江田五月 活動日誌 2000年12月(01~10) | >>日程表 |
今日は、8時から予算部会等の合同勉強会。エコノミストの水野和夫さんから経済情勢のお話を聞きました。
「景気の判断をするのに、過去の景気動向と比較するのは意味がありません。条件が根本的に変化しているからです。2%を上回る成長なら、十分景気回復していると見るべきです。実質家計支出の伸びは高く、消費行動は構造調整に対応しているのです。だから、今こそ直ちに構造改革に取り組む時期で、最後のチャンスなのです。」中座。
9時から予算委員会。会期末の形式的手続きのみ。
9時半議員総会。10時本会議。内閣の任命に国会の同意が必要と法律で定めた人事があります。「人事案件」と言います。今日は、24人の同意を求められ、民主党は2人を反対しました。宇宙開発委員会の委員につき、五代富文さんは、ロケット打ち上げに失敗した責任者で、不適切。社会保険審査会の委員につき、大澤進さんは、ご本人よりも、審査会に女性が1人もいないので、女性を任命すべき。他の22人は賛成しました。その後、会期末の形式的手続き。
11時半、「島嶼議員連盟」の設立総会。岡山県内にも離島は多く、私も参加しました。久保亘会長が、「地図に離島はあっても、政治に離島があってはならない」と挨拶。岡山県連の草苅幹事長が上京中で、昼食。
1時から、シンクネット・センター21のシンポジウム、「わが国金融システムの将来」。中座。
2時から両院議員総会。代表以下の挨拶の後、ビュッフェ形式で懇親会。臨時国会の反省やら今後の打ち合わせやら、あちこちに話の輪が出来ました。年末です。
議員会館に戻って、原稿書きなど。衆議院法制局から、NPO促進税制案の骨子が出来てきました。来週、委員会で検討します。
6時過ぎ、司法書士法50周年記念パーティー。保岡法相や松尾事務次官と言葉を交わした後、新幹線で帰岡。
10時半、河田一臼先生のお通夜へ。私の高校時代の書道の先生です。上田桑鳩先生の高弟で、書も人物もすごい人でした。地位も名誉も求めず、妥協を許さず、崩れかけた長屋に住み、ご自分のことは一切構わず、芸術活動と後進の指導に没頭されました。悪がきどもも、誰も頭が上がらない先生でした。
私は高3のとき、先生の指導される書道部のキャプテンでした。後に奥様が倒れられ、お一人で身の回りの世話をされました。奥様に先立たれて10余年、最近は寝たきりで視力も弱られましたが、お見舞いに行くと、頭と口は昔どおりお元気で、放してくれませんでした。享年90歳。達磨さんが、仏さまのようなお顔になられました。ご冥福をお祈りします。
今日は昼から、知人の弔問の後、1時からの河田一臼先生の葬儀へ。玉龍会会長の曽我英丘さんと墨象会会長の笹野舟橋先生が、弔辞を述べられました。曽我さんは私より1年先輩の朝日高校書道部キャプテン。笹野先生は、私が小学校の頃から書道を習った先生で、昭和23年、河田、浅野五牛、鍋谷紅葉各先生らと「書の美」研究会を始められた頃からのお話をされました。戦後の解放された雰囲気の中で、芸術の各分野で自由な表現を求める活動が活発に沸き起こった時代です。中座。
2時から、草苅隆幸県議の激励忘年パーティーで挨拶。民主党岡山県連の結成からちょうど2年。しがらみを振り切って、新しい党に結集したつもりですが、それでも皆過去の経過を引きずっており、ばらばらなどと揶揄されます。草苅さんは、幹事長としてまとめ役に徹してこられました。剣道7段の胆力と、地域に根を張った市民感覚で、これからも頑張って下さい。
途中で抜けて、操風会書道展へ。4時にパーティーに戻り、菅直人幹事長を迎え、5時過ぎから記者会見の司会。菅さんとJRで庭瀬へ。乗り合わせた乗客のうち、何人かが気付いて、びっくりしていました。
