徹子の部屋 高橋克典[字] 2017.11.21

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骨盤の骨を折るなどの重傷です。
目撃者によりますと、逃げた車は白色のセダンタイプで、車線変更しようとした際、バイクに接触したということです。
警察はひき逃げ事件として捜査しています。
(黒柳)これは今日のお客様と息子さん。
もうすぐ53歳におなりになるパパと8歳の息子さんの本当に仲むつまじいご様子でございます。
今日のお客様高橋克典さんです。
どうぞこちらにお座りください。
よろしくお願いします。
どうも失礼します。
なんといっても育休を取って子育てに当たったというイクメンパパでいらっしゃいます。
どうぞ…。
よろしくお願いします。
よろしく…。
それで私の大恩人をドラマで演じてくださってる方なんですね。
まず初めに随分可愛い子供ね。
そうなんです。
もう…はい。
愛してます。
ねえ。
なんかさ元気そうね。
はい。
健康そうな息子さんね。
ものすごい元気です。
そうでしょ。
いかにもね。
あれだけ見るだけでもね元気ってわかりますよね。
はい。
可愛い。
でもあれでしょ?小さい…小さいっていうか若い時あなたの。
なんか子供とかって関心なかったんですって?あんまり。
全然なかったんですよね。
自分自身が子供だったんでしょうずっと。
なのでやっとそれが年を経て大きくなったのでまあ自分の人生を楽しみたいなと思ってたので全く興味なかったですね。
ところがもう…。
だから友人に子供ができたなんていっても「可愛いでしょ?だっこする?」「うん。
するする」「はい」みたいな。
全然可愛いと思ってなかったんですけども。
自分の子供となると本当に可愛い?自分の子供ができてからはもうよそのうちの子供ももう全ての命がなんか可愛く感じれますね。
で自分のうちに男の子が生まれて。
はいそうです。
可愛い?可愛いですね。
可愛いね。
なんか育休を取って?はい。
でも元気そうな子だね随分ね。
またなんかちょっとねやんちゃに見える写真が結構多くて。
そうそうそうそう。
可愛い。
そうなんですよ育休を取ってね。
ちょっと妻のお産の手伝いもしようと思ったんで3カ月ぐらい休みを取ってて。
でも一緒になんか随分子供が見るものなんか一緒に見に行ったりするんだって?映画なんかもよく見ますね。
仮面ライダーショーか。
仮面ライダーショーも行きますしあの…そうなんですね。
『仮面ライダー』なんとか出たいと思ってたんですけど。
そうなの?駄目だったの?いや…ちょっとスケジュールが駄目だったりとかちょっと残念で…。
本当はあれでしょ?子供の見るものに出たいでしょ?出たいです。
だからテレ朝のアトリウムでねショーをやってたりなんかすると見に来る…並んでますよ。
そうなの?はい。
そうすると関係者の方が「どうぞ前へ」って言うから「いやいや。
いいですいいです」って一番最後に並んだりして。
やっぱりね随分…。
寝る時にあなた本を読んであげたりなんかして?そうですね。
絵本の読み聞かせは行ってる学校とか行ってる幼稚園ですごく推奨もしていて。
そうなの?はい。
だからもう本当にちっちゃい時から絵本読んでいますね寝る前は。
なるほど。
最近はもう絵本じゃなくて普通の本になってきましたけどね。
そうなの?えー。
今8歳?8歳ですね。
えー。
もう8歳なら随分わかりますよね色んなことがね本だってなんだって。
僕自身が結構8歳の時に家庭に色んなことがあったのでそれまで安定していたと思っていた家庭の土壌といいますか色んなことが色々グラグラグラっときたことがあって。
そうなの?はい。
なのでなんかその時にこう…。
まあ結果良かったんですけどちょっと自分の中でゴングが鳴った感じがあって。
そう?はい。
なので今8歳だからできるだけそういう思いはさせたくないっていう…。
僕らがなんかできることというかやりたいなと思ってるところもありますね。
じゃあ子供に今熱心?そうですね。
まさかの…まさかの。
まさかのね。
そんなことってあるんですね人生ってね。
本当ですねはい。
