セクハラ問題、なぜ英より米でこれほどたくさん浮上
オーウェン・エイモス記者、BBCニュース(ワシントン)
英国と米国ではメディアに対する法律が大きく異なる。米国では実に大勢が性的嫌がらせ行為で非難されている一方、英国では名指しされた人が少ないのは、そのせいなのだろうか。
10月5日にハービー・ワインスティーン氏による長年にわたる性的加害行動が名指しで糾弾され、ダムは決壊した。
それからというもの、米国では何十人もの著名人が何らかの性的な問題行為を指摘されている。これはポタポタと水滴が漏れるようにというレベルではない。もはや洪水だ。
名指しされたなかには、俳優ケビン・スペイシー氏、政治家ロイ・ムーア氏、ジャーナリストのマーク・ハルぺリン氏らが含まれる。
疑惑の大洪水は今週さらに威力を増し、メディアの大物をも飲み込んだ。
他国の人たちも名指しされているが、ほとんどは米国人だ。
理由の一つは、米国独自のメディア法かもしれない。
英国で名指しされた人の数が少ないことには、大きな理由がある。英国の名誉毀損(きそん)法だ。
英国で名誉毀損の訴えを起こす場合、原告に立証責任はない。報道内容は事実と異なると、書かれた側は証明しなくても良いのだ。
代わりに、報道した側の新聞社やウエブサイトが、記事の正確性を立証しなくてはならない。
つまり、記事を公表する前に報道機関は、内容の正確性について万全を期す必要がある。誰かを性的問題行動で非難するには、通常は音声記録などの証拠や、法廷で証言する用意のある証人を確保していなくてはならない。
性的問題行動の事例では、このような証拠や証人を確保するのは難しい。
例えば、BBCの人気司会者だったジミー・サビルによる常習的な性的暴行は、長年の噂だった。2000年にBBCのドキュメンタリー監督ルイス・セローはサビルに、噂について問いただしていたほどだ。
しかし英国メディアは名誉毀損裁判を恐れるあまり、報道しなかった。英ITVがサビルの性的暴行を特ダネとして放送したのは、本人が死亡した後のことだった(英国の法律では、死者の名誉を毀損することはできない)。
実名を報道しなくても、英国では名誉毀損で訴えられることがある。
BBC番組「ニュースナイト」は2012年、マカルピン卿を児童性的虐待を結び付けて報道してしまった。名前は出さなかったが。
マカルピン卿は提訴し、13日もたたないうちに18万5000ポンド(約2700万円)の損害賠償を認められた。
英国の名誉毀損――主な免責事項
- 真実
- 正直な見解
- 免責特権に守られている(例えば、法的記録は守られている)
- 公益に資する内容の公表
米国で名誉毀損訴訟を起こすのは、英国よりはるかに難しい。226年前に成立した法律がその根拠だが、法律は昔と変わらず今も有効だ。
米国合衆国憲法修正第1条は1791年に定められ、言論の自由と報道の自由を保障している。
ゆえに米国のメディア法は英国と根本的に異なるのだと、米ニューヨークのコロンビア大学ジャーナリズム大学院のスチュアート・カール教授は指摘する。
米紙ウォール・ストリート・ジャーナルの法律顧問でもあったカール教授は、「米国では、名誉毀損の立証責任は原告にある。つまり、名誉を毀損されたと主張する側が、相手の主張の誤りを証明しなくてはならない」と説明する。
つまり、立証責任の所在が英国とは逆なのだ。原告側に立証責任がある米国では、報道された側が名誉毀損で訴える可能性が低い。このため、米メディアは疑惑を報道する可能性が高いということになる。
実際に米紙ニューヨーク・タイムズは5月に社説で、「いざ正式な名誉毀損裁判となると(ニューヨーク)タイムズと争おうという人はほとんどいない」と書いている。
さらに有名人にとなると、米国で名誉毀損訴訟を起こす際にもう一つ、ハードルを乗り越えなくてはならない。
政府職員などの公務員や、著名人など公の立場の人が名誉毀損で提訴する際、「現実の悪意」を証明する必要があるのだ。
「現実の悪意とは要するに、記者が嘘をついたということだ」とカール教授は説明する。
「つまり、事実と異なると分かっていながら記者が報道したか、あるいは話の真偽を無謀なまでに無視して行動したかのどちらかだ」
「要するに『お前は嘘をついた』と、訴える側が立証しなくてはならない」
しかしハードルが高いからと言って、米メディアが好き勝手をできるわけではない。間違いの代償は何百万ドルにも及ぶこともある。
米誌ローリング・ストーンは2014年、バージニア大学で2012年に起きたとされた集団レイプ疑惑を記事にした。
しかし同誌は2015年に記事を撤回。性的暴行事件の対応が仕事の大学職員は、同誌を名誉毀損で訴えた。この職員には300万ドル(約3億4000万円)の損害賠償が認められた。
さらにさかのぼると、米紙フィラデルフィア・インクワイアラーによる1973年の記事をめぐり、検察官が同紙を訴え、損害賠償金を獲得している。
「『米国では名誉は大事にされない』と言われることもあるが、米国の法律は、名誉を強力に保護している。損害賠償の額は、英国の上限をはるかに超えて、巨額になることもある」 カール教授は説明する。
「英国では(名誉毀損)裁判が米国よりも多く、報道されない、あるいは放送されない内容が米国より多い」
「しかし米国の場合、いざ原告が勝訴すると、損害賠償額は100万ドル単位、あるいは1000万ドル単位に上ることがある」
こうした理由から、そして良質な報道を確保するため、米国の報道機関はしばしば疑惑の真偽を確認するために相当な努力を払う。
最近では、米テレビ報道業界の重鎮、チャーリー・ローズ氏のセクハラ疑惑をめぐり、米紙ワシントン・ポストは8人の女性を取材。そのうち3人が実名報道に応じた。
大物コメディアンのルイ・CK氏をめぐる報道では、米紙ニューヨーク・タイムズは5人の女性が明らかにした疑惑を報じた。4人が実名報道だった。
さらに、ニューヨーク・タイムズのホワイトハウス担当、グレン・スラッシュ記者の性的問題行動について伝えた米ニュースサイト「ボックス」では、ローラ・マギャン記者が自分自身の体験を明らかにした上、女性3人と、メディア関係者40人に取材している。
英国と米国、どちらの制度が良いと思うかは、自分の立場によって変わる。
自分が事実に反して疑惑の当事者にされた場合、記事掲載のリスクが高い英国の仕組みの方がいいと思うかもしれない。
一方で自分が被害者なら、憲法で言論の自由が保護されている米国の仕組みを希望するかもしれない。
いずれにせよ、制度の違いがもたらす影響は明らかだ。
米国では、多くの疑惑が一気に明るみに出た。英国ではまだ、ぽとん、ぽとんと水滴が垂れる程度にしか出てきていない。
(編集部注――日本では「ワインスタイン」と表記されることの多いハービー・ワインスティーン氏の名前は、本人や複数のハリウッド関係者の発音に沿って表記しています)