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【二人だけのお葬式】伯父はホームレス 葬儀代を買うという意味

ちょっと早めに会社のグループ内で忘年会をした。その時、ちょっと身内の話題に触れられる。

「そういえば、ガジェットさん。二人きりでお葬式をされてましたよね。」

3年前に喪主を務めた。嫁と二人で参列した時のことを思い出す。一つの節目となる人生のターニングポイントだと思っている。そんな感じの記事です。

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伯父はホームレス

初対面が既に遺体となっている動かない伯父。初めて出会った日が葬儀。そもそも、血縁者であるかの判別すら僕には出来ない。

初対面の人の喪主となり、嫁と二人だけで葬儀を執り行う。子供達の将来に良い流れを運びたいから。


小学生の時に祖母にこっそりと聞かされ続けた話を思い出す。僕の父親は本家の長男だと思っていた。しかし、本当の長男は蒸発したのだという。祖母にとっては、かけがえのない息子であり、影に隠れて泣いていたことを僕は忘れやしない。

伯父は事業を立ち上げて失敗した。そして多額の負債を抱えて倒産。一人で夜逃げをして蒸発する。

家族を捨て、親と兄弟姉妹を裏切り、大地主であった先代からの資産で精算を行う。僕の父親を含めた兄弟姉妹は一文無しとなり実家を追い出された。

この話題は、親族間では触れてはいけない事実であり存在すらも忘れられていた。半世紀前の出来事。そもそも、僕は産まれてすらいない。

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その伯父の消息が途絶えてから、半世紀を経て遺体となって戻ってきた。全財産は僅かに280円。生前中に国が保護を行い、余生は身寄りのいない介護施設にいたのだと後日談で市の職員から聞いた。

紛れも無く保護される前はホームレスであった。

 

哀れな考えの親族達

亡くなると同時に遺体はセレモニーホールへと移され安置される。そして、役場は親族を探し始める。

1親等である実の娘からは断固拒否される。従姉妹の存在ですら僕は知らない。

2親等である兄弟姉妹へと次に連絡が入る。

僕の両親は既に他界しているため、この時点では優先順位として連絡は入らない。市の職員から連絡を受けた叔母達。

「赤の他人だ。全く関係ない。」

「どれだけ苦労させられてきたのか。」

既に記憶にすら残っていない半世紀前の出来事。適当に作話しながら、延々と市の職員に説明をするありさま。どうでも良い内輪の揉め事を市の職員に怒りながら説明を行う。

叔母達は、それでも伯父の財産の確認を行い、280円の所持金に激怒したのか「税金でなんとかしろ」と豪語して電話を切ったのだと言う。

2親等が全て拒絶すると3親等に話が降りてくる。

市の職員から突然連絡が入り、親族の対応を含め経緯を聞いた。親族が無礼なことをしたことを先ずは陳謝する。

寝耳に水の話であるため、断ってもいいと市の職員は語る。最後は税金で対処するからと。

「僕が引き取ります。」

市の職員は、「宜しいのですか?」と念押しする。

断れる理由が見当たらない。初対面であれ、ホームレスであったにせよ祖母から存在は聞いている。

父であれば必ず引き取る。自分の考えに恥じぬよう後ろめたく生きていく道は決して選択しない。必ず後悔してしまう日がくる。その時に悩むのが面倒だから。

数十人の親族が生存している中で、血税を使って葬儀をするという考え方には賛同できない。身内が関係のないのであれば、第三者はもっと関係がない。

心が貧くなった時点で僕の人生は終わりだ。

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哀れな伯父が50年の罪を償い、遺体となり故郷へと帰ってきた。許すという行動が大きな人生の変化を生み出す。

僕は、伯父のことは知らない。そもそも、許すとか許さないという次元ではない。ただ、引き受けなければいけない人生のターニングポイントだと思う。

ここは、間違えちゃいけない人生の選択肢だ。

嫁には事情を説明した。嫁は大きく手で丸を作ってくれた。

 

