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こんばんは。

 投稿者:幸せな人  投稿日:2017年11月23日(木)22時02分22秒
    信濃町の人びと様、動物農場の全指導ありがとうございました。文庫本購入しました。読んでみます。

  今日、家族で折伏に行き、前にあったときお題目あげるんですよと伝えた友人がお題目あげ続けていて、ご本尊いただく決意しました。

  ひとりでも多く本当の信心をして、幸せになれますように。しない人も、ひとりでも多く幸せになれますように。全ての母と子が幸せになれますように。

  池田先生の願いが叶いますように。




 

フェイク 第1596号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年11月23日(木)22時01分47秒
  (発行=17.11.22)

「邪宗寺院の猿真似の茶番劇」
日蓮正宗大石寺の陰湿なお会式を笑う
日精が要法寺から持ち込んだ今の様式

邪宗の日蓮正宗大石寺では二十・二十一日の両日、寒風の中、お会式を行っ
た。お会式の現在の様式は京都の要法寺から持ち込まれたもので、造像読誦論
の謗法坊主・日精が第十七世になった寛永九年(一六三二年)頃に出来た、と大
石寺も認めている。また毎年、この日に大石寺がお会式を行なうようになった
のは昭和三十九年からである。

因みに、日蓮大聖人の御入滅の地の池上本門寺では七百三十年前から続けて
きた伝統行事とのことだが、それに比べると、大石寺のお会式の歴史は極めて
浅い。

大石寺は「他宗では絶対に見ることができない本宗独特の儀式」「日蓮正宗
の歴史の長さを示す古式豊かな行事」と宣伝しているが、これは真っ赤なウソ。
要法寺や身延系寺院など邪宗の猿真似の茶番劇である。

 お会式の初日は御開扉に始まり、夕刻にはニセ法主の早瀬日如が差しかけら
れた真っ赤な大傘の下を〝本仏気取り〟で歩くお練りだ。仏道修行はおろか、
「書」の練習もしないで下手な字で御本尊を模写し、誤字があると指摘された
〝ブクロの寛チャン〟が、参列者の唱題の声が響くなか、得意満面で歩く姿は
滑稽である。

お練りの際、助番僧が片手に提灯を持って日如の所まで走って来て一礼して
いた。これは御本仏の御説法を願う姿を現しているというが、お粗末な三文芝
居だ。

お練りが始まる午後六時以降、気温は一気に四度にまで下がり「冷蔵庫の中
に入っているようだ」という初老の人がいた。この時は冷たい風も吹いていた
ため、体感温度はさらに寒く感じられ、居並ぶ法華講員の中にはクシャミをし
たり、激しく咳き込む人なども目立ち、冷気の中に立っていて風邪を引いたの
だろう。

茶番劇は、まだ続いた。

 入場して菩薩の座(上行座)に座った日如に会行事が恭しく礼。涌出品の右繞
三匝(うにょうさんそう)の法式、寿量品の三誡三請、重誡重請(じゅうかいじ
ゅうしょう)の格式をもって仏に高座へ登ることを願い奉る儀式だという。宗
門では「色花は使わない」と言いながら、会場にピンク色の桜の造花を飾って
いる。

こんな儀式が権威づけになると、日如は勘違いしているようだが、今の時代
に物笑いの種でしかない。

遊び人の暴力坊主が完全に〝本仏気取り〟なのだ。

 ここでは御本仏が寿量品文底久遠名字の南無妙法蓮華経を説く儀式だとして
説法は寿量品に限るのだが、日如は権威づけのため難解な仏法用語を多用し、
法主だけが仏法の本質を極めているかのように装うのだ。

これは大聖人の仏法を訓詁注釈の領域に封じ込めていることになる。そのた
め参加した講員も「意味不明で理解できない」と苦笑していたが、これでは世
界広布はできない。

二日目のお会式の中心的な行事は申し状の奉読で、時の権力者に出された諫
暁の書を坊主が次々に奉読していた。

だが、先の大戦中、時の軍部権力に迎合し諫暁もせず、神札を受け、御書を
削除し、御観念文を改変した宗門。それが少数の法華講の前で七百年前の申し
状を奉読しても意味がない。

まさしく、お会式は形骸化した時代錯誤の死せる仏教を象徴する猿芝居であ
る。


 

すっかり変わったのか?

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール  投稿日:2017年11月23日(木)21時54分20秒
編集済
  先週、とある会館での出来事

そこで、会った婦人部の人たちは会釈をすれば、返してくれる。

あ~同士だな・・同じだ。どこでもと感じた次第・・

ところがですね・・・

男どもはというとチラッとこちらを見るだけ、偉そうに歩いて、こちらの笑顔と会釈を無視・・

SGも随分変わったもの・・此処もかと・・

昔は同士を見れば互いに満面の笑顔で初対面でも

挨拶、互いに労うような感じでしたが・・何なんでしょうね???

日顕宗、いや、他の宗教団体のような感じになりつつあるのかと思った次第です。

おそらく、世界中、今の日本の組織に蔓延しているような冷たい風が吹きつつある?

それとも、私の野暮ったい顔がいけなかったのか・・・

でも、一般世間では笑顔を見せれば笑顔を返してくれますので・・

そんなに、おとろしい顔をしているとも思いマシェン

組織を温かい雰囲気に戻さなくてはいけないな~と思った次第です。

昔、何十年も前ですが・・欧州の山崎議長・・目ざとくフランスの会館で新顔の私の顔を見つけ・・

いっらっしゃい、日本からですね・・

「はい、品川から来ました」・・

「お~~そうですか」と喜んで・・私は感激しました。

これこそ、本来の創価学会の温かさ・・

しかし、欧州も変わった、誰かのお陰で・・

幹部でなければ歓迎されない、いや、歓迎ではなく敬意を示されない・・

御書の「当に仏を敬うがごとく・・」の文は死んでしまったのかの如く・・
 

南無公明党佛~南無公明党佛~南無公明党佛~チ~~ン!

 投稿者:原田奴隷学会  投稿日:2017年11月23日(木)21時33分46秒
  日蓮世界宗創価学会の原田奴隷学会大患部の皆さま方は、やっぱし南無公明党佛~を拝んでいたのですねー
いや~選挙で功徳満載!査問豊作で功徳満載!自民党佛支援で功徳満載の極楽な宗教ですよねー
ーーーーーーーーーーーーーぷっぷっぷっ~ーーーーー
「公明党に任せられないか?」
「公明党を支援しないことで、功徳を受けられないあなたがかわいそうだ。」
(この発言に会場は爆笑)
ーーーーーーーーーーーーー私も大爆笑しましたよー

原田怪鳥さま、死んでいる暇はありませんよー!
今生で一世帯も折伏弘教せずに、愛人三昧、非嫡出子育てている暇は無いのです。死なずに明年11月18日迄に仏法対話、折伏弘教百世帯やって、あなたが査問除名した職員・会員を上回る活動家を育ててから、あの世に逝って下さい。

呑気に会員掻き集めて大会合開いたり、大患部集めて訪問激励なんてパフォーマンスやっている時間は無いのでするぞー!!
 

第六天の魔王の具現化

 投稿者:ジョーカー  投稿日:2017年11月23日(木)21時12分24秒
  虹と創価家族様

>核兵器を容認する事は、「極めて非人道的な安全保障観」を容認する事になるのです。<

その通りです。核兵器は絶対悪であり、第六天の魔王を具現化(物質化)したものです。いかなる理由があろうとも、この世に存在してはいけないもの。ここを出発点にしないと、核廃絶はできません。ならぬものはならぬのです。

魔性を打ち破るには、多少の犠牲はしかたがないという無慈悲の心と対峙すること。そして立正安国とは、法華経の精神を現実世界に具現化することです。核を容認する心が微塵もあれば、その心の隙間に魔性は入り込む。実におそろしいことです。

第六天の魔王と戦い、核を廃絶し、仏国土を建設するのが仏法者の使命です。核の奥にあるサタンの爪をもぎ取ることができるか否か、壮絶な一念の戦いになります。現実という名の妥協、中道という名の容認の姿勢では、魔王の思うツボとなる。魔王に、生命尊厳をかけた極限の戦いを挑めば大難が吹き荒れる。法華経を行じる困難さはここにあります。


 

組織悪

 投稿者:あした 晴れるかな?  投稿日:2017年11月23日(木)20時14分1秒
  ────────────
一般に組織悪という場合、私は二つのケースが考えられると思う。一つは、社会的あるいは人間の良識からいって非常に悪いことでも、組織によって行う場合、それがあたかも正当であるかのような錯覚を成員に与え、良心の呵責を起こさせないで終わるという場合である。この端的な例は、誤った愛国心や、大義名分のもとに行われる非道な行為である。

もう一つは、組織内において、人間の尊厳が踏みにじられることである。つまり、組織決定あるいは組織内の権力をもつ個人の名のもとに、人間の基本的権利や自尊心が勝手に踏みにじられ、しかも、それに対して抗議すらできないというような事態である。これは、いずれも組織の生み出す、恐るべき “悪”といわなければならないのではないだろうか。

人生抄 P180~

────────────俯瞰してみれば
54年問題は前者で
後者は 現在と言えると思います。

池田先生曰く
組織悪といっても、結局は人間自身に起因するのであり、これを乗り越えるには、人間の変革こそ絶対に必要である。と

信行をいま一重強めていきたいと決意します。
 

Kデーカウントダウン

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年11月23日(木)19時45分56秒
  韓半島(コリアンペニンシュラ)での米軍の軍事力行使をコリアのKを取ってKデーと名付け、攻撃が秒読みの現在を、Kデーカウントダウンと云います。南無妙法蓮華経如来の南無公明党佛なのですね。  

北朝鮮核施設、ミサイル基地に対する非核通常兵器による外科手術的な先制攻撃は南無妙法蓮華経如来の佛智なるぞ。

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年11月23日(木)19時33分9秒
  広宣流布の佛意佛勅は、北朝鮮核施設、核ミサイル基地に対する外科手術的な先制攻撃を求めている。トランプ大統領の命令一下、日本海に展開する米海軍空母打撃群から艦載機が精密誘導スタンドオフ兵器で空爆を仕掛ける。南無妙法蓮華経如来の南無公明党佛。  

高木陽介ク~ン、いい加減にしなさぁ~い(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年11月23日(木)19時07分56秒
  公明党高木陽介氏の政治資金報告で堂々の第2位、333万円、確変フィーバーじゃないデスかぁ~(笑)

しかしながら、果たしてこの数字が、高木氏の個人的な飲食に全て使われたのかというと疑問が残りマスねぇ~(笑)

なぜなら、支援者として議員に擦り寄りながら、オコボレを預かる不良幹部の存在が以前から問題になってるんじゃないデスかぁ~(笑)

まあ、支援者の手弁当の支援におんぶにだっこで、議員としての存在をアピールしなくても当選できるという状況に甘えてきたのが原因でしょうけどぉ~、

それを知っているからこそ、各総県の有象無象のボケ幹部どもが、議員の政治活動費を狙って、タカリを繰り返している現状があるんじゃないデスかぁ~(笑)

まあ、最終的には、自業自得と言えなくもないデスが、議員サマ達も少しは考えて頂いて、

議員としての存在価値を訴えていただきマスように、期待しないで待ってまぁ~す(爆)



 

11/19 東京レポート Abel Agner(アーベル・アグナー) さんの話3

 投稿者:JACK  投稿日:2017年11月23日(木)16時54分44秒
  発表者:Abel Agner(アーベル・アグナー)さん

〔無反応の幹部たち〕
幹部たちは私の言うことには無反応だった。
幹部たちは更にこう言ってきた。
「公明党に任せられないか?」
「公明党を支援しないことで、功徳を受けられないあなたがかわいそうだ。」
(この発言に会場は爆笑)
「候補者個人を見て支援できないか?」
幹部たちには、コピーしてきた資料を渡した。
幹部たちからは、「よく勉強している」と褒められ、また対話しようと約束したが、それから2年近く過ぎた今日まで、何ら音沙汰はない。

