10月半ばすぎの入院予定日、大荷物を担いで赴いた病院へ到着してから「ベッドの空きがないので入院は延期してほしい」と言われる。
「今回から薬が変わる、劇薬だ」と聞いたせいで連日の緊張して過ごし、入院が近づくいて、わたしももちおも眠れぬ夜が増えた。わたしは仕事を減らせるだけ減らした。残りの仕事だけコピーロボットの鼻を押すように別人に成り代わって出かける。本当にもうどうしようもない。いよいよだ。夜が明けたらもちおは入院なのだ。
そんな風に迎えた運命の日が肩透かしで終わり、わたしたちは拍子抜けした。もっと早くわかっていたら無駄に消耗しなくて済んだのに。
3週間スパンというサイクルを維持しなくていいのか若干不安に思いつつ、思いがけない休薬期間を過ごした。本当に、前々からわかっていたらいろいろ予定も立てたのに。今後もいつベッドが空くのかわからないから他の予定も入れられない。
しかし待てど暮らせど病院から連絡がない。こんなことは初めてだ。
11月も半ばに入ってとうとうもちおが病棟担当者へ打診の電話をかけた。
「いや、ちょっと待ってください。3週間サイクルの薬を打つのに2か月待ちなんですか?!」
珍しくもちおが電話口で声を荒げた。こんなやり取りがあったそうだ。
「10月後半に入院予定だったのですが、ベッドが空いていないと延期になりました。その後ご連絡がないので予定をうかがいたい」
「緊急度の高い患者様から順にお入りいただいております」
「どのくらいかかりそうなのかわかりませんか」
「2か月ほどお待ちいただいた方もいらっしゃるので」
「大変なのはあなただけじゃない、みんな我慢しているんです」とわがままな客を諭すような調子だったが、厳密に命のやり取りをしている場でこれはないんじゃないかと思う。夕方の大戸屋じゃないんだから。
先週末、ようやく主治医から電話が来た。
「来週中にベッドが空きます」
いつだよ。
「たぶん金曜日じゃないかな。いつも金曜日だから」
ともちおはいった。そうだっただろうか。これまで意識したことがなかった。しかし金曜日に入院しても土日の病院は稼働していないのだ。果たして22日の水曜日、夜になって病棟担当者から電話があった。
「ベッドが空きました。急なのですが金曜日においでください」
ほらね、ともちおは言った。
この間ずっと、わたしは仕事の予定や個人的なつきあいがある人たちと約束をするときに「近々外せない予定が入ることになっている。それがいつかわからない。なるべく早く伝えるつもりだけれど、直前になって予定変更になることもある」と話していた。とても困った。しかし勤め人だったらもっともっと、相当困ると思う。
ともかくいよいよ入院が決まり、我々はまた緊張と眠れぬ夜続きの日々を過ごした。 前日が特に酷いので入院日はふらふらしている。
そして今日入院セットをもってわっせわっせと病棟へ入った。
そこで知らされたことには、「入院手続きを土日にしていないので呼んだが、点滴は月曜日からである。今日は血液検査とレントゲン、心電図を取るが、土日はやることがない」ということであった。
だったら月曜の朝に入院手続きすればいいんじゃないのか。
日曜の夜からTS-1の服薬をしてもらうという話だったが、TS-1は自宅で飲めるのである。3日間の入院代金がいくらかかると思っているのか。
我が家の場合は加入しているがん保険から入院保険がおりる。土日働いているわけでもないから収入は減らない。しかし土日仕事をしながら、民間の保険に入らず治療している人もいる。何より自己負担は3割とはいえ健康保険でその7割が税金から支払われているのだ。
「帰ろう。ここにいてもやることがないなら」
「そうだな。外泊許可をもらえるか話してみるよ」
自宅で休めない理由があるなら入院に意味はあるだろう。しかしパジャマ代金を支払い、他人のいびきに悩まされ、夜中一時間ごとにペンライトで安否を確認され、まんじりともせず朝を迎え、病院食を食べる週末を病院で過ごすどんな意味があるというのか。
出がけに新入りの看護師が入院中つける腕輪をはめさせてくれとやってきた。
「いまから家に帰るのに?」
「ええ…でも…」
「戻ってからでよくないですか」
「…」
看護師は困った顔で黙って腕輪をとめようとしたが、「だってこれ、外に出たら切りますよ?意味ありますか?」というといよいよ困った顔をして「あ…切るんですか…」と小声でいってやめた。
そんなわけでいまもちおは入院代を支払いながら自宅の書斎にいる。入院先は全国から患者が訪れる歴史ある高名な大学病院である。だからこそこれまで最新の医療の恩恵にあずかることができたのだ。どうなっているんだろう。まさか実験参加対象から外れたとたんに通常の待遇が浮き彫りになったのだろうか。頭が痛い。