その発言、行動が、日本の社会に多くの影響を及ぼした、作家たちが「アイドル」としてもてはやされた時代があった。あの時代、なぜ彼ら、彼女たちは時代の寵児となったのか? 『文壇アイドル論』の著者、斎藤美奈子さんに訊いた。
- Author:
- 森 慶太
老いも若きもみんなが親しんだ(こともある)メディア空間として、紙の上の活字の世界には長い伝統がある。テレビもラジオもまだ普及していなかった頃から少なくともほんの少し前までにわたって、文壇は多数のインフルエンサーを輩出してきた。であればそれは、対象として語ってもらうに足る主要なジャンルのひとつであるといえる。『文壇アイドル論』の著者、斎藤美奈子さんに訊く。
慎太郎刈りを知ってますか?
鈴木正文(以下、鈴木):『文壇アイドル論』の著者、斎藤美奈子さんにおいでいただきました。
斎藤美奈子(以下、斎藤):作品がメディアでさかんにとりあげられて世間からすごく注目を浴びて、なおかつ本人の毀誉褒貶も……というような作家を、あのときは「文壇アイドル」と名づけたのですが。
鈴木:文壇の人で、いわゆるアイドルにもっとも近い、または近かったのは……。
斎藤:石原慎太郎でしょうね。圧倒的に。ひとつ非常に象徴的だったのは、本人の髪形が流行のスタイルになったこと。慎太郎刈りですね。
鈴木:つまり、作家がファッション・リーダーたりえた。彼はオピニオン・リーダーでもあったわけですが。
斎藤:『太陽の季節』に由来する「太陽族」という言葉まで生まれました。小説より、むしろ映画によるところが大きかったようですが。
鈴木:それもふくめて、文壇ビジュアル系のはしり。
斎藤:石原慎太郎にはアプレ・ゲール(戦後派)の作家としての新しさもありました。『三四郎』や『友情』以来、日本の作家の作品って要するに、若き知識階級者の苦悩を書いたものでしたよね。ウジウジと(笑)。
鈴木:内臓をほじくり返すような。
斎藤:オクテのインテリ青年が悩んで、結局は好いた女にフラれる(笑)。『太陽の季節』はそうじゃなかった。モデルは弟の裕次郎たちだったともいわれますが、あれは慶応高校の不良学生というか湘南ボーイの話ですよね。女の子をナンパしたり。ボクシングはやるわ、ヨットは乗るわ。そりゃ、知識階級じゃない大衆にウケるわけです。
鈴木:苦悩や内面ではなく、ものすごくこう、自己肯定的な。あからさまにブルジョワ的でもありましたが。
斎藤:若者の風俗にみんな興味を持ったんでしょうね。同じタイプのアイドルは、村上龍です。『太陽の季節』と『限りなく透明に近いブルー』って、世間による作品の受容のされかたが似ていたと思います。
鈴木:マッチョ系かフィジカル系か、いずれにせよ、アンチ教養主義の系譜でしょうか。あるいは、斎藤さんの著作から言葉を借りるなら、オッチョコチョイ系。
斎藤:芥川賞でいうと、1956年にデビューした石原慎太郎のちょうど20年後が村上龍。2人とも、若くしてデビューし、しかも息が長いですよね。いまの若い人でもちゃんと名前は知ってる。あと顔も。
鈴木:太宰(治)とかは、じゃあ、どう説明されますか。
斎藤:私小説的な作品も太宰は書いていますが、自己に対するシニカルな視点があったところがほかと違います。それと太宰治って、文庫の巻末にある解説なんかを読むとわかるんですが、作家に対する解説者の目線が、困った弟を見てるみたいな感じなんですよ。作品の構造分析とかじゃなくて、あぶなっかしい後輩から目が離せない的な話になっちゃってる(笑)。いまの若い人でも太宰ファンが多いのは、そのへんが関係してると思います。
鈴木:リーダー的存在というよりは……なんでしょう。やはり、アイドルと呼ぶしかないような作家ですかね。
斎藤:年長の文学者にとってはあぶなっかしい弟みたいで、若い読者にとっては「他人とは思えない」。そういうアイドル。「これは僕だ!」って。
鈴木:それと、ムラカミといえば、もうひとり。
斎藤:村上春樹は最初は知る人ぞ知る作家だった。ブレイクしたのは『ノルウェイの森』からですよね。オタク的な解釈や批評というか深読みのしどころ満載の作品を提供してくれたところが彼を人気作家にした。メディアへの露出が少ないところもミステリアスですし。あと、精神的な救済を与えるんだよね。だからこそ、いまの日本を代表する大人気作家になった。
鈴木:というか、世界的な。
斎藤:でも批評家の評価は厳しいんですよね。文壇からは孤立してる大御所。彼が売れた時代は、80年代のニュー・アカデミズムあたりとも重なっていて……。
鈴木:批評家も、あるいは批評家が注目された時代。
斎藤:批評家というより、批評的、分析的な態度がかっこよかったんでしょうね。浅田彰や中沢新一、アイドルでしたよね。本も売れたし。インテリ青年が自己を語るのとは違ったやりかたで、現代思想を語ってみせた。内容的にはみんなが理解していたとは思えないんだけど(笑)、知的な雰囲気がウケた。
鈴木:知識人というか言論人の言論や著作が世間的にイケてるものとして受け入れられたのは、いまのところ、あの頃が最後だったように思います。ローソクの火が、消える前にひときわ明るくなった……かのような(笑)。でも、どうしてああいうものがウケたのか。
斎藤:バブル経済がピークに達する、そのわりと直前あたりの時代の話、ですよね。やっぱり経済的な余裕がないとね。