〔地区婦人部長の発言〕
ある時、地区婦人部長と玄関先で話した。
地区婦人部長は私に言った。
「安保法制は現在の国を守るのに必要」
「外国に戦争をしに行くわけじゃない」

〔閣議決定後の地区部長と地区婦人部長の発言〕
熊本の地震で大変な最中、核保有の閣議決定がなされた。
内閣には公明党の大臣もいるのに歯止めになっていなかった。
地区部長は私に言った。
「疑問はあったけど、先生が推しているから正しい。」地区婦人部長は私に、
「公明党を信じられないのか?」
と聞いてきたので、私はYESと答えたら、隣にいた地区部長は私に、
「それなら分かりあえないな。」
と言った。
地区部長と地区婦人部長は代わる代わる私にこう言ってきた。
「公明党を信じられないのは不信者になる。」
「もっと柔軟に考えては?」
「聖教新聞をしっかり読んだら?ネットよりしっかり読めていい。」
(これらの発言に、会場から失笑が)
私は地区部長と地区婦人部長に言った。
「私はお二人が嫌いな訳ではない。」
「安保法制は、憲法学者のほとんどが違憲と言っている。」
そう話しても二人は分からないままだった。

〔元創価学会職員の座談会とサイレントアピール〕
6月に元創価学会職員の方たちが主催する座談会に初参加した。
生で見た元創価学会職員の方たちは、これぞ学会青年部だった。
座談会に集った同志たちからは、同じ危機感を感じた。
その後も、元創価学会職員の方たちが主催する座談会や、サイレントアピールに参加した。

〔実名告発創価学会を贈呈〕
元創価学会職員の方たちが書いた、『実名告発創価学会』を幹部たちに贈呈して対話した。
私が贈呈したある婦人部は、知り合いの弁護士にその本を見せて読んでもらったそうだ。
その弁護士の方は、
「創価学会のこのような問題は、以前からあった。これは双方にとって不幸なことだ。」
と言った。
私は不幸なことだとは思わない。
学生時代から付き合いのある、頭のいい支部幹部に、『実名告発創価学会』を贈呈したら、幹部は言った。
「事実と真実は違う。」
私は幹部に言った。
「今の創価学会は、1人を大切に創価学会とは違うのでは?」
それに対し幹部は、
「今は自分の組織を守るのが大事。他は手が回らない。」
と言った。
 

11/19 東京レポート Abel Agner(アーベル・アグナー) さんの話2

 投稿者:JACK  投稿日:2017年11月23日(木)16時52分22秒
  発表者:Abel Agner(アーベル・アグナー)さん

〔学会本部の変質〕
テレビで見た、学会の公式見解から、公明党の支持母体である学会がおかしくなっていると分かった。

〔情報を求めて〕
池田先生がこんなことを認めるはずはない。
池田先生は、今どうされているのだろうか。
そう思った私は、とにかく情報が欲しくて、スマホで検索した。
スマホで検索していて、元創価学会職員3名のブログを見つけ、その内容に衝撃を受けた。
学会が何年も前からおかしくなっていたのだと、ブログを読んで知った。
その後も、創価大学有志の会や、某掲示板、Twitterなどで様々な情報を得た。

〔資料を携えて〕
9月の座談会に参加した時、ガルトゥング博士のコメントや、Yahoo!ニュース、池田先生とトインビー博士の対談を紹介した日刊ゲンダイの記事など、コピー資料を携えて参加した。
座談会の中で、学会本部にお届けしたメンバーが感想を言うことになった。
私も学会本部に行った感想を頼まれた。
ここで資料の件を言わなければと思ったが、緊張で声が出ず、学会本部に行って感動したと言っただけで終わった。
座談会の場で、先生の弟子として言わなくては、手を上げなくては、と思い続けたが勇気が出なかった。
座談会が終わっても、その場に座ったまま動けなかった。

〔幹部に口火を切った人〕
座談会が終わった後、その場に残っていた壮年部がいて、幹部にいろいろ質問していた。
質問していた壮年部が私に気付いて、あなたも幹部に聞きたいことがあるのではと話を振ってくれた。
それをきっかけに、私は幹部に持ってきたYahoo!ニュースの記事を読んだ。
私は地区部長に、
「このままでは、公明党を支援できない」
と言った。
地区部長は、
「もう夜の9時を過ぎたから帰ろう。」
と帰宅を促して、私が読み上げた資料については何も答えなかった。
ただ、帰りがけに地区部長はポツリと、
「みんなそう思っているんだよ」
と言った。

〔12月座談会の後に〕
12月座談会で、地区部長と地区婦人部長に、公明党支援はできないと話したら、その後に3人の幹部が来た。
幹部たちは代わる代わる、私に言った。
「学会と公明党は別物だから。」
「国会前で三色旗を振っていたのは共産党らしい。」
「国会前でデモをした後、三色旗が道に落ちていたらしい。学会員ならそんなことする訳ない。」
「天野さんが公明党に届けた署名は手書きではない。」
更に幹部は、学会員ではない、佐藤優氏(元外務省職員)が学会を支持している話をしてきた。
私は幹部たちに説明したが、幹部たちは話を聞かなかった。
 

SaySaySay様に映画のご紹介

 投稿者:JACK  投稿日:2017年11月23日(木)16時47分38秒
  いつもコメントを頂きありがとうございます。

名前の大切さを考えると、こちらで勝手に付ける名前といえどもいい加減にできませんから毎回悩んでいました。
が、同じやるなら楽しくやろうと、自分も楽しもうと思い、あのような名付けになっています。

映画ですが、邦題は『ヒトラーに屈しなかった国王』です。
2017年12月16日(土)に公開されます。

映画はそして今さらですが、この国王はノルウェー王国の国王であり、デンマークではないと判明しました。
この1か月デンマークのことばかり考えていたため、見るもの全部がデンマークに見えたようです。
掲示板を見た友人から、「お前、働きすぎじゃないか?」と言われる始末。お恥ずかしい限りです。
ノルウェー本国で大ヒットした映画ですので、楽しみにしています。

 

2.水に浮かぶ影

 投稿者:The logic in the place  投稿日:2017年11月23日(木)15時44分34秒
  『主婦と暮し』昭和53年4月号掲載分を投稿します。加筆・訂正は池田先生によります。
昭和56年6月までの連載は、後日『つれづれ随想』として潮出版から単行本として出されています。この時代の婦人部は、もうかなりの年配者となっていますが、みなもと太郎の漫画を読んでいた少年少女部・未来部・青年部の皆さんは、記憶にあるところでしょう。
昭和54年問題を明らかにするために、この書物を引用しています。
「見栄には嫉視がつきまとう。そして、嫉視のまなざしは、永遠に見果てぬ夢を追い続けるであろう。虚夢は所詮、虚夢でしかない」こころして、読んでいきましょう。

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水に浮かぶ影

私はどういうわけか、毎年毎年多忙になり、読書も思うにまかせない。書に親しむことは、人生のもっとも楽しい意義ある習性と心がけてきたつもりであるが、なにせ多忙である。話題になった書物は、一度は目を通そうと思っても、なかなかその本を開くことのできない昨今といってよい。

そんな私への配慮でもあろうか、年若い友人などが、懇談のおり、ベストセラーの内容をかいつまんで話してくれたりする。


昨年であったか、こんな話も聞いた。
ある著名な作家が“乱塾時代”と呼ばれる現代の世相を扱った本のなかに、特異な一組の母子が登場する。小学校五年の男の子とその母親。彼女は息子の人生コースには、東大文一→大蔵省→総理しかないと決めている。息子も固くそう信じている。そのコースに乗るには、学校だけではとても間にあわない。母子そろって、塾選びに東奔西走をくりかえす。彼女は、息子が塾の元旦講座を受けるためには、大晦日から、夜を徹して席順取りに並ぶ労を少しも厭わない。
 その物語は、この母子がさまざまな曲折を歩んだあげく、息子は大学三年浪人、母親も、当初の覇気などみる影もなくやつれていく姿で終わっているそうだ。
 この話をしてくれた若い友人は「いわゆる“教育ママ”と呼ばれる人の典型なのっでしょうか」と苦笑していた。


 私は正直いって“教育ママ”というような言い方はあまり好まない。どこか、高みから見下ろすような、睥睨的な響きがあるからだ。現代のような教育危機の時代に、なんとか、わが子を立派に育てていこうというお母さんたちの必死の苦労は、その身になってみなければわからないかもしれない。しかも、社会の荒廃もあって、そこに多くの歪みが生じがちである。その歪みにしても千差万別であって、画一的に“教育ママ”などという言葉でくくることはできないと、私は思っている。
 しかし、この小説にはやや極端な形で描かれているが、こうした傾向が、強まっていることも事実のようだ。多くを語る必要はあるまい。連日のように報道される“子らの世界の悲劇”は、学校教育や家庭教育のかかえている問題の深刻さを、大人たちに垣間見せつけているから。そして、その黒々とした底辺に、学歴社会という“亡霊”がさ迷っていることも、多くの人びとの警告するところである。
 私は亡霊といった。たしかにそれは、現実社会における一つの亡霊なのではあるまいか。譲っていっても、人生真実なるものの、影の部分にすぎないのではなかろうか-。


 仏典に、水面に映った自分の影に翻弄される男の話が出てくる。
 この愚かな男は、あるとき、池の岸辺にたたずんで、水面にさかさまに映る自分の影に仰天する。「助けてくれ!」。ただならぬ叫びを聞きつけて、多くの人が駆けつける。男は「わたしはいま池の中にさかさまに落ちて死のうとしています!」と訴える。人びとは笑って諌めるが、男は聞き入れようとしない。それどころか、水面に浮かび映る多くの人影を指して「あなた方こそよっぽど馬鹿ですよ。わたし一人だけの災難ではなく、あなた方みんなも池の中に落ちているというのに・・・」と言い張ってやまない。村人から見放された彼は、それでもなお、自分が池の中に溺れようとしていると信じ、助けを求めつづけて、最後は悲嘆のあまり絶命してしまった、という。

 笑うに笑えぬ話である。
 この男の顛末は、思い込みということの怖さ以上に、影に脅える人生の愚かさを象徴していると思う。一流大学を出てエリートコースを歩む息子とその母親。そこに繰り広げられる、一見きらびやかな見栄の世界。そうした夢を追うのもいいかもしれない。しかし、それですべてが満足の軌道に乗るかといえば、けっしてそうではないと思う。

 見栄には必ず嫉視がつきまとう。そして、嫉視のまなざしは、永遠に見果てぬ夢を追い続けるであろう。虚夢は所詮、虚夢でしかない。大地を踏ん張る足をもたぬ亡霊であると気づいたとき、わが人生の来し方はなんとも無残なものと化していくにちがいない。「東大文一→大蔵省→総理」にとりつかれた母親は、あの愚かな男を笑うことはできない。


 私の恩師は、生前よく「自らの命に生きるべきだ」と強調してやまなかった。ああ見られている自分、こう見られている自分、一喜一憂し、焦ったり、劣等感で卑屈になったり、束の間の有頂天にひたってみたり。そこには、自分でなければ生き栄えていくことのできない真実の生の実感はない。それでは水面に動くあの男の影と、少しも違わないからである。
 まず、腰をすえ、深く息を吸い、みずからの足元を見つめてみたいものだ。そして、他人の思惑など気にせずに、自分の道を一歩一歩、着実に歩むことこそ、賢明な生き方ではなかろうか。
 自らの命に生きる-この平凡にして非凡な人生の真実に思いをめぐらすとき、私の網膜には、厳しくも暖かい、わが人生にとっての恩師の慈顔が、さわやかに焼きついて離れないのである。

『主婦と暮らし・昭和53年4月号』掲載
 

法境!

