華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

No Woman, No Cry もしくはすべてはオーライ (1974. Bob Marley and the Wailers)

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世の中にはいろんな勘違いがあるけれど、人の言葉をわざとややこしく解釈して、しかもそれが間違っていた場合ほど恥ずかしいパターンはない。と前回私は書いたのだけど、それをめぐって真っ先に思い出されるのがこの歌である。

自慢じゃないけどこの歌に関してだけは、初めて聞いた時から私は独りよがりな勘違いはしていなかった。「No ダメ Woman 女性 No ダメ Cry 泣く」なのだから、ボブ・マーリー「女の人よ、泣かないで」と歌っているのだろうと素直に信じていた。ところがそんな私に対して。思い出してもムカがつく。英語のめちゃめちゃよくできたある先輩が、「そんなことも分からないの?」という感じで、言ったのである。No Woman, No Cry は「泣かない女はいない」という意味なのだと。

今では、Wikipediaにも載っている。No Woman, No Cry のもともとの歌詞は、"No Woman, Nuh Cry" で、nuh はジャマイカの英語では don't を意味する言葉なのだと。したがって"No Woman, Don't  Cry"=「ダメだ、女性よ、泣いてはいけない」で、私の聞き方は決して間違ってなんていなかったのである。

しかし、私は、ずーっと間違っているのは自分の方なのだと、信じ込まされていた。だって、いやに説得力があるではないか。「泣かない女はいない」だなんて、いかにも英語のテストの引っかけ問題に出てきそうではないか。そういうテストでその先輩みたいにいい点がとれたためしのない私が、いっちょまえに洋楽の歌詞をわかろうなどと考えるのは10年早いのだと、それから10年たってもまだ思っていた。学校というものが人の心にいかに要らないコンプレックスばっかり植えつけるものであるか、考えてみるとゾッとする気がする。本当に、私は何のために学校に行っていたのだろう。カシコくなるためではなかったのだろうか。

ちなみに、英語話者の中でも、この歌詞について「勘違い」している人は今でもいっぱいいるらしい。アメリカやイギリスの人たちの勘違いの仕方の「主流」は、私の先輩の場合ともまた違っていて、「この世に女というものさえいなければ、おれは泣かずに済むのに」という解釈なのだという。No Woman, No Cry が英米人の耳にはそう「聞こえる」のだということ自体に、まず驚かされる。

No Woman No Cry « Pain in the English

↑英語のサイトで、この歌詞の解釈をめぐって討論している人たちが10年以上前にいたのを見つけたのだが、コメントが100件もついて、大変な激論になっている。ジャマイカ人自身による "No Woman, Nuh Cry" の説明が「定着」したのは、本当にここ数年のことであるらしい。

さらに、こんな解釈も出回っている。親友を亡くしたボブマーリーが涙にくれているのを、連れ合いのリタ・マーリーさんがなぐさめようとしたのに対し、ボブマーリーが顔をぐしゃぐしゃにしながら「No 違うんだ Woman かあちゃん No Cry おれは泣いてなんかいない」と言った言葉が、この歌詞になったというのである。そんな具体的な話をされたら、作り話ではないのかということを確かめることさえ、ためらわれてしまう。

結局、「ジャマイカの英語はそうなってないんだ」ということを、ジャマイカの人たち自身がインターネットを通じてダイレクトに世界中に伝えてくれるまで、世界中の人たちがこの歌について「勘違い」していたのだということになる。これはこれですごい話なのだけど、そうなるとむしろ不思議に思えてくるのは、それだけ解釈がバラバラで「分かりにくい」この歌が、どうしてこんなにも「有名」になりえたのだろうか、ということである。

私は思うのだけど、それはやっぱり "Everything's gonna be alright" という「誤解しようのない歌詞」の持つ力なのではないだろうか。

何の根拠もなく「だいじょうぶ、うまくいく」と8回も繰り返してくれる中盤のリフレインがあるから、この歌の7分10秒は全然長くないのである。そしてこの歌に関してだけは、「何の根拠もないからこそ」聞く人間もそう確信することができるのである。ボブマーリーやレゲエという音楽を生み出したと言われるトレンチタウン (直訳は「ドブの街」) の人たちの暮らしについて、私には知ったようなことなど何も書けないし、また彼が唱えていたラスタファリズムという思想と言うか宗教についても、いろいろ読んでみたことはあるけど、いかにラスタマンバイブレーションはポジティブなんだと言われてみても、やっぱり共感したい気持ちにはなれない。(私の生まれた土地の言葉で書くなら「ラスタマンバイブレーションえーわ」という気持ちである…小さい文字で書いたのだから許してほしい) けれども "Everything's gonna be alright" というメッセージに関してだけは、「そうなったらいいのにな」と私も心から思える。そしてこの言葉だけは、ファシストレイシストには「奪えない言葉」であるとも思う。もしもトランプが自分の集会でストーンズの曲と同んなじように今度はこの曲を使おうとしたなら、その時にこそ世界はそれを許さないに違いない。