6時から、石田みえさんの国政報告会。石田さんの地元の皆さんが大勢来てくれ、大盛況でした。菅さんは、最終フライトのため、10分程度でお別れ。私も10分余、臨時国会の顛末を、特に加藤紘一さんと野中院政のことを中心に話しました。中座。
岡山市を西から東に抜けて、7時半、やっと小野玲華さんの日展入選祝賀会へ。小野桂華先生門下の若きリーダーで、今年で4回目の入選です。お二人とも嬉しそうでした。
8時に中座して、中学時代の友人数人と、忘年会。
今日は、9時から岡山事務所で来客応対。11時半から、「江田五月を支える倉敷女性の会」の皆さんが40人ほどで、私の国会報告を聞いて下さり、おいしい昼食をご一緒しました。お店は「竹の子」。昭和54年、秋山ちえ子さんが私の母の応援に来てくれ、古いほうのお店で食事をした店です。私の話は約40分。小渕前首相が倒れた後の密室協議から始まって、今の政治は質がずい分悪くなってしまったこと、加藤紘一さんの決断をつぶし、さらに院政まで敷こうとする野中さんの手法が、ますます政治を市民とは無縁のものにしてしまうこと、夏の参院選で、何としてもこういう利権型、強権型の政治を変えたいこと、そのため石田みえさんを勝たさなければならないことを訴えました。皆熱心です。
3時から2時間強、民主党県連の常任幹事会。1月に迫った倉敷市議選で、生田寛さん、今川鉄夫さん、笹田富夫さんを推薦決定。参院選の選挙区と比例区の取り組み方を協議しました。
5時半、岡山子ども劇場の皆さんと、小人数で懇談。NPOについての意見交換です。皆さん、本当に熱心に取り組まれています。
7時半から、津高地区の皆さんと、鍋をつつきながら国会報告と懇親会。石田みえさん、姫井由美子県議、若井たつ子市議も参加してくれました。最後はカラオケに合わせて踊りまで入り、大いに盛り上がりました。
今日は、7時半を少し遅れて、恒例の駅前街頭演説に参加。石田みえさんも、張り切って最初から参加し、一井さん、草苅さん、羽場さんと、参加者多数です。加藤政局の後を受け、民主党の支持率が上がっているとあって、ボルテージが上がります。
その後、各種団体や支援者のところを挨拶まわり。昼食は、小学校からの同級生、山本美奈子さんのお好み焼き屋、「番町文庫」で、しょうゆ味の焼きうどん。私だけは特注。といっても、紅生姜を入れないだけです。
2時過ぎの新幹線で、上京。6時からエネルギー関係の勉強会の忘年懇親会。8時から、♪お前が二十歳になったら♪の「野風増」で知られる山本寛之さんのコンサート。年末恒例で、21回目です。山本さんは同郷で、親しくしており、毎年招かれます。着いたら早速ステージに上げられ、紹介されました。
今日は、組閣をめぐる動きが錯綜しています。どうやら派閥の枠を越えた、複雑な綱引きのようです。野中さんは院政を敷こうと、総務会長を加藤派から橋本派の村岡さんに代え、自分は幹事長を辞任し、加藤派の反加藤グループで自分の言いなりになる古賀さんを幹事長に据えました。加藤紘一さんは、「猫踊り」をさせられます。亀井さんをはずすのは出来ませんでしたが、何とか押さえ込もうとしています。平沼さん、額賀さん、田中眞紀子さんあたりの処遇がどうなるのか。青木さんとの暗闘がどうなるのか。
権力闘争のすさまじさは、戦国時代のドラマとしては面白いことではありますが、国民とは無縁。市民感覚とは遠く離れた、「猿山の大騒動」に過ぎません。加藤さんも、最初は「国民」からスタートしても、最後は「仲間」への配慮とか言って、自民党政治の力学から抜け出られなかったのです。こんな程度の低い政治は、国民の厳しい批判を避けられません。民主党の責任重大です。