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年11月23日(木)15時11分43秒
  SaySaySayさん、

 三世諸仏総勘文教相廃立、小乗大乗分別抄の提示ありがとうございます。“豊胸”ならぬ(笑い)、「豊心」(豊かな心)、あるいは「豊識」(豊かな)識になります。

 「法境」――それを“振動”と捉えたらどうでしょう。万物、森羅万象が発する振動です。「法」の振動です。素粒子も、この宇宙は、すべて振動で成り立っているということならないでしょうか。「振動」は、それを捉えるのは「音」と同じように「聞く」の表現がいいです。

 法華経法師功徳品第十九に「香りを聞く」というのがあることは、以前に書きました。

 「若し善男子、善女人、是の法華経を受持し、若しは読み、若しは誦し、若しは解説し、若しは書写せん。是の人は、当に八百の眼の功徳、千二百の耳の功徳。八百の鼻の功徳、千二百の舌の功徳、八百の身の功徳、千二百の意の功徳を得べし。是の功徳を以って、六根を荘厳して、皆清浄ならしめん」(妙法蓮華経並びに開結541㌻)とあります。

 「声」を聞くというのはわかります。しかし経文は「香りを聞く」と言っているのです。
 「開結」では「聞き」を「かぎ(嗅ぎ)」とルビを打っていますが、

 「是の人は鼻清浄にして、この世界の中に於いて
 若しは香(かんば)しき若しは臭(くさ)き物 種種悉く聞ぎ知らん
 須曼那闍提(しゅまんなしゃだい) 多摩羅栴檀(たまらせんだん)
 沈水及び桂香(けいこう) 種種の華果の香
 及び衆生の香 男子女人の香を知らん」

 とあります。百戦錬磨のSaySaySayさんは解かるでしょう。「臭い」で解かるというのです。しかも、その「臭い」を「聞く」ことによって区別できるというのです。

 “神秘”ではありません。“振動”なのでしょう。醸し出す“振動”です。考えてみれば、人体の神経回路はおおよそが“電気信号”です。臭いも電気信号の“パルス”になって、脳に伝わります。色の違いも、ヘルツ(Hz)の振動数の違いと言えます。
 現代人にとっては、経験識と言った方が解りやすいでしょうか。個体が発する“振動”を、主に眼で感じているのでしょうね。

 「意根」は、耳根、眼根、鼻根、舌根、身根の五根の総合管制塔のような場です。汚濁を凌駕した五根の「清浄」は「意根」を「清浄」にすると理解できます。「六根清浄」は、だから、「仏」の境涯です。


 

錯覚は今も昔も

 投稿者:新感性  投稿日:2017年11月23日(木)14時06分13秒
編集済
  以下「首都圏代表協議会でのスピーチ」よりの一部引用です。


「ただの島の長ではないか!」
――日本の権力者など、ただの「島の長(おさ)」ではないか。その長に仕える者たちに「呼んでいただいた」などとは、なにごとか。「面目をほどこした」とは、いったい、どういうつもりか。おまえは、師匠の日蓮を卑(いや)しんで、このようなことを書いてきたのか――と(同1268㌻、趣意)。

「京なめり」への厳しき戒め
ねずみがこうもりになったように、鳥でもなくねずみでもなく、田舎法師(ほっし)でもなく京法師にも似ていず、(退転した)少輔房(しょうぼう)のようになってしまったと思われる。
http://seesaawiki.jp/w/hakdan/d/%BC%F3%C5%D4%B7%F7%C2%E5%C9%BD%B6%A8%B5%C4%B2%F1%A4%C7%A4%CE%A5%B9%A5%D4%A1%BC%A5%C1


当掲示板よりの引用です。

日米各部協議会「1998年10月24日」
「虚飾の権力者」より「正義の庶民」が尊い
輝きの明日へ 池田名誉会長のスピーチから  34   より一部紹介

太田デージン、偉くなった公明議員のセーンセーどもに捧ぐ ー 正しい師匠 池田先生のご指導に学ぶ  投稿者:平和の弾丸  投稿日:2015年 9月13日(日)11時52分25秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/31330
 

真偽未確定

 投稿者:某Twitterより  投稿日:2017年11月23日(木)13時18分28秒
  真偽未確定ながら以下の情報が紹介されていた。

ちょっとホントかどうかわかりませんが、

一応、信頼できそうな人のつぶやき情報です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「原田学会会長 癌 再発 長くて、あと数ヶ月」
 

度を越してるのは明らかに4人組

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年11月23日(木)12時40分57秒
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/76747

4人組の悪事は限度というものを知らないね
そして今も限度知らず

これだけ酷すぎてはかける言葉さえ見つからずイヤミを言いたくなる心境もわからなくもないかな

池田先生でさえも人生の全てを使っても変わらなかったぐらいの人へ、いったいどのような言葉をかければいいのだろうか

ペロさん、4人組がどうしたら仏界を顕し会員はもちろん世界を愛するようになるか一緒に考えていきませんか?(^^)

簡単なことじゃないのは明らかなんだから、いろんな人がいろんなふうに考え智慧の集大成が必要なのでしょうから

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

(無題)

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年11月23日(木)12時38分50秒
  ペロ様に同意。

ドミサイル氏の投稿の、3分の二程度はこんな調子だ。

批判されるとまともな投稿をして来て、今に至っているが、題目を冒涜している。

まともな投稿の方は問題ない。
 

脇が甘いと言うか、確信犯と言うか…

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年11月23日(木)12時18分36秒
  自民、公明、希望、の国会議員共が、政治資金を使って飲食三昧しているそうだ。

公明党の高木陽介氏は、53件333万円で堂々の第2位!(失笑)

神楽坂や赤坂の割烹、広尾の高級フランス料理店などがお気に入りのようだ。

333万円と言えば、普通の国民の年収並みだが、それだけの金を飲食三昧に使っている様な連中に、国民の多くは反感を持つ事はあっても共感する事は無いだろう。

立憲民主党のエダノン氏などは、おにぎりやコンビニ弁当ばっかり食べているイメージがあって、そういう所も大きくプラスに作用しているのだ。

ちなみに名目は「渉外費」。
同じく公明党の太田昭宏氏も、150万円以上使っているそうだ。こちらは高級おフランス料理ではなく、青山の高級日本料理店がお気に入りらしい。(失笑)国民の血税を使って美食三昧。さぞ美味かろう。

屎尿運搬船の船底を、自ら調査していた頃の公明議員はどこへ行った。
随分軟弱になったものだ。

いいものを食うなとは言わないが、脇が甘いと言うのはこういうことを言うのだろう。
食うなら自分の金で食え。

高木氏などは昔新聞のアンケート調査で、太平洋戦争は正しい戦争だった、などと答えていた記憶がある。
同じく公明党の赤松氏も、その様に答えていた。
あくまでも記憶ベースの話ではあるが、多分間違いない。イラク戦争の頃だ。

新聞のアンケートで公表するぐらいだから確信犯という事だが、そうであるならもうその頃から公明党は、創価学会が支援するべき政党ではなくなっていたという事だ。

太平洋戦争が正しい戦争だったと、今でも考えているのかどうか聞いてみたいものだ。


昏睡レイプ事件を追及する国会議員「超党派の会」が結成されたが、自民公明からの参加者はゼロ。この両党には女性議員はいないのだろう。
スカートは履いていても、中身は男。組織の上下関係、忖度、しがらみにがんじがらめで、動く事が出来ない様だ。行動パターンが男と同じでは、居る意味がない。

このもみ消し事件の当事者中村格氏は、将来警察庁長官に大出世すると言われている人物だ。
安倍首相のアイヒマンと言われる、北村滋内閣情報官の関与もあるらしい。

このまま放っておけば、警察機構が近い将来ゲシュタポ化する危険性も出て来るが、公明党はそれでも何もしないのか?

ナチスはユダヤ人を迫害し、共産党を迫害し、その後宗教団体も迫害した。

日本版警察国家が完成した後、創価学会もそうなる可能性があるからこそ、悪の芽は今摘んでおかねばならない。


 

南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年11月23日(木)11時40分46秒
  北朝鮮撲滅法門は米軍の水爆投下なり。北朝鮮撲滅法門、2500万国民の即身成仏なるぞ。南無公明党佛。南無公明党佛。南無公明党佛。創価学会を日本の国教にして、総本部を国立戒壇とするのだぞよ!  

戦争は終わった

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年11月23日(木)11時10分58秒
  『サンタが街にやってくる』のが最近、早すぎる! ハロウィンが終わった11月初めに街を歩くと、もうクリスマス模様。酷い店ではもう鏡餅を売っている。
この時期によく聞く曲の一つにジョン・レノンの『ハッピー・クリスマス(戦争は終わった)』があります。(また「12・8」が近づいて来た。)

“戦争は終わった 貴方がそれを欲するなら 《直ちに》戦争は終わるんだ”
https://www.youtube.com/watch?v=mlgLI7BYIR8
これは一念三千・因果ぐ時、また量子論に通じます。

螺髪さん、いつも興味深いお話をありがとうございます。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/76724
「塵」の説明について、恐らくこの御書の「一微塵」が分かり易くしてくれているのではないかと思います。
なお、私は2.0さんの『日蓮仏法3.0シリーズ』にはこの辺も期待しております。(お元気でしょうか?)

三世諸仏総勘文教相廃立 561ページ「無分別の法とは一乗の妙法なり善悪を簡ぶこと無く草木・樹林・山河・大地にも“《一微塵》の中にも互に各十法界の法を具足す我が心の妙法蓮華経の一乗は十方の浄土に周徧して闕くること無し”十方の浄土の依報・正報の功徳荘厳は我が心の中に有つて片時も離るること無き三身即一の本覚の如来にて是の外には法無し此の一法計り十方の浄土に有りて余法有ること無し故に無分別法と云う是なり」

小乗大乗分別抄 522ページ「一切衆生のみならず十界の依正の二法・非情の草木・《一微塵》にいたるまで皆十界を具足せり」

現代科学的に言えば、「素粒子のレベルで十界は具足している」ということで、全宇宙を細分化した表現なのだと思います。(私は理証優先で勉強して来たので、文証には弱い。それを文証で出せと言われると直ぐには答えられない。)

そして《法境》です。私はこの《法境》を上手く説明できなくて困っています。ネットで調べてもあまりこの《法境》の分かり易い説明は出て来ません。豊胸ならたくさん出て来るのですが。
『〔新版〕生命哲学入門―宿命は変えられる―』(川田洋一)を重宝していて、P54に「脳科学から見た脳の機能」という項目があり、九識を論じています。先んじてP17にはこうあります。
「《六根》が、それぞれの対象である《六境》に縁することによって、《六識》を生じ、具体的に物事を認知するのです(この三者が接触し、和合することによって、感覚や知覚が生じることを触という)」
そして、この三者の接触について、図示しています(が、便宜上、加工して下に)。

《六識》―《六根》―《六境》
 眼識 ― 眼根 ― 色境
 耳識 ― 耳根 ― 声境
 鼻識 ― 鼻根 ― 香境
 舌識 ― 舌根 ― 味境
 身識 ― 身根 ― 触境
 意識 ― 意根 ―《法境》

このうち、《六識》《六根》は人体に備わっているもので、《六境》は外界のもので、光、音、匂い、味、触りといったものですね。上の図では左側ほど内側で右ほど外側です。
AIブームですが、《六根》はいわば、ハードウェア・インターフェースで、《六識》はソフトウェアと言えるでしょう。(またそのハードウェアを色法、ソフトウェアを心法、そしてこの両者には《色心不二》の法則が働き、互いに影響、関連し合う。)
(私は内外の折伏=仏法対話にはよくこの手の話をします。これで負けたことがない。創価学会では文証・理証は完璧なのです。だから内外の折伏には文証・理証を学べば怖くなくなります。あとは現証・実証なんですね。それは誰だって欲しい。単純にその功徳を求めればいい。そうなると折伏は楽しい。池田先生はそういう風に指導して下さっていたと思います。池田先生はこう言われていました。「勝利するとは、文証・理証・現証で勝利すること」と。)