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葬儀代を買うということ。

市の職員に案内され、嫁とセレモニーセンターに向う。「ご家族に間違いないですか?」数日間、待たされていたのか、少々不機嫌そうだ。ドライアイスの減りをやたらと気にしている。

そもそも、質問自体が愚問である。視覚的な判断はできないが、戸籍上で繋がっているのであれば間違いないとだけ答えた。

年老いた遺体が安置されている。流石に初対面であるため涙は出ない。ただ「お疲れさまでした。」とだけは言っておきたい。

親族は誰も集まらない。嫁と二人で葬儀をするということを告げる。

最低限、必要な諸経費と火葬費で15万円の見積書が既に出来上がっていた。親族が断れば、これが市に対しての請求書となり税金があてられるのであろう。

その見積書を僕が支払うということで契約書にサインをした。

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葬儀代を支払うという考えは微塵もない。支払うと考えると損した気分になる。

放棄したという後ろめたさを引きずらず、自分で納得できる道。長い年月をかけて、叔母達が丹精に育て上げてきた身内の恨み辛みを終わらせることが出来る。それを、たかが15万円で買い取ることができる。

自分の生まれたきた家庭環境の意図を理解して、おかしな状況を変えていく。

必ず、後に活かされてくる。今後を生きる上でのターニングポイント。非常に安い買い物だと思えた。

お金を回すタイミングは、履き違えてはいけないと思う。お金ってそういうものだと思うから。 

 

たった二人の参列者

葬儀は翌日に行った。僕と嫁だけで参列する。法律上の決まりで火葬するだけのことを葬儀と読んでいいのかわからない。

しかし、僕の中では葬儀であり、一つのけじめだ。

お寺の準備も間に合わず、火葬場の係員も訳ありと察したのか見て見ぬふりをする。

別にいい。始めていただきたい。特にこれといった宗教心は、未だ持ち合わせていない。

別の葬儀に来ている人もいる。その中の一人の子供が叫ぶ。「わっ!少なっ。絶対に犯人の家だ。」

ははっ、そう見えるよね。

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お骨は、委託されている介護施設が管理している新しいお墓に納骨させて貰えることになった。

集会場のような名前が書かれた墓標に納骨する。随分と入っている。ここに入る気はさらさらない。

 

ただ、なんとなく

父親が生前していた時は、なんとなくではあるが親族の行き来はあった。しかし、親族同士はギクシャクして仲が良いとは到底思えない。

実の姉妹が倒れた時も、絶対にみないと介護を放棄した。理由は倒れた叔母にはお金がなかったから。

学ぶべきことはない。結局、僕が寝たきりの叔母を施設に預けて面倒を見ている。

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自分に降りかかることを、一旦、他人毎のように捉えて客観的に見てみると自ずと見えてくるものがある。

この親族は、兄弟姉妹が憎しみあい、お金への執着心が異常である。そういう繋がりの一族なのかも知れない。どのような経緯で先祖が資産家に至ったのかは知らない。ただ、伯父は資産を綺麗サッパリ失くしてくれた。少なくとも、一旦、リセットをかけなければいけない理由があったのだと思う。伯父は単に犠牲者だとさえ思えた。

僕が生まれた時には何もない。仮に、こんな片田舎に何千坪の田畑があろうが、山があろうが、家がとてつもなく大きかろうが、全て僕は要らない。固定資産税で潰されるから。

 

僕の弟は、ブログでも紹介しているとおり、幼少期に心肺停止により知的障害になっている。僕の弟として繋がる理由は簡単だ。

兄弟姉妹が憎しみ合う一族「あんたは、どうする」運命に挑発されているような気がする。

僕には、兄弟を見捨てる選択肢も、介護を放棄する気もない。親族の腐りきった流れを断ち切りたいと思っている。割と真剣にね。

大切な娘達には、負の流れを絶対に引き継がせないために。

 

本心は、白馬に跨がれるような家庭に産まれたいとさえ思う。そんな都合のいい人生はないから…。

自分が生まれた環境を理解して踏ん張る。おかしな流れを断ち切って変えていく。楽しく遊びながら。

なんとなくそう思うんだよ。へんかな?

 

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