その世界の側で、私は生きていきたいと思う。


Bob marley "no woman no cry" 1979

No Woman No Cry

No, woman, no cry,
No, woman, no cry,
No, woman, no cry,
No, woman, no cry.
おんなのひとよ 泣かないで
だめだよ 泣いちゃいけない
何で泣くかな 泣いちゃダメだ
おんなのひとよ 泣かないで

 

Cause, cause,
cause, I remember when we used to sit
In the government yard in Trenchtown,
Oba - obaserving the 'ypocrites
As they would mingle with the good people we meet.
だって だって
だっておれはおぼえている
トレンチタウンの公営住宅の広場で
よくいっしょに座って
善人づらした悪人たちが
おれたちの知ってるいい人たちの中に
まぎれこもうとするのを見張ってただろう

 

Good friends we have, oh, good friends we've lost
Along the way.
In this great future, you can't forget your past,
So dry your tears, I seh.
おれたちには いい友だちがいた
そしていい友だちを失ってきた
道の途中で
これから始まるのはすばらしい未来だ
でもあなたが昔を忘れることなんてありえない
だから涙をふいてほしい

 

No, woman, no cry,
No, woman, no cry.
'Ere, little darlin', don't she'd no tears,
No, woman, no cry.
おんなのひとよ 泣かないで
だめだよ 泣いちゃいけない
ああ かわいいひと 涙をこぼしちゃいけない
おんなのひとよ 泣かないで

 

Said, said,
said, I remember when-a we used to sit
In the government yard in Trenchtown.
And then Georgie would make the fire lights,
As it was logwood burnin' through the nights.
そう そう
そうだよ おれはおぼえている
トレンチタウンの公営住宅の広場で
よく一緒に座りこんでいた頃のこと
ジョージが焚き火をして灯りをつくってくれたよな
丸太の炎が夜空を焦がすみたいだった

 

Then we would cook cornmeal porridge,
Of which I'll share with you,
My feet is my only carriage,
So I've got to push on through.
But while I'm gone, I mean,
それからおれたちはコーンミールのお粥をつくった
これからもあなたとわかちあっていきたい
おれの乗り物は自分の足だけ
そしておれは前に向かって進んでいかなくちゃいけない
でも おれがいなくなっても

 

Everything's gonna be all right!
Everything's gonna be all right!
Everything's gonna be all right!
Everything's gonna be all right!
I said, everything's gonna be all right-a!
Everything's gonna be all right!
Everything's gonna be all right, now!
Everything's gonna be all right!
だいじょうぶ うまくいく
なにもかも うまくいく
なにをやっても うまくいく
だいじょうぶ 心配ない
そう だいじょうぶ うまくいく
なにもかも うまくいく
なにをやっても うまくいく
だいじょうぶ うまくいく

 

So, woman, no cry,
No, no, woman, woman, no cry.
Woman, little sister, don't she'd no tears,
No, woman, no cry.
だから おんなのひとよ 泣かないで
だめだ だめだよ 泣いちゃいけない
いとしいひと かわいいひと 涙をこぼしちゃいけない
おんなのひとよ 泣かないで

 

I remember when we used to sit
In the government yard in Trenchtown.
And then Georgie would make the fire lights,
As it was logwood burnin' through the nights.
Then we would cook cornmeal porridge,
Of which I'll share with you,
My feet is my only carriage,
So I've got to push on through.
But while I'm gone,
おれはおぼえている
トレンチタウンの公営住宅の広場で
よく一緒に座りこんでいた頃のこと
ジョージが焚き火をして灯りをつくってくれたよな
丸太の炎が夜空を照らすみたいだった
それからおれたちはコーンミールのお粥をつくった
これからもあなたとわかちあっていきたい
おれの乗り物は自分の足だけ
そしておれは前に向かって進んでいかなくちゃいけない
でも おれがいなくなっても

 

No, woman, no cry,
No, woman, no cry.
Woman, little darlin', say don't she'd no tears,
No, woman, no cry.
Eh!
(Little darlin', don't she'd no tears!
No, woman, no cry.
Little sister, don't she'd no tears!
No, woman, no cry.)
One more time I got to say,
Oh, little-little darlin', please don't shed no tears.
No, woman, no cry.
おんなのひとよ 泣かないで
だめだ だめだよ 泣いちゃいけない
いとしいひと かわいいひと 涙をこぼしちゃいけない
おんなのひとよ 泣かないで
もう一回言わなくちゃ
いとしいひと かわいいひと 涙をこぼしちゃいけない
おんなのひとよ 泣かないで

