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり、妙法蓮華経より外に宝塔なきなり、法華経の題目・宝塔なり宝塔又南無妙法蓮華経なり」(阿仏房御書1304㌻)。

 「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」(諸法実相抄1360㌻)。

 「ただ・をいて物を見よ・ただをいて物を見よ、仏のまこと(実)そら(虚)事は此れにて見奉るべし、さては をとこははしら(柱)のごとし女はなかわ(桁)のごとし、をとこは足のごとし・女人は身のごとし、をとこは羽のごとし・女はみ(身)のごとし、羽とみ(身)と・べちべちに・なりなば・なにを・もつてか・と(飛)ぶべき、はしら(柱)たうれなばなかは(桁)地に堕ちなん、いへ(家)にをとこなければ人のたましゐなきがごとし、くうじ(公事)を・たれにか・いゐあわせん、よき物(妻子)をば・たれにか・やしなうべき」(千日尼御返事1320㌻)

 「仏」の「まこと(実)」と、「そら(虚)事」は、実相と、仮想(=物語)だと読むことも可能です。

 「未来部の為にとの羅針盤」とは、「自」よりも「他」を前面に押し出した「利他行」、「万人成仏の法華経」、なかんづく、その根幹は「人法一箇の南無妙法蓮華経」にあるということは疑いのないところなのでしょう。
                                               (おわり)

 

「くノ一」性と「田力」性の真の平等について<上>

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年11月25日(土)06時53分30秒
  「くノ一」性と「田力」性の真の平等について<上>

>抑圧の時代であろうと、混乱の時代であろうと、池田先生の弟子であるならば、小さくても、一人でも、一人の人の為に、未来部の為にとの羅針盤があれば難破することはないでしょう。
 どうであれ、各個人が、今、確かな羅針盤を築き上げる時なのでしょうね(投稿者:dekahappy     投稿日:2017年11月24日(金)11時04分59秒 )<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/76786

 そうだと思います。だったら、これもいれておかなくっちゃっ!(笑い)。題して、「くノ一」性と「田力」性の真の平等について。

 確か、アーノルド・トインビー博士によると、男性の欲望は“支配”であり、女性のそれは“奪う”ことであるとありました。それは逆に言えば、男性は“支配した”と感じれば、また女性は“奪った”と感じれば欲望を充足したと認識するということになります。実に単純です。簡潔です。認識の世界は“意味の世界”なのです。

 「女性」を「く」「ノ」「一」性、「男性」を「田」「力」性としたほうが無難なようです(笑い)。女性ホルモン、男性ホルモンが、女性、男性ともにあるように、その“特性”を顕す「性分」と見た方が適切なのです。明らかに「田力」性の時代ではありません。文明全体として確実に「くノ一」性に向かっています。これを「女性の時代」と表現することもできます。

 私的には、「くノ一」性は「2K1Y」と見ています。“綺麗”“かわいい”、そして“優しい”でしょう。一方の「田力」性のほうは「3T」です。“力がある”“楽しい”“地位財産”です。“楽しい”にはスリリングが含まれます。このあたりは“異論”が出そうですが(笑い)。「財産」は、蔵の財、身の財、心の財で、それは「徳」と言えるかもしれません。どれを魅力と感じるかはその人の価値観に依ります。

 「くノ一」性と、「田力」性の「差」は、十界の「差」と同じように、「区別」と見た方がいいようです。各々特徴があるものの、上下の「差」ではなく、特性による「区別」です。「田力」性だけを中心とするのは、これまでの人類の歴史に見ても危険極まりないですが、かと言って、「くノ一」性に依存し過ぎるのもどうかというのが、ここでの主題です。

 「くノ一」性に悩んできた先人たちの叫びがあります。「くノ一」性は、愛しくもあり、憧れでもあるものの、それに怯(おび)え、慄(おのの)いてきた一面も垣間見られます(笑い)。

 「徒然草」で吉田兼好はこんなことを言っているといいます。
 【「女の性は 皆 ひが(僻)めり」
  「人我の相深く、貪欲甚だしく、物の理(ことわり)を知らず」。

 迷信に陥りやすく、言葉たくみなのに、なんでもないことも、こちらが問う時には答えない。用心深いのかと思えば、あさましい事まで問わず語りに言い出す。
 (※「浅ましい」=見るに堪えられない、ひどい)
 (2014・6・15公明新聞、作家・西村和子筆)から抜粋、※の註は筆者】

 人我、つまり、「他人と自分」に固執した在り方や考えが強く、貪欲が甚(はなは)だしくて、道理に暗いというのです。

 同じく「徒然草」です。
 「すなおならず、つたなきものは女なり」
 (※拙(つたな)き」=能力が劣っている。ふつつか)

