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ヨルモルキミリ「1部」の用語説明~その1~

以下、使用されている言葉の説明です。
※あまり、そのままの意味で受けず、独自に解釈をしている部分もあります。


「郢書燕説」・・・道理に合わない事を最もらしく言う事。

昔に「郢」という国の人が「燕」の人に政治の意見を手紙で書いた時
文字を書く時に、たいまつの下で手紙を書いていた時
暗がりだったので「明かりをあげて」と部下に命令した際
手紙に、うっかり「明かりをあげて」と書いてしまいました。

その後、手紙を受け取った人は
「明かりをあげて」という内容に疑問を持ちました。
結果、手紙を受け取った人は
「明かり=明=聡明な人」を集めれば政治は安定すると解釈した事からです。

※この言葉の意味。
古典を読む時に、学者は意味のこじつけをしたがる
けれど、それは学者が都合よく解釈した事であって
結局、古典の言わんとする事とは限らない、という事。


「たわむれ、たばかれ、意趣ばらし」

意味・・物事はどんなようにでも解釈できる。
最初から悪い、良い、という区別があるのではなく
結局自分がその物事の解釈の基準だという事。
しかし、この判断が無いと物事は区別が出来ない。
でも、区別をすると、物事を自分できつく縛る。
こういった解釈のジレンマが人生にあるという事。

※天使の「拡大解釈」を防がない、防げない理屈がここにあります。
この言葉の意味を「わんこ」は知らないけれど
天使を持たせた結果、こう判断しました。


「山の小径は変わらない。」

人のうつす鏡はその人が消えると、鏡の中も消える。
不変的なものは「鏡」であって、変わるのはその人だけ。
鏡にうつる自分が変わるのでなく、自分自身が変わるだけ・・?
※漠然とした説明から僕がつかみとれる意味はこれだけだったので
※詳しくは、きっちょむさんに聞いてください。


「過去は思い悩むものではない。
・・過去は今を生きる教訓だ。
・・私はそう考えている」

※かいけつ!猫足乙女ちゃんの緑茶師匠の言葉。

過去を思い出し、悩んで一生を終えるか。
それとも、過去を教訓として。
これからの人生をどうするかを考える。
※緑茶師匠は「悪」と自分で判断した者を容赦なく切り捨てた過去がある。
緑茶云々さんへ→君は登場しないよ。
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