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Cさん、のろける。

 投稿者:ひかり  投稿日:2017年11月20日(月)00時08分47秒
  Cさん「うちの旦那、見直しちゃった」

ひかり「ほお」

Cさん「男子部の時から、おかしいおかしいと思ってたことが、合点がいった。俺たち、間違ってなかった。 やっぱりヤツラ、変だった。 池田先生が、本幹で言われていたことが、ことごとく納得だ、って」


ひかり「本幹?」

Cさん「そう。 ずいぶん前から、本幹の後は、旦那と変だよね変だよねって話してたんだけどさ」

ひかり「変だよねって」

Cさん「そうですよ。 変だったですよ」

ひかり「アキヤー!とかコンペートーとか、あのあたりかな?」

Cさん「もっともっと前からだよ」

ひかり「どのくらい?」

Cさん「21世紀から」

ひかり「ほおー。 で、見直したって、何を?」

Cさん「あ、広布基金、やめようって、あと、当分会合もテキトーに。 新聞もね。 抗議の意思表示」

ひかり「ああ、そっか」

Cさん「旦那が決めたの。 私、言えなかったけどさ。 なんか、見直しちゃった」










 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2017年11月20日(月)00時00分27秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に

3.11の震災で、被害に遭われた地域の学会員さんとお話出来ました
聖教新聞の発表は、現実とかけ離れていることの様です
原田会長、副会長は手を差し伸べるべきです、現場に行くべきです
会員さん達を励ますべきです、仕事をしなさい
聖教新聞記者は、大本営発表をやめなさい
東北地方に御題目を送らせていただきました
おやすみなさい

 

東京座談会

 投稿者:窮状  投稿日:2017年11月19日(日)23時47分27秒
  SaySaySayさんへ

本日、某テレビ局が取材に来ました。
正式にはお三方のブログに出ると思いますが、
今週か来週の水曜日夜11時からの
ニュース番組で放送される予定です。

関西で放送されるかわかりませんが、
されなければ、どなたかがYouTubeで
流してもらえると思います。
 

Pさん激怒する

 投稿者:ひかり  投稿日:2017年11月19日(日)23時45分47秒
  幹部に声を荒げたことなどなかったPさんが激怒。


Pさん「拠点に来た圏幹部に、公明党大敗北をどう考えてんのよ?って聞いたのよ」

ひかり「はい」

Pさん「そしたらさ、幹部で何回も話し合ったんですけどって言うんだよね」

ひかり「へええ」

Pさん「幹部だけで話し合ったのか何度も?って聞いたよ」

ひかり「はい」

Pさん「そうです、何度もです、って言うわけだよ」

ひかり「ふうん」

Pさん「あたしらとなんで話し合わないんだよ!って言ってやった」

ひかり「ですよねえ」

Pさん「頭くるよ。 幹部で何度も話し合ったからって何かあるのかっつっても、別に何もって言うんだから。バカじゃないの?」


ひかり「支部幹部は、その場にいたんですか?」


Pさん「いたよ! 黙っててさあ。頭きたわよ。 あんたら、どっちの味方なの? なんで黙ってんの? あんたらも文句言ってたでしょ? 言いなさいよって、もうガミガミ言ってやった」


ひかり「支部幹部から上ってのは、何なのかな」

Pさん「グルよ。グル! みんなバカ!バカの集まり!」

ひかり「支部幹部から上は、活動家とは違う立場だって意識?」

Pさん「いや、特別なことなんて、何もないでしょうよ。 おんなじボンクラでしょうよ。 なんで、あたしらと同じに、公明党に文句言ってやろうとか、上をガンガン動かそうとか、思わないんだっつの! ああ頭くる!」

ひかり「で、そのあと、どうしたんです?」

Pさん「ああ、ああ、もういいよ! あんたらとの話はオ・ワ・リ!って言ってやった!」

ひかり「笑」

Pさん「そしたら、あの圏幹部、ギロってにらんだんだよ。 何様よ、まったく」







 

同盟題目

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年11月19日(日)22時54分38秒
  23時に開始です。池田先生と奥様のご健康を祈ります。
よろしくお願い致します。
 

トランプ大統領が核攻撃を命令しても、違法と判断すれば従わず

 投稿者:政局  投稿日:2017年11月19日(日)22時14分1秒
編集済
  別の選択肢を提案する考えを明らかにした。

(ハイテン米戦略軍司令官)