 「くノ一」性を「鬼」としているのは在原業平です。

 「業平が歌にも 葎(むぐら)を(覆)いて・あ(粗)れたるやど(宿)のう(憂)れたきは・かりにも鬼の・す(※集)だくなりけり と云うも女人をば鬼とよめるにこそ侍れ、又女人には五障三従と云う事有るが故に罪深しと見えたり、五障とは一には梵天王・二には帝釈・三には魔王・四には転輪聖王・五には仏にならずと見えたり、又三従とは女人は幼き時は親に従いて心に任せず、人となりては男に従いて心にまかせず、年よりぬれば子に従いて心にまかせず 加様に幼き時より老耄(ろうもう)に至るまで三人に従て心にまかせず思う事をもいは(言わ)ず 見たき事をもみず 聴聞したき事をもきかず是を三従とは説くなり」(法華初心成仏抄554㌻)
 (※葎(むぐら)=つる状の草)

 古来、「田力」性にとって、「くノ一」性は脅威でした。「精」を摂られ、「清」を採られ、最後には「生」までも取られる存在だからです。爾前教ではとくにそうです。

 「涅槃経の文に一切の江河のまがれるが如く女人も又まがれりと説かれたるは、水はやわらかなる物なれば石山なんどの・こわき物にさへられて水のさき・ひるむゆへに・あれへ・これへ行くなり、女人も亦是くの如く 女人の心をば水に譬えたり、心よわくして水の如くなり、道理と思う事も男のこわき心に値いぬれば せ(塞)かれて・よしなき方へをもむく、又水にゑがくに・とどまらざるが如し、女人は不信を体とするゆへに只今さあるべしと見る事も又しばらくあれば・あらぬさまになるなり、仏と申すは正直を本とす故に・まがれる女人は仏になるべからず 五障三従と申して五つのさはり三つしたがふ事あり、されば銀色女経には『三世の諸仏の眼は大地に落つとも女人は仏になるべからず』と説かれ大論には『清風は・とると云えども女人の心はとりがたし』と云へり」(法華経題目抄946㌻)

 要約すると、【心よわくして水の如く】【清風は・とると云えども】→【不信を体とする】

 「海人は魚をとるに・たくみなり・山人は鹿をとるに・かしこし、女人は物をそねむに・かしこしとこそ経文には・あかされて候へ、いまだきかず仏法に・かしこしとは、女人の心を清風に譬えたり 風はつなぐとも・とりがたきは女人の心なり、女人の心をば水にゑがくに譬えたり、水面には文字とどまらざるゆへなり、女人をば誑人(おうにん=たぼらかす)にたとへたり、或時は実なり或時は虚なり、女人をば河に譬えたり・一切まがられる・ゆへなり、而るに法華経は・正直捨方便等・皆是真実等・質直意柔輭等・柔和質直者等と申して正直なる事・弓の絃のはれるがごとく・墨のなはを・うつがごとくなる者(※墨繩をうったような)の信じまいらする御経なり」(日妙聖人御書1216~1217㌻)

 要約すると、【風はつなぐとも・とりがたきは女人の心なり】【女人の心をば水にゑがくに譬えたり】【女人をば河に譬えたり・一切まがられる・ゆへなり】です。

 ただし、この御文は、日妙聖人はそうした女人を乗り越えた賢人であるとされています。

                                                (つづく)

 

相好説法!

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年11月25日(土)06時51分33秒
  >“目は口ほどに・・・”ならぬ“姿は口ほどにものをいい”である。一般に「相好説法」と呼ばれている。釈尊の言葉づかいや振る舞いににじみ出る、深い人格より発する知恵の発露であろう(投稿者:The logic in the place    投稿日:2017年11月24日(金)19時02分8秒 )<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/76798

 SaySaySayさん、 「相好説法」ってのが飛び込んできました。いずれにしても、波動、振動、波長の世界なのでしょう。

 「聞く」で説明不足がありました。古代の人が「香」を「聞く」能力があったのかという点です。よく言われる「オーラ」も電磁波という振動の世界です。「法境」手術しなくても(笑い)、もともと人間にはその能力があったが、「言葉」の開発により退化、あるいは後退していったとも考えられます。「聞く」は「感得する」に近いでしょうか。眼で、耳で、肌で、空気で、あるいは意味で。熟練者の言葉は、重い響きがあります。この分野はSaySaySayさんの方がお詳しいから、この辺で。

 

Re: WBS見ました。

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2017年11月25日(土)06時37分22秒
  >取材を受けるのは良いと思いますが
池田先生や大聖人の仏法を下げてしまっては本末転倒です。
又そう言う扱われ方をされてしまうと非常に残念な気持ちになります。

どんな状況であろうとも
大聖人の仏法と池田先生そして同志*学会員さんを守り抜かなくてはなりません。
いくら正しい反論であってもそれを悪用*利用されるような事があっては絶対になりません。<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/76818