フフッ。
でもまあ8歳ぐらいだとね息子も可愛いだろうと思いますよね。
なんでも言うこと聞くし。
いやいや。
もう言うこと聞かなくなってきました。
聞かなくなってきた?でもまたそれがちょっと可愛くて。
あなたになんか言うんだって?そういうこと。
色々言います。
そうそう。
やっぱりね…。
ちょっと今お芝居をやってるんですけど稽古なんかもあってなかなか忙しくて帰れない。
本当に彼は寂しい思いをしてるみたいで。
帰って会うともう離れないんですよね。
そこが可愛いわね。
習ってるピアノとかもいいところを見せたくて色々やるんですけど僕自身が稽古で結構やっぱりこう目指して色々考えてる時期…グッとなってる時になんていうんでしょう?ついつい駄目出しをしちゃうんですよね子供に。
それがなんかちょっとこう癖になってしまってて。
子供に言われたんだって?そしたら。
そうなんですよ。
「パパは僕の悪いところしか見てない」って言って。
それすごいねでも。
ちょっとショックでしたね。
そんなつもりは全くなかったから。
ものすごくもう世界一愛してることとか色んなことは大前提としてあっていいことも大前提としてあってここを直せば良くなるよっていうこともついついそこだけを言ってしまう…。
そうなのよね。
そう言われちゃったんで。
でも子供はよくだけど悪いところだけを言うんだっていうことがよくわかったわね自分のことをね。
えっなんですか?あなたがさ子供の…。
そうそう。
そうなんです。
だからそれですごいこういけないと思ってまず褒める。
そうよね。
はい。
で妻にもやっぱりこう…。
妻ね僕に彼が会いたくて待ってる時間を知ってるから「まず褒める。
それから言えばいいのに」と言われていて…。
そうね。
でもあれどうしてあれなんでしょう?みんなそれぞれ…。
男女のこともそうだけどいいところはそれでいいからっていう感じになって悪いところだけが目に付くっていうね。
あれ良くないね。
良くないですよね。
やっぱりいいところを褒めて認めてっていうことは大事ですよね。
そうですよね。
でもあなた53に今おなりですかね?はい。
53になって子供をそうやってね可愛がるっていうような人生が来るって…。
いやいや本当に。
思ってらっしゃらなかった?本当にもうちょっと新しい扉を開いた感じで。
でも色んなことの答えがわかりましたねなんというか。
なるほど。
なんかそれまでこう…なんかもがき続けてたことがわかりましたねなんか。
ある日あなたのところに来ましたこういうのが。
そうなんですよ。
あの…「Ichi」って誰だろうと。
本当よね。
ローマ字で書いてありますよね?うん。
で開いてみると実は市村正親さんが…やっぱりお子さんが今同じ学校で。
あっそうなの?はい。
でそしたら妻同士で話をしてたらしいんですね。
そうなのね。
うちの妻と涼子ちゃんと。
それで今度舞台やるんだけど僕暖簾も持ってないから…。
部屋にねないなと…。
「どうするのかな?」なんて言ってたんですけど。
そうなの?それをなんかちょっとこっそり伝えてくれたみたいで。
そういえばあなた青山学院っていえば9年間も通ったっていうのは?大学時代ですか?その話しますか?もう本当お恥ずかしい。
どういうことでそうなったんですか?でも。
元々その…私立で幸せなことに下からだったんですけれどもちょっと社会勉強ばっかりしまして。
ぶらぶらしてた?そうですね。
まあこの世界には進みたいという気持ちはあったんですけれどもなかなかうまくいかず。
でもまあ学校に所属しながらっていうのは結局自分の中でも甘えがあったんでしょうね。
それでバイトやってなんかさ犬の世話のバイトとかやったって?もうちゃんとやってねもう少し頭使って考えておけば…。
今もう一大産業ですから。
そう。
犬なんかの。
でもそれ商売に進むっていうアイデアはなかったので。
やっぱりこの世界に来たかった…やりたかったんで。
だから上原謙さんの付き人…。
それもすごいなと思うんですよ。
加山雄三さんのお父さんですよね。
はい。
上原謙さんの付き人もおやりになったと仰いましたよね。
そうなんですよ。