米CBSテレビが報じた。

https://this.kiji.is/304772860973778017
 

御都合主義のファンタジーに自閉しないために

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2017年11月19日(日)22時13分4秒
  石田次男の後を継いだ“秋谷城永編集長”の聖教新聞が第三代会長就任式を報じた時から、
師弟不二ごっこの言葉遊びはスタートしていたということである。
そして遅くとも公明党結成の昭和三十年代末までには、秋谷たち信濃町官僚がディテールを描出した、
会員統治のアイコンとしての池田大作像が完成していたと見るのが妥当。
先生ご自身の意思とは無関係に、将来の政権獲得を睨んで十年十五年のスパンで計算しつくされたカリスマ演出に余念がなかった。
(衆院単独過半数が射程に入れば満を持して公明党「総裁」になっていただき、、、との北條浩発言も、その一端が垣間見えたもの)
言論問題による政教分離宣言で頓挫してしまうが、一方で宗門からの独立企図(これも先生の本意ではない)が背景にある、
福島や原島主導のいわゆる「池田本仏論」キャンペーンが、強弱を付けながら「4.14」で破綻を迎えるまで継続し、
その過程で様々な都市伝説・・・大聖人の生まれ変わりだとか諸々・・・を生み出しながら虚実入り混じった池田神話がデフォルメされていった。

ようは生身の池田大作という一個人のパーソナリティーから完全に乖離した地点で銘々がカリスマごっこに狂奔し、
収拾がつかなくなったところで結局先生に詰め腹を切らせて後は知らんぷり……が54年問題の深層にあるわけだ。

で、自分が今日まで思い描いてきた、疑いもなく自明のものとしてきた池田大作像が、
遠い過去に醸成された信濃町話法の文脈に沿ったもののバリエーションの域を出ていないのではないか?
まずはそこから検証してみよう、見つめ直してみよう、他人が語り尽くして手垢の付いた池田大作論に準拠した師弟論に束縛されていないか確かめる良い機会だということ。。

例えばこの数ヶ月間で、私の周囲の当掲示板閲覧者で一番反響を呼んだのは、どなたかが貼ってくださった航空写真。
「ああやっぱり嵐桜伐採されていたんだ。なんてことするんだ!!」という落胆と怒りの声。

嵐桜に限ったことじゃない。まさかこんなことはしないだろうとの常識の範疇を超えた横紙破りを次から次へとやらかす原田執行部の理解不能な暴走をなすすべもなく凝視するしかない苛立ち。。

各人が今まで漠然とイメージしてきた「創価学会とはこういうところだ」との共有概念、最低限の了解事項が根底から音を立てて崩れ去っていく現状に対し、
現場の真面目な活動家なら程度の差はあれ誰もが抱く困惑と混乱ぶりを、積年の懊悩を添えてサンダーバードさんは正直に体現なさっていると受け止められないか?

自分がさも正しい師弟観に立って他者の非をとなえているかのような錯誤。
その自明の理とされる諸々の前提をまず疑ってみるスタンスが今求められているのだ。

それができずして、各自が勝手に自己都合で作り上げた偶像としての池田大作に縋り付いていては、
如何にしてこれから非戦・平和、人権尊重の哲学としての池田思想を、異なる思想信条・価値観を有する人々へも敷衍させていけるのか?

キョーサントーとは協同するななどと、何か自分が絶対的強固な価値体系に依拠しているかのような高見に立った不遜な物言いをしているようでは、
異なる立場にある他者と繋がる回路を塞ぐ近視眼的なドグマチシズムが濃縮されるばかりである。

創価学会という究極のムラ社会で紡ぎ出される御都合主義のファンタジーに自閉していてどうやって折伏なんぞ出来る?
自己満足のドグマの押し付け。草創期によく言われた「宗教の押し売り」に終始するだけだ。

ジキホーガキの群れが身を持って教えてくれたパラダイム・チェンジ。
解散ではなく創価学会消失。そして自立した信仰者のロールモデルを各人各様の流儀で価値創造しゆく再出発。。


 

悪を責める。

 投稿者:ニューリーダー間鹿メール  投稿日:2017年11月19日(日)22時09分0秒
  悪を責めることは大事です。しかし、信心をしていない不幸に泣く人達は今後はどうなるんでしょうか?もう組織にはつけさせることはできませんし、それだけの力はありませんよね。  

奇妙な会憲さんへ

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年11月19日(日)21時58分43秒
  >いずれにせよサンダーバードさんの言うことを今後マジメに受け取ってはならないと思います<

