思考は現実化する

自分の潜在意識を書き換えるために、自分が学んだ事を整理しまとめています。

一緒に喜べることの喜び

この記事を読むのに必要な時間は約4分です。

f:id:b204638:20171123052929j:plain

 

スポンサーリンク

がんばったおかげで40点もとれたよ!

「ただいま〜」

それは、一昨日のことです。

会社から帰った私に、子どもがうれしそうに話しかけてきました。

 

「ねえ!聞いて、聞いて!ずっとチャレタをがんばったおかげで、学校の漢字のテストで40点もとれたよ!」

「へぇ〜?そうなんだ。やったね!」

 

声をかけると、子どもは少し照れながらも、とてもうれしそう!

チャレタとは、進研ゼミ小学講座のタブレット学習「チャレンジタッチ」のこと。

そして学校のテストですが40点満点ではなく、満点は100点です。

 

でも、点数なんて関係ありません。

子どもが自分で“がんばった”こと。そのおかげで“よくできた”ことが素直にうれしく、それを子どもと一緒に喜ぶことができたことが、私にはとてもうれしかったのです。

 

ここで、もし

「なんだ40点か」

といっても、きっと誰もうれしい気持ちにはならないでしょう。

でも、他の子と比較するよりは、以前の子どもと比べて「ちゃんとがんばって前進している」こと、それを素直に喜び私に自慢してくれる子どもを、私はとてもうれしく思います。

 

40点で喜んだら40点で満足してしまわないだろうか?

でも、40点で喜んでしまったら、子どもが40点で満足して、努力しなくなってしまうのではないだろうか?

もしかしたら、そんな心配があなたの頭をよぎるかもしれません。

 

確かに40点という結果だけを見ると、もっと上を目指して欲しいと思うこともあります。

でも「結果」ではなく、そこにいたる「過程」を一緒に喜ぶことには、なんのデメリットもないと思うのです。

 

「結果」はもちろん大切ですが、世の中には「結果」が努力だけでなく運に左右されるようなこともたくさんあると思います。

もし「結果」だけが喜びなら「結果」が出なかった時は喜べなくなってしまいます。

それなら、「結果」を出すための「過程」を一緒に喜んで、それで、子どもが自信を持ってくれればいいなと思います。

それに“がんばったこと”がうれしかったら、きっと次はもっとがんばちゃう、と思うんです。

 

一緒に喜べることの喜び

実は、私は自分自身を、そんなに“喜ぶことが上手くない”と感じているふしがあります。

喜びはつねに戸惑いと共にある感じで、誰かが私のことを喜んでくれても素直に喜べずに戸惑ってしまったり。

そして、誰かが喜んでいる時も、どこか心の隅っこで冷めた自分がいるような気がします。

 

そんな私が、たぶん唯一、心から素直に喜べるのは子どものことです。

子どもに何かうれしいことがあったら、どんな些細なことでも、私はきっとうれしい気持ちになります。

(まあ、でも、たまに水をさしてしまう時もあるのですが・・・)

 

そんなことを考えながら、今日も私は家路を急ぎます。

私を笑顔で迎えてくれるわが家に。

「ただいま〜」