欧米文化が廃れると「戦前」が始まる

欧米文化が廃れると「戦前」が始まる。日本人なら知っておきたい過去の文化の流れについて

更新日: 2015年04月29日

gudachanさん

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個人の自由や自我の拡大が叫ばれ、進取の気風と称して明治の文明開化以来の西洋先進文化の摂取が尊ばれた。新しい教育の影響も受け、伝統的な枠組にとらわれないモダニズム(近代化推進)の感覚をもった青年男女らの新風俗が、近代的様相を帯びつつある都市を闊歩し脚光を浴びるようになった

大正・昭和モダンの時代にはいくつものファッション雑誌が創刊。本場の海外の雑誌の影響を受けて、洗練されたモードを発信し続けた。現代人から見てもセンスのいいデザインの紙面も多い

しかし、こうした雑誌は1940年代になると一転して欧米色が排除される傾向に。たとえば先駆的なファッション雑誌だった「装苑」は日の丸をバックに、軍服風の格好のモデルのイラストが表紙を飾り、心なしか地味なデザインになった。その後、脱欧米色はさらに顕著になり、「洋裁研究」の4文字も修正されることになる

写真やイラストを用いて親子の洋服ファッションを紹介していた昭和10年の「主婦の友」(付録)

「戦前」になってからの「主婦の友」

西洋風のおしゃれな少女を描いた「少女の友」

センスのいい内容が評価されていた「少女の友」

こちらもいかめしい雑誌に変貌

紙面も軍国少女向きのものになった

そして、街中から「欧米色」が消えた

「写真週報」の1943年2月3日は「看板から米英色を抹殺しよう」と題した特集を掲載。いわゆる「敵性語」の排除は政府が法律で禁止したものではなく、国民の中で次第に膨れ上がったムードをメディアが煽ったことで行われた

これは決してニューヨークやロンドンの街頭ではない。日本の街頭だ。しかもわれわれは、いま米英と戦っている。それにどうだろう、わが日本の都会にこの横文字看板が氾濫しているとは…かかる米英媚態の看板は断然やめようではないか

こうしたネガティブキャンペーンは商品の西洋デザインの英語パッケージにまで及んだ。結果的に、あの「戦時中の風景はできあがったものだ

米英臭のある品物を喜ぶ気持が、まだ銃後に残っていると知ったら、前線の将兵は、どんなに悲しみ、どんなに怒ることだろうか。この嘆き、この悲しみ、この怒りと同じ心で、もう一度身の回りを見回してみよう。学用品、化粧品、薬品… 童心を蝕み、婦道を傷つけ、果ては戦力を挫くもの、十二月八日の朝、既に消えてなくなっている筈のものがまだ残ってはいないだろうか。つくる人、売る人、買う人、みんな前線将兵と同じ日本人だ…

こうした流れののち、日本は教科書で学ぶようなナチスや北朝鮮のような雰囲気が蔓延するようになった

もしかしたら似てきている?今と戦時中の類似点