僕は仏性を信じたいね(^^)

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

(無題)

 投稿者:奇妙な会憲  投稿日:2017年11月19日(日)21時48分49秒
  えーと

> 「糾弾した後で相手が改心すれば」が成立する状態ですか?
> 傷ついての行為であったようだし、こんだけ疲れ切ってれば正気も失うでしょ

てことはサンダーバードさんが「正気失ってる」って思ってるわけですか?
「リアルの池田先生を知ったから言動や態度が変わったものと見えます」ってのはなんだったんでしょうか……

正気失ってるなら糾弾してもしょうがないけどもし嘘ついてたなら別でしょう。
そして「傷ついての行為であったようだし」も「こんだけ疲れ切ってれば」も
サンダーバードさんの言動から読み取るのは無理だと思いますよ。
私には嘘ついてたか正気を失ってたかわかりかねますのでこれ以上なにもしませんけど
いずれにせよサンダーバードさんの言うことを今後マジメに受け取ってはならないと思います
 

(無題)

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年11月19日(日)21時15分29秒
編集済
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/76649

>目の前で吐かれた嘘に対し糾弾することも無く、その人をそのまま擁護するのは順序が違う。
糾弾した後で相手が改心すれば、一切罪は問わないというのが大聖人の仏法の順序だ。<

「糾弾した後で相手が改心すれば」が成立する状態ですか?
傷ついての行為であったようだし、こんだけ疲れ切ってれば正気も失うでしょ
それでさらに無慈悲なことをやれば『学会なんて大っきらいだ!』となり「アンチ」の誕生となるだけなんじゃないですかね
すでにその兆候が出てることに気がつきません?

いわゆるアンチさんたちの話は内部同士の人間関係の絡みからがほとんど
典型的と言っていいぐらい

いわゆる『憎悪の連鎖』です

しかしどうやらそれを望んでるのもいるようですから利用されないようにね?ちょっと心配


憎悪の連鎖を断ち切るというのも投稿されてましたけど読まれましたか?(^^)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/72780
21世紀への選択 「寛容と多様性」・・ 地球ルネサンスの精神 p55

投稿者の赤胴鈴之助さん、掲載ありがとうございますm(_ _)m

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

ミネルヴァの梟さんに同意します

 投稿者:通行びと  投稿日:2017年11月19日(日)20時39分1秒
  悪を糾弾し正義を叫ぶ側が師匠を嘘つき呼ばわりする事は許せません。

もはや師匠を軽んじてるのですよ。

先ずは池田先生から電話があったというならそれをしっかり証明して頂きたい。


 

いろんなやり方があっていいのではないでしょうか?

 投稿者:ニューリーダー間鹿メール  投稿日:2017年11月19日(日)20時35分11秒
  面と向かって戦陣を切る人。表向きは従っているふりをして苦しんでいるメンバーを影で救う人。私のように一切の会合に出ないと断言して加担しないと決める人。様々でいいのではないでしょうか?  

(無題)

 投稿者:一壮年  投稿日:2017年11月19日(日)20時33分24秒
  法華経薬王品に「我滅度後、後五百歳中、広宣流布於閻浮提、無令断絶、悪魔・魔民・諸天・竜・夜叉・鳩般荼等、得其便也。」とあります。

末法において、妙法を世界に広宣し流布してきたのは、寺でもなく、法華講でもなく、唯一創価学会のみであり、池田先生です。現実に世界192カ国・地域にSGIメンバーがいます。そして未来永劫に人類救済のその戦いをやめることはありません。

先般来「創価学会解散宣言」なるデマ・ウソを垂れ流した人が、ウソがばれて、ここにいられなくなって去っていったようです。どういう立場の人かは存じませんが、学会員ではないことは明らかですから、学会とは何の関係のない、反学会の立場の人であろうと推察いたします。おそらく「学会憎し、先生憎し」という一本の矢が心にささったまま抜けないのでしょう。そのため、創価学会が解散してほしい、消失してほしいという願望を書いてしまったのかもしれません。

しかし、創価学会の断絶を望むということは、広宣流布の断絶を望むということであり、それは悪魔・魔民等の願うところと全く同じなのだと思います。

どうやら、ここは反学会の人たちが、学会員のふりをして、学会に対する不満や愚痴や批判をのべるだけではなく、巧妙に学会や先生から学会員を離反させようとしているふしがみうけられます。しかし、私たち学会員は、決して悪魔・魔民等にたぶらかされることはありません!と一言申し述べておきたいと思います。
 

