2017-07-18

何者にもなりたくたい症候群

これに罹る人自体は、めずらしくない(私だってそうだ)。だが今後、きっと爆発的に増えていく。デジタルネイティブ若者に関しては特に著しく勢力を増やしていくだろう。

情報技術が発展し、情報リテラシーが高まり他人多種多様生き様や頭の中をヴァーチャル追体験できるようになっていくほど、そうなる。

あるいは、縮小し閉塞感に満ちていく社会において「○○のような人材」が求められれば求められるほど、他人の望む人間になることを是とする人は減り、真逆にあたるこの症候群が増える。

現代は多くの人が情報の海に晒されているが、基本的にはみな、好きで晒されている。

情報から距離を置けない理由には社会的欲求(横並び意識)も関係しているだろうが、根源的な部分で、人間知識欲ははかりしれない。

ともかく数年もそういう情報収集に没頭するうちに、人はすべての情報客観的に見るようになる。

言い方をかえると、すべてが他人事になっていく。自分思想行動様式と一致する主張ですら、他人事であり、移入することができなくなる。

感動しないわけではない。心酔しないわけでもない。でも、その素晴らしいものは(ゴミみたいなものもだが)、すべて、自分とは別の世界のことだ。無意識距離を置くようになる。

自分世界には、何もない。ゼロではないが、大したものはない。そのことに虚しさや悔しさなどを感じる時期も通り過ぎてしまった。きりがないのだ。自分空っぽでいい。そうなっていく。

はてブなんていうメタツールを使っている人ならその感覚がよく分かるはずだ。

自分主観的意見」ですら客観視しだして、「これはくだらない、取るに足らないものだ」と思うようになり、いずれ黙るようになっていく。

自分が言わなくても、自分が思いつく程度のことは静観していれば誰かが必ず言う。それどころかもっと洗練された素養を感じる意見が次々と出る。

たまに黙るようにはならない人もいるが、そういう人は、自己空虚さを完全に意識から消しているので、傲慢上から目線発言をするようになる。覚えがあるだろう。

 

自己主体とすることを肯定することは、一人の人間としての人生に埋没してしまうことだ。

それは極めて当たり前のことだが、しかしそうではない、メタ視野の万能感を、我々はもう知ってしまっている。

他人企業社会、そういった観察対象生き様、行く末を見るのは刺激的だけれど、自分がそれに加わろうとは思わない。

できることな人間をやめて、電脳化して、この先数千年くらいの人類を観察していたい。

それはある意味で、死へのあこがれかもしれない。

そうでないのなら、これは静かなる反抗だ。

まりにもできの悪い現実に対する?いや、違うだろう。情報を手にしてしまったことに対する、が妥当だろうか。

もう少し踏み込むなら、世の中にあふれる要素に対して、人生があまりにも短すぎることを知らされてしまったこと、

そして「実体験」の価値相対的に見て瑣末なレベルにまで薄れてしまったこと、その2点に対するハンガーストライキだ。

から何もせず、社会にも加わらず、ひたすら情報摂取して、内なる膨張を続けながら生きる。

 

労働者」になりたくない。

「親」になりたくない。

「男(女)」になりたくない。

強者(=搾取肯定するもの)」になりたくない。

「○○主義者(=世界を狭くするもの)」になりたくない。

「○○ファン/シンパ(=何かに従属するもの)」になりたくない。

ひとつひとつを見れば、中二病高二病かといったものをこじらせたんだな、と一笑に付されて終わるかもしれない。

けれどもこうした「○○になりたくない」という思いはインターネットの海で練り上げられて竜となり、

それらが寄り集まった集合体として、漠然とした怪物の姿となる。

その影はどこにでもあり、その姿は気づけば心のどこかに転写されている。

現代人のほとんどが、そうやって心に怪物を飼っているはずだ。

その怪物こそが、何者にもなりたくない症候群の主たる発生源だと思う。

  

この症候群に罹るのは、若者の間だけではない。

中年になっても、老年になっても、一言で表せるような身分を勝ち取る行動を頑なに起こさず、さまよい続ける境界者であり続ける。

そんな境界者とて、なにか巡り合わせた特定の状況に依存して生きているわけだが、決してその状況を肯定したり、堅持しようとするわけではない。

吹けば飛ぶような場所にいて、弱者であることにこだわり、風が吹くならば死んでも仕方ないと覚悟しつつも、防御行動を取らない人達だ。

そういう人の割合がふえてくると、これまで人類の築いてきたコミュニティの在り方は根底から崩れる。

それが悪いと言うわけではない。いち罹患者として言わせてもらうと、自然の成り行きなのかもしれないし、興味深いと思っている。

 

ある中年職歴なし引きこもりすねかじりもやしメガネより。

  • 生物体はかくも千差万別多種多様

    ところが生物学はそう単純にいきません。ダーウィンの作り出した進化論は比較的に簡単な原理ですが、それを適用することで作り出されることになるはずの生物体はかくも千差万別多種...

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