獅子の子様に強く同意致します。

確かに彼らは、一部の学会幹部による組織を利用した弾圧を受けています。
人間性を失った残酷な仕打ち。
その痛みは、受けた人にしか分からない痛みです。

しかし、悪と戦うために正義を語ろうとも、池田先生にご迷惑をおかけし、広宣流布を遅らせる因を作れば敗北です。

そのためにも、まず祈りを確認して頂きたい。
「一人ももれなく」と祈れているのか否か。

その祈りは「折伏」にあらわれます。
いくら正義を叫ぼうとも、折伏していないのなら、仏の戦いにはなりません。

目前の悩みに苦しむ民衆に、池田先生の希望哲学を語っていますか?
それを忘れて悪の追撃だけしていては、いつしか「憎悪」に命を蝕まれてしまいます。

もしどこかに「憎悪」の一念が少しでもあれば、味方を作る正義の叫びが「憎悪の連鎖」となってしまいます。
そうなれば、永遠に天魔に勝つことはありません。

 

21世紀への選択 地球化時代に対応した「平和教育」を P362 を投稿します。

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年11月25日(土)03時37分2秒
  第十章世界市民の要件「共同体」と「世界」の往還のなかで

21世紀への選択 地球化時代に対応した「平和教育」を P362 を投稿します。

ポイント
*、池田
 世界はグローバル化しているのに、人々に影響をもたらす、国内の政治や教育、

マスコミの意識がグローバル化していないこのギャップこそが問題ということですね。

*、テヘラニアン
 ええ。そこで、地球化時代に対応していく最も有効な方法は、若い人たち

に注目することだと、私は考えます。

・・・・・・・・・中略・・・・・・

私なりに表現すれば、"信じ、疑い、そして学ぶことを恐れない人々が、新しい時代を

開くことができる"と言えましょう。これらの要素はすべて、青年たちが持っている特質

ともいえるのではないでしょうか。

*、池田
 青年こそ、未来の希望であり、未来を開く力です。

だからこそ私も、その育成に最大の力を注いできました。

青年たちが、世界の人々と触れ合い、対話を重ね、社会のために行動することによって、

自身を鍛えていく。

そして、自分だけでなく、一人でも多くの人の心に「平和の炎」を灯し、燃え上がらせて

いくことが、人類を混迷の闇から救い出す「希望の光明」になっていくと、私は確信して

います。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
池田大作とその時代
先駆者たち ヨーロッパ篇

・・・・・中略・・・・・・・・・・・
スイスを六度訪れた池田は友に訴えた。
「最も価値ある時間を、私たちは平和のために使っているのです

「必要なのは、生命を根本から変革する人間革命の戦いです」

「誓うとき、人は青年』なる」

・・・・・中略・・・・・・・・・・・
全身で、やるぞと誓うとき、人は青年になる。

だから、挑戦を始めるのに年齢は関係ないこのアルプスの峰々を仰ぐ永世中立国にも、池田と
弟子たちを結ぶ幾つもの"誓い"が生まれ、育まれてきた。
潮より抜粋です。
・・・・・・・・・・・・・・

組織から、言われたからやるのではない、自ら考え、自ら決めて行動する人は、真の池田先生の
弟子であると思います。

SGIに何かしてもらうのではない・・・SGIにどうやって、貢献できるか考える人は先生の
弟子である。

世界広宣流布は、一人立つ青年によって成し遂げられます。

鈴之助
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まなこ様の法華経の智慧 第六巻 より いただきました。 感謝!!
観世音菩薩普門品から

名誉会長: たった一人でも、本気で立ち上がり、「一心に」信心する人間が現れたら、
運命共同体である全員が助かる。
一家、一族、会社、地域、団体、全部、救っていける。

この「一人立つ」方程式を教えている。

須田: 刀や棒で危害を加えられそうになっても、刀や棒が折れて助かる(王難あるいは剣難)。
名誉会長: 日蓮大聖人の竜の口の法難が、これです。

どす黒い権力は、大聖人を頸の座にまで置きながら、どうしても処刑することができなかった。

また松葉ケ谷の法難にせよ、伊豆流罪にせよ、小松原の法難にせよ、不思議にも、いつも危機を
脱しておられる。

もちろん大聖人には、弟子に指導された通り、御自身に「前前の用心」(御書 p1192)があられ
た。
世音を観じ、「師曠が耳・離婁(りろう)が眼」(御書 p1448)のように、鋭く情報もキャッチ
しておられた。
 

21世紀への選択 地球化時代に対応した「平和教育」を P362

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年11月25日(土)03時33分15秒
  21世紀への選択  地球化時代に対応した「平和教育」を P362