皆が考える公明党の本来の在り方

 投稿者:くぼたてつ栃木の仏敵退治久保田哲メール  投稿日:2017年11月19日(日)20時12分51秒
  栃木の久保田です。m(._.)m

安倍首相の頭の中にある様な大手の企業!それらを優遇し、経済を立て直して景気を回復しようとの思いはわからないでもない。しかし大手企業はここぞとばかりに自分達の会社の体力を上げようと溜め込んでばかりでけっして溢れるほどの状況ではないと思う。庶民がどんな大変な生活を強いられているか?庶民と共に生活をしてみないとわからないのだろうと思います。

今のまま突っ走っていけば歴史的には必ず支配者として悪名が残っていくと私は感じてます。庶民のしかも一番弱い立場の人々に焦点を当てて政治の舵取りをしていけば必ず善政を施した首相として名を残すことに成ると思う。

本来公明党が、言っていかなければならないことだ!

今やっていることはそれなりに金を持つ社会的立場が上の極めて少数の層の人達を芯に置いて物を考えておりその層の人達だけが力を盛り返し弱い立場の人達が次々とその力に押し潰されつつ有るのでは無いでしょうか?

安倍首相が、知らない日本の社会で安倍首相の舵取りによって弱肉強食に成りつつあるいいや既に成ってきている。その責任は安倍首相と安倍内閣と公明党と学会執行部に原因がありいくら誤魔化していったところで必ず後世の歴史学者とかに安倍内閣の執った政策が断罪される時が来ると思う。

信心無き執行部(*`Д´)ノ!!!師匠である池田先生を利用し、池田先生が積み上げてきた甚大な功績を亡き物にしようとし、池田先生の作り上げてきた学会を乗っ取り破壊しつつある。お前らほど世の中に居て貰っては困る存在も珍しい。

池田先生の一生にかぶって生まれ仰せた福運の故にお前達極悪執行部とも重なって過ごしてきた俺の人生。
今後もお前達の事だけは許す事はない。

 

最低限の協力?

 投稿者:昔の活動家  投稿日:2017年11月19日(日)20時08分9秒
  今の学会組織にはウンザリしている壮年です。
役職は何度断っても何度も来る・・来る度に断り続けております。
新聞啓蒙はノルマ制(ポイント)で、婦人部の悲痛な叫びに負けて他部数購読。
「新・人間革命」も、地区30冊の割り当てで、1冊の購入協力。
民音会員は500円払えば文句も言われないので、やむなく出費。
それでも、「来月の民音は○△ブロックで、行って下さいね。」の当番制。
同じく学会本部参り(?)も行く人が居ないと当番制。
こんな組織だから、役職を引き受けたら大変な重圧に襲われる事は「間違いない!」。
先日は「新聞配達員が高齢の為、変わってもらえないか?}とも・・
私、「配達に困っているなら、新聞やめてもいいですよ~配らずに済むでしょ?」と
言ったら帰りましたが・・いやはや、マイッタ!。

役職のある人は、皆、重複しているし・・負担は増すばかりですよね。
それが「組織を守る」って事なのか疑問です。
現況に合わせた組織体制の見直しをしないならば、崩壊したほうが助かります。
とりあえず、表向きは「最低限の協力」をしつつ・・。
 

第9の怒涛

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年11月19日(日)18時40分10秒
  罪を憎んで人を憎まず的な行き方は、結局現状肯定、何もしないというところに落ち着いてしまうのではなかろうか。

目の前で吐かれた嘘に対し糾弾することも無く、その人をそのまま擁護するのは順序が違う。
糾弾した後で相手が改心すれば、一切罪は問わないというのが大聖人の仏法の順序だ。
ダーハラ執行部でさえ、今すぐ改心するのなら私は受け入れるにやぶさかではない。

ただし糾弾という過程をすっ飛ばして容認するなら、現状を変える力になるどころかむしろ、積極的に不正を追認する事になるだろう。

あの牧口先生の有名な言葉の通りだ。

思うに、ダーハラ執行部の間違いも、根本原因は多分その辺りに有るのだと思う。

ダーハラ怪鳥も安倍首相も、根本的には創価学会の為を思い、日本の為を思ってやっているのだと、擁護しようと思えば出来ないことはない。

百歩譲って多少はそういう部分もあるのかも知れないが、大聖人も牧口先生以下歴代会長も、そういう選択はしてこなかったのは厳然とした事実だ。法華経の真髄を守る為、生命を賭けて来たのが歴史的事実だ。

