どうも、こばやしです。
今回は引きこもり・ニートの描写が秀逸な作品を紹介します。
それが…
藤子 不二雄Ⓐのブラックユーモア短編!!
藤子Fがドラえもんやパーマン。対して藤子Aは怪物くんや笑ゥせぇるすまんが有名です。
そんな藤子 不二雄Ⓐ先生ですが、大人向けのブラック短編作品も世に送り出していました。
これまではF先生の『気楽に殺ろうよ』、『ノスタル爺』等の異色SF短編を紹介しましたが、今から40年以上前にA先生も異色作を世に送り出していたのです…
『明日は日曜日そしてまた明後日も……』
目次
あらすじ・ネタバレ
主人公である田宮坊一郎は大学を卒業し、大丸商事という企業へ就職が決まっていた。
彼はとても気弱で、顔つきも非常に幼い。
見るからにグズな青年である。
そんな彼を育てたのが、坊一郎と同じ肥満体系の母だ。
彼女は異常なまでに過保護であり、子離れができていない。
出社初日の朝には彼のコートやお弁当を用意するだけでなく、 一万円を用意し、いじめられないように会社の人に何かおごるようにと指示するなど、常軌を逸するレベルなのである。
対して父親はというと、サラリーマンとして会社勤めをしている。
母親の過保護な言動を注意したり、坊一郎に発破をかけたりと、一見すると常識的であるように見える。
しかしながら、父親も父親。
坊一郎の初出勤の日は、彼の手を引っ張って家を出ているし、息子の様子を気にして会社を早退するなど、やはり過保護な一面がある。
そんな両親の元、育てられた坊一郎。
会社に向かうために父親と共に電車に乗るが、朝の通勤ラッシュに巻き込まれてしまうのだが、車内で潰されそうになった坊一郎は、思わず『パパーッ!』と泣き言を叫んでしまう。
坊一郎は何とか会社にたどり着くものの、ビルの大きさや人々の波に戸惑っていた。
会社に入れずにウロウロ…ウロウロ…
きっと坊一郎は、学生の頃も入学式などに母親と一緒に来ていたのだろう。
ひとりで初めての場所に入ることに慣れておらず、このように困惑していたと思われる。
そんな彼の様子を見て不審に思った警備員。
本作が世に出た1970年代は、日本赤軍などが積極的に活動していた時代で、企業が狙われる可能性も大いにあった。
そんな時代背景もあってか、警備員は明らかに挙動不審な坊一郎を厳しく問い詰める。
その態度に怯えた坊一郎は、思わず逃げ出してしまう。
自分がこの会社の新入社員であることを伝えるだけで済みそうなものだが、彼にはそんなコミュ力や社会性も欠けているのだ。
会社から逃げ出した坊一郎だが、そうしている間にお昼前になっていた。
こうなってしまうと、もうダメ。
初日から遅刻して、上司に怒られる自分。周囲の同期や先輩からの蔑まれた視線。
そんな光景をイメージしてしまった坊一郎は、ますます会社に行けなくなってしまう。
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そんな坊一郎はついに会社に行くのを諦め、公園のベンチに座る。
そして母の手作り弁当を涙ながらに食べるのであった。
そして夕方に帰宅するのだが、可愛い息子の初出社に大喜びの母親。
そして自分のことが心配で早退してきたという父親を前に、ついに本当のことは言えなかった坊一郎。
その後も当然会社に行くことができず、だからといって現状を打ち明けられもしない。
坊一郎は会社に〝行くフリ”をし、毎日を過ごすこととなった。
そんなある日、通勤ラッシュの時間もとうに過ぎて誰もいなくなった駅のベンチで、学生時代の知り合いである中田に声をかけられる。
中田は広告代理店に就職しており、充実した毎日を過ごしていたようだ。
そして中田は、『坊一郎もお得意様回りなのか? まさか今出勤するわけじゃないだろうな』と尋ねる。
坊一郎は何も答えられず、逃げるように中田の元を立ち去った。
そしてついにこの日が来てしまう。
入社初日から無断欠勤を続ける坊一郎。当然のことながら、会社は自宅へ連絡してきた。
