つい先日まで、創価学会員同士の「対話」の場を設定して、私が第三者的にその話の進行役を務めていた「つもり」でした。が、それは一方的なこちらの「思い込み」で、結局破綻に近い形で霧散してしまいました。
「一方的な思い込み」だったと言う意味は、片方の人は何の問題もない普通の学会員でしたけど、相手方が「俯瞰中毒者」だったのです。何ともはやの話ですが、後の祭りとはこの事でして、彼を真性の学会員だと勘違いしてしまっていたと言う、自分の責任は全て認めたとしても、自分自身が彼等「中毒者」に対しての脇の甘さが、それこそ見事に発覚してしまったと言う、お粗末極まりのない結果となってしまった訳です。
この「対話」に参加されて、尚且つ様々なコメントを送って頂いた方には、今、この場を借りてお詫びを致します。
本当にお手数をかけてしまいまして、申し訳ありませんでした。
さて、失策の言い訳をする為に、この記事を書いている訳ではありません。お詫びだけのものでも、勿論違います。この件の反省は、これからこのブログの記事の質の変化を見て頂いて、そしてお詫びに代えさせて頂こうと考えています。
この記事は、次に向けて仕切り直しをしたいと言う思いで記しているものです。
よかったら、しばらくお付き合いをお願いします。
今回の「対話」が失敗したかどうかは、現時点では何とも言えないところとも言えます。表面的に見る結果は、どう見ても楽観出来得ないものですが、しかし、長期的な話となると別な見方が出て来るような気がしています。
こんな話をすると変に食いついて来る人も居ますが、対話自体は「信心を中心としたものであった」と、自分ではそう信じています。対話中もこの話を「ナンセンス」と鼻も引っかけない人も居たようです。でも、逆にその人に聞きたいですね、「あなたは学会員?」と。学会員なら学会員のプライドをかけて全ての物事、と迄とは言わないまでも、根本的な話には「信心」を置いて考えるべきではないでしょうか?
「世法の人」のように考え、「世法の人」ように行動するのであれば、その人は「世法の人」だと言えます。学会員なら、「学会員のように」行動すべきなのではないかと思います。例え、こんな下らないと皆が考える、ネット上での「対話」だとしても…。
私はそう考えていましたし、そう考えていく予定でもいます。
まあ、客観的に考えてみると、対話自体は兎も角、自分にとって個人的な大きな反省点があります。
「A氏が、完全な「俯瞰中道者」だと言うことを、対話の初頭時には全く想定していなかったこと」
…これは致命傷でした。
実を言うとA氏は、ウチのブログに数ヶ月前から、出入りをしていました。記事にコメントをだしてくれていたので、このブログが気に入ってくれているんだなと単純に考えていましたけど(これは確かの様です)、でも、そのコメント内容が非常に薄っぺらいものだと言うこと、そして、かなりな粘着質なものを、それぞれ途中から感じるようになりました。この感覚はその経験者であれば、多分理解して頂けるかと思います。で、何となく「「面倒臭せーな」と思うようになってきたのです。
彼のコメントが、当記事に対して正鵠(せいこく)を得たものであれば、こちらとしてもそのコメントに対しては一生懸命なものになりますけど、とにかく全ての記事に対して、ある意味どうでも良い話を送ってくるのです。私の書いた内容文の言葉を換えて同じように書いてくる文章もあります。こう言う状態が続くと、ただただ鬱陶(うっとう)しいだけになります。こちらもその内に返信が面倒臭くなり、放置状態のものも出てきました。
表現は悪いですが、小学生のコメントに対して、どんなに頑張っても全力な返信は書けそうにありません…。この感覚は、局外者にとっては噴飯物かもしれませんけど、でもそうなのです。
最後の方には、彼はどう考えても正常な感覚の人間とは思えなくなってきました。今ならはっきり理由を説明出来ますけど、その当時の私は返信を送るのも躊躇(ためら)いがちな、何とも霧か煙の掛かった状態の精神になってきたのです。
彼当人の話は、そこここには「噂」は流れていましたが、その話に簡単に飛びつく訳にも行かないし、でも彼に対しての「うさん臭さ」は募(つのる)ばかり…如何ともしがたい状態が続いていたのです。