その部分を変えてしまえばそれはもう、大聖人の仏法ではない。

法華経を行ずれば幸せになれるが、同時に必ず大難を招く。これを矛盾と捉えてあげつらい、不信を抱く人は多いが、それでは成仏などおぼつかない。

法華経は難信難解、そう簡単に悟りを開けるものではないと思う。
私もまだまだ全然悟ってなどいないし、この板の多くの人達もそれは多分同じだ。
既に悟った人には申し訳無いが、敢えてそう言わせてもらおうと思う。

ただ絶好のチャンスが迫っているのは確かだと思うが、チャンスとは言い換えれば、ふるいにかけられるということでもあるのだろう。

第9の怒涛を乗り切るか飲み込まれるか、今後の自分次第だ。








 

唯一の光明を!

 投稿者:あした 晴れるかな?  投稿日:2017年11月19日(日)18時18分13秒
  ──────────

有名な「異体同心事」には「殷の紂王は七十万騎なれども同体異信なればいくさにまけぬ、周の武王は八百人なれども異体同心なればかちぬ」(御書1463p)と述べられています。

司馬遷の『史記』によれば
─殷の紂王は悪逆の限りを尽くしている。妲己におぼれ、酒池肉林の宴を張り、自身の意に逆らうものがあれば、あるいは殺し、あるいはその肉を塩辛にし、あるいは干肉(ママ)にし、また、諫言をした忠臣・比干の胸をえぐる等々であった。当然のことながら、民衆の幸福は一顧だにされることがなかった。一方、その殷の支配する諸国の一つであった周に文王がおり、善政をしき、諸国の王の信望をあつめていた。この文王の跡を継いだのが武王であり、彼は文王の遺志を受けて、暴逆(ママ)の紂王を討つ軍をおこした。その時を得た軍に、期せずして八百の諸侯が志を同じくして集まり、討伐に向かった。これに対し紂王は、七十万の大軍を繰りだした─
と記されております。

武王の軍は諸侯が集ったものであったが、天命のもと、悪を討つとの名分を掲げてその士気は十分に高かった。
一方、紂王の軍は七十万と数こそ多いといっても、戦意はまるでなかった。むしろ、心の中では武王がやってくるのを待ち望んでおり、…
池田大作全集24巻
P180~

───────────。
折伏、新聞、選挙、 民音、財務、配達集金、会合、連れ出し…

活動家が少ないので 1人に多くの負担がかかっています 体力がある人はまだ大丈夫ですが…

聖教新聞や創価新報に報道されるような活気は、ほとんどありません。

残念ですが 支部の青年部の活動家は0です。

打ち出しと 取って付けたような指導だけでは 当然の結末でしょう

負の面を見ずに まだこのまま続くのであれば 二の舞もあるやしらんです。

 

戸田講

 投稿者:ロマン  投稿日:2017年11月19日(日)17時49分7秒
  訂正されていますね。
現状、戸田講堂は椅子席になっているが、高齢者の方や、本部幹部会時にはSG I各国からも多数来られたりすることを鑑み、畳の上に絨毯を引き、椅子席にしている。
これを改装で畳を取り払った上で椅子席にする。また、高齢者の方が三階にある戸田講堂まで苦労ないよう、エスカレーターを取り付ける計画があると聞いている。

各地の会館でも改装工事がされているところもあるかと。
 

訂正です

 投稿者:二眼の亀  投稿日:2017年11月19日(日)17時42分43秒
  戸田講堂の件です
https://twitter.com/kosho_no_kanata

とのこと訂正いたします。
 

毎日が座談会

 投稿者:末端信者  投稿日:2017年11月19日(日)16時53分57秒
  宿坊の掲示板こそ、池田先生の言われる
座談会の姿だと思います。

真実の情報、体験、活動報告、そして教学、
それに、毎日、参加できることを、
善知識の皆さんに感謝します。

池田先生は仰っています。

「創価学会にも、将来、思いもよらぬ試練が待っているかもしれない。何もないことなどありえない」

「現在、現れているさまざまな課題は、
すべて万年の基礎を完璧に固めていくためにこそある。
そのための御仏意であると私は確信している。
仏法には一切、無駄はない」  また、