このインターフェース《六根》のうち、《五根》は分かり易いのです。人体(五根)と外界(五境)が直接に接しているからです。
しかし、《意根》と《法境》の関係は違います。《意根》は医科学的には「脳」であるとされていますが、この脳は閉じた体内に在り、外界とは直接には接していません。
では、この《意根》=脳は、どうやって、外界の《法境》とつながっているのでしょうか? あるいはこれは「脳波」でしょうか? 脳波は微弱ではありながら、これを読み取って、その「意(イ:こころ)」を理解する技術が近年、進んでいます。

他の《五根》は外界から《五境》を「受信」する機能として考えらますが、この《法境》を「脳波」とする考え方は「発信」としてのとらえ方になります。あるいはこの《法境》も「受信」としてとらえることも出来るのでしょうか。
電波を《法境》として脳をコントロールして、人間をコントロールするとか……SFでありそうなことですが、いずれにしろ、仏法という視点を持てば、AIも考え方、作り方、進化が変わって来るでしょう。

電波で脳をコントロールして、ハワイにいたマーク・チャップマンをニューヨークに送り込んでジョン・レノンを暗殺した「12・8」……ケネディ(昨日は「11・22」)だけじゃなく、CIAにはこんな陰謀説もあります。本来ならとっくに釈放されているはずのチャップマンはずっと刑務所にいる。ここが一番安全だから。ローリング・ストーンズのキース・リチャーズのように「出て来たら殺してやる」という人がたくさんいるからだそうです。。
「戦争は終わった」。ジョンがこう謳うから。これがCIA陰謀の動機とか。しかし、dekahappyさんが教えて下さった、この言葉にならい、それを新たな「因」としたいものです。
「君の負けだ。僕は君たちを憎まないことにした」

『凡夫即身成仏論』オンデマンド (ペーパーバック) ? 2017/5/17 松戸行雄 (著)
「人間主義の日蓮本仏論」への進化・深化   絶賛発売中!!!
http://6027.teacup.com/situation/bbs/72980
 

度を越えている

 投稿者:ペロ  投稿日:2017年11月23日(木)11時05分5秒
  けっこう長くロムしてます。

ドミサイルさん

公明を揶揄するにしても、限度を越えています。

執行部がおかしいのは納得しています。

先生側に立ち、それを糾弾する宿坊は応援したいのですが、

ドミサイルさんの投稿は一線をこえています。

核兵器、水爆、ミサイル、撲滅などと、悪ふざけの過ぎた投稿は控えてください。

これでは執行部糾弾側の味方をも敵に回すことになります。
 

北朝鮮撲滅法門、北朝鮮の弾道水爆ミサイルを撃て!

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年11月23日(木)10時36分19秒
  南無公明党佛。南無公明党佛。南無公明党佛。北朝鮮の弾道水爆ミサイルを撃て!北朝鮮へ先制核攻撃だ。  

わが友に贈る 2017年11月23日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2017年11月23日(木)10時19分40秒
  人生の旅路は千差万別。
他人と比べて焦るより
前に一歩踏み出すこと。
自分らしい歩調で
使命の道を歩み抜こう!
 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、韓国釜山広域市議会から『特別顕彰牌』が贈られたとのコト、誠におめでとうございま~す(笑

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年11月23日(木)09時07分24秒
  おはようございます。原田怪鳥様、韓国釜山広域市議会から『特別顕彰牌』が贈られ、「池田先生ご夫妻の平和哲学に基づき共生の道を歩みたい」

との市議会議長のメッセージ、誠におめでとうございま~す(笑)

査問・処分・除名と「削除」の道を歩まれている原田怪鳥様、どうか、市議会議長の爪の垢でも煎じて飲んで下さいねぇ~(笑)


さて、相も変わらず笑いを提供してくれる爆笑創作座談会デスが、今回も期待を裏切るコトなく、笑いを提供していただき、誠に、ご苦労様で~す(笑)

11月30日が「儀典部の日」とのコトで、奮闘に心から感謝、だそうデスが、

「儀式・行事を執行」するハズの教師・准教師サマには全く触れてないのは何故デスかぁ~(笑)

ナニやら総務・総務補の方々が任命されたみたいデスが、この新任の「教師・准教師」の方々は「儀式・行事を執行」されないんデスかぁ~(笑)


また、「創価の宗教改革は時代の要請」とのコトデスが、2014年以降、毎年のごとく改悪(改革?)されてきた原田怪鳥様(笑)

時代の要請ではなく、怪鳥様の要請で改悪(改革?)されてきたワケですが、せっかく「教師・准教師」の新役職をつくられたワケデスから、

少しは、説明責任を果たしていただけマスようにお願いしたいと思ってまぁ~す(爆)


さて、12月も目前となり、地区幹部の方々におかれましては財務の振り込み用紙を配るのに日々忙殺されているのかもしれませんが、

確かに以前は「先生に使って頂くんだ!」との思いで財務に奮闘されたコトと思いまぁ~す(笑)

しかしながら、その実態は、全く逆で、原田怪鳥様はじめ執行部の皆様方のためであるコトが判明しているワケでぇ~す(笑)

ある意味、これこそが、巧妙化する「詐欺」ではないでしょうかぁ~(超爆)

まさに「厳重注意」しなければなりませんねぇ~(笑)


原田怪鳥様、もし「違う!」と仰るならば、怪鳥様の給料や執行部の皆様方の給料、また、怪鳥様の財務の金額を公開していただけませんかぁ~(笑)

まかり間違っても、「秋谷は5口」、じつは「原田も5口」だったなんてコトが無いように期待しないで待ってまぁ~す(大爆)





 

頭と体

 投稿者:虹の戦士  投稿日:2017年11月23日(木)08時12分15秒
編集済
  一丈の堀を越えざる者二丈三丈の堀を越えてんややすき雨をだに・ふらし給はず況やかたき往生成仏をや
頼基陳状 (1158頁)建治3年(1277年)6月

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人間のことを考えてみました。
頭だけでも、体だけでも、切り離されて生きていては
人間とはいえないと思います。頭だけでは行動できない。
体だけでは何をしていいのかわからない。
健全な頭と体があってはじめて人間として生きている
のではないでしょうか。

私自身を考えてみても、頭のなかでは日蓮大聖人様の
仏法や人間革命を信じてるつもりでも、行動がなければ
それは自分のまわりを変えていけない。つまり、人間革命
できていないと思っています。そして、変えることができる
のは自分自身しかないのだと思うと、まず自分の生活を
改善することだと思いました。そこで、毎日の生活の主な
内容を生活改善表にして、毎日チェックしています。
朝起きる、勤行唱題する、ブログを書く、小説を書く、
プログラミンの勉強をする、ウォーキング、腕立て伏せ
などです。自分で決めた自分への戒律でしょうか。

ふと、新宿文化祭のときにできたことが
なんでいまできないのかと反省しています。

会社や組織も一人の人間と同じではないでしょうか。
頭と体が切り離されては、本来の目的は実現できない
と思います。私は日蓮正宗の教義が頭、そして創価学会
が体、戸田先生の奇跡のような75万世帯の折伏は
健全な日蓮正宗と健全な創価学会がひとつになって
実現できたことだと思います。頭と体、どちらが偉い
わけでもありません。両方があって、存在価値があるの
です。

現在の姿はどうでしょうか。宗門も創価学会なくしては
日蓮大聖人様、三代の先生の願いである世界広宣流布
はできないでしょう。一方、頭である日蓮正宗の教義なく
しては、頭を探して、右へ左へさまよっている、頭を切り離された
ゾンビのような姿に私は思えてしまいます。結局、
探しているのは日蓮正宗の教義なのに。

日蓮正宗 改革同盟については、ホームページが更新
されてないようなので、どうなってしまったのかなと
思っていましたが、宮川日護様の記事を読んで
応援したいと思いました。そして、同じように創価学会 改革同盟が誕生し、
お互いに協力して新しい日蓮正宗創価学会が近い将来誕生し、一切衆生の幸福と世界の平和を
実現していくことを信じ、祈り、行動していきたいと
思います。健全な頭と体が一体とならなければ
世界広宣流布などできません。

私はまず自分を変える人間革命からはじめます。
まずは勤行唱題をしっかりして、心を磨いて座談会に
参加し、必ず発言することだと思ってます。
そして生活の中で、日蓮大聖人様の仏法、
3代の先生、人間革命を対話していきます。
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タイの人には南無妙法蓮華経と1回唱えると
お寺に行って、1バーツ供養する以上のよい
行いをしたような功徳があるのですと言って
みようかなと思ってます。1000回唱えると
1000バーツ。わかりやすいかもしれませんね。

日本の創価学会の財務も唱題の数にしてもら
えるといいですね。

そうすると職員の人や幹部、会長さんが
困るかな。でも、ボランティアでやれば
いいだけのことではないですか?
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Re: 原点とは?

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2017年11月23日(木)06時51分49秒
  >SG、公明党、我ら一人一人のアイデンティティー、存在理由に関わる、決して揺るがせに出来ない、「根本命題」だと思うのです。
この「根本命題」を避け、いや、逃げて、民の支持を維持できる道理はありません。<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/76717


鉄砲玉様、投稿をお読み頂きまして誠にありがとうございました。
おっしゃる通りです。
信念無き行動は、友人からの信用を失います。

『〝核兵器による安全保障〟とは、広島と長崎での惨劇が他国で繰り返されてもやむを得ないとの前提に立った、極めて非人道的な安全保障観に他ならないという本質と向かう必要がある。』(聖教新聞2017・6/14、2面)

池田先生は広島と長崎の被爆者をお忘れになりません。
我が身をかえりみず「核兵器廃絶」を訴える被爆者の味方です。
そして池田先生ご自身が、広島と長崎の代弁者なのです。

聖教新聞では、このように続きます。

『残念ながら、第一会期の討議には、核保有国をはじめ、日本を含む大半の核依存国が参加しなかった。(中略)広島と長崎の強い願い―――。そこには〝どの国も核攻撃の対象にしてはならない。〟との思いとともに、〝どの国も核攻撃に踏み切らせてはならない〟との思いが脈打っている。』(聖教新聞2017・6/14、2面)

虹は被爆者ではありません。
被爆者の抱える、痛みの実感も御座いません。

しかし、池田先生と共に広島と長崎の被爆者に寄り添い続けようと思います。
信仰者として信念を貫く姿に、共感して下さる友と共に。


 

21世紀への選択 現代のアイデンティティーの危機の特徴 P356 を投稿します。

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年11月23日(木)05時02分30秒
  第十章世界市民の要件「共同体」と「世界」の往還のなかで

21世紀への選択 現代のアイデンティティーの危機の特徴 P356 を投稿します。

ポイント
*、テヘラニアン
 私たちだれもが、「自分は何者であるのか」

「何に忠誠を尽くすべきか」という問題に関して偏狭であり続けるか、それとも視野を

広げ世界の全体を包含していく道を選ぶのか・・・真剣に考えねばならない時代を

迎えているといえましょう。

*、池田
 そこに、現代の「アイデンティティーの危機」の特徴がありますね。

*、テヘラニアン
 時間と空間を超えて、私たちは精神の世界にも住んでいます。

私たちは縛られた自分自身を超えて宇宙生命に溶け込めたら幸せでしょう。

すべての偉大な人々や偉大な芸術は、それと同じ特質を分かち合います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日本人に「愛国心はありますか」とアメリカの人が聞きました。
「えっ、考えたこともありません」と言う答えが多かったそうです。

戦前の日本人は、先の戦争で、愛国心を小さいときから教えられ、徴兵され・・・
突撃する時は、・・・「天皇陛下バンザイ」と行って死ぬんだと教育されました。

それが、トラウマとなって日本人は愛国心を一切考えない国民となりました。
世界市民となるためには、愛国心を捨てなければなりません。
「人間愛」「地球愛」で子育てしなければなりません。

私の座右の銘は「蔵の財より身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり」です。

鈴之助
ちなみに・・アメリカ人はケント・ギルバート氏です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まなこ様の法華経の智慧 第五巻 より いただきました。 感謝!!

