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摩多羅神の研究 vol.1

かつて、「摩多羅神考」で有知山尅果はこう書いていらっしゃる。
 
「この摩多羅神の名を知るものは現在では殆ど無いが、此の神の由来に就いては古来更に稀有であった。有態に言へばこの神に対する知識は、現在に及んでも未だ存在していない。
吾々はよく困難な問題が五里霧中に索模せらるる時には、その正体を見定める迄の段階に、数々の譲歩的憶測が対等の証権をもって対峙して先行するのを見るのが常であるが、此の摩多羅神のみに関しては、それすらも見難い例である。」


 
で、今回の結論としては、広隆寺伝・東密(真言密教)系の摩吒羅神も、玄旨壇伝・台密系(天台密教)系、常行堂伝・台密系の摩多羅神も、頭上に北斗七星をいただくという意味では、北斗信仰、星辰信仰と深いかかわりがあり、滑稽で支離滅裂なその祭文や、行列の牛祭ということで、「後戸」の猿楽系(さるかうの芸)の芸能(民)と深いかかわりを持っていて、その共通点を多く指摘できる。
 
「摩多羅」という語は、サンスクリットのmatarah、matr(母)の複数形の音写である。
つまりは、「諸母天」(「七母天」または「八母天」を意味しているだろう)と。
また『大方広菩薩蔵文文殊師利根本儀軌経』(宋の天息災訳)では、摩多羅はmatarahの音写として使われている。摩怛羅も『蕤呬耶経』(不空訳)では、matarahの音写である。
(注)matarahの2番目のaのところには、上にーがあります。私では、表示できません・・・。
 
サンスクリット語を漢字で音写することは、佛教用語にはよくあります。
そして「母」の複数形といえば、「諸母天」と考えられる。
 
●江戸時代に書かれた東叡山の真如院覚深の『摩多羅神私考』を次に書きます。
1738(元文3).3.18
 
 
 

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