=翻訳をめぐって=

  •  まず第1に、ジャマイカというカリブ海の島国でどうして「英語」が話されているのかという背景から、確認しておかねばならないと思う。私自身、レゲエという音楽を聞くようになるまでは、何も知らなかったことである。
  • ジャマイカは1494年にコロンブスによって「発見」され、その後スペイン領となった。それまでこの島に住んでいたアラワク族と呼ばれる人々は、スペインの侵略によって「絶滅」したとされている。スペインはスペインは西アフリカから黒人奴隷を「輸入」することで労働力を確保し、この時アフリカから連れてこられた人たちの子孫が現在のジャマイカ人口の90%を占めている。
  • その後ジャマイカは、スペインと戦争を繰り返していたイギリスによって1655年に占領され、以後300年にわたってイギリスから植民地支配を受けることになった。さまざまな土地から連れてこられた人たちがひとつの社会を形成しているこの島で、英語が「公用語」となったのはこの時期のことである。
  • ジャマイカがイギリスから独立したのは1962年。(音楽史的にはビートルズのデビューと同じ年である)。しかし独立後も、移民としてイギリスやアメリカに渡った人がたくさんいたため、現在でも他の英語圏の諸国との関係は深い。
  • イギリス人やアメリカ人の中には、「ジャマイカの英語はわれわれの言葉と全然ちがうから、ジャマイカのことについて質問されてもわからない」という人がかなりいる。(と言うか、私が出会ったのはそういう人ばかりだった)。しかし英語話者でない私の感覚からすれば、「大して違わない」ようにも思える。東京弁と関西弁の違いの方が、たぶん外の人から見たらよっぽど大きいのではないかと思う。

I remember when we used to sit
In the government yard in Trenchtown,
Oba - obaserving the 'ypocrites
As they would mingle with the good people we meet.

  • Oba - obaserving : "observe(監視する/観察する)" のジャマイカ訛りだとのこと。
  • 'ypocrites=hypocrites (偽善者たち)。宗教的背景のある文化の中では日常用語として使われている言葉なのだと思うが、日本語の「偽善者」は異様に鋭い響きを持つ。だからもう少し日常的な言い方で訳することにした。
  • 現在のトレンチタウンは "Trenchtown Culture Yards (文化村)" と呼ばれる一種の都市博物館として、「観光地」になっているとのこと。でも、どうもそれは「いいこと」ではないように私には思える。日本でも、そういう施設を作るためにもともとそこで暮らしていた人が強制的に排除されるようなことは、至る所で起こっている。とりわけ、現在東京でオリンピック施設を作るために大勢の野宿の人たちが公園や路上から追い出されている状況が、どうしてもオーバーラップしてしまう。この頃のボブマーリーと一緒に暮らしていた人たちは、今、どうしているのだろうか。

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Good friends we have, oh, good friends we've lost
Along the way.
In this great future, you can't forget your past,
So dry your tears, I seh.

  • along the way は「途中で/ 道中」などの意味。「道なかばにして」という意味もあると思う。
  • In this great future, you can't forget your past: 直訳は「この偉大な未来であなたが過去を忘れることはできない」。意訳になっている。

Then we would cook cornmeal porridge,
Of which I'll share with you,
My feet is my only carriage,
So I've got to push on through.
But while I'm gone, I mean,

  • wouldは「過去の習慣」をあらわすwouldだと思う。
  • Of which I'll share with you,は、正直言って、わからない。文脈から言ってお粥を分かち合うという意味のことを言っているとしか思えないが、なぜここで of which が使われているのかがわからない。また I'll share with you と未来形が使われているけれど、本当に過去のことでなく未来の話をしているのかどうかは、確信が持てない。このあたりがジャマイカ英語の独特なところなのかもしれないという気がする。誤訳の可能性が高い箇所。
  • push on は「前進する」push through は「実現する」。push on through は辞書には載ってなかったけど、たぶんそれが合わさった意味である。「オレはこれから旅立つ!」というカッコのいい箇所ではあるのだけど、一方で女性に対しては「家で待ってろ」というのは、理不尽な感じがしないでもない。「夢を追うのは男の仕事/ 女の仕事は家を守ること」みたいな考え方を持っている男がこの歌を自己陶酔的に歌うのを聞くと、私はちょっとムカがつく。

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コーンミールのおかゆ。甘いらしい。

 little sister, don't she'd no tears

  • don't shed no tearsは、二重否定 (涙をながさないことはいけない) ではなく、否定の強調 (どんな涙も流しちゃいけない)。学校英語には出てこないが、英語の歌詞にはこの言い方がしょっちゅう出てくる。解釈に苦しむのは shedが she'dと書かれていることで、普通こういう風にアポストロフィがついていると shedという動詞ではなく she would の省略形だということになる。そうなのだとしたら、どう訳したらいいのか私には分からない。


RCサクセション すべてはALRIGHT(YA BABY)

…何だか自分のやっていることは手の込んだRCサクセションの宣伝ブログにしかなっていないのではないかという気がしてやまない最近なのだけど、結局 Everything's gonna be all rightって歌ってくれるこの曲がRCとして出された最後の曲になってしまったわけなのですね。でも案外それが Everything's gonna be all rightという言葉の本当の意味だったのかもしれないと、思う最近であったりもしているわけなのですね。わけなのです。ではまたいずれ。