2017.
11.
18
モージャー氏撮影写真資料。
自分のツイートに端を発し、ネット上に思わぬ拡がりを見せている。
資料自体は国会図書館のデジタルコレクションで今年の9月から公開されているものだし、既にkindleで99円(!)で販売されていたものであるのだが、一連のツイートが思った以上の拡がりをみせて、結果的に第一発見者みたいなことになってしまった。
ツイートが拡散されてこの2日、いろんなことを考えさせてもらうことができた。折角なので、この現象の雑感などを記事に留めておこうと思う。
「モージャー氏撮影写真資料」とは、米国人モージャー氏が、第二次世界大戦後、GHQの文民スタッフ(civilian secretarial staff)として昭和21(1946)年4月から昭和22(1947)年1月に日本に滞在した際、東京、名古屋、広島等の全国各地で撮影した街頭風景や建築物のカラー写真で、2008年に親族から国会図書館へ寄贈、デジタル化され、現在304枚が公開されているようだ。
国立国会図書館デジタルコレクション:http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10756455
資料目録:https://rnavi.ndl.go.jp/kensei/tmp/Mosierindex.pdf
273 4人の子どもと富士山/山梨県山中湖畔
この資料、きっと一枚だけでも何日も遊べそうな内容の写真が、圧倒的な量と質で迫ってくる。昭和40年代に日本で一般的になったカラー写真よりも高画質で、まるで昨日撮影したかのように鮮やかに写されている。なにより、被写体となっている風景や人物の表情がとてもいい。
「終戦直後の写真はモノクロに決まっている」という、これまでの多くの日本人が抱く固定観念が完全に覆される。教えられてきた「歴史」としての戦後、そして見たことのない戦後の日常が、とてつもないリアリティを持って迫ってくるのだ。とにかく、考えさせられることばかりの写真群だ。本当にこれ、教科書に載せてもいいレベルだと思う。
241 松坂屋前の路上/愛知県名古屋市中区
目録で場所不明とされている写された写真の中にも、ヒントになりそうなものがたくさん写されている。解析の余地が十分に残されているのもこの資料の魅力だろう。
そして、被写体はマニア受けしそうなもののオンパレードなのだ。思いつくだけでも、飛行機、船、車、映画、歌劇、城、神社仏閣、建築、喫茶店、富士山、着物、写真などなど、かなり多くの分野のマニアにも衝撃を与えるだろうことは想像に難くない。
253 名古屋市役所愛知県庁/愛知県名古屋市
そもそもこの資料、自分がどういう経緯で発見したかというと、いつもと同じように、国会図書館デジタルコレクションで調べものをしていたとき(そのときは五色園が保安林解除されたとされる昭和15年1月27日の官報を探していたのだが、結局見つからなかった)、たまたま検索ワードに「聚楽園」と入れてヒットした一番古い資料を選択したところ、これまでに見たことのない、アメリカ軍人が手のひらに乗った弘法大師像のカラー写真が表示されたのだ。
実は、発見直後のツイートのときは、そこまで重要な資料だとは思っていなかった。自分の趣味の範疇である戦前の名古屋のコンクリート像の貴重な写真が見つかった!くらいに思っていた(結果的に、コンクリート像作家の後藤鍬五郎が拡散されたことは、自分にとっては嬉しい誤算だった)。
でも、あらためてよくよく見てみると、色鮮やかな着物、闇市の光景、名古屋城、原爆ドーム、東京駅、氷川丸、マッカーサー元帥の車・・・
これ、ひょっとしてすごい資料なんじゃないか?いや、こんなの見たことない、間違いなくものすごい!!それに気づいたときは感動した。すごすぎる。
47 原爆ドーム(広島県産業奨励館)/広島県広島市
今は撮影地不明となっている資料も、きっとすぐに各分野の専門家の手によって解析されていくことだろう(既に一部では始まっているようだ)。集合知というのはネットの魅力の一つでもあるけれど、これだけのボリュームと内容が、ネットの世界であっという間に消費され尽くしてしまうであろうことは、少しもったいない気もする。こんなこと言っても仕方ないのだけれど。
今回の資料は、個人の「戦争観」みたいなものを少なからず刺激することもあるのだろう、 ネット上には本当にいろいろな考えの人がいることを身をもって感じられた。これも今回の騒動の収穫だ。
あと、なぜかフォロワーさんの数が4倍くらいになってしまった。これまでのツイート内容にも興味を示してもらえると嬉しいのだけれど。基本的には名古屋のコンクリート(セメント)像の成り立ちと背景の謎を解き明かし、その魅力が正しく伝わればいいと思うだけのひっそりとしたアカウントなのだ。
40 聚楽園大仏/愛知県東海市荒尾町(旧知多郡上野町荒尾)
ただの趣味で浅野祥雲や戦前の名古屋の研究してるだけの自分が、この貴重な資料を「発見」することになったのも何かの縁なのだろうか。この発見と紹介が、一時的なコンテンツの消費ではなく、一人でも多くの人が戦前戦後の様子や事実を「正しく」理解し、正確に後世に伝えるきっかけになればとても嬉しく思う。
素敵な出会いの機会を提供してくれたモージャー氏に感謝したい。
114 「愛知貫徹大会」の張り紙とMosier氏(建物屋上)/愛知県名古屋市(推定)
自分のツイートに端を発し、ネット上に思わぬ拡がりを見せている。
