42,223人。
これはアルビレックス新潟が初めてJ1に昇格したゲーム。
2003年のJ2最終節でビッグスワンに訪れた観客の数である。
そしてそれ以来ずっとアルビレックス新潟はその時計の針を日本最高峰の舞台で刻むことになる。
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それでもアルビレックス新潟は地方クラブの英雄である
以下が2004年のJ1クラブである。
- 鹿島アントラーズ
- 浦和レッドダイヤモンズ
- ジェフユナイテッド市原
- 柏レイソル
- FC東京
- 東京ヴェルディ1969
- 横浜F・マリノス
- アルビレックス新潟
- 清水エスパルス
- ジュビロ磐田
- 名古屋グランパスエイト
- ガンバ大阪
- セレッソ大阪
- ヴィッセル神戸
- サンフレッチェ広島
- 大分トリニータ
J1には関東のビッグクラブが集中し、巨大な親会社を持たずにJ1に挑戦できた地方クラブは大分トリニータとアルビレックス新潟のわずか2チームだけであった。
特に初昇格のアルビレックス新潟のスタジアムの熱気は素晴らしく、残留争いに巻き込まれるものの常時40000人近くの観客を集め選手を後押ししていた。
そのスタジアムの姿は正に「地方でもできる」ということの証明そのままであった。
事実当時アルビレックス新潟には多くの後進地方クラブが視察に訪れていたと記憶している。
しかしJ1という場所はあまりにも厳しく新潟が自ら発掘し日本にフィットさせた優秀な外国人選手、育て上げた日本人選手はことごとく他クラブに引き抜かれ、その都度新潟は厳しい戦いを強いられることになった。
日本代表になった者。W杯に出場した者。ブンデスリーガに挑戦した者もいた。
ACLの決勝にクラブを導いたストライカー。そして新潟史上最高のボランチも。
幾多の英雄が新潟を去っていった。
ただそれでもアルビレックス新潟は日本最高峰の舞台に残り続けたのだ。
2009年には移籍金制度が変更され、移籍金収入が望めない、地方クラブにはますます厳しい環境が訪れた。
それはナビスコカップをとった同じ地方の雄大分トリニータをも飲み込み、大分は数億の純損益を出し、J2に降格していった。
コンサドーレ札幌も、モンテディオ山形も、松本山雅FCもJ1という高い壁に跳ね返されていった。
現在地方クラブとして気を吐いているベガルタ仙台でさえも2003年にJ2に降格してから再び昇格するのに7年もの歳月を要することになった。
サガン鳥栖はJ1に残り続けるために2期連続で赤字を膨らませ、ライセンス剥奪寸前まで経営状態を悪化させた。
コンサドーレ札幌は再びJ1に残留するのに16年もの時をかけることになった。
我々湘南ベルマーレも経験した。ともに戦い、育ててきた選手が奪われていく痛みを。
そして思い知った。J1とはこれほど苦しいものなのか。これはきっと何年残り続けようと慣れることなどないのだろうと。
そしてアルビレックス新潟はそれでもこの舞台に残り続けてきた偉大なクラブなのだということを。
2007年に6位。2013年に7位。
どんなにボロボロにされようともそれは地方クラブの英雄の姿そのものだった。
全盛期に比べ観客動員数は減少し、選手の流出も止まらなかった。
それでも新潟は残り続けた。
大きな後ろ盾のないクラブがJ1に残り続けるという厳しさを誰よりも知り、それでも戦い続けてきたクラブこそがアルビレックス新潟なのだろう。
2017/11/18。
地方のクラブの英雄がついにJ1の舞台から陥落した。
しかし新潟のサポーターの方はどうか誇りに思って欲しい。
いままで自分たちが歩んできた道のりを。
他のどのクラブも成し得なかった誇り高き戦いの道だったんだということを。
願わくばまた日本最高峰の舞台に帰ってきて欲しい。
その時はきっともう一度。4万人の観客と共に。
地方クラブの英雄にはやはりその姿がもっともふさわしい。