「広宣流布は難事のなかの難事である。
そんなに容易に進むものではない。決して、
あせる必要はないし、未来を見つめて着実に日々、一歩また一歩と前進していけばよい」

広宣流布の名に値しない 空転を繰り返す現在の学会の中で、
この宿坊の座談会が、真実の広宣流布への道だと思います。



 

再掲)動物農場の池田先生スピーチです。

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年11月19日(日)16時53分4秒
  幸せな人様
ありがとうございます。スピーチ全編を再掲します。

■池田大作全集76巻
海外派遣メンバー協議会 (1991年2月14日)①
http://6027.teacup.com/situation/bbs/72076

■海外派遣メンバー協議会 (1991年2月14日)②
http://6027.teacup.com/situation/bbs/72139

■池田大作全集76巻
海外派遣メンバー協議会 (1991年2月14日)③
http://6027.teacup.com/situation/bbs/72366

■池田大作全集76巻
海外派遣メンバー協議会 (1991年2月14日)④
http://6027.teacup.com/situation/bbs/72559

■池田大作全集76巻
海外派遣メンバー協議会 (1991年2月14日)⑤
http://6027.teacup.com/situation/bbs/72884

■池田大作全集76巻
海外派遣メンバー協議会 (1991年2月14日)⑥
http://6027.teacup.com/situation/bbs/73097

■池田大作全集76巻
海外派遣メンバー協議会 (1991年2月14日)⑦
http://6027.teacup.com/situation/bbs/73153

■池田大作全集76巻
海外派遣メンバー協議会 (1991年2月14日)⑧
http://6027.teacup.com/situation/bbs/73176

~~~~~~~~~~~~~~~
おはようございます。 ?投稿者:幸せな人
?投稿日:2017年11月17日(金)06時47分8秒   通報
信濃町の人びと様の動物農場の投稿を、今一度貼らせていただきます。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/72076
 

茨木のり子さんの詩 『倚りかからず』

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2017年11月19日(日)15時52分22秒
    もはや
  できあいの思想には倚りかかりたくない

  もはや
  できあいの宗教には倚りかかりたくない

  もはや
  できあいの学問には倚りかかりたくない

  もはや
  いかなる権威にも倚りかかりたくない

  ながく生きて
  心底学んだのはそれぐらい

  じぶんの耳目
  じぶんの二本足でのみで立っていて
  なに不都合のことやある

  倚りかかるとすれば
  それは
  椅子の背もたれだけ

  ----- -----

・・・今ここにいる自分とは無関係に、いつの間にか完成型としてそこにある「できあいの宗教」に倚りかかってはいないか?
   誰かが誰かを支配し酷使し督励する方便としての「できあいの師弟観」に呪縛されてはいないと、本当に言いきれるか?

   誰かが先生を嘘つき呼ばわりしたと言葉尻だけをとらまえて拘泥してしまってはいけない。

   創価学会を今日まで創価学会たらしめてきた前提が悉く脆くも潰え去っていったのは、四人組だか五人組だかだけに責めを負わせる事柄ではない。

   他人が語る「できあいの物語」に酔いしれ、他人が用意した「できあいの生き方・日々の過ごし方」を何の疑いもなく受け入れてきた、、、

   創価学会「解散」というよりは「消失」と言ったほうが適切だろう。
   もっと掘り下げれば、今まで自分が創価学会と呼んできた他者との関係性、信心と呼んできた事象の数々、
   池田先生と呼んできた人物への固定観念を再度捉え直す……「池田大作とは誰だったのか?」を各自が問い掛ける時機に巡り合わせたということ。

   しっかりと二本の足で立てているかを確かめ、今しかできない、今だからできること一つ一つへの喜びを噛み締めよう。

   安直に倚りかかる対象が一つもない、手探りでも自立した信仰者のロールモデルを築き上げようとの気概を持って。。。
   
 

こんな生活環境でも

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール  投稿日:2017年11月19日(日)15時51分46秒
編集済
  広布基金をやれと・・創価貴族さまがたはおっしゃるのでしょうか?

年金は月6万5千円以下…難民化する老人激増の実態