池田
 ところで博士は、こうした「開かれた心」をもった世界市民を育てるために、国連

大学が提唱している「グローバル・ラーニング(地球的学習)」の必要性を強調されてい

ますね。

テヘラニアン
 そのとおりです。

「グローバル・ラーニング」とは、世界が「地球村」となってしまったこの時代に、それ

に適応した地球規模の視野が求められているということを示唆するために、国連大学が用

いている概念です。

 私の良き友人でもあった故エディ・プロマンが国連大学副学長だったときに、その

プログラムが始まったのです。

 国籍や人種、年齢に関係なく、すべての人々が取り組むべきものといえるでしょう。

 人々は、グローバル化の進む世界に住んでいるにもかかわらず、その受ける教育は大方

のところ、国家によって形成され、その領土と文化の域内で管理されています。

ですから、眼前に急速に展開しつつある世界の現状に対して、多くの人々が十分な対

処ができる用意ができていないのです。

 政治家たちはいまなお、国家の安全保障についても、核保有政策に象徴される時代遅

れの観念に基づいて行動しています。

 核兵器が使用された場合、その与える影響が国境を選ばないにもかかわらずです。

 また教育者たちも、世界を「我ら」対「彼ら」に分断する偏狭な愛国心を青年たちに

教え込みたがります。

 そして、大半のジャーナリストたちは、自分たちと異なる世界を「怪奇な」「野蛮な」

「非文明的な」ところだとして画一化する一方で、視聴率や購読率が得られる国外の

出来事しか伝えないのです。

池田
 世界はグローバル化しているのに、人々に影響をもたらす、国内の政治や教育、

マスコミの意識がグローバル化していないこのギャップこそが問題ということですね。

テヘラニアン
 ええ。そこで、地球化時代に対応していく最も有効な方法は、若い人たち

に注目することだと、私は考えます。

「古い文化の形態が死にゆく時、新しい文化を創造するのは、不確かであることを恐れな

い一握りの人々である」と、ルドルフ・バーロは言いました。

私なりに表現すれば、"信じ、疑い、そして学ぶことを恐れない人々が、新しい時代を

開くことができる"と言えましょう。これらの要素はすべて、青年たちが持っている特質

ともいえるのではないでしょうか。

ですからグローバルな視野に立った「教育」で、人種や肌の色、信条とは関係なく、

すべての生命、人間のすべての尊厳性を深く尊重する新しい世代を育てることが重要と

なってくるでしょう。

私の経験からも、それは断言できます。

池田
 具体的に、どのような経験をされたのですか。

テヘラニアン
 一九五五年、私が高校生のころでした。「ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン」