今日は、10時から約2時間、伊藤茂昭弁護士、山本譲司君と打ち合わせ。明日午後、山本君の公判に情状証人として出廷し、証言します。1985年に彼が菅直人さんの秘書になってからのことを、記憶を辿りながらまとめてみました。
第2次森改造内閣の顔ぶれが、2転3転しながら決まっていきます。橋本元首相の名前がでてきたときには、びっくりしました。大変な権力闘争です。4時前、すべての名前が明らかになったので、民主党岡山県連代表として、次のとおりの談話を出しました。
組閣は、当日まで二転三転し、党人事も含め、従来の派閥枠を越えた権力者の激しい駆け引きに終始した。
この内閣は、岡山勢三人を含めて、究極の『派閥抗争内閣』、『倒閣予防内閣』と言える。
森首相は、『神の国』など失言を繰り返し、連立与党は『非拘束名簿方式』導入を強行し、加藤紘一氏に同調するものはいっさい干し上げるなど、政治の質は極端に低下し、民主主義に逆行するものとなった。先の内閣不信任案に対する国民の期待の高さを考えれば、国民は既に森内閣を不信任していると言える。
民主党岡山県連は、構造改革と財政再建、『市民の政治』の実現のため、来夏の参院選及び次期総選挙に全力で取り組む。県民の皆さまに、民主党と共に『森内閣打倒!』の挑戦に参加されるよう、心から訴える。4時から、後房雄名古屋大学教授、水島広子さん、菅直人さんと、全国江田五月会総会のシンポジウムの打ち合わせ。
5時からおよそ2時間、「21世紀日本の選択」と題して討論。私はコーディネーターです。 (1)「加藤政局」とは何だったのか、 (2)来年の日本の政治は、 (3)インターネットと政治、市民化と情報化、 (4)民主党のめざすもの というテーマで進めました。会場からも活発な発言が相次ぎました。
来夏の参院選で逆転を達成し、参議院の議長と議運委員長を多数派である野党で取る。そうすると与党ペースの国会運営は出来なくなり、衆参が完全なねじれになる。直近の民意は、野党支持。そこで夏の臨時国会で衆議院解散を求める。総選挙で逆転、政権交代。不況風で国民の不安をあおり、ばらまきと大赤字を重ねる自公保の先送り政治を終わりにし、構造改革、財政再建、セイフティーネット構築という民主党政治で、21世紀の幕を開けます。筋道が見えてきました。
7時から交流会。師走、国会閉会中、組閣中というのに、350人からの人が集まってくれ、盛況の内に終わりました。有り難うございました。
今日は、9時から「子ども有害情報法案」について事業者の皆さんからのヒアリング。PTの水島広子事務局長からの要請で、2時間強有益なご意見をいただきました。憲法21条の表現の自由に関わるテーマだけに、行き届いた配慮が必要です。特定の情報を有害として、直接その発信を規制することは、しません。特定の情報が、子どもにとって有害であることに着目し、事業者にその発信の際、これに一定の識別符号を着けるなどの措置をして貰います。この措置により、子どもの保護者などに、これを子どもに見せないようにしやすくするのです。仕分けの基準をどう作るか、事業者にこれをどのようにして守ってもらうかなどが、難しい点です。
12時から、アムネスティ議員連盟の主催で、アムネスティ・インターナショナル事務局長のピエール・サネさんの話を聞く会。私が、議連の初代事務局長として、歓迎の挨拶。拷問禁止条約、日本の代用監獄(警察の留置場)などについての話でしたが、12時35分中座。
