毎朝、通勤電車に乗って、会社へ通っている。
今の会社に勤めてもう10年以上経った。もはや、会社へ行くことは日常となっている。
辞めたいと思う時期もあったけれど、今は割と平穏な心持ちで、マイペースで仕事をできている気がする。
少し前に話題になって、辟易するほどすり切れた「会社員vsフリーランス」というテーマがあった。
最近になって、私はその一連の流れで語られていない会社員の面白さに気付いた。
それは、「部下の育成」である。
私は仕事をバリバリやるタイプではないが、10年も会社にいると、部下がつく程度には出世する。半年ほど前から、私の直属の部下が付いた。
部下を育成し、彼の成長を見るのは楽しい。これは、会社員でなければ味わえない楽しさだという思いが芽生え、今回は筆を取った。
半年前から部下に付いた、入社3年目の若手社員
私の会社はプロジェクト単位で動くケースが多く、3カ月から1年超のプロジェクトに従って、それぞれチームを組んで動いていく。
これまでにも私はいくつものプロジェクトにかかわって、その都度自分のアシスタント的な若手が付いたことはあったのだが、半年ほど前から私の下についた若手社員は、直属の部下である。
プロジェクト単位ではなく、私に付けられた部下というのは初めてだった。
彼は入社3年目の社員であり、私の部署に配属になった当初は、まったく毛色の違う部署で2年間仕事をしていたため、まったく使い物にならなかった。
会社が彼を私の下に付けたのは、「若手社員の育成」という側面も大いにあったと思う。
直属の部下がいれば仕事が楽になると思ったら、むしろ仕事が滞り、ストレスを感じることが多くなった。基本的なことがわからない。細かいミスが多い。正直言って、かなりの負担だった。
しかし、仕事に積極的な彼を見て、私は決して投げ出すことはせずに、熱心に育成をするようになっていった。
まずは、「考え方」を教えるように心がけた
仕事を教える際は、「なんでこれをするかわかる?」と聞くようにした。基本がわからない社員は、やっている仕事の意味が理解できないと、クオリティもモチベーションも下がる。だから、できるだけその仕事や作業の背景にある目的や効果を説明した。
そして、「自分が今何をやっているかわからなかったら、まず考えて、わからなかったら私に確認してくれ」と言った。
そうやって、何でも考えるクセを身に着けさせるようにした。
幸い、彼は非常に好奇心が強く積極的で、「なんで?なんで?」という疑問が次々に湧いてくるようで、私はその度に彼に根気強く説明して、仕事に対する理解を深めていった。
まずは基本的な考え方を叩き込み、応用は仕事をするなかで適宜教えるようにした。
細かいミスについては、仕事が慣れていないので仕方がないのもあったが、「仕事が遅くなってもいいから、自分で2回以上チェックしろ」と教えた。ミスは日を追うごとに減っていった。
注意する時は冷静に、感情的にならずに
それから、注意する時は絶対に感情的にならないように注意した。
ほとんど新人みたいなものなので、私では考えられないようなミスや、マナー違反、取引先に対する非礼をすることもあった。
その時は、正直とてもイライラする場面もあったのだが、声を荒げたり感情的になることは絶対にしなかった。
冷静に事実と状況を説明して、自分が間違ったことをしでかした、ということを理解させた。そして、二度とないように注意した。
おそらく、私が感情のままに叱ると、彼はひるんで仕事に支障が出てしまう。感情的に叱ることは、私のストレス発散になるだけで、それ以外の利点はない。
本当に叱りたいのなら、冷静に叱ることだ。
彼は半年で見違えるほどになった
一度、基本的な考え方を身に着けてしまえば、そこから派生した事象について自分で考えることができ、私のアドバイスがなくても自分で解決して成長することができる。
彼は半年ほどで見違えるほどになった。
今では、私は彼のおかげで非常に助かっている。煩雑な仕事は彼に任せて、私はより複雑な、熟考を必要とする作業に集中することが出来ている。
煩雑な仕事だって重要じゃないわけではない。彼がやってくれている仕事が土台にあって、初めて私の仕事ができる。
まだまだ「一人前」とまでは言わないが、半年前からの成長を見るに、彼がひとり立ちしていくのにそう何年もかからなさそうだ。
なぜ人は人を育てたがるのか?
私もこれまで何人かの上司、あるいはリーダーに師事してきた。その中で、2人だけ、感謝してもしきれないほど熱心に育ててくれた上司がいる。
その方たちが居なければ、今の私は居ない。仕事におけるいろはを教わった人と、「考え方」を教わった。
私はその上司たちに師事しているときに、「どうしてこの人は、私のような人間にここまで熱心に教えてくれるのだろう」と思っていた。
確かに「部下の育成」は仕事の一部であり、会社の成長には欠かせない。しかし、上司の中には部下の育成をせずに、放ったらかしで自分の仕事しかしない人も当然いる。部下の育成というのは、どちらかというと、数字に表れづらいし、会社から評価されにくいとも言える。
それでもなぜ、あの人たちは私を育ててくれたのか。
私は、その真意が今ならわかる。部下の育成は、めちゃくちゃ楽しいのだ。
「部下の育成」は会社員の醍醐味である
落語家も弟子を取る。多くは無償で弟子を取る。それは、慈善事業でもなんでもなく、ただ単に「成長を見るのが楽しいから」やっかいごとばかりの弟子を取るのではないだろうか。単なる伝統とは思えない。
部下を教えて、それを吸収して、成長していく姿が面白い。特に「教え甲斐のあるやつ」が部下に付くと、いろんなことを教えたくなるし、スポンジのように吸収していくので、こっちまで乗ってくる。
私は、少し前まで自分が部下の育成を楽しいと思うなんて想像できなかった。割と一匹狼的な感じで、「自分の仕事はきっちりやる。後は各自の責任で」という思いが強かった。
だから、会社員であることの醍醐味に「部下の育成」という側面があるなんて思いもしなかったし、それに気づけたことは非常な発見であった。
新卒数年では経験できない「部下育成ゲーム」
部下を育てることに、直接的な見返りがあるとは思わない。しかし、会社が成長して継続していくためには後進の育成が必要だし、部下を育てられない上司が魅力的だとは思えない。
私は優しくないので、やる気のない奴や、教えても全く成長の見られない人間にはあまり熱心に教えるつもりはないが、向上心のある人間にはとことん教えたい。教えて、成長していく姿を見るのが面白い。そして、熱心に教えれば、部下も慕ってくれる。それがうれしい。
この「部下育成ゲーム」は新卒数年の社員では味わえない。最低10年とまでは言わないものの、ほとんどの会社において数年間の勤務を経て、実績とスキルを積み、はじめて経験できるものだろう。
ちょうどそれくらいの頃には、仕事も一通り覚えて、若手の頃とは違ったスタンスで仕事や会社と対峙でき、面白みも増してくる。
そんなことを想っていると、自分がおじさんになっていることを自覚する。おじさんも、会社員も、案外悪くないかもしれない。