2017-11-21
■クレイジーであれ ってけっこう難しいよな 

そろそろメディア向けには案内が出てる頃だと思いますが来週ちょっとした発表があります。
そのとき使うスライドを今月ずっと準備しているんだけどなかなかまとまらまない。
僕のことをよく知ってる人は「えっ」と思うかもしれません。
そう、僕は本来はスライドを何週間も前から準備したりしないからです。
ただ今回の発表だけは、ちゃんとしたい、という思いが強すぎて、なかなかまとまりきらずにイライラしています。
たくさんのステークホルダーが関わるので、いろいろな人と打ち合わせを重ねているのですが、トイレでぼそっと、「いつもみたいにもっとクレイジーな路線の方がいいんじゃないですかね」と言われました。
なんとなくそんな気がしていたけど、果たして自分はかつてそんなにクレイジーだったのか。いまとなってはわかりません。
昔のスライドを見直してみても、そんなにクレイジーな感じがしないんですよね。
でも確かに最近、ディープラーニングとか、圧倒的にクレイジーなものに接しているせいで、自分自身がクレイジーになるという発想が欠けていたかも。ちなみにこのブログもかつては「Keep crazy」というタイトルでした。
ブログのタイトルって面白くて、その時の自分のテーマが色濃く反映されるんですよね。20代の頃は「prejudice」「dogma」と来て、「釣りバカ日記」でした。その頃はメディアで働き初めたときだったので、なんか、客観というものが嘘くさく思えて、あえて「偏見」や「独善」をタイトルにもってきたかった。まあ厨二ですよね。
「釣りバカ日記」は実を言うと釣りをしたことがなかったんだけど、釣りのゲームを作っていて、やっぱりそのときそのときの自分の心情や状況がブログのタイトルに反映されるんだなと。
そうなると、こんどの"ちょっとした"発表は、ブログのタイトルを変更する程度のささやかな変化を僕にもたらそうとしているのかもしれません。
パンチラインというか、人生のテーマというか、そんな大上段なものじゃないけど。会社を作ったときは「港区赤坂四畳半社長」で、そのあと「Keep Crazy」かな。でも「おまえのブログは長すぎる」という苦情がはてブでつきまくったので、disclaimerとして長文日記をタイトルにいれたら、「長い」というコメントは激減しました。
Keep Crazyのときも、たしかgizmodoの創設者のBrian Lamに、「クレイジーなものでなければ作る意味がない」と言われたのがきっかけで、「最近クレイジーになってないな」と思って自戒の念を込めてつけたタイトルでした。
最近思っていることは、自分が生きるこの時代が、人類にとって非常に大きな変化をもたらす時代になろうとしているんじゃないかということ。人工知能という、それまで全く、冗談みたいなものだったものが、突然、眼前に現れようとしていて、しかもそれがどうしてうまくいくのか、よくわからないまま、我々人類は知性というものの定義を変えることを迫られてると思うのです。まあそんなふうに考えているのは僕だけかもしれないけど。
それにつけてもクレイジーとはどういうことなんだろう。
20年分のブログをまとめて半生を振り返った「プログラミングバカ一代」を読み返しても、あんまりクレイジーという感じがしない。日常というか、むしろひたすら、ふつうのことを愚直にやってきただけじゃないか、と思えてならないのです。それ自体がクレイジーなこと、と捉えられているとしたら、わざわざクレイジーぶらなくてもいいのかもしれませんが。
僕がやってきたこと、そしてこれからやりたいことは、常にコンピュータの技術のど真ん中にあることです。つまり、コンピュータそのものを終わらせたいということです。
何年か前、大変光栄なことに、電通大のホームカミングデーに呼んでいただいたとき、講演タイトルは「"コンピュータ"のなくなる日」でした。