ちょっと人に紹介していただいてこっちの世界やりたいんだけどって言ったら…当時は歌を一生懸命やってたんですけどでもとにかく勉強だと思って事務所を紹介していただいて付き人にさせていただいたんですけど。
右も左も全く芸能界のことなんかわかってないのでしきたりがわからないんですよ。
色んなことで現場にご迷惑を掛けて。
あなたが掛けたの?フフフッ。
それ以外にないんじゃないでしょうかね。
でも僕の中にちょっと確信犯的になんというか付き人には就かないとかなんか思ってたところがあって。
けったいな体験が…たった3日間のうちに色んなことがあってですね。
3日でクビになったっていう感じ?はい。
3日でクビになりました。
すごいね。
あなたでもやっぱりキャリアとしてはさ上原謙さんの付き人3日やりましたっていうのは相当面白いんじゃない?それが考えてみたらこの業界の一番初めのキャリアですね。
ねえ今にしてみると。
はい。
大変なことが色々ありまして。
えー。
揚げ句にはまああの…その時のショーの中心人物の方をまああの…普段かぶり物をされてたりとか…メイク前だったんですけど。
わからなかった?お弁当屋のおばさんと間違えちゃったんです。
本当に?そう仰ったの?それでその方の楽屋に入っていかれて僕はそのエレベーターの前を掃いてたんですね。
すごい。
でパッと見てお弁当屋さんだと思って「ご苦労さん」って言って…「ご苦労さま」って言ったらその主役の方の…突き当たりに主役の方の楽屋があって入っていかれて出てこないんですよ。
うん。
あれ?と。
あんなところ入っちゃってね。
そう。
あれ?これが噂に聞いた楽屋荒らしかなと思い…。
そうそうそうそう。
その時の社長に「ちょっと不審人物が入っていかれました」って言ったら稽古が止まって放送が入ってでみんな役者たちがダーッと戻ってきて。
ただお財布忘れた人なんかも「キャーない!」なんて言ったりなんかして大騒ぎになっちゃったりして。
本当に?はい。
で帰りに稽古が全部終わってから駄目出しが客席でそれこそあって。
それこそ駄目出し?僕後ろにこう座ってて「何々さんは?」って…Pの方ですね。
あああの人いるんだと思ってパッと見たらあっ弁当屋のおばさんだと思って。
うん。
そうそう。
なんであんなところに?はい。
だから主役の方ですよ。
それが決定打になって3日でクビになりました。
相当だわね。
それなんだかわからないけど。
今考えるとね。
うん。
有名な方?はい。
大スターの方で。
私は知ってる?もちろんご存じですけど。
誰かは絶対言えないですけど。
言えない?ハハハハ…!えー面白いことがあるんですね。
そんな時代もありました。
でも28歳の時に俳優デビュー?そうですはい。
それがまあ21〜22の頃でまあそれから色々あって。
そうそうそう。
28の時に俳優デビューになりました。
『サラリーマン金太郎』?はい。
あれが35ぐらいで。
そうだったの?あれでね…。
あれ結構色々ありましたね。
これあなた…『徹子の部屋』に来てくださった時のあなただね。
37歳?あっ…。
そう。
37歳の時ですね。
『金太郎』の時ですねこれちょうど。
そうなのきっとね。
1回目のご出演の時です。
はい。
こんなような状態でした。
フフフフッ。
こんなような状態?やっぱり今と随分違うわね感じがね。
そうですねはい。
今のほうがずっと個性的っていう感じですもんね。
でも本当に…このあとぐらいかしら?なんかもう仕事漬けになって嫌々になってもうちょっとどこか行っちゃおうみたいな。
はいそうですね。
まあ自分でちょっと追い付けなくなってきたんだと思うんです。
で1回仕事やめたいなと思ってオートバイで…バイクが趣味なので。
オートバイで?はい。
色々ふらふら…京都行って遊んだり四国行ったり九州行ったりして…。
すごい。
1人で?はい。
ツーリング…。
1人で3週間ぐらいだったんですけど。
地方行って走ってると…その時は『金太郎』ですね。
そうだわね。
好きな方が地方に随分いらして随分声を掛けていただいて。
「金太郎さんじゃないの?」って?はい。
「金ちゃんまたやらないの?」ってものすごい言われて。