名誉会長: 現代は、「人に尽くす」ことが、何か「損」のような風潮がある。
「慈愛」などというと、冷笑されるような雰囲気もあるが、そういう傲慢が、どれほど
社会を不幸にしているか、はかり知れないね。

ガンジーに、ある時、アメリカ人宣教師が聞いたという。「あなたの宗教とは何ですか、
インドの未来の宗教はどのような形をとるのでしょうか」。

難しい宗教論議をふっかけられたガンジーは、何と答えたか。
ちょうど、その部屋に二人の病人が伏せっていた。

ガンジーは二人を指さして、あっさりと、こう答えた。「奉仕すること、仕えることが
わたしの宗教です。

未来のことなど慮っていません」。そして、ガンジーにとって、政治もまた「奉仕」で
あり、「最も貧しい人」たちに仕えることだったというのです。
<森本達雄著『ガンデイーとタゴール』レグルス文庫(第三文明社刊)から>

行動です。「菩薩行」にしか宗教はない。仏法はない。本来の政治も、教育もない。

(慮って・・・おもんぱかって)
・・・・・・・12行 中略・・・・・

名誉会長: 無宗教国家・日本の悲劇です。だからこそ、私たちの使命は大きい。

「蔵の財より身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり」(御書p1173)です。
「蔵の財」 ?- 経済のことばかりいじくっても、経済そのものだって、良くはならない。
かりに良くなっても、社会は幸福にならない。
人間です。心です。心がすべてを動かす。

如来は「大施主」とあったが、妙法の弘教とは最高の「心の財」を施すことです。

福運と智慧にあふれた「心の財」があれば、そこから、本当に豊かな「身の財」「蔵の財」
も備わってくるのです。
 

21世紀への選択 現代のアイデンティティーの危機の特徴 P356

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年11月23日(木)04時57分22秒
  21世紀への選択  現代のアイデンティティーの危機の特徴 P356

テヘラニアン
 その意味で、私たちだれもが、「自分は何者であるのか」

「何に忠誠を尽くすべきか」という問題に関して偏狭であり続けるか、それとも視野を

広げ世界の全体を包含していく道を選ぶのか・・・真剣に考えねばならない時代を

迎えているといえましょう。

ただし、世界のボーダレス化がこれだけ進み、相互依存関係が深まっているだけに、

その選択が個々人のまったく自由にはならないことに留意する必要があります。

つまり過去の時代、人々が生まれ育ち、生活を営み、そして死ぬ場所が、同じ小さな村

や町であった伝統的な社会では、それほど問題は深刻でなかったのです。

ところが、現代の世界では物理的、社会的、心理的な可動性が加速度的に増大して

います。

大多数の人々はもはや生まれ育った場所には住んでいません。

生まれ育った場所に住んでいる人々でさえ、いまは旅行や仕事、あるいはメディアを

通して他の社会と文化に触れ合う時代なのです。

池田
 そこに、現代の「アイデンティティーの危機」の特徴がありますね。

テヘラニアン
 ええ。こういう時代における自己のアイデンティティーは、他の文化と

社会に出合うなかで決め直さなければならないものだと、私は考えます。

もっと平和な世界に住みたいと考えるならば、他の人々が属する共同体も、その

アイデンティティーも、忠誠を尽くすべき対象も多様であることを認めることが必要で
す。

対話を通し、互いの存在を深く理解し合うなかで、自己のアイデンティティーを排他的

なものではなく、包括的で開放的なものへと広げていくべきではないでしょうか。

時間と空間を超えて、私たちは精神の世界にも住んでいます。

私たちは縛られた自分自身を超えて宇宙生命に溶け込めたら幸せでしょう。

すべての偉大な人々や偉大な芸術は、それと同じ特質を分かち合います。
 

弓は女、丹治は金。池田先生曰く、秋谷は金と女、原田は酒と女だって。

 投稿者:思い出の名シーン  投稿日:2017年11月23日(木)02時59分19秒
  twitterより。弓谷は女性問題、丹治は金銭問題、でも除名になってないの?  投稿者:ツイート人
投稿日:2017年 7月24日(月)13時58分29秒   通報
横レス失礼。弓谷を除名どころか未だに職員させているのは執行部。三文や潮に10年間、毎年7、8百万円もタカった丹治も同様。名誉会長は本幹で除名にしろ!とおっしゃたけど、されていない。もっと遠くへ飛ばせないのかともおっしゃたけど、戸田国際止まり。実質的な人事権を持つのは会長と弁護士。


職員に聞いてみるといい。
「弓谷や丹治は先生が除名にしろと言ったけど今はまだ職員ですか?」
「先生がもっと遠くに飛ばせないのか?と言われたそうですがまだ東京ですか?」
「弓谷は女性問題、丹治は金銭問題、でも除名になってないの?」
 

虹と創価家族様

 投稿者:dekahappy  投稿日:2017年11月23日(木)02時05分30秒
  虹と創価家族様

真意を汲んでいただきありがとうございます。

桃太郎の最近の話しは鬼は降参し許しこうかたちにしています。

しかし、いくさであるならば死ということもあるでしょう。

桃太郎の正義。一面の正義はあるところで悪をなしてしまっていないか。
また、降参という期待のストーリー。

思い込みという幻想を如何に乗り越えていくか。

大きなこころを、本当の意味で現実をみる強さを、先生は私達一人ひとりにお教え下さっているのだと思います。

反論ある方は、今一度考えてみて下さい。
以前投稿させて頂きました。

大聖人が竜の口の法難とき、武力を使うことができた可能性があるのに、使わなかったことを。
 

dekahappy様

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2017年11月23日(木)00時37分13秒
編集済
  >2015年11月のパリ同時多発テロから、もう2年になります。
「君の負けだ。僕は君たちを憎まないことにした」
奥さんをテロで失ったレリスさんが事件後、ネットに投稿したこのメッセージに圧倒されました。<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/76732

心が動くご投稿です。
ご紹介頂きまして誠にありがとうございました。

最近よく思う事があります。
『憎悪の連鎖』をたちきらない限りは、天魔に勝つ事はない。
慈悲なき戦いでは何も変わらないのです。

理由は明確です。
憎悪の一念にのみこまれた人の行動は『報復』であり、集団になれば『権力闘争』にしかならないからです。
それは広宣流布ではありません。

なによりも、憎悪の一念では折伏できませんね。
心のアンテナが鈍感になり、人の心の機微がキャッチできなくなります。

『鬼の子と鬼のおばさんのお話し』を読んで何も感じない人は、心の点検が必要です。

>桃太郎は許せない。だけど、殺すこころは殺したい。と思いました。
このあと、鬼丸はどうしたのでしょうか?<

慈愛が枯れた心では、この答えが見つからないでしょうね。


 

高木陽介の飲食代333万円余

 投稿者:政局  投稿日:2017年11月23日(木)00時04分40秒
  公明党の高木陽介元経済産業副大臣(衆院比例)。
神楽坂や赤坂のかっぽう、広尾の高級フランス料理店など「渉外費」名目で53件、333万円余を支出しました。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-11-21/2017112114_02_1.html?_tptb=032
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2017年11月22日(水)23時49分3秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に
世界中の人々が、美味しくご飯を食べれます様に
地震で人々の生命が、奪われません様に
世界中で拉致された人々が、早く解放されます様に
おやすみなさい
 

同盟題目、23時に開始です

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年11月22日(水)22時57分35秒
  池田先生と奥様のご健康を祈ります。
よろしくお願い致します。
 

鬼の子と鬼のおばさんのお話し

 投稿者:dekahappy  投稿日:2017年11月22日(水)22時05分50秒
  2015年11月のパリ同時多発テロから、もう2年になります。

「君の負けだ。僕は君たちを憎まないことにした」

奥さんをテロで失ったレリスさんが事件後、ネットに投稿したこのメッセージに圧倒されました。

『憎悪の連鎖』たちきること。

他者に押し付けることはできませんが、
時間をかけて未来からの使者のひとりである小学生の長男と話し合っております。

そんな想いの中でのおとぎ話です。



『鬼の子と鬼のおばさんの話し』

むかしむかしの人も鬼も一緒に住んでいた時のおはなしです。


鬼丸という鬼のおとこの子が泣いていました。

なぜ泣いているのでしょうか?


鬼のおばさんが鬼丸の泣き声をきいて、遠い遠いところから、ビューっと雲にのってものすごいスピードでやって来ました。
(このおばさん。こどもとお母さんの泣き声はどんなに遠くても聞こえてしまいます)

鬼のおばさんは、鬼丸がどんなにかかなしみ、どんなにかなやみ、苦しんでいるかと思うとこころがいたくなりました。

そして、このあと、鬼丸がやけをおこして、まちがいをおこさないようにと願いながら、鬼丸のところにつきました。


おばさん!ぼくのお父ちゃん。桃太郎ってヤツに殺されたんだ!と鬼丸は泣きながら話しました。


そうかい。それで泣いているのかい。こっちにおいでと、鬼のおばさんは鬼丸をぎゅっと抱きしめました。

しばらく、鬼丸の頭をなで、抱きしめながら、鬼のおばさんも一緒に泣いていましたが、泣き止み、鬼丸に話しかけました。

お父ちゃんのことかなしいね。
お前は、お母さんもいないし、小さな妹もいるから、かなしいし、不安だね。

鬼丸はおばさんにしばらく抱きしめられ落ち着いてきました。

これからどうするんだい?と鬼のおばさんは話しかけました。

鬼丸は、こころの中がいろんな感情でいっぱいになりうまく話せません。

鬼丸は、鬼のおばさんに、抱きしめられ、話しかけられ、少し落ち着いてきて、自分のこころが少しみえてきました。


桃太郎に復讐することでかたきうちをすること。
かたきうちをしないでこのまま泣いてすごすこと。

鬼のお父ちゃんも人間の村にいって、宝物や食べ物をうばいとってきたり、もしかして人間を殺してきたりして、同じように人間のこどももかなしんでいたのかなと思ったりしました。

いろんなことがこころに浮かんできましたが、
おばさんに見守られ、少しづつわけて考えられるようになってきました。

鬼のおばさんは、自分のこころをみている鬼丸を、しばらくじっと見守っていました。

鬼丸。きめるのは急がなくていいからね。
お腹もすいたろう。
ざくろをもってきたから、食べながら私の話しもきいてくれないかい?と鬼のおばさんはいいました。

鬼丸はうなずくとだまって美しいおばさんの話しを聞きました。

鬼丸。私達鬼族は怒ったり、悪いこころが出てくるとこわい邪悪な顔になるのは、知っているよね。と話しました。

(しってるよ。鬼ババっていうんでしょ。人間だって鬼ババになることもしってるよ。と鬼丸はこころの中で思いました)

私はむかし、人間のこどもを食べていたんだ。たくさんのこども食べた。ひとりしかこどもがいない母親からこどもを奪って食べたこともある。

そんな時、私の1000人のこどもの一番すえのこどもがいくなってしまい、私は気がくるうほど苦しみ、この雲にのって世界中をなんどもなんども泣きながらさがしまわったのさ。

どこをさがしても見つからずつかれはてた時、ほとけさまのおしゃかさまとお会いしたの。

おしゃかさまは、お前は、何人も何人も人間のこどもをさらって食べてきた。
ひとり、ふたりしかこどもがいない人間の母親からこどもうばい食べた。

1000人もこどもがいるのだから、ひとりぐらいいなくなっていいだろう。と言われたの。

私ね、その時、人間の母親のかなしみ、怒りがわかったの。おろかよね。
鬼も人間も一緒だと気づいたの。

おしゃかさまはそのことを気づかせるために、私のかわいいこどもをかくしたのね。

私が人間のかなしみを感じて、許されないことだけどつぐないを何千年も何千年も、何回も何回もうまれかわってもしなければとこころから思った時、こどもを返してくれたの。

そして、人間のこどもを食べたくなったら、同じ味がするこのざくろを食べるように教えてくださったの。
おしゃかさまはこまかいところまで優しい。
この時の誓いを忘れはしないけど、ざくろをみるとこまかいところまでみなければと思いだすの。

その時、人間も鬼も種族がちがっても、こどもと母親をまもることを誓ったの。
人間も鬼もこどものことをおもう母親のこころは同じだから。

そして、私はこの時から、
誓いを忘れないために、鬼子母神と名前をかえたの。

と鬼のおばさんは話しました。


鬼丸は思いました。
鬼も人間も同じなんだ。

桃太郎は許せない。だけど、殺すこころは殺したい。と思いました。

このあと、鬼丸はどうしたのでしょうか?