http://biz-journal.jp/2017/11/post_21407_2.html
http://biz-journal.jp/2017/11/post_21407.html

他にも無料奉仕の民音の券販売、刊行物の購入、手弁当の選挙支援活動

聖教購読、拡大・・・

功徳爛漫、歓喜の活動・・はどこか、遠い世界になって老人会のような会合・・

選挙後も休息は許されず・・私の妻も含め休みなく活動している皆さん方。

もっとも、最近ではばあさんも見せかけ活動ですが・・

一人でも、多く目覚めさせたいと願っています。

「弟子の世紀」いいですね・・・

追伸:怪鳥の任期は2019年、11月までなんですね。

   ありがとうございました・・記憶力ほぼゼロになりつつある今日この頃です。







 

池田先生が責めたのは4人組という「人」なのか

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年11月19日(日)13時20分2秒
  こんな生活してると不思議な感覚になったりするんですね

唱題のとき電気をつけずにやると、なんだか自分自身をも含んだ宇宙と一体となってる唱題になってる不思議な感覚というのでしょうか

自分自身が宇宙のほんの一部に感じられて、そんな中で宇宙世界の平和・幸福を祈らずにいられない心境が自然と沸き起こる不思議な心境なんですよね

そんな心境に包まれながらの御祈念はほんと幸福感です

そうした心境のまま日常生活を送ると周囲にも心境が感応しやすいようで不思議というかまさに「妙」な「法」ですね(^^)

やっぱり人は本来は仏性になりたい欲求はあるんだと思います
キッカケがあればかなりの人が徐々に仏性に感応されやがて自分自身の仏性が普通に出しやすくなるようなんですね

それで、そうした日常から最近感じてることだけど
池田先生は4人組やら矢野やらはもちろん、宗門の日顕やらを責めたようだけど
池田先生は、悪いことをする「人」を責めたようで本当のところは「人」ではなく「生命そのもの」を責めたのが本当のところなんじゃないか、そんなふうに最近は感じられるんです

どう言ったらいいかちょっと難しいのだけど、物体としての「人」を責めたのではなくて、生命そのもの=不幸になる一念自体を直接責めたというのでしょうか
いや責めたというより仏性を「蘇る」よう厳しく諌めた、というのが本当のところなんじゃないか、と

4人組のひとりの秋谷元会長
27年ですか?会長をやったのは

その間の悪事のいくつかが掲示板で出たけれど、ほんの氷山の一角というものでしょう
27年間、池田先生は秋谷氏の悪事にどれだけの「仏性」で臨まれていたことでしょうか
掲示板に出てるものだけでも尋常じゃない悪事の数々ですよほんと
僕みたいに記憶力があまりなければとても全部なんて覚え切れないぐらい
その秋谷氏さえも池田先生は除名にまではしていない

それで、今回の場合、参考になりそうなものがありますね
http://6027.teacup.com/situation/bbs/58288
退学した学園生のエピソード   投稿者:寝たきりオジサン   投稿日:2016年10月18日(火)15時02分10秒

早いものですね
この話はもう一年前のものになるんですかf^^;
そんなに経ってる気がしないんだけど

池田先生がどういう行動をとったのか、という視点も大切ではあるんだけど、僕は池田先生の心境の動きに注視して読んでいました


追伸:実は笑ってしまったのだけど
▼▼▼▼▼▼
ある時は「今持っているお金を全部出しなさい」と先生から
かつあげされました。
「帰りの電車賃なくなりますわ」と言うと「歩いて帰れば
いいじゃないか、広布基金だよ」と言われ、帰りにその何倍もの
おこづかいをいただきました。
▲▲▲▲▲▲

池田先生にかつあげされたという表現がジョークにしか感じなくて実はちょっと笑えましたf^^;
どんな池田先生の姿のかつあげだったのだろ~~と(笑)
いや失礼f^^;
「かつあげ」ではなく『今考えると財務の精神を教えていただいたんやなぁと思います。』ということなのがわかる範囲だけどf^^;

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

五千の上慢

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年11月19日(日)12時01分43秒
  安倍政権やダーハラ執行部を批判するのは正しい事だが、調子に乗って、遠回しに池田先生の事まで批判したり、嘘つき呼ばわりする人達が一定数いる。

そういう人は宿板にもいるし、宿板ほぼbotでも何人かいる。

同じ様にダーハラ執行部を批判しているからと言っても、そういう人達が本当の味方とは私にはとても思えない。

そういう人達は本当は先生が嫌いなのだろう。
仏法を行じていながら「師」という存在を、心のどこかで否定しているのだ。
自分のほうが中心なのだ。

釈尊が法華経を説こうとした時席を立った、五千の上慢に似た生命を感じてしょうがない。

