Book Title | それでも人生にイエスと言う。 | Author | V.E.フランクル | Publisher | 春秋社 | Page | 15 |
たしかに、模範になる人間はわずかです。 自分の存在を通して働きかけることができる人間、またじっさいそうするだろう人間はわずかです。私たちの悲観主義はそれを 知っています。しかしまさしく、模範になる人間が少ないということが、現代の活動主義の本質をなしているのです。 まさしく模範になる人間が少ないために、その少数派はとほうもない責任を担っているのです。
ある古い神話は、世界の成否は、その時代に本当に正しい人間が三十六人いるかどうかにかかっているといいきっています。たった三十六人です。消えてしまいそうなぐらい少ない人数です。それでも、全世界が道徳的になりたつことが保証されるのです。しかしこの神話はさらに伝えています。こうした「義しい」人たちのうちのだれかが、それとして認められ、まわりの人々、いっしょにいる人間たちにいわば「見破られる」と、そのとたんにその人は消えてしまうのです。「引退」させられるのです、その瞬間に死ななければならないのです。これはどういうことでしょうか。こう表現しても間違いではないでしょう。人々は、そういう人たちが模範となって自分を教育しかねたごと気づくと、「いやな気持ちになる」のです。人間は、教師口調で叱られたく々いものなのです。
*旧約聖書と並ぶユダヤ教の聖典である『タルムード」に「日毎に神の臨在に接する三六人の敬虔者」のことが語られている。またその後の伝説によれば、これらの敬虔者は、謙虚な隠れた義人として、百姓や職人などの目立たない生活を営みながら、その営みの背後に隠されている義によって、この世界の存立が支えられているという。
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