コンピュータをやっているやつがコンピュータを終わらせようとするなんて、一見奇妙に思えるかもしれませんが、あらゆる物理学者は物理学を終わらせようとして、あらゆる数学者は数学を終わらせようとしています。それ自体が数学や物理学を研究する大きな目的のひとつだからです。
人工知能は、コンピュータを終わらせる可能性がある、と僕は考えています。
それは、iPhoneが携帯電話を終わらせ、電話が電信を終わらせたのと同じ意味において、です。
終わらせる、という言葉が不適切ならば、次の時代に行く、でもいいのです。
コンピュータは発明以来、ずっとある方向性を目指していました。それは人間の思考の一部または全部、もしくはそれ以上を代替するということです。
それを目指す試み全体を人工知能と呼ぶようになってもうすぐ半世紀が経ちます。
誤解を恐れずにいえば、今、コンピュータは、終わろうとしています。
ジョブズやゲイツの時代は、コンピュータをコモディティ化する時代だったといえます。彼らは一部の研究者だけが使う計算機を、一般の人々に開放したのです。
ジョブズはよく、「宇宙に凹みをつくる」とか、「人類を前進させる」という大げさに聞こえる表現を使います。世間は彼を傲慢だと評価していました。しかし今振り返れば、ジョブズがMacintoshをつくり、NeXTを作ったこと、そしてiPhoneを作ったことは、文字通り人類を前進させたといって良い功績だと誰にでもわかります。
果たしてゲイツやジョブズは自分をクレイジーだと思っていたでしょうか。
むしろ自分は変わり者と呼ばれるけれども、自分こそが正しい道、歩むべき道を歩いているのだと考えたのではないか。しかし普通の人間はそこまでひたむきに、誰も歩もうとしない道を歩き続けることはできません。まっとうであろうとすることそのものが、普通の人間から見たらクレイジーに見えるものなのかもしれません。
先日、とある会社の社長さんから突然メールをもらいました。たまたま知っている会社だったので、どんな人なんだろうと思って会ってみることにしました。
彼は僕が5年前に作った端末の話をして、「クレイジーだ」と言いました。でも僕は、まったくそうは思わなかったのです。だとすれば、僕は僕が普通に考えているように話をするだけで、クレイジーだと思われるのかもしれません。
僕はゲイツやジョブズのような巨万の富を持っていませんし、特別な才能があるわけでもありません。小さな会社を15年、ほそぼそと経営してきた経験があるだけです。
ところが不思議と「昔に戻りたい」とか「人生をやりなおしたい」とは全く思えないのです。
むしろ最近は年を取ってよかった、と思うことのほうが多くなってきました。
何故かと言うと、結局僕は過去を振り返ってみると、やりたいことをただひたすら、紆余曲折しながらも、ずっとそのど真ん中を追求してきたからです。
僕はよく、「いろんなことをしてる人」だと勘違いされます。
たしかに、僕は本を書き、大学で教員をし、会社を経営して、教室をつくり、ゲームを作り、OSを作り、ハードウェアをつくり、ミドルウェアをつくり、プログラミング言語をつくり、人工知能を作っています。
これだけ単語で並べると、たしかにいろんなことをしているようですが、本当にその中心にあるのは、人間への興味です。
「考える事」「思考すること」「感じること」への興味、と言い換えてもいいかもしれません。
僕にとって、教員や教室は自然知能とのインタラクションの場であり、ゲーム開発は自然知能と人工知能のインターフェイスです。
OSやプログラミング言語、ミドルウェアは、プログラマーという、少し特殊な自然知能と自分とのインターフェイスであり、ハードウェアもまたインターフェイスです。
会社経営は、自然知能を集めて疑似人工知能を作り出し、外の自然知能や疑似人工知能とインターフェイスをつくることで価値創造を行う取り組みと言えます。
こうした取り組みの全ては、知能を理解するというたったひとつの目的のために行ってきた複数の視点からのアプローチです。結局、やりたいことは、知能を理解し、応用することです。
もうひとつ、子供の頃から一貫してやりたかったことは、人類を前進させるような発明を行うことです。
