親の不法滞在の責任を、子どもが負わなければならないのか。幼い時期に親と米国に移住し、在留資格のないまま育った「ドリーマー」と呼ばれる若者について、米国で論争になっている。彼らを強制退去の対象にしないオバマ前政権の救済制度を、トランプ政権が撤廃する方針を打ち出したからだ。しかし、これは米国だけの問題ではない。日本でも、この国で生まれ育ちながら、在留資格がなく、将来を描けない若者はいる。 (GLOBE記者 浅倉拓也)
昨年10月。大阪府内で暮らすペルー人の男子中学生はその日、不法滞在で入管施設に収容された父親からの電話を心待ちにしていた。前日の体育祭で、チームが優勝したことを報告したかったからだ。だが、間もなく悲痛な顔の母親から聞かされたのは、「お父さんがペルーに強制送還させられた」ということだった。
両親は約25年前に、ブローカーが用意した他人のパスポートで不法入国した。父親は建設現場などで働き、日本で生まれた男子中学生と2歳上の姉を育てた。自宅マンションに、父親が作った手書きの日本語ノートがあった。丁寧な字で、漢字の意味や用例がびっしりと書かれていた。「お父さんも勉強するから」。父親はこう言って、子どもたちが日本語で困ることがないよう、熱心に勉強を手伝ったという。
2人の子どもは、簡単なスペイン語会話はできるが、学校についていけるレベルではない。自分たちの故郷は日本だと思っている。だが、子どもたちと母親も在留資格はなく、入国管理局からペルーに「帰国」を求められている。母親は「(不法入国は)大きな間違いをした。何度でも謝るので、子どもたちを許してほしい」と悔やむ。
埼玉県に住む別の家族の、20歳と18歳の兄弟も、日本生まれだがブラジル国籍で、強制送還の不安の中で暮らしてきた。この兄弟の場合、もともと在留資格はあったが、幼い時にブラジル人の父親が家を出て、ペルー人の母親と離婚したことから、母親と共に在留資格を失った。
兄は来年、通っている技術系の学校を卒業するが、在留資格がないため就職活動ができない。「母親も苦労してきたので、早く就職をして親孝行したいけど……」と話す。
兄弟は今年10月、強制送還の処分取り消しなどを求め、東京地裁に訴えた。
在留資格のない子どもの問題が、全国的な注目を集めたのは、埼玉県で暮らしていたフィリピン人一家が2009年に報じられたケースだった。女子中学生だった子どもは日本生まれだが、米国など出生地主義の国と異なり、両親が外国人なので日本国籍は与えられない。フィリピンに「送還」されても、生活や勉強を続けるのは困難で、両親と一緒に日本で暮らせるよう、支援者らは国に「在留特別許可(在特)」を求めた。
一家への同情は広がり、女子中学生の学校や地域、両親の勤務先などでは署名活動などが行われ、メディアはこの問題を大きく取り上げた。女子中学生はテレビカメラの前で、自らの「祖国」である日本への愛着を訴えた。だが結局、当時法相だった千葉景子は、女子生徒だけに在特を認め、両親は強制送還としたため、親子は離ればなれになった。
この問題の後、法務省は在特を認める場合に考慮する事情を、新たな「ガイドライン」で具体的に示した。法務省が人道的な配慮で、不法滞在者に在特を認めることは以前からあったが、「通学している子どもと日本で10年以上暮らしている」など、より基準が明確になり、こうした外国人を支援する関係者の間では、人道的な配慮が広がるのではないかと期待する見方もあった。
ところが、それから約8年。この問題に携わる弁護士らは、「以前にも増して在特が認められるケースは少なくなった」と口をそろえる。
1993年には約30万人いた不法滞在者は、いま5分の1にまで減った。だが、不法滞在者に対する世間の目も厳しくなったかのようだ。フィリピン人一家のケースは当時、支援が広がる一方で、排外主義的な団体の攻撃対象になった。ネット上にはいま、在留資格のない外国人に対し、容赦ない言葉ががあふれるようになった。
冒頭の大阪のペルー人一家は、父親が何の連絡もなく送還されたことをうけ、支援者と共にカトリック教会で記者会見を開いた。子ども2人は会見で、顔や名前をメディアにさらす覚悟をしていた。だが、支援者は子どもたちに対するヘイトデモや嫌がらせへの不安がぬぐえず、匿名での会見となった。「非正規滞在の人たちを支援することに対しても、最近はどこか萎縮する空気がある」。長年、この問題に関わってきた支援者の一人はこう嘆く。(敬称略)
GLOBE10月号と「Abema x GLOBE」の壁特集の全編はこちらから