考えてくださいね。

おしまい。









 

ん?なぜに文面が消えてるん?

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年11月22日(水)21時58分58秒
編集済
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/76728

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

(無題)

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年11月22日(水)21時04分53秒
   同志の歌さん、

 つたない文をお読み頂き、感謝です。ご対応、ありがとうございます。


 シャクソンファイブさん、

 「信濃町速報」ありがとうございます。

 余分なことは書きませんが、さもありなん、です。

 正木さん、大丈夫かなぁ、狭苦しいところで……。


 

ツイッター座談会 「会憲施行後のSGI会長、名誉会長には誰が就任?」

 投稿者:静かな大人のカフェ  投稿日:2017年11月22日(水)20時55分27秒
  A: また聞きのまた聞き。

ある知合いの壮年部が折伏中の友人から11・18施行の「会憲」について色々聞かれて困り、幹部に聞いても要領を得ないので「直接本部に聞いてみれば?」と返事したとの事。
内部でも読んでない人が殆どなのに偉いね!
入会を考えると不安になったのかな?
だよね、普通は…

A: その友人…
池田先生の事は尊敬していて、聖教新聞で3代会長の呼び方を「先生」とするというのにずっと違和感を感じ、「会憲」の中にある「SGI会長」と「名誉会長」は誰なのか?と聞きたかったらしい。11・18の聖教にも載ってなかったし。

本部の答えは?

A: SGI会長も名誉会長も池田先生のままとの事。

良かった!良かった!
知らぬ間にSGI会長に「374919」や、名誉会長に「5口」がなってたらどうしようかと思って(汗)

B: 原田さん、師の人格ないし。師は先生ですので。
第一庶務曰く、単なるすけべな爺さん。秋谷は先生に造反してるし。谷川先輩は日本人○○○。
馬鹿三人に操られてる公明含めた首脳部、たぶん崩壊するでしょう。

A:でも私的には一つ疑問が。

条文を見ていくと
「創価学会総本部」に「世界本部」を置くとあるし、「創価学会総本部」において「この会の国際的機構」として「SGI」を置くと読める。

とすると

「SGI」は「創価学会総本部」の下位組織?

C: その通り。下部組織に成り下がります。企画立案運営などのブレインとしての役割は世界本部に取り上げられ、SGIは単なる窓口業務をこなす機関に降格です。

D: つまりSGIはパシリに成り下がると?

C: そうですね、実権を失い、上から言われたことと雑務をこなす現場。実務頭脳ではなくなります。

A: とすると「池田SGI会長」は「原田会長」より「下」になるの?

おかしくないですか?
皆さんもよくよく「会憲」読んでみて下さい!

勿論その友人はそこまでの事は思ってないでしょうけどね。

C: 下になります。

A: また聞きのまた聞き。

もう一つ重要な発言がありました。
「SGI規約」の事です。

その友人は自分が入会するとなるとこの「SGI規約」を会員として知っておかなければならないのでは?と思ったそうです。条文の流れを見ると「日本の会員も含めて」この規約が適用されるのでは?と。

A: しかし本部の窓口担当者は
「このSGI規約はSGIメンバーのみに適用するもので日本の会員には会則があるから関係ありません。」と言われて、その友人は一応納得した様です。

でも、これも本当?

C: これは現時点では本当です。将来的にはわかりませんが。

A: 以上、素晴らしい友人のお陰で確認できた報告でした!

E: 池田先生が亡くなられたとしてもしばらくSGI会長は置かないのではないでしょうか。会長代行という役職がおそらく新設されますが、その人選が問題です。

A: しかし会憲では、名誉会長については「置くことができる」とあるので空席もあると思いますが、SGI会長は「置く」となってますので空席はあり得ないのでは?

E: 理論上はそうですが、下手に置けないですよね。人選に納得がいかないとSGIの離反招きますから、そのような危ない橋は渡れないと思います。なので、創価学会会長が兼ねる案、会長代行を置く案この2つで紛糾すると思いますが最終的には会長代行を置くことで決着すると思います。

A: ある程度SGIの離反を招いても問題ない体制作りをして、SGI規約に盛り込んでるのではないですかね?先生が亡くなられたら直ぐにでも入れ替われる様にしようと…

E: ある程度も何も、SGI側は周知を完全に拒否しているので、SGI会員に認知が進みません。構成員への浸透は効力が生じるために不可欠な要素なので、会憲は事実上日本国外においては無効に近い状態です。SGI側の強気の理由はよくわかりませんが、これが現実です。

A: 「構成員への浸透」はそもそもするつもりないのではないですか?日本でも同じ状態ですよね。あまり浸透して知られると面倒な事になるのでシレーとやりたいのが本音では? SGIで浸透する事によって効力が変わる何か法的な根拠などがあれば教えて下さい。

E: 基本的に就業規則と考えは同じです。団体の規則変更は周知が必要です。日本はこの点がルーズで勝手に変更しても裁判にもなかなかならないためこの原則が軽視されています。欧米ではそうはいかないと思います。人権団体がSGIに入れ知恵をしている可能性はあります。
https://www.spot-s.jp/p2/5.html

A: 確かにSGI各国での法律や国際法などとの兼ね合いがよくわかりませんね。しかしSGI規約そのものはそもそもSGIメンバーには開示されているのですか?それをしてないからという意味でしょうか?

E: SGI規約のことはよくわかりませんが、最低限会憲については公式に周知しないといけません。SGI側はこれをしていませんので、まだ海を越えていません。SGI規約はまた別の話となりますが、まず第一段階は会憲を世界にプレスリリースすることです。

A: それをする気はないのでは?
HP掲載をもって公式周知と言いたいのではないですかね?
「会憲」は就業規則とは意味合いが違うとおもうのですが…むしろSGI規約の方がその性質のものだとおもうのですが?どうでしょう。

E: 日本は聖教新聞で公式通知しましたから、周知はある程度満たされています。しかし問題は対象となるSGI組織のほうです。本部として痛いのはバチカン平和会議の席上公式発表できなかったことでしょう。会憲あってのSGI規約なのでその大元が周知されないことには話は進みません。

C: 会憲の公式訳はHPで公表する方向で進んでいましたが、SGI総会でかなり反発がでて、SGI弁護団の専任弁護士がついて、各国の状況に対応することになりました。SGI規約はそれ自体を公表するのではなく、その内容を各国の約款定款に反映させる方向で進め、これに関しても弁護士が個別相談に応じます。

E: なるほど、結局、当初の方向からすると会憲もかなり後退していますね。結局、限りなく現状維持に近いところに落ち着き雲消霧散。10年前よりも本部側に人がいないんでしょうね。

C: 教師制度の導入や、個人除名など、やりたかったことは達成したので、後退とは言い切れませんが、やりたい放題には歯止めをかけたと言えますね

E: SGI側は弁護士を帯同してきていたとは。いよいよ「東京地裁で会いましょう」となるのかなあ。

C: 今すぐ各国SGIの法規に反映させる必要はない、といった指導をしていました。でも、すでに発効しているものを、すぐ反映させなくていいって、本当にすごい矛盾。ちなみにこの会憲規約の対応に関連してかどうかはわかりませんが、SGI弁護団で新規の弁護士が増えました。

E: SGIのパートナーHRNの弁護士が入れ知恵したのかもしれない。

A:ちなみに「今すぐ各国SGIの法規に反映させる必要はない」と指導したのは誰ですか?

C: SGIの弁護士です。

A: なるほどそうですか…

E: SGIが弁護士を増やしている?下手に査問なんかしたら人権侵害で東京地裁に提訴するんでは。そもそもSGI総会の席に弁護士が中に入るというのは異例だよね。河合さんが手を回したのかな。

E: そうなると創価学会インターナショナルの本部を東京に置いていたのは学会本部に近いからではなく、いざとなったら東京地裁に訴えられるようにということだったのだ。

E: 規約は一種の契約と考えられるので、周知をしないと契約は成立せず、効力は生まれません。だから原田執行部の言いなりになる必要はさらさらないということですよ。逆に学会本部から無理難題を押しつけられないような規約作ってしまう可能性あります。

F: それは最初からあり得ないと思いますよ。そもそも一体なんですから(笑)やはりどこかにまだ期待感があるのでは? そろそろ幻想はお捨てになられた方が良いと思います。創価学会も公明党もSGIも全て信濃町界隈がコントロールしているのが実態。別々に見せかけているだけです。当たり前ですが根は同じ。

E: そのありえないことが起こるのが創価学会の世界のおそろしさです。なのであまり決めてかからないほうがいいですよ。会憲の顛末を見ても原田は世界のSGIはおろか、日本の組織ももうまとめあげられないのではないかと。それが教学レポートが流出した時代とは様変わりしています
 

(無題)

 投稿者:シャクソンファイブ  投稿日:2017年11月22日(水)19時58分41秒
編集済
   

無題

 投稿者:同志の歌  投稿日:2017年11月22日(水)19時40分39秒
編集済
  螺髪さま

信について、判りやすく教えて戴きありがとうございます。

しっかりと学ばせて戴きました。

この、希望を最大限に活かすために更に祈り、弟子として戦わせて戴きます。

 

その1.貧女の一灯

 投稿者:The logic in the place  投稿日:2017年11月22日(水)19時30分49秒
  さて、お詫び・訂正・謝罪は、botにて継続していきますので、ご依頼の有りました「つれづれ
随想」を続けます。その昔の財務は7月だったと思いますが、いつから年末ドサクサになったん
でしょうか?

