福島県二本松市安達ヶ原・黒塚の【鬼婆伝説】とは!?

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福島県二本松市安達ヶ原・黒塚の【鬼婆伝説】とは!?

語り継がれる安達ヶ原の鬼婆伝説

福島県二本松市安達ヶ原、黒塚の鬼婆伝説をご存じでしょうか?
「鬼婆は家にも・・・」
いえいえ、そうではなくて、平安時代から語り継がれてきた「鬼婆伝説」の舞台となったのが、阿武隈川(あぶくまがわ)のほとりにある観世寺です。
「鬼婆」を退治した僧・祐慶(ゆうけい)が開基と伝えられています。

ゾクッ!

昔は風葬の地というのがあったのですね。
安達ヶ原も死者を棄てた風葬の地であったという話も残っており、鬼婆伝説が生まれたのかも知れません。

平安時代から語り継がれている伝説は日本中に残っています。

飢餓や災害、戦乱などで多くの人が亡くなり、巨石や大きな樹、山、海などを人々は信仰し、異界な話が語り継がれるようになったのでしょうか。

↑上の画像の説明

左側の画像
「画図百 鬼夜行」(がずひゃっきゃこう、かずひゃっきゃぎょう)は、安永5年(1776年)に刊行された鳥山石燕妖怪画集。(Wikipedia)

右側の画像
1885年月岡芳年「奥州安達がはらひとつ家の図」
妊婦を逆さづりにして包丁を研ぐ鬼婆。
風紀を乱すということで、明治政府により発禁処分となったとのこと。

鬼婆が棲んだと言われている岩屋(笠石)

出典 http://home.s01.itscom.net

安達ヶ原の鬼婆伝説

京都の公卿屋敷に奉公していた「岩手(いわて)」という名の乳母がこの伝説の「鬼婆」となります。
岩手が可愛がっていた姫が不治の病に侵されてしまい、易者に問うと、
「妊婦の生き肝を食わせると良くなる」と言いました。
岩手はこの言葉を信じて、生まれたばかりの自分の娘を置いて、妊婦の生き肝を手に入れるために旅に出ます。
なかなか手に入れることができず、遠くの安達ヶ原の「岩屋」まで来てしまいました。
岩手はこの岩屋でいけにえとなる妊婦を待ちます。
ある日、生駒乃助、恋衣と名乗る若い夫婦が宿を求めて来ました。
恋衣は身ごもっており、急に産気づいてしまい、生駒乃助は産婆を探しに外に走りました。
岩手はこの時とばかりに出刃包丁で恋衣の腹を裂き、胎児から姫のための肝を取ってしまいます。
息をひきとった恋衣が身につけていたお守りを見た岩手は驚きます。
自分が京を発つ時に娘に残したお守りだったのです。
あまりの出来事に気が狂った岩手は、旅人を襲い、生き血を吸い、人肉を食ってしまうという鬼婆となったのです。

数年後、紀州熊野の僧、祐慶が旅の途中で安達ヶ原に寄り、岩屋で一夜を求めた時に、閨(ねや)を見るなと言われたのに、のぞき見てしまいました。
閨(ねや)の中は人の死骸が積み重なっており、祐慶は恐れて逃げてしまいます。
鬼婆は追いかけて来ましたが、祐慶が一心不乱で経を唱えると、観音像が天に昇り、白真弓で鬼婆を射止めて、阿武隈川のほとりに葬り、この地は「黒塚」と呼ばれるようになったのだとか。

【怖い話】福島県 二本松市 安達ヶ原の鬼婆

観世寺

宝物館があり鬼婆の遺品が展示されています。

観世寺の境内には、鬼婆が棲んでいたといわれる笠石の他に、夜泣き石、安堵石などの巨石があります。

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