テレビドラマっていってもねこんなになんかこう人が楽しみにしてくれて…あの…こんなことがあるんだなと思って。
そうね。
自分はスケジュールでもう嫌々になってるかもしれないけど見てくださった方々はねそういうふうにあなたを思って見てくださってるっていうことがわかるとやっぱりね。
はい。
なんてやりがいのある仕事だろうと思って。
そうよね。
はい。
でなんか一気にモチベーション持ち返してですねまあ…東京…帰ってくるんですけど。
良かったわね。
今この局で放送している『トットちゃん!』っていうドラマであなたは私の大恩人をやってくださってるんですね。
そうなんです。
お話いただいて本当にありがとうございました。
いえいえ。
あの…初めね黒柳さんの恩人の方だっていうふうに伺ってちょっと調べさせていただいて。
そしたらああそういう方なんだと。
まあ非常に気骨のある…。
そうですね。
当時『アサヒグラフ』の編集長でいらしたんですよね。
ものすごく光栄でしたし…。
あっ一番右端が飯沢先生ですね。
これ『ヤン坊ニン坊トン坊』の頃。
私だわ。
これ?これ当時の?そう当時ですね。
昭和29年とか30年とかそのぐらいだと思います。
可愛い。
あららららら…。
あららら。
ここのほくろは変わらないですね。
そうですね。
あらららだわ本当に。
びっくりした。
いやあそうですか。
当時初めてねそれ…オーディションっていうのがあってNHKで。
「ヤン坊ニン坊トン坊」懐かしい。
「ヤン坊ニン坊トン坊」ああこの曲?今の声そう。
歌ってるのも黒柳さんですか?そうです。
今…。
今聴こえますよ私の声。
「あばれんぼうのニン坊」「かわいいちびすけトン坊」「ときどき喧嘩もするけれど」可愛い…。
そうよね。
「ぼくたちやっぱり兄弟だ」国民的な大ヒットラジオドラマだったんですよね。
そうでしたあの時は。
それで私一躍…。
それまで降ろされてたんですけどあれのトン坊っていうのになってからもう毎日毎日新聞に「トン坊になったトン坊になった」って。
当時はねラジオなんですが私NHKのテレビの第一号っていうことでNHK入ったのにラジオで有名になるのってねちょっとおかしいと思いましたけど。
これ当時のね里見京子さんがヤン坊で横山道代さんがニン坊で私が下のほうでしゃがんでる人でそれで飯沢先生で。
新村礼子さんって…トマトさんってあとでね出てきたんですけど。
はあはあはあはあはあはあはあ…。
カラスの。
あのセリフはちょっと感動的なセリフですよねあのやり取りは。
先生のね。
はい…。
いや黒柳さんの仰ったという言葉も。
そうですね。
「私みんなから個性が邪魔だって言われてますからなんとかします」って言ったの先生に。
そしたら「その個性が僕は欲しいんだから変えちゃいけませんよ」って仰ったの。
初めて私NHKでそういう人に会ったもんだから「わあーいいのかこれで」って。
そのまま現在まで来ちゃったんですけど。
フフッ。
すごい長くやりました。
いやあだってあれはね本当にだってそれまで「ああ駄目だ駄目だ」…。
僕も同業といいますかそういう仕事を体験してきてるからよくわかりますけどオーディションって本当にいちいちドキドキするし。
そうですよね。
いちいち全て自分の存在意義を全て懸けるし。
そこで落ちるっていうことは本当に自分の存在を否定されるみたいな…。
本当ですよね。
自分ではそんなに思ってないのに駄目だって言われるとね。
で必要以上にまたどんどんどんどん自分で駄目だ駄目だって思って。
ちょっと今高橋さんがやってらっしゃる私の恩人の役をちょっとご覧いただいていいですか?『トットちゃん!』です。
「16番杉山緑です」「18番黒柳徹子です。
よろしくお願いいたします」「ああ!助けてー!」
(飯沢匡)「トン坊の人残して」
(AD)「ヤン坊ニン坊トン坊です」「作者の飯沢匡先生」「あの…私自然にやりますので」「普通にやりますので」「歌も勉強しますし喋り方もちゃんとしますから」「ああ…。
ちゃんとするってなぜ?」「だ…だって私いつも変って言われますから」「あなたはそのまんまでいてください」「我々はあなたのその個性を必要としてるんですから」なんていい方。