紙が主催する公開討論会「青年の広場」に出席できることになったのです。

それは、小論文のコンテストによって選ばれた高校生が、世界三五力国から参加して行

われたフォーラムでした。

そのとき、参加者全員がアメリカの有志の方々の家にホームステイしながら、同年齢の

若者たちのいる高校を訪れ、自国の事情や文化について話すために、約三カ月間、アメリ

カに滞在したのです。

その間、国連やその他の所で催される会議に参加し、世界の問題や平和への展望を討論

し合いました。

その体験は、私の心に忘れがたい刻印を残し、以来、私は「世界市民」の

道を歩むことになったのです。

この短期間のうちに、ユダヤ教、プロテスタント、カトリック、黒人といったさまざま

なアメリカ人の家族と暮らしながら、各地の高校に通い、アメリカ文化の速習コースを

受講したわけです。

それと同時に、インド人対パキスタン人、アラブ人対イスラエル人、

南アフリカ人対黒人の紛争についても、直接的な教育をうけたような感じがします。

池田
 それは、実に得難い経験でしたね。

若いころに、さまざまな人に直接触れ、話し合うことは視野を大きく広げるものです。

その意味からも、次代を担う青年が、世界に開かれた心をもって、平和建設に挺身する

勇気と知性を養っていける環境づくりをさらに進めることが重要ですね。

SGIが世界各国の青年の支援を進めているのも、この意図からです。

平和学者のガルトゥング博士も、「平和への献身的情熱」と「平和のための知性」の両

方を兼ね備えた人材の重要性を訴えておられました。

博士には、「人類の平和を守るフォートレス(要塞)たれ」を建学の精神に掲げる創価

大学で、平和構築に貢献できる人材・専門家を養成したいとの、私の願いを快く受け入れ

てくださり、短期間ではありますが、特別講義を行っていただいたことがあります。

「ピース・リサーチャー(平和のための研究者)ではなく、ピース・ワーカー(平和のため

の行動者)に育て」との博士の思いが、講義から伝わってきたと、学生たちが感動の面持

ちで語っていました。

テヘラニアン
 崇高な理念を掲げる創価大学から、陸続と「ピース・ワーカー」が育って

いくことを、私も念願しています。

戸田平和研究所においても、将来的には、次代を担う青年たちを対象にした「平和教

育」に力を入れていきたいと考えています。

私は、これを「青年のためのグローバル・ラーニングとリーダーシップ・フォーラム」

と名づけていますが、私が若いときに経験したような形で、世界各地から青年たちを募り

交流や意見交換を幅広く行うことのできるフォーラムを定期的に開催できればと考えてい

ます。

また、できるだけ多くの世界の青年たちに意見の発表の場を提供するために、毎年、

場所を変えて開催することも有益かと考えます。

池田
 ガルトゥング博士も、「現在、平和学は、これまでの知識構築という焦点

(平和研究)から技術面の焦点(平和訓練)へと進展しつつある」との見通しを語って

おられました。

その意味で、戸田平和研究所が、世界の青年たちのために「平和教育」を推進すること

の意義は大きいと思います。

青年こそ、未来の希望であり、未来を開く力です。

だからこそ私も、その育成に最大の力を注いできました。

青年たちが、世界の人々と触れ合い、対話を重ね、社会のために行動することによって、

自身を鍛えていく。

そして、自分だけでなく、一人でも多くの人の心に「平和の炎」を灯し、燃え上がらせて

いくことが、人類を混迷の闇から救い出す「希望の光明」になっていくと、私は確信して

います。





 

WBS見ました。

 投稿者:獅子の子  投稿日:2017年11月25日(土)02時38分42秒
  あの報道の仕方はメディア側の
悪意のようなものが多少なりともあるのかな?と言う印象を受けました。
私だけかな…?

取材を受けるのは良いと思いますが
池田先生や大聖人の仏法を下げてしまっては本末転倒です。
又そう言う扱われ方をされてしまうと非常に残念な気持ちになります。

どんな状況であろうとも
大聖人の仏法と池田先生そして同志*学会員さんを守り抜かなくてはなりません。
いくら正しい反論であってもそれを悪用*利用されるような事があっては絶対になりません。

メディアの取材は慎重に慎重を重ね 細心の注意を払いながらお願いしたいです。


 

うける w w

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2017年11月25日(土)01時01分49秒
編集済
  回し者なんて誰も言ってないけどね~ w w w
バカ板=回し者ってことかww
うける~ www
さよなら~ w w w
 

ウケる

 投稿者:匿名  投稿日:2017年11月25日(土)00時30分43秒
  そもそも、私は学会の回し者じゃないし。

学会は弱体化してますよ。間違いなく。
 

法を下げた丹治一派の面々 おーい中村くーん ♪♪ 君は法を下げたよね~ www

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2017年11月25日(土)00時28分48秒
  【週刊金曜日】創価学会職員への損害賠償 高裁判決で一部認定――中村伸一郎氏に22万円の支払い命令

http://6027.teacup.com/situation/bbs/76707

>おーい w w ナカムラく~ん♪♪ w w<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/59710

>聖教新聞とんでもない
丹治一派のとんでもない事件w w w<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/68113

>700万票を切ったことの意味 <
>投稿者:過疎地の男子

>先の衆院選で、公明党の比例得票数は700万票を割り、>小選挙区と合わせて6議席減の結果となりました。<

>創価学会=公明党の集票能力の弱体化は、いよいよ明らかになりました。<

http://6027.teacup.com/situation/bbs/76215


 

必死だよね~

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2017年11月25日(土)00時16分4秒
  バカ板の面々かな~ w w w
>学会の弱体化につけ込み<

頭悪すぎて笑える w ww
弱体化って w w w
認めてるよね~  w w w
↓↓↓↓↓
 

ハイエナみたい

 投稿者:匿名  投稿日:2017年11月25日(土)00時12分29秒
  学会の弱体化につけ込み、会員を取り込もうとする寺と左翼の存在。
彼らに気をつけましょう。
 

WBSの創価学会特集

 投稿者:九州人  投稿日:2017年11月24日(金)23時56分11秒
  反対勢力の座談会に見覚えのある坊主が出てたけど、やっぱり繋がってるんだね!

元職員3人を特集するために、創価学会はこんなに狂ってると言わんばかりの内容でしたね。
完全に法を下げました・・・
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2017年11月24日(金)23時51分45秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に
世界中の人々が美味しいご飯を食べれます様に
地震で人々の生命が奪われません様に
世界中の拉致された人々が解放されます様に
核兵器が無くなります様に
皆様方が大活躍されます様に
おやすみなさい

 

むむ

 投稿者:ロマン  投稿日:2017年11月24日(金)23時33分2秒
  勘違いかもだけど、元信者で宮川さん出てませんでした?  