母親はというと、息子は当然会社に行っているものと思っているので、真実を知って驚愕してしまう。物凄い表情だ…
その後、坊一郎は母親に病院に連れてこられた。
どうも坊一郎は、社会や組織とかに対する協調性や同化性が失われているらしい。
そういったものに対し、激しい拒絶反応を起こして心を閉ざしてしまうのだ。
初日に会社に行けなかった事がきっかけで、もう勤めに何度出ても駄目になってしまった坊一郎は、勤めることの出来ない病気なのだという。
月日は流れ、年老いた両親は総白髪となり、やせ細っていた。
坊一郎というと、虚ろな表情でただじっと部屋の中にうずくまっていた。
顔は少し老けているが、どこか幼げ。
部屋から出ないことからか、肥満体系は維持されている。
そんな坊一郎は、部屋の中で一日、また一日と日曜日を過ごし続けるのであった…
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感想・考察 ~大人になれない大人たち~
さて、考察。
まず述べておきたいのが、これは40年以上前の作品だということ。
当時は「引きこもり」や「ニート」という考え方がまだ確立されていなかった。にも関わらず、坊一郎のような人間は現代の世に溢れている。
特に、会社へ行けなくなる場面の心理描写が秀逸だ。
こんな漫画を描ける藤子A氏は、天才なのだとつくづく思う。
私自身、中学校の頃不登校になってしまった過去があり、同じように学校へ行けなくなった。
それを隠し、登校したフリをしていたことまで酷似している。親の振る舞いはこの通りではなかったが。
理由がないのに、当たり前のことができないのは本当に苦しい。
不登校や引きこもりを責める言葉は正論であり、言い返しようがない。しかし、当事者もそれを十分に理解しているのだ。
そして罪の意識は1日、1秒毎に増していき、心の重しになってゆく。
次第には、子供の遊ぶ声や郵便の届く音。酷くなると電話の着信音、足音、時計の音にまで怯えるようになる。
日が沈むこと、日が昇ることも怖い。
他の人が当たり前のように学校に行き、学び楽しんでいる。
しかし自分はどうか。何もせず、ただ無駄に限られた人生を浪費してしまっている。
焦りはあるが、それをどうすることも出来ない苦しみ。親にも、世間にも申し訳ないという罪悪感に苛まれるのだ。
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私はこの漫画を読んで、高畑充希が演じた「過保護のカホコ」というドラマを思い出した。
「過保護のカホコ」でも、主人公が過干渉の母親に主体性を奪われ、子供のまま大人になってしまった。
しかしドラマでは麦野くんという救いがあり、カホコは無事に精神的にも社会的にも自立していく。
坊一郎の場合も、今まで親頼み、人任せな人生を歩んできたんだと思う。
やはり両親が過干渉過ぎることが根本的な原因だろう。
食事から着る服まで母親が何もかもお膳立てしてしまい、坊一郎の主体性を奪ってしまっている。
そのため、親の干渉外の場所だとまともな精神状態ではないのだろう。
まして出社初日の緊張感や父親からの叱咤でプレッシャーをかけられている訳だし。
この作品が描いているのは、子供が大人の社会に放り込まれる姿と考えると坊一郎の行動は妙に納得できる。
つまり精神年齢が未熟なのだ。
過保護にされ過ぎて、成長を逃した身体だけデカくなった子供といったところか。
まずは小さなことでいいから自分で物事を決め、自分の意思を持つこと(親の言いなりにならないこと)を学ばなくてはならない。
カホコ言うところの、朝、どんな服を着ていくか。
そして視野を広げること、心の広い人を付き合うこと。
これは麦野くんに相当する。
そして何よりも、簡単に社会不適合者のレッテルを貼って逃げないことだ。
一歩間違えれば、「明日は日曜日そしてまた明後日も…」のような結末を迎えてしまうかもしれない。
読者の心を強烈に抉り、苦しめる作品だが、同時に、決して目を背けてはいけない作品でもある。