ただずっと、どうすればそれができるのか自分でもわかっていませんでした。そもそも人類を前進させるような発明とはなんなのでしょう。
アラン・ケイがいなければ、ジョブズもゲイツもいなかったかもしれません。少なくとも今のコンピュータは、今のような形になっていなかったことは間違いないでしょう。
しかし人類を実際に前進させたのはケイではなくゲイツとジョブズです。ケイのコンセプトはビジネスとしてはうまくいきませんでした。そしてビジネスというのは、現実を実際に変える力です。アイデアだけでは人類を前進させることはできないのです。
カール・ベンツはガソリン自動車を発明しましたが、実際にそれを大量生産して誰の手にも入るようにし、モータリゼーションという大きな変革を起こしたのはヘンリー・フォードです。
トーマス・エジソンは電球を発明したのではなく、実際には送電網を整備したことで電気を普及させたことが偉大なのです。
さて、では21世紀の1/5が過ぎようとしているいま、次なるイノベーションはなんでしょうか。これから有望な技術の種は4つあります。
一つは人工知能、一つはブロックチェーン、そしてARと量子コンピュータです。
いまのところ、このどれもが自動車やスマートフォンのように普及しているとは言い難い、というのが普通の認識だと思います。
ARの機能や人工知能の機能はスマートフォンに入っているじゃないか、という反論があるかもしれませんが、それで実現できていることは実際の技術の持つ可能性に比べて低すぎます。iPhone以前のスマートフォンのようなものです。大半の人々は、iPhoneより前にスマートフォンが存在していた、という事実を認識できないでいます。
20世紀中盤、半導体とコンピュータは全く無関係な発明でした。全く別のところで、まったく別の目的で生まれたのです。半導体は当初はアナログ回路の効率化のための発明でしたし、コンピュータは集計や計算のための発明でした。コンピュータと半導体の組合せは大きなイノベーションとなり、今やこれが別々のものだったこと自体が忘れ去られています。技術にはそういう側面があるのです。
人工知能、ブロックチェーン、AR、量子コンピュータ、この4つの全て、またはその一部が融合するば、そのとき世界は大きく変わるはずです。
そんなことを想像すると、毎日ワクワクします。
そして結局、プレゼンがまとまらなくなるのです。
自分がなにも成し遂げていない今、こんなことを言うのは、とてもかっこ悪いと思うのですが、自分の心のなかにある気持ちを一つの言葉に表現すると、「Push the human race forward」です。
でもよく考えると、復帰直後で何も成し遂げていない、どちらかといえば負け組企業の代表に過ぎなかったスティーブ・ジョブズが、最初に放ったメッセージも同じでした。
厚顔無恥に言うだけ言ってみる、かっこ悪くなる覚悟を決める、あとは歴史の評価を待つ。
ひょっとすると大事なのはそんな単純な覚悟を持てるかどうかということなのかもしれません。
だってこの頃のジョブズってぜんぜんカッコよくないですよ。三ヶ月で倒産する会社に舞い戻ってきた元創業者。しかもほとんど無一文。年俸1ドル。話題作り以上に誰も何も期待していない、ダメダメな頃のAppleです。とりあえずオオボラ吹いて、みんなの気持ちを盛り上げて、さあいっちょ仕事しようか。そんな感じだったはずです。
どれぐらいジョブズの期待値が低かったかというと、ジョブズを呼び戻したCEOであるギル・アメリオは半年も待たずに意見が対立して、会社を去ることになってしまうくらいです。アメリオはまさか自分が追い出されるとは思っていなかったはずです。
でもだからこそ、敢えてでかいことを言ってみる。後ろ指をさされる覚悟をする。
そういやジョブズが復帰したのも、42歳でしたね。
過去の自分の人生を肯定し、敢えて腹をくくって泥臭く生きる覚悟ができる。そういう年頃なのかもなあ
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