同盟題目、23時に開始です。

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年11月24日(金)22時56分8秒
  池田先生と奥様のご健康と世界平和を祈ります。
また、皆様が無事故、健康であるようお題目を送ります。よろしくお願い致します。
 

お~い!なかむらく~ん w テレビ東京を23時からみた方がいいよ~ w w w

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2017年11月24日(金)22時22分46秒
  【週刊金曜日】創価学会職員への損害賠償 高裁判決で一部認定――中村伸一郎氏に22万円の支払い命令

http://6027.teacup.com/situation/bbs/76789



 

マテリアル・ガール

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年11月24日(金)22時16分53秒
  窮状さん、わざわざありがとうございます。(笑)しかしこれから「財務やぁ~!」という時期に経済番組で取り上げるやなんて、勘違いされるやおまへんかぁ~。テレ東さん、冗談キツおますなぁ~。日経平均が上げても下げても関係おまへんで~。「♪ゼニのためなら女房も泣かすぅ~それがどうした文句があるか~ゼニやゼニや! ゼニ持ってこんかい!」

“私にキスしてくる男の子もいれば ハグしてくる男の子もいる”
“それはいいんだけどね ちゃんとそれなりのモノくれないと 相手にしないわよ”
“お願いされても せがまれても 望みはないわ”
“そうよ だってお金持ってる男が いつでも私の理想の男性なのよ”
“だってこの世はお金が全て そして私はお金大好きなの 分かってるでしょ”
“この世はお金が全てだって そして私はお金大好きよ”
“男の子とロマンスしたり スローダンスしたり それもいいけどね”
“私の気を引けないなら 相手にしてられないわ 誘ってきたって 嘘ついたって”
“遊んであげないわ 節約なんてしてる男は 私を憂鬱にさせるの”
“だってこの世はお金が全て そして私はお金大好きなの 分かってるでしょ”
“この世はお金が全てだって そして私はお金大好きよ この世はお金が全てなの お金なのよ”
“この世はお金が全てよ 男の子はやって来ては去っていく まあ、そんなものよ”
“経験が私を豊かにしてくれる 今じゃみんな私の後ろにいるわ”
『マテリアル・ガール』マドンナ
https://www.youtube.com/watch?v=6p-lDYPR2P8
 

本日の同盟題目

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年11月24日(金)22時11分16秒
編集済
  予定通り23時に開始します。
WBS(ワールドビジネスサテライト)で注目すべき放送があるようです。気になる方はどうぞテレビをご覧ください。また、時間帯を前後にずらして参加されても構いません。10時半から参加や11時半から参加など。
10時45分から開始して、放送終了後に残り15分という方法もありますね。どうかご自身の時間を価値的に使ってください。よろしくお願い致します。
ちなみに、同盟題目の参加は任意です。
参加しなくても大丈夫ですよ。
 

見られたら困るのか

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年11月24日(金)21時44分12秒
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/76803

聖教新聞テレビ番組欄の画像を見ました

これって故意にやってるようにしか見えないね

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

聖教新聞テレビ番組欄

 投稿者:窮状  投稿日:2017年11月24日(金)21時32分39秒
  テレビ東京 WBS  

ホエアエバー・ユア・ゴーイン

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年11月24日(金)21時07分37秒
  元職員のブログが更新されています。
『11.21「裁判期日」の終了報告』
http://harunokoime20150831.blog.fc2.com/blog-entry-148.html
当日の裁判後に、ビデオジャーナリストの湯本さんの取材がありました。本ブログの『リンク』に
http://www.labornetjp.org/news/2017/1511504052028yumo
https://www.youtube.com/watch?v=nEZyJhmRaNA&feature=youtu.be
『【緊急告知】本日11月24日(金)テレビ東京「ワールドビジネスサテライト」で東京座談会の様子が放送予定』
http://harunokoime20150831.blog.fc2.com/blog-entry-149.html

窮状さん、ありがとうございます。関西でも『WBS』は放送されています。それより新聞のテレビ欄に出ているんですか! テレ東さん、もっと早く言うてくれたら。
『WBS』は視聴率度外視のコチコチ経済番組。学会員は見ている人が少ないでしょうね。私は前回の反省から網を張っています。あと『報道特集』も。
しかし「今なぜ創価学会の内部で離反の動き!?」とはやってくれましたね。これ、聖教のテレビ欄にも出ていたのでしょうか? 私は電子版なので調べるのが手間で。地デジTVの電子番組表でも出ますね。
同じ内容でも『WBS』で扱われるのと『報ステ』や『NEWS23』や『NEWS ZERO』などで扱われるのとでは意味が違う。『WBS』は時代の先どり的なものが多い。何かの地殻変動を感じ取ることもあると思います。
(池田先生が江沢民ら海外要人と対談された様子を日経だけはよく報じていた。)

“サヨナラを言おう 空を見上げるんだ 夜のなか 自分の道を行くがいい”
“きみもサヨナラを言うんだ 顔をあげて前に進もう きみがどこへ行こうと それでいいのさ”
“物事は変わりゆく いつだって再び整っていく でも それはきみのせいじゃない”
“危険に直面しても 追いかけてしまうのさ だから変わることが一番大切なことになるんだよ”
『ホエアエバー・ユア・ゴーイン』REOスピードワゴン
https://www.youtube.com/watch?v=479Pou-sFog

『実名告発 創価学会』(野口裕介・滝川 清志・小平 秀一) アマゾン「ベストセラー」で絶賛発売中!!!
http://amzn.to/2fxRlFX
 

これのことかな

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年11月24日(金)20時03分6秒
編集済
  http://www.bs-j.co.jp/index/timetable/
【BSジャパン|番組表】

この番組のページをみると
本日の24時の枠にありますね

テレビ東京では23時で、BSジャパンでは24時のようですね

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

>>テレビ東京 WBS

 投稿者:サモンナイト@バンダイナムコ ゲームス  投稿日:2017年11月24日(金)19時43分44秒
  >>関西も放映されるんですか?

