それでもつづく!

学生です。楽しい文章を書きたい。

“それでもつづく!”

川沿いリバーサイドを滑走して走る、昼下がりの午後

「覚悟はできたの?」

「できてません!!!!!」

 

覚醒した。朝の9:00過ぎ。学校はもう始まってる。

 

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毎日のこと

最近は、始業時刻から登校できることがほとんどなくなってしまった。
だいたい毎日、二階の和室で寝ている僕は1時間以上かけて両親に起こされる。

 

目が覚めた後は、学校に行こうか行くまいか、悩む自分と「卒業!卒業!」の両親との精神と肉体の抗争。両親は、手足を掴んで階下へ引き摺り下ろそうとする。そして僕はというと、体のだるさと不安定な精神からくるモヤモヤとで、必死に抵抗する。事実、悩んでる余裕なんてなくて、最短1週間で「留年確定!卒業させねえぞ!」ってなる。両親が正しい。つらい。

 

睡眠障害が露骨になって来たのはうつになってすぐのあたりで、今となっては不幸にも日常に溶け込んでしまった。毎日こんなことをやっているもんだから、僕はもちろん両親も疲弊している。

 

それから、しばらく休憩してやっと心の準備ができたところで父と二人で家を出た。11時30分くらいの話である。

 

***

 

「喫茶店でランチを食べてから行けばいい」

父の提案だった。最寄りの喫茶店で「日替わりランチ」を注文して食べた。1時前には、喫茶店を出て「行って来ます」と手を振った。

 

川沿いを走るのは気持ちがいい。川沿いに入る前、ガソリンスタンドの洗車コーナーの横にさしかかったあたりで冷たい水の粒を浴びたり、コインランドリーでふんわりとした洗剤の匂いを嗅いだ。それでもって、ポカポカしてて温かいものだから、普段の倍は川沿いサイクリングを楽しんだと思う。

 

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「正しい」はどこにある?

でもね、学校に行く覚悟ができていたかと問われたらそうじゃないんだよ。

 

「覚悟はできたの?」

「できてません!!!!!」

もう何度この自問自答をしてきたことだろう。

 

前回のエントリにも書いたことなんだけれど、学校を休むという行為が針に糸を通すような、もどかしく困難なものと化した。

 

あの時は、色々不安を抱えながらも案外平穏な気持ちを維持できていたと思う。ある時、「学校を休む」という選択は容易にできるものである。

またある時、その選択は不可能に近くなる。正確に言えば、「不可能」な訳がないのだけれど、後に引けない、停滞が許されない期間はある。

僕の場合それは、「大学進学を目標にしている上、学校卒業を前にして出席日数がギリギリのとき」であるが、社会人で身寄りのない状況に置かれれば、必然的に労働を強いられる。こちらも正確に言えば、セーフティネットというものはあるーーが、僕はその現実を知らないーーのだけれど。

今になって思うのだけれど、ダメな時は本当にダメ。精神科の先生にも「立ち止まって休養をとることが最たる薬である」と言われているけれど、休みを重ねるたびに布団の中で胸が締め付けられる感覚を覚える。

学校に行ったら行ったで、教室で受験モードの空気を感じまくって、帰ってうずうずしながら早く布団に潜る。それでも朝起きられなくて卒業が危ういっていうもどかしさ、と言ったら大変なものである。

本気で「必死にもがく必要がある時もあるんじゃねーの」って思った。

どうしても(学校)に行けない時はいつも() - それでもつづく!

 

「みんなと卒業したいから学校を欠席してはならない」
「みんなといるともどかしいから学校ムリぃ……」

 

こういう背反的なことが頭の中でポポポポンといくつも現れて来てもう頭痛が痛い!

 

ただね、、。

どんな状況に置かれようとも、どこかに「正しさ」が一つでもあればいい。そう習ったよ。

 

辛くても寂しくても、暗中模索してやれることだけやってみるの!

 

ただし、「正しさ」は空虚を満たさないことは経験済み。何をするにも、どこかに不真面目さを持っていないと心がやられていつか死ぬ。

オーケーわかった、学校に行こう。ただし、今右手にあるよくわからん坂道を登りきって、T字路にぶつかったらダ!

 

***

 

圧倒的無力。道は続くよどこまでも。自分がバカすぎました。

スマホで時間を確認したら、5時間目がちょうど始まるところだった。20分はこの道を走ったことになる。脱力感に襲われた。

 

帰り道、交差点を渡ろうとしたら車がさしかかって来てた。歩道の脇に植えられていた木が邪魔して気づかなかった。とっさにブレーキをかけて発進を阻止しようとしたら、サドルが「ブンッ」と左右にずれた。自転車はおかしな方向を向いて静止して、車もまた静止した。

 

注意不足、整備不足で危うく死ぬところだった。注意不足は完全に僕に非があるが、整備不足に関しては、家を出る直前に父に「サドルが少し緩い気がする」と報告済で、「とりあえず学校に行け。帰ってから直せばいい」と言われたばかりだったから、責任を転嫁したい欲が生まれた。

 

だから僕は帰った。

理由はなんでもよくて、それがたまたま「死にかけた。文句の一つや二つ言わせてくれ!!」だっただけで、別に「ハンドルを握る右手の指先にささくれがあった」だとか「歩きタバコにエンカウントして、めっちゃむせた」でもよかった。そんなような気がする。

 

帰ってから、サドルのことは言えないままだ。

 

覚悟を決めて

「覚悟はできたの?」

「できま…シタ??」

 

相変わらず覚悟ができていない。歯を食いしばって残り数ヶ月学校に通う覚悟が。

これだけ窮地に立たされても、未だに「留年してみんなとは一緒に学校を出られない」喪失感を想像できない僕はひたすらにバカである。

 

学校サボってこんな気持ち悪い文章書いてるだなんて、一周回って清々しい気もするけれど、やっぱりバカ。どうしようもない。

 

だけど、ヒーロー!僕のヒーロー!もうちょっと戦おうよ!

 

 

ヒーロー。アジカンのこの曲に大分助けられたんだよ。

「あの丘を越えたその先は光り輝いたように君の孤独も全て暴き出す朝」らしいんだよ!

色々と大変に思えるけれど、それでも、万事休すでも、前向きな覚悟をしようじゃないか!この地獄みたいなリアリティーから一歩踏み出そう前へ。

fin.