フフフフ…。
ちょっと柔らかくやりすぎましたね。
でも随分いいなと思いますよね。
ああいう方がいてくださったらそりゃもう…。
あれほどじゃなかったですよ。
もっとスススッと仰っただけですけどね。
そうですか。
でもほらそれまでもうみんなから否定されてましたからそのひと言でね「ああいいのかこれで」って思った喜びはありましたよね。
でもあれやってみたらあなたのお父様に似てらしたんですって?自分がね。
はい。
あのちょっと格好になってみたら。
随分上手に。
全然今のあなたと違うふうに見えるちょっとね。
実年齢に準じた感じですと…。
やっぱりね…。
8歳の子供のお父さんじゃないね。
えっ?8歳の子供のねお父さんじゃない。
いやいや。
おじいちゃんみたいなもんですからもうだってね。
今はね。
なるほどね。
でも本当にああいうオーディションが62年前ですかねあったっていうことですよね。
はい…ねえ。
やっぱりねさらっと仰ったんですよね。
そう。
それでちょうど『徹子の部屋』に飯沢先生が出てらっしゃるところご覧いただいていいですか?ちょっと拝見します。
「先生にお目にかかったのはあまり古くてですね『ヤン坊ニン坊トン坊』…」「私たちはオーディションっていうので先生たちに顔の見えない…ついたての向こうで声を出して“怖いよ怖いよ”なんてやったりして。
それで…」
(飯沢)「そうそう。
そういう子供のねセリフをあなた方に読んでいただいてそれで耳だけで聞いてねこの人はこの人この人この人っていう配役したわけです」「でもその時そんなに…」「オーディションしたのもあれもう随分珍しかったんじゃないかしら」「一番最初にものをやるっていうとやっぱりそれだけの抵抗とかねそれからやっぱり相当僕は頑張りましたね」「なんかしら革命が起こしたいほうだから」「随分長く闘って今まだ…。
まだ…」「もう本当に私は一番先生から習ったとしたらそれはやっぱり闘うことを忘れちゃいけないって言って私がだらっとすると先生はいつも“闘いなさい!”」うーん…。
まあ…そうね。
確かに闘いなさいっていうことですかね。
ただ腕力とかそういうのじゃないんですよね。
笑いを武器にしてっていうことですからね飯沢先生いつも仰ったのは。
喜劇作家でいらしたんで。
40年前ですよね?あれもう。
そうですね。
闘い続けてるじゃないですか。
いやいや…。
でもその時に先生が仰ってくださったことで今現在もずっと来てるような気がしますよね。
飯沢先生に学んだことっていうのはどんなことを?そうですね。
やっぱりそりゃあ平和のこととかね。
平和のこと?平和。
うん。
平和じゃなきゃいけないっていうことですよね。
先生やっぱり随分それで長いこと闘ってらしたんで。
うん。
それからやっぱり人のことを差別しないとかね。
それからやっぱり自分がいいと思ったことはやっぱり本当にいいと思ってるんだからそのままやるとかね。
うん。
そういうことを…習われたことを仕事の中でやっぱり…。
そうですね。
エンターテインメントをやりながらもそういう気持ちを持って…。
ええいつもね。
向かうという。
すいません。
逆にインタビューして…。
いえいえ。
あなたがお出になったのはあさっての放送だそうですのでぜひ見せていただきたいと。
ああすいません。
あなたを励ましてくださった恩人みたいな方はいらっしゃいます?僕は本当に出会いの運を持ってる人間だと思っていて。
緒形拳さんもそうですし今回の串田和美さんもそうですし。
んっ?串田和美さんって今出てる芝居の演出家の方なんですけど。
串田さん。
はい。
…もそうですし色んな方がいらっしゃいますね。
なるほどね。
本当に…うん。
思うことを曲げない。
曲げないというかやっぱり自分の信じてることは曲げると自分がわからなくなるっていう。
緒形拳さんもねそういう方でしたよね。
そうですね。
それからある方…どなたが仰ってくださったのか才能っていうのは誰にでもあってそれをちゃんと育てていけるかどうかが自分の才能だっていう。
そうですよね。
そうだと思いますよね。
はい。
その言葉を聞いた時には一番僕はなんか救われた気がして。
