自分を好きになってくれない人や身勝手な人ばかり好きになり、不安定な恋愛関係に陥ってしまう女性たちへ。
「私は最初から私を好きじゃなかった」――自己肯定感の低い著者が、永遠なるもの(なくしてしまったもの、なくなってしまったもの、はなから自分が持っていなかったもの)に思いを馳せることで、自分を好きになれない理由を探っていくエッセイ。
永遠なるものたち009
「心の傷」

by Fa Barboza
その日の昼休み、私は図書室で破られた本を見つけてしまいました。
私の通っていた小学校は学級崩壊が重なっていて、とても落ち着いて過ごせる環境になかったので、それは誰かが訴えることのできなかった恐怖や不満の発露だったのだと思います。
ちょうどその時期、図書室の本が破られる事件が頻発していました。
とは言っても、まさか自分が発見してしまうとは思ってもいなかったので、私は思いきりうろたえ、そしてその周りに、異常事態を察した児童たちが色めき立って集まって来ました。司書の先生はおっとりとした女性で、「あらあら、困ったね」と静かに眉をひそめていましたが、私は自分の心がビリビリに破られたような気持ちがして、周りの子たちに気づかれないように目に涙を溜めていました。
しばらく雨が続いたので、せっかくの晴れの日にあてどもなく歩いていたら、電信柱に貼られた広告が連日の雨によれて破れていて、ふとあの昼休みのことを思い出しました。
いまでもあの時の自分の気持ちはわかるけど、本が破られているのを見つけた衝撃で泣くなんてと、ふっと微笑んでしまいます。生きていると理不尽なことも、想像もつかないようなひどいこともたくさんあって、いまだったらきっと少し不穏な気持ちになるだけでしょう。
歩きながら、「大人になって心が大きくなったのかな」と思いました。
そしてすぐに、「心は大きくならないんじゃないかな」と思いました。
傷ついてへこんで、心は大きくなっていく
懐が広いとか、度量が大きいとかならわかりますが、そもそも「心が大きい」という言葉はないし、普通は「心が広い」と言うものです。
それは、私が心を臓器のように想像しているからかもしれません。楽しい時に胸が軽くなって呼吸がしやすくなったり、悲しい時には胸が苦しくなって動悸がしたり、いつも胸のあたりに心の動きを感じているからです。
こんなことを書いていたら、高校生の時に物理の先生が、「感情は心ではなくて脳が~」という話をして、女の子たちに、「ロマンチックじゃないこと言うな!」と怒られていたのを思い出しました。それはさておき、心臓や膵臓が体より大きくなったりしないように、心もとっても大きくはならないようなイメージを持っているのです。でも、「器が大きい」とか「心が豊か」などと例えられるように、心は大きくなることができます。
多分、心は脳みそに似ているんだと思います(それは専門家からすれば、実際に心=脳みそなのだと思うのですが)。
あの昼休みに破れてしまった私の心は、どうなったのでしょう。
本をセロハンテープで繋ぎ合わせたように、私の心にも絆創膏のようなものがペタペタ貼られたのかもしれません。でも、セロハンテープを貼られた本が破られる前の本とは違うように、絆創膏を剥がしても私の心は完全に元には戻りません。あるいは、あの時の傷は目に見えないくらいまで修復したかもしれませんが、その後に経験したもっと取り返しのつかない悲しみや怒りや後悔は、はっきり私の心に傷となって残っているはずです。
でも、大事なのはそのことなんだと思います。
何かを知ったり、考えたりすることで、脳にシワが増えるように、傷がついたり、へこんだりすることで、心の面積も増えるのだと思います。そうやって心は広くなったり、豊かになったり、大きくなったりするのでしょう。それで私たちは、それぞれ違う形の心を持っているのです。
みんなの心が同じじゃないということは、寂しくもあるし、自由で愉快でもあります。自分の伝えたいことが少ししか伝わらないこともあれば、意図していない部分から大きな意味を汲んでもらえることもあるのです。
「うまくいかなかった」と落ち込む夜も、自分の想像していた正解に沿えなかっただけで、受け取る相手にとってはどうでもよかったり、むしろ良かったりします。反対にどんなに慎重に行動しても、誰かの気に食わないことだってあります。それはどちらも自然で仕方のないことです。
それでも私たちの心はまた傷つきます。
でも傷があるからこそ、私たちは自分でいられるのです。
Text/姫乃たま