BSジャパンでも1時間遅れで全国放映されるみたいです。
 

テレビ東京 WBS

 投稿者:窮状  投稿日:2017年11月24日(金)19時11分42秒
  関西も放映されるんですか?  

3.弾琴の譬え

 投稿者:The logic in the place  投稿日:2017年11月24日(金)19時02分8秒
  弾琴の譬え

 私は二回ほどインドの地を訪れたことがある。そこには、仏教学ぶ深いにおいがあった。私はインドが大好きである。
慈悲の仏といわれた釈尊という人は、よほど対話の達人であったらしい。つねに人びととの語らいのなかにあって、相手の思い悩むところを素早く汲みとり、平易な譬喩を借り、言葉の韻律により、巧みに心を解脱の高みへと導いていった仏様であった。
あるときなどは、一言も発せず、容貌のみで相手を説得してしまった。釈尊に軽侮の念を抱いていた人びとが「釈尊が来ても、だれも立って迎える必要はない」と、あらかじめ打ち合わせておいたにもかかわらず、彼の容姿を目にすると、しぜんに立ち上ってしまったという。
“目は口ほどに・・・”ならぬ“姿は口ほどにものをいい”である。一般に「相好説法」と呼ばれている。釈尊の言葉づかいや振る舞いににじみ出る、深い人格より発する知恵の発露であろう。

「増支部経典」という仏典には、こんな話がある。
釈尊の弟子にソーナという青年がいた。裕福な家の出で、性格も明るく聡明であった。出家してからも、人一倍の精進努力を怠らなかった。にもかかわらず、悟りはいっこうに開けてこない。憂いは迷いを呼び、迷いは苦悩を増す日々であった。やがて彼は、昔の面影など見る影もなくやせおとろえてしまう。
そんなとき、釈尊が彼の家を訪れる。ソーナが琴を弾くのがじょうずなことを知っている釈尊は、それを巧みに譬えとして援用する。
「ソーナよ、琴を奏でるには、あまり弦を強く緊めすぎては、よい音はでないだろう」
「大徳よ、そのとおりです」
「だからといってソーナよ、弦が弛すぎてもいけないだろう」
「大徳よ、仰せのとおりです」
「それでは、どうすればよいか」
「大徳よ、あまり強からず、弱からず、ほどよく弦を緊めることが大事です」
「ソーナよ、わたしの説くこの道の修行もまた、まさにそれと同じであると承知するがよい。刻苦精進にすぎると心がたかぶり、揺れ動いてやまないだろう。だからといって、弛緩にすぎるとまた、懈怠に流されてしまうであろう。ソーナよ、ここでもまた、汝はその中をとらねばならないのである」

いわゆる“弾琴の譬え”である。
釈尊はここで、苦行主義と快楽主義の、どちらか一方に偏ることなく、たえず「中道」を歩んでいくいき方を宣揚している。それは「苦しみ」も「悲しみ」も、ほどほどでよいのだという、中途半端な哲学でも、指針でもない。より深い次元から、苦楽に紛動されることのない、大地のように磐石な心を築き上げるのが先決だというのである。

してみると、この課題は意外なほど、われわれの身近なものとなってくるであろう。「中道」というと、なにか哲学用語めいた響きを感ずる人も多いと思うが、釈尊はこのように、生活の知恵そのものとして、これを説いたのであった。
刻々と移り変わりゆく周囲の出来事に紛動されることのない自分-。読者のなかには、これから大切な子供を育てゆく、若きお母さんも多いにちがいない。核家族化もあって、なにかと相談できる年配者もなく、育児書と首っ引きで悪戦苦闘中などという話もよく聞く。忙しさに追われているうちに、ついつい自分で自分の感情のとりこになり、言うことを聞かぬ子供にあたりちらしたりする。それがこうじて、悲劇を引き起こしたニュースなどを耳にすると、心が痛んでならない。
忙しさのなかにも、静かに自分を省みる余裕をもってほしいと、私はしみじみ思うのである。

ある本で、警察犬を訓練する専門技師の話を読んだことがある。ドイツのフランクフルトでのことである。
彼は、気分がすぐれなかったり、気がかりなことがある日には、訓練を休むというのだ。なぜかというと、そういうときは、なにかのはずみで訓練中の犬に対して、本気で腹を立ててしまうからである。もちろん、訓練なのだから、叱ったり、ときには鞭を使うことも多々あるが、それには自分の心に余裕がなければならない。もし、一度でも本気で怒ってしまうと、もうその訓練はご破算である。犬がこちらを軽蔑し、訓練を受けつけなくなるからだというのである。