鈴木:時代的に悩みがなかったから、ということで説明がつくのかもしれません。
文壇と林真理子
斎藤:異色の文壇系アイドルとして、林真理子。彼女って、女の子には人気があったけど、デビューしてからずいぶんの期間、文壇や活字メディアからはひどい扱いを受けてましたよね。OL上がりのコピーライター上がりのエッセイスト上がりのくせに、という目線で見られてた。インタビューではあからさまにセクハラされたりとか。そのなかで果敢に戦って……。心身ともに強い人。いまや直木賞の選考委員。文壇のど真ん中に近いところへ上りつめました。
鈴木:「野心」の人ですか。あるいは、自身が成功に至るまでの過程を見せることでアイドルになった人。
斎藤:それと、田中康夫。彼の場合は文壇はじめ、いろんなエスタブリッシュメントに自分からケンカを売って活動してきたというか。読者に対しても挑発的なところ、ありますよね。神経を逆撫でされる人が多そうなタイプの「ですます調」の文体で。
鈴木:アクティヴィストとしての側面がすごく強い人でもありますね。そういうことでは、かたや石原、こなた田中。
斎藤:2人とも一橋大学卒で政治家経験者。ただ、誰と比較するかによって見え方は違ってきます。もしかしたら村上春樹ではなくて田中康夫こそが村上龍と較べられるべき存在かもしれない。世間に対する反抗心の持ち方が2人は似ていたと思います。ただし、方法論はちがう。ねちっこく執拗に論理をこねくりまわす人と、ニュースに敏感に反応して作品に採り入れちゃうオッチョコチョイの人。好対照ですよね。
鈴木:なるほど。
斎藤:ハルキとリュウのふたり、どっちもいまの日本の売れっ子作家で「両村上」とかいわれてますけど、考えてみたら、たまたま苗字が同じというだけじゃないですか(笑)。
鈴木:2017年の現在、ということでうかがいます。最新の文壇アイドルといって誰もが納得できるような人は、いるんでしょうか。
斎藤:まだしも時代的にいまに近いといえるのは、綿矢りさと金原ひとみかな。2人とも2003年の同時に芥川賞を獲って、それと本人たちが美少女アイドルみたいな作家でしたし。
鈴木:でも、2000年代。もう十数年前です。
斎藤:あのあたりが最後だったんじゃないかなー。
鈴木:文壇アイドルの時代は終わった?
斎藤:ひとついえるのは、文壇アイドルって雑誌や新聞が、つまり活字メディアが作るもの、作ってきたものだってことじゃないでしょうか。
鈴木:生み出す母体となるメディア空間において主役が交代したか、あるいは交代しつつある。活字メディアの対抗としてのインターネットということでいうなら、その元年と呼ぶべきは1995年ですか。
斎藤:ちょうどその頃、『少年H』がミリオン・セラーになってます。1997年ですね。で、すごく興味深いのは、『少年H』のすぐあとに、こんどは小林よしのりが。
鈴木:ゴーマニズム宣言。
斎藤:それが98年です。よしりん、『戦争論』を出したことでアイドルといっていい存在になりましたよね。『少年H』と『戦争論』。どちらも、作品としては問題があると私は思っているのですが、少なくとも妹尾河童さんは、自分が少年時代に体験した戦争を、戦後民主主義的な価値観にもとづいて裁いてる。その意味では反戦的です。一方、『戦争論』は太平洋戦争肯定論。いまのよしりんは当時とは立ち位置がちがいますけど、ネトウヨの人たちを生むきっかけを作っちゃった責任をとってよという(笑)。
鈴木:政治的なことでいうと、いま元気なのは右のほう。僕にはそう見えます。もちろん、うれしくないけど。
斎藤:敗戦から90年代半ばぐらいまでは、右と左でいうと左の時代で、右が負け戦を闘ってたと思うんです。そこから20年かけて、日本の世論は逆転した。現在は「右傾化」の時代といわれてますけど、それは景気の後退ととにも、少しずつ進行していたように思います。
鈴木:それと、もうひとつ。受け手の側において知的な言説への関心や文字を読むことへの興味が失われているという印象をおもちではないですか。
斎藤:ありますね。そうなってると思います。
鈴木:どうしたらいいんでしょう。
斎藤:いまの若い子たちも、読む人はちゃんと読んでるんですけどね。ただし、隠れキリシタンみたいに。
鈴木:本なんて読んでると、弾圧されちゃうから?
斎藤:「あ、意識高い系?」みたいにいわれちゃうのがメンドくさいから、読むときはこっそりと。知的な態度がウザイっていう今の雰囲気は、望ましくはありませんよね。文壇というか作家を見ても、世界を見回して政治や経済を語る人はごく限られている。いいか悪いかは別として、2000年代までは立花隆がやっていたような役割は引き受けたがらない。
鈴木:国民的文壇アイドルは存在しづらい時代、ということになりましょうか。ありがとうございました。
斎藤美奈子 文芸評論家
成城大学経済学部卒業。児童書などの編集者を経て、1994年『妊娠小説』(筑摩書房)でデビュー。2002年『文章読本さん江』(筑摩書房)で第1回小林秀雄賞を受賞した。著書に『モダンガール論 - 女の子には出世の道が二つある』『あほらし屋の鐘が鳴る』(ともに、文春文庫)、『学校が教えないほんとうの政治の話』(ちくまプリマー新書)などがある。近著は『文庫解説ワンダーランド』(岩波新書)。