そんな時に、今回の「「対話」が持ち上がりました。実を言うと、この対話を切っ掛けにして、彼が本気で学会のことを真剣に考えてくれるのではと考えたのです。また更には、対話の最中にも題目を唱えてくれるのではないだろうか、と今思えば、そら恐ろしい考えに取り憑かれたのです。世の中には、「駄目なもの」はどこまで行っても「「駄目」だと言うことが、全く理解出来ない人が居ます。それが、当の自分だったようです。
一闡提は一闡提の身分から、決して上には行けません。
そんな危険物を学会の広場に置いてしまったのです。爆発するのは当然です。いかに自分が一闡提たる俯瞰中毒者を甘く見過ぎていたか、今、痛感しています。
「対話」の途中、私が突然豹変したと感じる方は多かったかもしれません。そこがその「感得」の時期だったのです。今考えれば、余りにも突然すぎました。方針転換をしたその「理由」を書くべきでした。今、猛烈に反省しています。
以前、アンチ学会のブログに入って、散々な目にあった経験があります。それに似た感覚がデジャブの如く湧いて出た思いがしました。あの時もかなり背筋が凍る思いがしたものですが、今回も背中にドライアイスを目一杯詰め込まれたような、そんな感覚を覚えました。
アンチ系での経験は、結果的には「アンチ学会の研究をすべき」と言う非常に有意義な「実案」を得ることが出来て、今は逆に彼らに対しては感謝していますけど、今回も結局再度同じ結論に達しました。(話の流れが、単純すぎかな…)
その意味で、今現在はA氏にはこの上もない感謝を感じています。
この場を借りて、「本当に有難うございます」と、言わせて頂きます。
俯瞰中毒者を研究します。
多分、私の知らないことが色々あるんだと思います。まあ、知っていること自体が少ないとも言えそうですが。
で、若しその種の情報をお持ちの方が居られましたら、良かったらコメントで当記事にお寄せ頂けないでしょうか…。何でも宜しいです。実際に経験されたとか、ネット上の話でも、本当に小さな事でも良いですので、寄せて頂けると嬉しいです。
「粘着質」と言うことは、今回嫌という程知らされました。他にも彼等の抽象化された言葉や文章もあるはずです。被害を受けた人が一番よく知っているんでしょうけど、ただ、被害者というのは、その事件を第三者的に見ることが、なかなか難しいことでもあります。どうしても感情論に走る場合もあるでしょうね。今回の私がそうですので、気持ちは非常に理解出来ます。しかし、その「感情の話」でも凄く参考になりそうです。その話の中から、抽象的なものが見つけられる可能性は、大きいのではとも考えます。
シリアルキラーVs. FBI行動分析課の海外TV番組があります。「Criminal Minds」です。有名ですよね。その分析課が出来る、初めの頃の話もシリーズものとしてあります。彼等は犯罪心理を知る為に、犯罪者の居る留置場に直接話を聞くことから始めたそうです。
私は、実際に「俯瞰中毒者」に話を聞きたい気持ちも持っています。「彼」がここに来て話を書いてくれると、これは第一級の史料になるはずです。HNはどうにでもなりますし、見れば大体判ります。文章というものは、「個性」なんですよ。その文章を読めば一目瞭然です。心配しなくても大丈夫、薄紙一枚程度の厚さの文章内容しかありませんから…。
「彼」の参加不参加は兎も角、上記の話の件、色々送って頂けますでしょうか…。お互いにこう言う人種に関して資料を提供し合い、そして勉強し合うのって、有意義なことだと思っています。
補足…上記記事に付随した話を、下記の「うるとらまんさんへ」の返信コメントに認(したた)めました。本文として掲載しても良かったんですが、余りにも長文になりそうでしたので、結局分離記事になりました。若し参考になれば…。
一闡提(いっせんだい)という事
http://tomotiyoo.exblog.jp/21410275/
私 過去に 書いてます
だからこそ 信じる気持ち
これだけは 忘れたら いけないと思います
全ての人に 仏性がある
私は それを 信じて これからも生きます
偽善者と思われたっていいじゃない!(^^)!
ちよさんへ
いいお話、ありがとうです。
管理人さん、中毒者、アベヒさんについての情報を提供してもらい、勉強する場所と理解してよろしいでしょうか?