やっぱり周りを見るとすごい人ばっかりなので…。
そうね。
いつもくじけそうになるんですよねよく。
でも一生懸命自分の中でいいところっていうのを探して信じていくしかないですよね。
周りの人の言葉もありがたく受け止めながら。
そうですよね。
はい。
でそれから…あっそうそう。
えーとピン子さんなんかもね。
あっ泉ピン子さん?そうそう。
泉ピン子さんなんかも僕ドラマ始めて2年目ぐらいだったと思うんですけど。
『ひとの不幸は蜜の味』っていう作品が…他局なんですけどその作品があって大竹しのぶさんとピン子さんが主役なんです。
えーすごい。
そこに新人で入っちゃって恐ろしかったんですが。
フフフフ…。
題名もすごいわね。
そうなんです。
ドキドキしながらもういつも現場に行っていて。
清水美沙さんが相手だったんですけど彼女も若手といえ演技派っていうことでやってた時だった…。
2人で楽屋で話してる時にピン子さんが怖いねという話をしてて。
色々怒られるらしいと。
で「怒られるかな」なんて言ってたら付き人の人が来て「高橋さんピン子師匠がお呼びです」と。
「来た…」って言って。
で衣装部屋にいらしたんですけど着替え中だったんですが僕入っていってカーテンの向こうでね着替えられてて。
「高橋です」って言って入っていったらですね「高橋君あんたいいから頑張りなさいよ」「いいもの持ってるから頑張りなさい」って言ってくださってものすごい嬉しかったんですね。
すごいでも。
よくそんなことを言うねでも人に。
私とてもそんなことを人に言えない。
そういうの励ましになるのねやっぱりね。
いやあ嬉しかったですね。
事あるごとにドキドキしますよね新人の時なんて。
そうですよね。
そうですよ。
私もよく覚えてますよ。
あの頃なんてまた怖い人いっぱいいたんじゃないですか?いっぱいいましたよ。
今はもう随分減りました。
そういう人いなくなったんだけど本当に怖かったですよ毎日が。
でも『特命係長只野仁』。
はい。
飛びますね話が。
話は飛ぶんだけどAbemaTVっていうので放送されるんですってね。
5夜連続?そうなんです年末に。
それからお顔も今そういう特徴のある若々しい感じだけどだんだん年取っていけばねまた色んな役がねできるようになると思うし。
そうですね。
だってさっきあなたがお出になった『徹子の部屋』の1回目と今とすごい違うもんね。
そうですね。
フフフフッ。
やっぱりねやっぱり磨かれていくっていうのかこの世界でねだんだん…。
あっ!年取っていくことっていいですね。
いいと思いますよ絶対にね。
特に俳優なんかはね。
そうですね。
それで若いんだったらその役ずっとやっていってね年取ってもできるわけだから。
どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
今日は色々伺わせていただきました。
高橋克典さんでした。
じゃああさって。
そうそう。
ダンスや歌やお芝居の基礎訓練はあっという間に過ぎていき2017/11/21(火) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋 高橋克典[字]

〜52歳…愛息8歳の一言に人生を学び〜高橋克典さんが今日のゲストです。

詳細情報
◇ゲスト
子育てにも熱心な“イクメンパパ”!テレビに舞台に大活躍の俳優・高橋克典さんがゲスト。
◇番組内容
39歳で結婚し、44歳のとき長男を授かった高橋さん。小学3年生になる息子と過ごす微笑ましい暮らしぶりを明かす。高橋さんのパパ仲間は市村正親さん。息子同士が同じ学校に通う仲で、つい最近は高橋さんの“楽屋のれん”を市村さんがプレゼントしてくれたという。高橋さんはドラマ『トットちゃん!』で、黒柳さんが“恩人”と語る劇作家・飯沢匡氏を熱演。今日は飯沢さんが40年前、番組に出演した時の貴重映像を公開する。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

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