嘘のような本当の話である。詳しいことは、専門の動物学者にでも聞かなければわからないが、私はこうしたことはありうると、自分の体験からも、そう思える。犬など、自分をかわいがってくれる人と、そうでない人とを、じつに敏感に見分けるものだ。まして相手が人間ならば、たとえ幼児であっても、こちらの感情の起伏する波長を、感じ取らないわけがない。
一時の感情にとらわれ、環境に振り回されるようなことがあっては、まことに愚かな生き方と言わざるをえない。その意味で、一切は自分との戦いに帰着し、またそこから発するといってよい。
「中道」とは、「道に中る」と読む。なにが道であるかは、難しい問題であろうが、それはけっして固定的なものとしてあるのではない。さまざまに変化しゆく日々の生活のなかで、主体的に選び取らなければならないものであろう。
「琴の弦」を緊めすぎたり、弛めすぎたりすることなく、見事な人生の和音を奏でていく日々でありたいものだ。


『主婦と暮らし・昭和53年5月号』掲載
 

了解!(・ω・)ゞ☆

 投稿者:フロム関西  投稿日:2017年11月24日(金)18時15分44秒
  今夜23時

「ワールドビジネスサテライト」


 

WBS

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年11月24日(金)18時08分41秒
  元職員ブログに緊急告知あり
「東京座談会」の様子が放映される模様
今晩、テレ東、23時、「ワールドビジネスサテライト」です。
 

SaySaySay様

 投稿者:JACK  投稿日:2017年11月24日(金)17時38分23秒
編集済
  『池田会長講演集 第3巻』の写真投稿の文字起こし、はっきり覚えております。
手間なんてとんでもありません。
優れた良書をご紹介頂いたお陰で、改めて勉強することができ、この掲示板に伺ってよかったと思う出来事の1つでした。

大した特技もない私が、様々なことを教えて頂いている掲示板に、何かできることはあるのかと模索していた時に、写真投稿のタイミングが合い、これならお役に立てると手を挙げた次第です。

これまで掲載してきたレポートが分かりやすいと思って頂けるなら、それは日本の職場における会議文化の成果ですね(笑)

タイトルについては、池田先生が聖教新聞の紙面作りに際し、「見出しを読むだけでも、内容が分かるように。忙しい毎日を送る方達に、要点を分かって頂けるように。」とおっしゃったことがあると、新聞担当者から聞いたことがあり、それがずっと頭に残っているため、あのような表記をレポート内でも行うようになりました。

「褒めて人を伸ばす」以降の文面に、全面的に同意致します。
当方は、結果も見ていますが、結果に至ったプロセスは重要視しています。
一つのたとえですが、もしダイヤモンドを手に入れたと言っても、入手方法が対価を支払っての購入ではなく、強盗によるものであったなら、結果が持つ意味合いが変わるからです。

人の結果だけを見て、羨ましさに妬んだり、口ほどにもないと蔑んだりする人は、会員であるなしに関わらずいますが、そこに至るまでのプロセスを見てもなお、その評価でいられるのか疑問に思います。
結果という枝葉や花、実だけを見て、その根を見ないのであれば、浅薄な人間性が出来上がってしまうと危惧しております。
 

(無題)

 投稿者:匿名 乙  投稿日:2017年11月24日(金)17時05分40秒
  何、財務で監視ごっこしてるのよ!
お前ら、早く創価から出てけや!!
こいつらが、毎日監視してるよ、皆んな注意しような!!
財務でのんびり仕事してるバカが以下だよ。

よろしければ  投稿者:匿名
投稿日:2017年11月24日(金)15時06分56秒
ミネルヴァさんは控えてくれませんかね。
お里が知れますよ
 

籠池夫妻 保釈認めず。 人権侵害

 投稿者:某Twitterより  投稿日:2017年11月24日(金)16時12分8秒
  2006年1月に神戸拘置所で勾留中の男性が凍死したことがあった。

外気温が零下であるにもかかわらず独房の窓がなぜか開け放たれていた。

長期の勾留は心身の健康を害し、生命の危険すらある。

人権侵害も甚だしい。

「森友学園」籠池夫妻 保釈認めず 大阪地裁 | NHKニュース
 

【信じられん】昭恵氏が

 投稿者:某Twitterより  投稿日:2017年11月24日(金)16時10分12秒
  【信じられん】昭恵氏が

「今年は学校のことで、いろいろございました」と述べ

会場の笑いを誘ったとのこと。

自分が裏切って切り捨てた仲間は、保釈も認められず、

冷暖房も窓もないようなところにいるのにこの発言。

本当に恐ろしい人間です。
 

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