1時前に弁護士会館に集合して、1時15分の開廷に間に合うように、東京地裁の刑事法廷へ。山本譲司君の詐欺事件の情状証人として証言しました。法廷の雰囲気は良く知っているつもりでしたが、やはり緊張します。一般の人には、なかなか馴染みにくい雰囲気だと、再認識しました。15年ほど前の、菅さんの秘書だった山本君との出会いから始まって、都議時代のこと、国会議員になってからのこと、東ティモールに一緒に行った時のことなど、人となりを分かっていただけるエピソードを話し、8月下旬以後の、逮捕、離党、議員辞職、返済などへの私の関与、秘書制度の変遷と実状、改革の動きと難しさ、最後は寛大な処置のお願いまで、1時間以上かかりました。
テレビで、勤務実態のない政策秘書の給与を詐取するという、今回のようなことは、誰でもやっていると、私が証言したかの報道があったようですが、そんな証言は断じてしていません。調査してみます。
2時40分から、NPO委員会の役員会。NPO促進税制の要綱骨子につき、法制局の皆さんと協議。もうちょっとです。
昨日の交流会にご参加頂いた議員の皆さんに、お礼のご挨拶。最終新幹線で帰岡。
今日は、朝から支持者や支援団体の挨拶まわりです。どこへ行っても、やはり話題は加藤紘一さんのこと。衝撃の強さが分かります。昨日の法廷証言も、皆さんよくニュースを見ておられます。内容まではなかなかで、「江田さんの秘書さんの関係で、大変でしたね。」と言われると、説明に困ります。
1時から50分間、姫井由美子さんが岡山県議会で代表質問の予定。女性が行うのは史上2番目、40数年ぶりと言うので、駆けつけてみると、傍聴席をほぼ満員にする盛況ぶり。ところが、午前中の自民党議員の質問が長引いて、午後は1時半から。私は先約のため始まりまで待てず、中座して1時45分頃戻り、5分ぐらい聞いただけでした。風邪のせいか咳き込んで、ちょっと心配しましたが、その時が最悪で、その後は復調して立派に仕上げたそうで、よかったよかった。昨日は岡山市議会で、若井たつ子さんが代表質問。皆元気に頑張っています。
3時前、岡山大学法学部の谷聖美教授の研究室を訪ね、アメリカ大統領選挙のこと、司法改革のことなど、30分ほどお話を伺いました。民主党政権奪取委員会の若い議員さんたちが、まもなく「おかしなこと、なくしたい(隊)」と銘打って全国キャラバンに出発します。学生諸君と年代も近いので、岡山にやって来た時、何か学生諸君の刺激になるようなことでも出来ればいいのですが。
夜、はたともこさんたちと夕食。今、NHKで森内閣主要閣僚が出演して、「新閣僚に聞く」をやっています。自画自賛ばかりでうんざりですが、それよりも岡山県出身の3閣僚が皆出席しており、この面でも大変です。明日から、民主党岡山県連のHPがオープンします。ぜひアクセスしてください。
今日は、「開戦記念日」。岡山市内を右翼の街宣車が大音声を張り上げて走り回っていました。有権者が民主主義を使いこなして、無責任な権力の暴走を止めなければ、とんでもないことになります。「超国家主義」の構造を解明した丸山真男先生のことを、あらためて懐かしく思い出しました。ゼミの恩師なのです。
午前中、支持者の挨拶まわり。岡山西警察署の食堂で昼食。誰でもOKと聞いたので、行ってみました。500円の焼き魚定食で、満足しました。エレベーターで一緒になった警察官が、丁寧に案内してくれました。
先日来検討していたNPO促進税制が、今日のネクスト・キャビネットで民主党の来年度税制改正方針に入れられ、しかも第1項目目に掲げられるというので、峰崎NC大臣と電話で話し、了解しました。
1時過ぎの新幹線で上京。本部のNPOスタッフと今後の進め方の打ち合わせ。民主党の方針が今日発表されたことを、他党のNPO関係者に電話で連絡。こうしたことも結構大事なのです。
