前回の記事はこちらから→オレと選挙と中村喜四郎と“選挙の鬼”との12年戦争(1)
マスコミ嫌いの中村を「街宣車の声」で探し歩く
中村喜四郎は極度のマスコミ嫌いとして知られている。実際、私は何度も中村に取材を申し込み、そして断られてきた。
ある時、それを申し訳なく思ったのか、事務所スタッフが私にこうこぼすこともあった。
「代議士はマスコミの取材が嫌いで、お受けすることは通常ありません。取材どころか、選挙ポスターの写真撮影も『嫌だ』とか『オレはいいよ』と言うくらいなんです」
たしかに中村の選挙ポスターに使われている写真は若い時のままである。
私が中村の選挙戦を初めて追いかけたのは2005年のことだ。この時の総選挙はいわゆる“小泉郵政選挙”と言われ、世間では「抵抗勢力」と「刺客」の戦いが注目を集めていた。しかし、私は刑務所から出所してから初めてとなる中村の選挙に興味を持った。
このときの取材は困難を極めた。なにしろマスコミへの警戒感がとても強かった。当時、私が選挙事務所を訪ねると、入り口には「選挙報道の正確を期すために!! 会場内報道陣立入禁止」の看板が待ち受けていた。選挙期間中の街頭演説の場所を聞いても、「教えられない」ときっぱり言われた。
しかたなく選挙区内を車で走り回り、人が集まっているポイントを探した。しかし、茨城7区は広く、なかなか見つけられない。それでも車の窓を全開にして走り回っていると、時折、街宣車のスピーカーの音が遠くから聞こえてくる。どの候補者かはわからないが、そう遠くない場所に候補者がいるはずだ。
音が近づいているのか、遠ざかっているのか、どちらの方向から聞こえてくるのかに注意を払いながら、住宅街の路地もくまなく車を走らせた。するとようやく、周りに畑が広がる空き地に数十人が不自然に集まっているポイントを見つけた。おそらくここに誰かやってくるに違いない。
車を安全な場所に停め、聴衆から50mほど離れた交差点で待ち伏せしていると、街宣車のスピーカーから流れるウグイス嬢の声がだんだん近づいてきた。
「なか……、なかむら……、中村……、中村喜四郎、中村喜四郎! 中村喜四郎本人が、バイクに乗って皆様の元へご挨拶にうかがっています!!」
ビンゴ! 中村喜四郎だ!
なんだかよくわかんないけどカッコイイと思わせる
スピーカーの音がだんだん大きくなる。それほど交通量の多くない一本道の遠くから、車列がゆっくり近づいてくるのがわかった。
私が交差点で待ち伏せしてカメラを構えていると、黒いヘルメットをかぶり、ショッキングピンクのジャンパー姿で原付バイクを運転する中村がついにやってきた。ヘルメットはバイク用というよりも、野球選手がかぶるものに形が似ている。バイクの前後を固めるのは、陣営の街宣車とスタッフの車両だ。
「なんだかよくわかんないけど、とにかくカッコイイ!」
不覚にもそう思ってしまった。
車列はもちろん原付バイクの法定速度である30km以下で進んでくる。中村が乗るホンダの原付バイク「ベンリィCD50」の前輪に立てられたポールには日の丸がはためき、泥除けに貼られた「交通安全」のシールがキラリと光っていた。
街宣車の屋上正面に据えられた看板のド真ん中には、四角い枠に収められた中村の顔写真がドーンとはめ込んである。屋上に設置された看板の枠の中から、今にも中村喜四郎が立ち上がってきそうなエネルギーがあふれていた。私は初めて自分の目で見る中村軍団の行列に度肝を抜かれた。
畑が広がる田舎道の赤信号で停車した中村は、最初はにこやかに私に手を振った。しかし、カメラで撮影を続ける私が記者であると気づいたのか、それ以後は一切視線を合わせず、信号待ちの間、50m先の支援者たちに向かって手を振り続けた。
信号が青に変わり、聴衆が待つ空き地に車列が入ってくると、中村はバイクのエンジンを「ブォーン! ブォーン! ブゥオオオーン!」と勢い良く空ぶかししながら会場内を1周した。まるでサーカスがやってきたような表情の聴衆が盛大な拍手で中村を出迎えた。
中村は慣れた様子でバイクのスタンドを立てると、すばやくエンジンを停止してバイクから下り、アーチ状に「NAKAMURA」と書かれたヘルメットをかぶったまま、聴衆に握手を求めに回った。
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
一通り聴衆との握手が終わると、すぐに演説だ。
集まった人たちは熱心な表情で中村を見守る。中村の言葉に逐一反応する。みんな温かい目で中村を見ている。そして中村の演説が終わると大拍手で中村を見送る。中村はまたバイクにまたがり、会場内を空ぶかししながら1周すると次の演説会場へと向かう。これが茨城スタイル、いや、喜四郎スタイルなのか。
滞在時間は5分〜10分。遊説場所は字単位で設定されているため、走るのは幹線道路だけではない。ものすごく細かく走り回るために、追いかけているうちに信号で取り残されることも多い。
そして驚いたことに、雨が降っていても、田んぼや畑のそちこちに傘を差した支持者たちが中村を待ち受けている。中村は選挙期間中、毎日選挙区内の30か所近くでこうしたミニ演説を繰り返していた。
中村が去った後、演説を聞いていた聴衆に話を聞いた。
自民党を離れ、ゼネコン事件で逮捕。実刑を終えていまや無所属となって久しい中村に、有権者は何を期待しているのか。
「やっぱり、地元のことを考えてくれるのは中村先生しかいないよ。圏央道だって、中村先生が地元に引っ張ってきてくれた。建設大臣までやったんだ。逮捕されちゃって、もう自民党に戻るのは難しいかもしれないけど、きっと次の代には自民党に戻れるんじゃないか」
70代の男性は落ち着いた口ぶりで私に言った。
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