ネバダ臭

クズが伸し上がる為の精神論をちょくちょく書いているクソブログ。口癖は「えー、そんなの別にどっちでも良いんじゃないの?」老害発言の説明文多し。

昔より愛が足りない

 あーなるほどなーと思ったので書いてみる。「好きに種類」というのは確かに存在すると私も思う。付き合っている時の「好き」というのは「いつかは離れるのではないかという不安」であったり「自分以外は見て欲しくないという嫉妬」であったりが大きな割合を占めているような気がする。恋愛時代のその「好き」というものは結婚式でピークを迎え、結婚によりその「好き」は「確信」となり「当たり前」となる。ときめかない、刺激が無い、自称恋愛体質などと言っている気持ち悪い恋愛中毒者は、ここでポッカリ「好きのスペース」が空いてしまうのではないかと思われる。対する不安や嫉妬などというもの以外に「好き」を見出す人は例えば「仕草」であったり「話し方」であったり「考え方」であったり、その相手自身をしっかりと見ている為、不安要素のドキドキしていた部分が無くなってもその「好き」が大幅に目減りすることはない。激しいもの、と言うよりもの凄く穏やかなものなのではないかと常々思ったりしている。その「好き」は注意深くその相手を見ていないと見つけられないものだ。嫌と言うほど目の前で主張する「相手の嫌な部分」に翻弄されるとその「好き」は見えないのだ。御年65歳で取引先を定年退職する際、ウチの会社に顧問として入れろという申し入れを尽く断っている私の営業の師匠がいるわけだが、その師匠から聞いた言葉でこのような言葉がある。「人を嫌いになるのは簡単だ。好きなところを探して相手を好きになる努力をしろ」と有難い言葉を頂戴した。この言葉は営業の心得のみならず、男女関係でも使える言葉であると私は思う。完全な人間などいないし、嫌いなところばかり見ていてもキリがない。これから何年も何十年も一緒に生きていくのであれば、トキメキや刺激的な「好き」は程々に、もっと相手の本質的な事に「好き」を見出していった方が良いのではないかなどと思う。加齢臭が酷い・デブ・ハゲ・イビキがうるさい・ケツが汚い・話が回りくどい・変なとこだけ神経質と嫌な部分は色々あるだろうがもっと好きなところを探して見て貰えないだろうか。何か無いのか?あるだろ?お?見ろって。あるやろ!あれや!あの時のあれや!え?ちゃうちゃうそれいきなり下痢してコンビニでトイレ借りた話やろそれのどこがええ話やねん。好きとか関係ないやろ。ちゃうわあれや、そうそう!あの時の!ちゃうて!それ太り過ぎでズボンのケツのとこ破れた話やろがなんでそんな話覚えとんねん忘れろや。あの時俺あんなに頑張って喜んで貰おう思て夜中にあ

 

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