6時からパーティーを3会場。まず大盛況の会社忘年パーティー。次いで岡山県青年会。県出身学生のための4つの学生寮にいる学生中心の会で、なかなか賑やかでした。ひとこと挨拶で、3人の県出身大臣相手に頑張る決意を述べ、「来年は守るも攻めるも岡山県ばかりになります」と、笑わせました。最後は、「情報化社会を考える会」。先日喜寿を迎えられた石原萌記さんの会です。その後、選挙対策の打ち合わせ。
今日は、羽田雄一郎参議院議員と大本七栄さんの結婚披露宴です。「六本木男声合唱団」の出番です。テノールの小林一男さんをコーラスマスターとし、政財界、文化、学術など、各界の著名人で構成された異色の合唱団で、私もメンバーに加えていただいています。10時半に集合。80人ほどのメンバーのうち、60人ほどが集まり、ゲネプロ。その後特訓。何とかなるかなという状態のままで、本番が来てしまいました。こしのじゅんこさんデザインの制服は決まっていますが、合唱の方はどうなるか??。
羽田君は、言うまでもなく民主党特別代表の羽田孜さんのご子息。七栄さんは、岡山県でNo.1のゼネコン、「大本組」のお嬢さんです。私は、ご両家とも深い縁があり、他人事では有りません。800人ほどの参加者の宴でしたが、誰よりも大本栄一社長が出席してくれ、本当に嬉しかったです。結婚式の司式は牧師の土肥隆一衆議院議員、主賓の祝辞は、民主党から鳩山由紀夫代表、自民党から橋本龍太郎大臣でした。
合唱団は乾杯の後、3曲歌いました。「いざ起て戦人よ(グラナハム作曲)」、「シュテンチェン(マルシュネル作曲)」、「兵士の合唱(グノー作曲、オペラ・ファウストより)」で、私は練習をサボってばかりだったので、昨夜一人で特訓しました。三枝成彰さんが評して曰く。「本当に本番に強いんだから」。楽しいひと時でした。
空路帰岡。7時半到着で、地元富山学区五月会の忘年会へ。盛り上がりました。
今日は、10時から「カラオケ大会」にお邪魔し、挨拶と一曲。朝から変かなとは思ったのですが、「みだれ髪」。女性が多く、大盛況でした。
昼は、地元学区の後援会の会長をしてくれていた人が、勤めの関係で東京へ引越しされるので、数人でお別れ会。後をどうするか、大変です。
1時に岡山を発って津山へ。途中、建部町で菅規矩さんの日本画個展。菅さんは、菅直人さんの義理の叔母さんです。高校の先生だった頃から日本画で数々の展覧会に入賞。それらの作品の展示を拝見すると、やはり年代による表現の変化が分かって、面白いです。身近な題材なのも、作品を親しみやすくさせています。ご主人(菅さんの叔父さん)に先立たれ、弱っておられましたが、今日は元気そうで、よかったよかった。
3時から津山市で、美作地区五月会国政報告会。100人近く集まってくれ、私も乗ってかれこれ1時間近く、さらに石田みえさんが20分ほど話し、その上30分ほど質疑応答。皆さん熱心に耳を傾けてくれました。5時から7時までは懇親会。大長老の藤本剛平元県議が姿を見せてくれ、石田さんに一句披露、最後にご挨拶もいただいたこと、故・神崎裕康市議の奥さんや後援会の皆さんも来てくれたことなど、実り多い会でした。
「老兵も 宴の一人に 春隣」 剛平
会場に入る前に、川崎の小島板金へ。80歳近くになるお母様が、忽然と姿を消し、もう1週間も行方不明とのこと。ご近所の方々も集まって、対策を練っておられました。お見舞いを申し上げましたが、何のお手伝いも出来ません。早く無事に見つかって欲しいと思います。あずき色のエプロン、黒色のズボン、140センチ、38キロ。情報があれば、小島保則さんまで教えてあげて下さい。
江田五月 活動日誌 2000年12月(01~10) | >>日程表 |