学校に行くのが大変な時もある。
というかむしろ自分は毎日苦労して通ったり通わなかったりなんだけれど、そろそろ卒業がヤバくなってきてひどく辟易している。
この場合、(学校)の位置には職場でもなんでも代入してくれたらいい。とにかく「行かなきゃいけない場所」である。なんとなくわかってもらいたい。
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起きられない。学校に向かえない
高校卒業にあたって、うつ回復期にあっても、睡眠障害を抱えていたら元も子もない。受験勉強を捨てて、来年に持ち込むことを半分決意して、9時頃には寝ることを家族と約束した。
8時には睡眠薬を飲んでいるので、だいたい9時頃にはフラフラになって布団に吸い込まれるのだけれど、やはり朝覚醒するのが難しい。
昨日の日曜は、母と母型の祖父母と岐阜の温泉に行って、帰るのが少し遅くなってしまった。そのため布団に入る時間が1時間ほどズレた。
そんなわけで例に漏れず今日も起きられなくて、本気になった両親に1時間ほどかけて起こされた(起こしていただいた)。
1時間、「今日は学校に行けない」と唸る僕と、「卒業するんだろ!?」の一点張りの両親との戦い。今日なんて祖父母までリングに乗り込んできて、「じいちゃんばあちゃんの最後のお願いだから卒業だけしてくれ…」と懇願された。正直重い。
例のうつヌケの書評記事で言われてることがわかった気がする
これ。
実際の話、「うつヌケ」は、僕がうつになってすぐの頃に購入して読んだ。
当時は、それとなく励まされたように記憶しているけれど、今読もうなら嗚咽するかもしれん。
あの時は、色々不安を抱えながらも案外平穏な気持ちを維持できていたと思う。ある時、「学校を休む」という選択は容易にできるものである。
またある時、その選択は不可能に近くなる。正確に言えば、「不可能」な訳がないのだけれど、後に引けない、停滞が許されない期間はある。
僕の場合それは、「大学進学を目標にしている上、学校卒業を前にして出席日数がギリギリのとき」であるが、社会人で身寄りのない状況に置かれれば、必然的に労働を強いられる。こちらも正確に言えば、セーフティネットというものはあるーーが、僕はその現実を知らないーーのだけれど。
今になって思うのだけれど、ダメな時は本当にダメ。精神科の先生にも「立ち止まって休養をとることが最たる薬である」と言われているけれど、休みを重ねるたびに布団の中で胸が締め付けられる感覚を覚える。
学校に行ったら行ったで、教室で受験モードの空気を感じまくって、帰ってうずうずしながら早く布団に潜る。それでも朝起きられなくて卒業が危ういっていうもどかしさ、と言ったら大変なものである。
本気で「必死にもがく必要がある時もあるんじゃねーの」って思った。
元気を出して 。考えるのをやめよう
そういう時にこういう増田記事が効くのだと今日知った。
こういう時に合理的になるのはクソで、「朝起きられないけどとりあえず卒業」と、飛躍的に結論を出せる能力があるといいと感じた。
それ以上は考えない方が大分楽。心に空白を持つのを意識するといいっぽい。
もう1週間ほど休むだけで、ころっと留年コースに向かうみたいだ。これまでまぁまぁの成績を収めてきただけあって未だに信じられんね。
毎日のように遅刻して学校に通っていて、「遅刻」の代名詞的存在になってきた。
「こわ〜い生活指導の先生」は初めこそ自分に対して怒りを露わにしていたのだけれど、遅刻を重ねるうちにいつからか何も言われなくなった。そんなわけで指導部の先生には毎日お世話になってる。
が、その遅刻は怠慢ではなく、格闘の結果であることを忘れてはならない。
明日も頑張ろうぜ。転がるように走り出せ。