資料自体は国会図書館のデジタルコレクションで今年の9月から公開されているものだし、既にkindleで99円(!)で販売されていたものであるのだが、一連のツイートが思った以上の拡がりをみせて、結果的に第一発見者みたいなことになってしまった。
ツイートが拡散されてこの2日、いろんなことを考えさせてもらうことができた。折角なので、この現象の雑感などを記事に留めておこうと思う。
「モージャー氏撮影写真資料」とは、米国人モージャー氏が、第二次世界大戦後、GHQの文民スタッフ(civilian secretarial staff)として昭和21(1946)年4月から昭和22(1947)年1月に日本に滞在した際、東京、名古屋、広島等の全国各地で撮影した街頭風景や建築物のカラー写真で、2008年に親族から国会図書館へ寄贈、デジタル化され、現在304枚が公開されているようだ。
国立国会図書館デジタルコレクション:http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10756455
資料目録:https://rnavi.ndl.go.jp/kensei/tmp/Mosierindex.pdf
273 4人の子どもと富士山/山梨県山中湖畔
この資料、きっと一枚だけでも何日も遊べそうな内容の写真が、圧倒的な量と質で迫ってくる。昭和40年代に日本で一般的になったカラー写真よりも高画質で、まるで昨日撮影したかのように鮮やかに写されている。なにより、被写体となっている風景や人物の表情がとてもいい。
「終戦直後の写真はモノクロに決まっている」という、これまでの多くの日本人が抱く固定観念が完全に覆される。教えられてきた「歴史」としての戦後、そして見たことのない戦後の日常が、とてつもないリアリティを持って迫ってくるのだ。とにかく、考えさせられることばかりの写真群だ。本当にこれ、教科書に載せてもいいレベルだと思う。
241 松坂屋前の路上/愛知県名古屋市中区
目録で場所不明とされている写された写真の中にも、ヒントになりそうなものがたくさん写されている。解析の余地が十分に残されているのもこの資料の魅力だろう。
そして、被写体はマニア受けしそうなもののオンパレードなのだ。思いつくだけでも、飛行機、船、車、映画、歌劇、城、神社仏閣、建築、喫茶店、富士山、着物、写真などなど、かなり多くの分野のマニアにも衝撃を与えるだろうことは想像に難くない。
253 名古屋市役所愛知県庁/愛知県名古屋市
そもそもこの資料、自分がどういう経緯で発見したかというと、いつもと同じように、国会図書館デジタルコレクションで調べものをしていたとき(そのときは五色園が保安林解除されたとされる昭和15年1月27日の官報を探していたのだが、結局見つからなかった)、たまたま検索ワードに「聚楽園」と入れてヒットした一番古い資料を選択したところ、これまでに見たことのない、アメリカ軍人が手のひらに乗った弘法大師像のカラー写真が表示されたのだ。
実は、発見直後のツイートのときは、そこまで重要な資料だとは思っていなかった。自分の趣味の範疇である戦前の名古屋のコンクリート像の貴重な写真が見つかった!くらいに思っていた(結果的に、コンクリート像作家の後藤鍬五郎が拡散されたことは、自分にとっては嬉しい誤算だった)。
でも、あらためてよくよく見てみると、色鮮やかな着物、闇市の光景、名古屋城、原爆ドーム、東京駅、氷川丸、マッカーサー元帥の車・・・
これ、ひょっとしてすごい資料なんじゃないか?いや、こんなの見たことない、間違いなくものすごい!!それに気づいたときは感動した。すごすぎる。
47 原爆ドーム(広島県産業奨励館)/広島県広島市
今は撮影地不明となっている資料も、きっとすぐに各分野の専門家の手によって解析されていくことだろう(既に一部では始まっているようだ)。集合知というのはネットの魅力の一つでもあるけれど、これだけのボリュームと内容が、ネットの世界であっという間に消費され尽くしてしまうであろうことは、少しもったいない気もする。こんなこと言っても仕方ないのだけれど。
今回の資料は、個人の「戦争観」みたいなものを少なからず刺激することもあるのだろう、 ネット上には本当にいろいろな考えの人がいることを身をもって感じられた。これも今回の騒動の収穫だ。
あと、なぜかフォロワーさんの数が4倍くらいになってしまった。これまでのツイート内容にも興味を示してもらえると嬉しいのだけれど。基本的には名古屋のコンクリート(セメント)像の成り立ちと背景の謎を解き明かし、その魅力が正しく伝わればいいと思うだけのひっそりとしたアカウントなのだ。
40 聚楽園大仏/愛知県東海市荒尾町(旧知多郡上野町荒尾)
ただの趣味で浅野祥雲や戦前の名古屋の研究してるだけの自分が、この貴重な資料を「発見」することになったのも何かの縁なのだろうか。この発見と紹介が、一時的なコンテンツの消費ではなく、一人でも多くの人が戦前戦後の様子や事実を「正しく」理解し、正確に後世に伝えるきっかけになればとても嬉しく思う。
素敵な出会いの機会を提供してくれたモージャー氏に感謝したい。
114 「愛知貫徹大会」の張り紙とMosier氏(建物屋上)/愛知県名古屋市(推定)
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おお~、弘法大師像だあ!懐かしい!と思ってツイートからモージャー氏のリンク先へ飛んだクチなのですが、内容が圧倒的ですねえ。画像の持つ情報力や説得力は凄いなあと
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