先ほどの外部席部屋では、三度も、管理人さんがテーマを明示したにも、かかわらず、テーマと、全く関係ない投稿ばかりでした。
申し訳ございませんが、こちらでのテーマを明示していただき、テーマにそった対話をお願いします。
うるとらまんさんへ
この話には若干の説明が必要かと思います。記事本文には記載していませんけど、個人的には「アンチ系連中の構図」は、下記のようではないかと思っています。
1, 創価学会を、中傷する記事を書く事によって生活の糧としている連中。所謂、職業創価中傷集団という連中。兎に角、創価学会へのデマ、中傷、「批判の批判」等を、記事にして雑誌に売り込んで、そして生活をしている連中。元学会員が多いようです。(有名人が多いですね)
2, 退転者連中。上の創価中傷プロ集団の記事を、そのまま自分のブログ等に記載して、何の批判力もなく創価学会を中傷している連中。所謂「アンチ創価学会」の中心を占める連中。頭は余り良くない連中。「学会はMC」だと学会の事を話すが、実際はプロの記事をコピペしか出来ない人間の集まり。
3, ネット上の俯瞰中毒連中。この連中は面白そうな話題が見つかれば何でも飛びつく人々。兎に角、批判じみたことを書きたいが為だけにコメントを寄せてくる。多分、それぞれ得意分野はあるだろうけど、学会への中傷は、返り血を全く浴びる心配はないので、学会系は多い気がする。しかし、興味の対象は常に移動している。執着性が彼等のモットーだと言えそう。ネットゲーム廃人という種類の人間が存在するが、自分の生活全てをそこにつぎ込んでいる。「趣味」と言うより、「生き甲斐」に近いものがある。
4, その他、上の話に何となく影響された連中。彼等は、事実確認はほとんどしない。
この中で(個人的な意見ですが)3の俯瞰中毒者の数は、かなり多いのではと考えます。中毒者の一番の特徴は、自分がネット上で「神」として存在しているという、その思い込みにあると言われています。行動というものは全くせず、唯ひたすら上から眺めて、面白そうな話題に対しては執着的に批判コメントを寄せています。
2のアンチ学会も確かに数も多いようですけど、まともなアンチ学会は少数派のように感じます。
ブログに出没している連中の、種類としては彼等「俯瞰中毒者」が大半を占めているように思えるのです。彼等には本当の意味での「批判精神」は持っていません。出来る事は、ネットに流れている「学会の負の情報」を批判もなく、そのまま自分の意見としてネットに吐き出すだけなのです。
そう言う連中がどういう実態を持っているのか、私は非常に興味を持っています。
ただ、彼等中毒者は、表向き「学会的」な話をするので、見抜くことは非常に難しいとも言えます。
そんな話が色々集まると面白いなと、個人的に思っているのです。
アンチ系を理論的説明に説明していただき、ありがとうございます。
私は、アンチ系のブログ等々は、時折、読む程度です。
管理人さんがアンチ系のブログで対話をしていたことは知りませんでした。
アンチ系について、知識不足で、どこから、どう、話し合いをしていいのか
分かりません。
具体的例を上げてもらえれば、私なりのコメントはできると思います。
あるいは日頃、アンチ系について思っていたことをコメントするのが
いいのか、分かりません。
うるとらまんさんへ
アンチ学会に関しては、このブログでかなりの数量の記事を書いています。記事のそれぞれの調べ方は、下記の通り2種類の検索が出来ます。
〇カテゴリー分類(To Anti SGI、対話専用→これはコメント集にもなっています。結構膨大です)
〇タグ分類)アンチブログ、ブログの運用の話、宿業等をクリックすると、その関連記事が並びます。
それぞれ題名及び、記事冒頭の文章が表示されますので、面白そうなものを選んで下さい。興味に一致するかどうかはちょっと判りませんし、かなり専門的な書き方をしているのもありますので、読み飛ばしながら行くといいかもしれません。
ブログ全体の記事数は107作あります。プラス、それとは別の記事類が50個程。余り根を詰めないようにお願いします。
自分の記事の宣伝みたいになりますけど、下記の記事は「アンチ学会記事」の分かりやすいものかもしれません。(新しい記事を選びました)
「立ち上がれ、富士の清流!」(かなり宗門を茶化していますが、個人的に好きな記事です)、「学会と某宗門の題目」、「本当の師弟不二の話」、「愚癡と嘘話の世界」「他人の才能を認める話」『「かたち」だけに拘る人種』「覚醒者の利用法」「結果という現実を考える」「楽しい陰謀論のお話」……。
参考にして下さい。
判りやすさと言う表現の書き方ではありません。分かり易く、そして深い内容の記事を書くまでの文才がないので、まあ、仕方ありません。
楽しくてすんなり入ってくる内容の文章って、本当に難しいです。
かなり、膨大ですねぇ。隣の組織にネットを鵜呑みにして非活になったメンバーがいます。非活にならなくても、活動が鈍ったメンバーは多いと思います。
こちらで勉強して座談会などで研究発表したいと思います。
個人的に数年前に、誇大妄想の記事を書かれました。
そのような体験から、質問させて下さい。
アベヒさんは菊川さん等々に粘着し、10数年になります。
その記事の量は数十冊分の本が発行できる信じがたい量です。
しかし、菊川さん等々は誰一人、相手にしません。
それでも彼は書き続けます。
誰も価値を感じない記事を書き続ける彼の精神が理解できません。
書くことに意義がある、生きがいがあるとしか、思えないです。
その心理構造を、どう、理解したらよろしいでしょうか?
「俯瞰中毒者」という言葉で真っ先に思い浮かんだのが、下のCMでしたね。
https://www.ad-c.or.jp/campaign/self_all/self_all_01.html
『苦情殺到!桃太郎(全国キャンペーン)』
彼も結局、この類なんだろうなあ・・・と。
福島さんへ
「うふ…」と、思わず笑ってしまいました。
本質を突いたものって、単純ですけど、面白い…。
ありがとうございます。
分かりやすいですね。