                  は し が き

この『つれづれ随想 - わたしの説話抄』は、潮出版社の『婦人と暮し』誌上に、昭和
五十三年三月号より昭和五十六年六月号まで連載したものである。このたび、潮出版社の
要請もあり、ここに上梓することになった。
 まことに多繁の連続のため、車中での口述やテープレコーダーでのふき込み等々といっ
たぐあいで、推敲のいとまもなく、そのまま雑誌に掲載となってしまった時が多かった。
いま振り返ってみると、あまりにも拙文で、汗顔の至りであり、読者の皆さんにも申し訳
なく思っている次第である。そこで、いささか文体もととのえさせていただき、加筆もさ
せていただき、一書として残しても恥ずかしくないように、努力はしたつもりである。
 なお、私は信仰者として、インドの釈尊の膨大なる説話集の中から、いくつかを取り出
し、これを現代生活に交流・展開させながら、分かりやすく収めさせていただいた。
 とにかく、日々多忙の連続ではあるが、文を書くことは、心の散漫を、一つの自身の思
想の統一性へと、進歩させゆく歩みにつながっていくことを、私は信条としている一人で
ある。よって、作家でもなければ、学者でもないことを、ご了解願いつつ、無数の庶民を
対象にしながら生きぬいている一人の庶民のリーダーの思想として、受け取っていただけ
れば幸甚である。
 最後に、本書の執筆にあたっては、聖教新聞社の松島淑君には、初めから終わりまでご
尽力をいただき、ここに心より御礼申しあげたい。さらに、潮出版社の西原賢太郎君にも、
いくたびとなく車中や、また行く先々でお手伝いをねがい、あらためて感謝の意を表する
次第である。

  昭和五十六年四月二十日
         聖教新聞創刊三十周年の日に
                                   池田大作



            つれづれ随想 - わたしの説話抄


                   貧女の一灯

 私は仏法者である。日蓮大聖人の信徒である。
その日蓮大聖人が七百年前、王日女というりっぱな美しき信心の女性の、供養の
心をほめられたお手紙に、こういう一節がある。
「貧女の我がかしら(頭)をおろ(剃)して油と成せしが須弥山を吹きぬきし風も此の火
をけさず」
― 仏典には“貧女の一灯”といって、多くの人びとに知られている。

インドの釈尊の時代、マカダ国という国があった。その中心の国王がいたところが、王
舎城である。その城のそばに、一人の老婆が住んでいた。その老婆は信仰の心厚く、困
窮の生活のなかにあって、釈尊になにか御供養しようと、日々心を念じていた。しかし、
孤独の身であり、貧困の生活では、どうすることもできない。

 あるとき老婆は、道で大量の麻の油を積んだ車の列に出遭う。聞くと、国王・阿闍世が、
釈尊に供養するためのものだという。感動したその老婆は、自分もなにか供養しようと思
うが、お金がない。やむなく自らの髪を切り落として売り(一説には、恵んでもらった少々
の貯え、ともある)そのお金で、わずかの麻油を求め、釈尊のところへ持っていき、供養
する。そして思うには-こんなわずかな油では半夜しか燃えまい、しかし、もし仏がわた
しの信心をお認めくださり、哀れんでくださるなら、この灯火は夜通し燃えるであろう、
と念じた。
 その願いどおり、貧しき老婆の一灯は、夜っぴて、しかも、須弥山下ろしの強風で、他
のすべての火が消えてしまったにもかかわらず、燃えつづけた。夜が明けた。人びとが火
を消そうとしたが、ますます燃え光り、全世界を照破せんとばかりの勢いである。消火に
万策を尽くそうとする門下たちに、釈尊はこう言った。
「止めよ、止めよ、この老婆は過去に百八十億の仏を供養して、前仏から成仏の予言を受
けているのである」と。そして、老婆は未来に必ず須弥灯光如来という仏になるであろう、
と宣言する。それを聞いた老婆が歓喜したことは、いうまでもない。逆に、彼女に数万倍
する油を供養した阿闍世王は、内に自負の邪心があったがゆえに、成仏の予言を受けるこ
とができなかったというのである。


これは一つの説話である。
しかし私は、そこにひとつの哲学ともいえる示唆が含まれていると思う。“貧女の一灯”
の教えるものは、なににもまして、人間が人間としてもつべき真心の貴き証であるからだ。
たしかに、それは目に見えない。わずかばかりの油に託した老婆の微志に、世事に忙しい
人びとは、一顧だにしなかったかもしれない。
だが、さすがに釈尊は達眼の人であった。水も切れない、空気も切れない。同様に、人
と人との心の奥に通い合う真心も、けっして切り離せるものではない。それどころか、試
練の風波の逆巻くなかで、一切が衰滅してしまったとしても、なおかつ、偉大なる心とい
うものは、ますます不壊の輝きを増していくにちがいない。
私は、老婆の供養した油がともす一灯に、釈尊が、永遠に消えることのない、生命の火
をみていたように、思えてならないのだ。
大切なのは、「物」ではなく「心」である。阿闍世王という、最大の権力者である国王の
献じた百石の油よりも“貧女の一灯”が勝ったのだ。そこには、名もない一老婆が、全生
命を賭けた思いが込められていたからであった。物を愛する心、物を大切にする心-。そ
れあるがゆえに、わずかな物でも、千鈎の重みをもって、人びとの心を、深く強くうつの
であろう。時とともに、わびしくも現代社会は、その心を、あまりに遠く、忘れ去ってし
まっているようだ。


私事にわたって恐縮だが、私の母は数年前、八十歳で亡くなった。明治生まれで、貧困
と戦火のなかを、多くの子供を育ててきた苦労のためか、物を大事にするという点では、
人一倍であった。物資のないときは当然のことながら、戦後、物資が豊富になってからも、
このよき生活のリズムは変わることなく残されていった。デパートや商店の包装紙などに
しても、一つ一つきれいに皺を伸ばして、たたんでしまっておく。子供たちが、邪魔にな
るから捨てるように言っても「もったいない」が口癖であった。別に、これといって定ま
った使いみちがあるわけでもないのに-。いまにして思えば、その美しき律儀の心が、私
には尊く胸に刻まれて離れないのである。
私の母に限らず、明治生まれのお年寄りなどには、こうした人をよく見かける。そのた
びに私は、なにか教えられるような思いがしてならないのである。


戦後の高度成長期の消費ブームのなかで、人びとは物を大切にするという習慣を失って
しまった。その結果、知らず識らずのうちに、物を愛し大切にしようとする心まで、どこ
かに置き忘れてしまった。物質文明の破綻は、あたかも鋳貨の表と裏のように、人びとの
心の荒廃をもたらし、社会の乱れを増幅させている。公害問題や石油ショック以来の時流
の混迷は、私たちに、こうした教訓をつきつけているといえるだろう。“貧女の一灯”が鋭
く告発するのも、その点である。
私が申しあげたいのは、課題は身近にあるということである。2DKでも3DKでも、アパー
トの一室でもよい。その小さな“わが城”を、自分の生活と人生を支える心豊かな場として、
大切にしていきたいということである。
家具一つ取り上げてみても、自分が永年使い慣れてきたものには、多少旧式になっても、
断ちがたい愛着を感ずるものだ。
その感触を大事にしていきたいと思うのである。それが夫婦の美しき伝統の輝きといって
よいのではなかろうか。私たち夫婦もその感覚を大事にしてきたつもりである。
一人の婦人の真心や愛情は、夫や子供の心を温く潤す言語や動作に結集してゆくであろう
し、また“貧女の一灯”が全世界を照らし出すにも似て、それぞれの地域にあって、太陽の
ごとく輝いてゆくにちがいない。そうした身近な事柄をぬきにして、いかに社会を改革し
ようとしても、それは空理空論に終わってしまうであろう。


本年初頭のある新聞の論説に「いま、急がれているのは『同じ人間社会に住むという共通
の運命観』を育てあげ、それを協調的な、新しい世界づくりに結びつけることである」と
あった。自分の着るもの、食べるもの一つ一つに、それを製作する何十人、何百人の人び
との汗と体温を感じることのできるような、日々でありたい。それが「新しい世界づくり」
への着実にして誇りある第一歩ではなかろうか。
 

re:中村伸一郎裁判 w w w

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2017年11月22日(水)18時56分6秒
  >週刊金曜日 ?投稿者:窮状
>投稿日:2017年11月21日(火)20時45分58秒   通報
>中村伸一郎裁判

【週刊金曜日】創価学会職員への損害賠償 高裁判決で一部認定――中村伸一郎氏に22万円の支払い命令

http://6027.teacup.com/situation/bbs/76707

おーい w w ナカムラく~ん♪♪ w w
http://6027.teacup.com/situation/bbs/59710

 

(無題)

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年11月22日(水)18時54分27秒
   「21世紀は生命の世紀」と仰せですから、さらに、「生命」を探求して参ります(笑い)。

 人には人の希望があります。夢があります。その希望や夢が、ある人の上に叶ったと思った時、その人に信頼を寄せます。依存してしまう時もあります。その希望や夢が接合点です。それは持つ側の人のものです。そして、その希望や夢が消え失せた時、その人への信頼や依存を無くしてしまいます。持つ側の人の出来事です。その人には何の関係もありません。希望や夢を乗せられること自体が、その人にとっては負担なこともあります。その希望や夢に合わせないまでも、おおよその場合、希望や夢は独り歩きしてしまっているからです。

 これは“文字”の開発など、希望や夢を見ることが頻繁になった人類にとって、多くのことで言えることです。物語もその類です。「己心の法」の「己心の法」たる由縁と言えます。万人に共通します。希望や夢を持つことは、人類の宿命や宿習、あるいは、ことによると宿業であるかも知れないのです。それが意外と解かっていません。

 われわれを悩ます正体は解かっています。「五濁」です。それは、生命を“濁す”ものでもあります。「生」あるゆえに手放すことも、かといって温存しておくこともできない「濁り」です。「思考」と「見方」とその「器」によって、その「濁り」は成り立っていますから、希望や夢も「濁り」のひとつであるに違いないでしょう。

 「劫濁は別の体無し劫は是長時・刹那は是短時なり、衆生濁は別の体無し見慢果報を攬(と)る 煩悩濁は五鈍使を指て体と為し 見濁は五利使を指て体と為し 命濁は連持色心を指して体と為す」(御義口伝717㌻)。

 劫濁、衆生濁にはその「体」がないと仰せです。

 「煩悩濁」は、貪、瞋、癡、慢、疑の五鈍使がその「体」です。“鈍使”ですから、じんわりときます。「見濁」は、身見、辺見、見取見、戒取見、邪見の五利使です。“利使”ですから、たちまちにきます。

 希望や夢は“見る”ものですから「見濁」でしょうか。そうとも言えないでしょう。「心」の衝動から起るものですから「煩悩濁」でしょうか。そうとも限らないでしょう。望みや空想ですから、あえて言えば両方なのでしょう。きっと、「身体」や「心」に蓄積したものも反映しますから、連持色心の「命濁」も含まれることでしょう。

 人の認識を築き上げるものは、塵(ちり)かも知れないのです。「なんどの種種の大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり、其の外の大難・風の前の塵なるべし」(開目抄232㌻)の「塵」です。

 清浄な「生命」の流れの中に生じる“くすみ”こそが、「生」ある「生命体」を造り上げているといえるのかもしれません。塵(ちり)によって「心」はつくられているようです。叩けば舞う、あのチリです。本来清浄で、順当な「生命」の流れに、「塵」が舞い込んで、それへの対応で、ほかならぬ「生きる」ことへの「生命」の活動が始まる、ということです。清浄で、順当な「生命」が「仏」です。塵が「魔」です。そうすると、「魔」も「生」あることに含まれる必然のものということになります。

 仏法は、人間の「認識」を実に立体的に解析しています。機能としての、外の世界を確かめる感覚器官の「根」と、その外の対象を「境」とする「十二入」がそれです。その「境」のことを「塵」ともいいます。

 「根」には眼、耳などの六根(眼根、耳根、鼻根、身根、意根)があります。人間の感覚器官を指します。外にある「確かめる」対象物が六境(色境、声境、香境、味境、触境、法境)といいます。体内に取り込むものですから、「十二入」としたのでしょう。これだけでは終わっていません。その感覚器官を通して外の世界の塵を情報として処理する「識」という概念を立てました。「根」「境」と同様に六つあり、六識(眼識、耳識、鼻識、身識、意識)としました。この三つをを合わせて「十八界」といいます。

 「六識」の六番目の「意識」は、七番目の思慮識(末那識<まなしき>)、その積算の八番目の蔵敷(阿頼耶識<あらやしき>)、そして元にもどって九番目の根本常識(阿摩羅識<あまらしき>)と思想が深化していきますから、「塵」が「識」の形成に重要な役割を担っているということになります。「塵」なくして「識」は成り立たないのです。これが、「煩悩即菩提、生死即涅槃」の原理の元なのでしょう。「識」は「塵」をきっかけとしてつくられる、その“きっかけ”が「縁」と言えるのでしょう。

 「五陰」も、その構造に「縁」を含みます。「縁」があったからこそ、形態としての「色」、受容体として「受」、概念の「想」、意思の「行」、そして認識の識の「五陰」があると言えます。「縁」はさらに体外に飛び出て、集りとしての「衆生世間」、非情の草木を含めた衆生の集まりの「国土世間」(自然)との関わりへと対境を拡げていきます。この実像が「一念三千」であるわけです。

 それらすべての認識が「信じる」ということです。外の世界にあることを体感して、それを「信じる」に「足る」としているだけです。赤ちゃんは、足をニョキニョキ、グルグル回して、まず自分の“空間”を確かめるところから「認識」を開始するといいます。

 「信心」とは「信じる」「心」です。思考、知見、その場で、前へ前へ、善に善に向ける作業です。「心」にしか、「仏」はいません。しかし、「心」は見えない。「法」も見えない。だから「人」の中に「法」を見るよりないのです。「信心」は、無限に希望を開いてくれる、その源泉です。


 

無題

 投稿者:同志の歌  投稿日:2017年11月22日(水)18時11分51秒
編集済
  ジョーカーさま
「或いは身はをちねども心をち或いは心をちねども身はをちぬ」身に染みる御書です。

ありがとうございます。

不退転の信心ですね、本当に簡単のようで本当に難しい事だと思います。

しかし、この不退の精神で戦われていらっしゃるのが(師匠)池田先生です。

自分が師と決めた以上、師匠のされた行動を学び、続くのが弟子だと思います。

何があろうと池田先生、御本尊に対して、純粋に自身を見失う事ないように、傲らず、ひたすらに祈り抜きます。

どこまでも、潔さのある、信心を貫きたいと思います。

ありがとうございます。
 

信心を強める

 投稿者:ジョーカー  投稿日:2017年11月22日(水)17時42分19秒
  同志の歌様

>これからの創価学会を創るのは、自分達、名もない会員(弟子)です<

民衆の民衆による民衆のための創価学会こそが、本来のあるべき姿です。民衆とは名もない会員です。であるならば、本来の創価学会は、民衆により創られなければならず、断じて会長や執行部なのではありません。誰かがやるだろうという無慈悲を乗り越え、一人立つ民衆が創るのです。

思考が組織主義に陥ると、所詮、自分は創価学会の一会員でしかないという発想となり、学会を創る(変革)ことは、土台不可能とあきらめてしまう。一方、自分はかけがえのない存在であるととらえる人間主義は、あきらめることなどしません。

自分が組織の歯車の一部と感じる時は、御本尊不信状態です。そうすると、あきらめの生命が湧いて来ます。逆に、信心を強めると、可能性を信じることが出来、勇気と希望が湧いてきます。信心が弱いか強いかで決まります。何があってもなくても、自分の信心を強めることを意識することが重要であると思っています。

御書 P1181
「身はおちねども心おち、或いは心はおちねども身はおちぬ。」

通解
 身は退転していないようでも、心のなかですでに疑いをいだき、あるいは心では信じているようでも身は退転している。

勤行唱題していても、御本尊不信であれば退転であり、御本尊を信じていても、勤行唱題をしなければ、これもまた退転という厳しい御聖訓です。御本尊を信じて題目を唱えることが信心ですが、このシンプルなことが難しいのです。疑わずに信じて実践することが不退転の道です。

自分の信心が弱いことに気づけば、そこから強くなれます。強いと思い込んでいる時は、前に進むことはできなく、悶々とするだけ。弱くなった信心の姿勢を猛省し、題目をあげ抜けば、仏の力が湧現します。その力こそが、創価学会を創る原動力になるのです。
 

野党は徹底追及を!

 投稿者:政局  投稿日:2017年11月22日(水)17時21分51秒
  伊藤詩織さんの訴え、捜査を検証する「超党派の会」発足

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171121-00000084-asahi-soci
 

まさに、開いた口が塞がらないとはこの事

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール  投稿日:2017年11月22日(水)13時43分54秒
  これが本当ならば・・・・

http://6027.teacup.com/situation/bbs/76718

(引用)

「罰則も厳しくなったし、これからはメンバーの事や広宣流布の事など、考えている余裕はない!
これからは、如何に原田様にお仕えするかという一点のみが、信心の厚薄の基準であり、
世界宗で生きて行く道、と言われたが、本当にそうなのか?等などである。」

(引用終わり)

少しは誇張があるのかもしれないけれど・・要旨は変わらないでしょう・・

本当に開いた口が塞がらないとはこの事ですね

拡散・拡散・拡散
 

本気の怒り、激怒

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年11月22日(水)12時55分31秒
  珍ゴジラの咆哮が、モリカケ~ッ  グワ~ッ  っていうのが実にいい。素晴らしい漫画だと思った。(笑) ぜひ拡散して欲しいものだ。
庶民の色々な才能を結集すれば、あんな政権もうそろそろ倒れる。ついでに雇われ学会系ネトウヨも失業だ。

ゴジラを本気で怒らせたのは、米軍のバンカーバスター攻撃。それまでは普通に歩いていただけ。それだけでも十分迷惑ではあるがまだマシだ。

ゴジラは大量出血させられ本気で怒り、破壊光線を口だけでなく身体中から放射。東京は一面の火の海になってしまう。

安倍自公政権の圧力一辺倒の北朝鮮政策が、行き着く果ての姿そのものだ。

この映画が公開されたのは去年の夏だが、現在の状況とそっくり。
映画界はじめ日本の各界に、今なお慧眼の士は多数存在している事の証明だ。

いつまでも馬鹿がのさばる現在の様な状況を、許しておくのはここまでだ。
馬鹿は勘違いしているが、実は奴等は少数派なのだ。

万歳たろう とかいうネトウヨがいるが、正体は公明党職員の学会学生部幹部らしい。(笑)裏も取れているそうだ。

中道左派という公明党本来のポジションは、これから立憲民主党が代わって務めてくれる。今の様な公明党ならもう用済みだ。

公明党職員で学生部幹部のくせに、あんな極右ネトウヨの真似事をしているからこんなことになるのだ。
公明党が没落すれば、そのうち失業するぞ。
それとあの笑えるツイート「バルス!」は消したのか?置いとけばいいのに。


聖教新聞を二部から一部に減らそうと願い出た学会員さんを、何だかんだの挙句、創価学会側が除名処分にしたという事件。遂に最高裁まで行くらしい。

聖教新聞を一部減らそうとしただけで除名にされるような宗教団体がどこにあるか!

訴えられたのも創価学会職員だが、除名されるべきなのはコイツの方だろう。

しかし、聖教を一部減らすのが惜しいが為に、いちいち最高裁まで行くのでは大変だな。ご苦労な事だ。(失笑)

訴えた学会員さんは素晴らしい。すごい実行力。まさに広布の英雄だ。

こういう事件は世間一般に知ってもらうべきだ。隠すべきではない。
最高裁は権力寄りで全然期待できないが、それでもいい。
奴等が恐れるのは、こういう内外世論の高まりだ。

聖教新聞を減部すると除名、公明党を支援しないと言えば除名。その事を入会条件にちゃんと書かないのは宗教詐欺だろう。

いったい池田先生の作られた創価学会を、どこまで変質させれば気が済むのだ!
もうそろそろ罰も出て来るぞ!





 

原田会長へ宮川氏のメッセージ

 投稿者:シャクソンファイブ  投稿日:2017年11月22日(水)11時34分3秒
  宮川氏の許可を得まして、ここに記事を投稿します。
なお、拡散は自由とのことです。



日蓮世界宗  総裁
原田学会信濃教 会長

       原田  稔  殿


日蓮正宗 改革同盟 改革僧
常唱院 宮川 日護


前略
昨日、ハッちゃん、えいちゃんの対話とし、宮川のフェイスブック公開投稿で、

初座の諸天供養が省略された事実を、戸田先生の御指導の音声テープと共に投稿した、
思いのほか、反響が大きく100件近くのメール、メッセージが来た。
そこで私は、貴殿に優しい親心から、
初座の諸天供養の再度、採用を促すものである。

思えば、私と貴殿との関係は、彼れ此れ40数年になる。
貴殿が未だ、我が師である池田大作先生の弟子であった頃、
学生部長の任命を受けて九州に来た際に、貴殿の(以前の)顔を越中ふんどしに描いて、
出陣の旗として歓迎してより付き合いであり、
1996年6月、先生のご指示によりマイアミのフロリダ研修道場に、先生より1日前から待機していた私を見て、
何も聞かさせて無かった貴殿は、慌てふためき、「な、な、んで、君がここに居る?帰り給え!」と、騒ぎ立て、
和田SGI理事長に、「宮川さんは先生が呼ばれたから」とたしなめられていた事も、今は良き思い出である。

近年に於いては、平成20年1月22日の僧俗懇談会の砌り、
昭和59年に総本山大石寺が、名誉職で一切の権限を持たない「名誉総講頭」から、
実権の伴う「総講頭」に再任した事実経緯を話し、
その事実から24年経過するも、未だ宗教法人創価学会に於いては、
何の権限も有さない、雛壇のヒナにも等しい名誉会長のままである事を貴殿に尋ね、
頭から湯気を出すほど、貴殿を怒らせてしまった。

貴殿に、「池田先生に於かれては、自分が会長であるとか名誉会長であるとかには、一切こだわってないのであります。
( 中  略 )
私は、今もこれからも、先生に会長になって貰おうなどと言う気はサラサラないのであります!」
と言葉を震わせながら、答えさせて以来であろうか?

その後、旧ユーゴスラビア、セルビアが戸田先生の遺言とも言える
「第三代は、永遠に会長として指揮を取れ」
「第三代会長を守れば広宣流布は出来る」等の意志を継ぎ、
「池田先生をもう一度、会長に!」とのセルビア、マケドニアのメンバーの署名を本部に持参するも、
受け取り拒否するのみならず、理事長、方面幹部を翌年、役職解任するなどの異常反応を見れば、
貴殿らの師匠である故・山崎正友氏の「宗門まで使って、取った(手に入れた)会長職を、絶対に池田に渡すな!」
との言いつけを、新・名誉会長(発表保留)の秋谷氏や、
故野崎、故石田氏らと共に、必死に守り通す健気さには、
広宣流布など微塵もなく、自己保身の欲望に満ちた心根の貧困さと卑しさのみを感じる。

更には、新しい会則変更や訳の分からない会憲。
教師、準教師の、実態不明の役職など、
一応、貴殿が配下と思っている幹部からも問い合わせや疑問の声もかなりの数、入って来ている。
その内容として、会憲改正会議の構成員や会議の手続きが分からないし、
会憲の6条2項の学会総本部に世界本部を設置する、とあるが、
世界本部の内容が不明だが、宮川先生の方では、分かりませんか?
理事長に聞いても一切教えてくれないし、理事長自身も分かっていないようだ。
書類は1つだけ貰ったが、絶対に厳重な管理をするように厳命された。
とにかく、良く分からないが教師、準教師になる事だ。
罰則も厳しくなったし、これからはメンバーの事や広宣流布の事など、考えている余裕はない!
これからは、如何に原田様にお仕えするかという一点のみが、信心の厚薄の基準であり、
世界宗で生きて行く道、と言われたが、本当にそうなのか?等などである。

勤行の事、SGIの事、
昔は池田先生の弟子と名乗り、形だけでも広宣流布の真似ごとをして来た貴殿である。
後、50年原田学会信濃教や日蓮世界宗を存続させたいとのチンケな考えではなく、
万年まで生き延びるつもりでやり給え。
まず君が教学アドバイザーとして雇ってる、
トンボ、失礼、宮田教授にお引き取り頂き、もう少し信心ある人を採用する事を提案する。

以上ーー。

追伸、
そういえば、昔貴殿が、信濃町用地買収の際のソニースタジオに、関わっていた方に先日お会いした。
原田さんは、会長になられたのか?本当に欲のない人だった。
宗教とは儲かるもんだと思ったよ、と。
財務のお金だと思うと、惜しみなく使えるんだ。



https://m.youtube.com/watch?v=lmwe4OKvJiQ#action=share
 

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