自分の事を嘘つきと言うのは勝手だが、先生の事まで嘘つき仲間の様に言うとは何事だ。
凄く腹が立つ。

先生から直接電話をもらったと言うなら、事実だと証明してから出て行くべきだ。









 

サンダーバードさんへ

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年11月19日(日)10時43分10秒
編集済
  なるほどねぇ

サンダーバードさんの名誉会長へのそうした「思い」はけっこう聞いたりしますよ
僕は内部外部にあまり関係なく絡んでいるし、リアルではなおさらなんだけどf^^;

とりあえずね、僕はぜんぜん怒ってないよ?
サンダーバードさんが根っからの悪い人とはとうてい思えないから擁護したんですよ
それは「自分の意思」であって自己責任ですからサンダーバードさんうんぬんではないです

サンダーバードさんの話だけでなく、極論を言ってしまえば池田名誉会長の話でさえも「どのように解釈するかも自己責任」という前提でいるけどね
そうでないと話をあまり理解しないまま鵜呑みにしてしまうだけで「自分自身の応用力」がつかないのを経験的にわかってるからなんだけどね
名誉会長の話を「指導」ではなく「話」という次元からみても十分に優れた内容と僕は感じてるんです


そういう話はともかくf^^;

そういう状態なら日常を人界を象徴する生活にすることで元気が出てきますよ(^^)
あんまり本心と違うことをやろうとしたことがだんだんストレスが効いてきてこうなったんだろうから
自分の自然な気持ちのまま「平らかなるは人」でしたね(^^)
まずは自分の自然な気持ちを取り戻したほうがいいですよ?

そうした日常で無理なく自然な範囲で唱題をすることでサンダーバードさんは幸福になっていけますよ(^^)
こんなに真面目なんだもん
仏が見捨てるわけないじゃん

真面目な心境でいるのは同じなのが確認できるので他の人の温かい言葉があったのでしょうね
しつこいようだけど僕はぜんぜん怒ってないからね?f^^;
ただただサンダーバードさんが福徳に包まれた幸せな人生になって欲しいな、という感じだから(^^)

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

わが友に贈る 2017年11月19日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2017年11月19日(日)09時54分38秒
  一人の勝利の背景には
無数の同志の祈りがあり
人知れぬ支えがある。
この麗しき人間の絆を
地域に社会に万代に!
 

本日の聖教広告

 投稿者:メンチカツ  投稿日:2017年11月19日(日)08時33分1秒
  ゆほびか 斎藤一人「最高の定め」を生きる法

コイツあやしいと思ってググってみた。
↓↓↓

観音信仰と経営体験に基づいた独自の人生観を持ち、それらを論じた人生訓・自己啓発に関する関連書籍などを出版している。

自著にて発表するところでは、高額納税者公示制度(長者番付)12年間連続10位以内。実質手取り額(税金を差し引いた残りの額)で日本一。2001年までに納めた税金は国税だけで138億1910万円。総資産200億円、平均年収は30億円
\\\\\\\\\\\




 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、創価の世雄、専門部「記念総会」の開催御参加、誠に、ご苦労様で~す(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年11月19日(日)08時16分24秒
  おはようございます。原田怪鳥様、創価の世雄専門部、11・18「部の日」記念総会への御参加、誠に、ご苦労様で~す(笑)

またまた、ナニやら、御書(経王殿御返事)を引用なされて御指導されたみたいデスが、果たして、その御書でイイんデスかぁ~(笑)

>つるぎなんども・すすまざる人のためには用る事なし<(御所P1124)

しかしながらデスねぇ~、原田怪鳥様、この御文の前にナニが書かれているか御存知デスかぁ~(笑)

>但し御信心によるべし<(御所P1124)って、あるんデスよぉ~(笑)

で、そこで問題になるのは、原田怪鳥様に「御信心」があるかってコトデスよねぇ~(笑)

「11・18」も過ぎ、名実共に、独裁者となられた原田怪鳥様、「指導者」ではなく「独裁者」に果たして信心があるのでしょうかぁ~(笑)

まあ、独裁者となられた原田怪鳥様が、今後どの様な「御信心」を見せていただけるかを静観させていただきマスが、

くれぐれも、処分だの除名だの制裁だの恫喝だのといった「キチガイに刃物」状態にならぬように祈ってまぁ~す(爆)


それと、原田怪鳥様、なんとか「珍・人間革命」29巻を売ろうとされていらっしゃるのか?

わざわざ、あらすじなどを掲載され、「この一瞬こそが黄金の時!」などと煽られていマスが、

「清新」の章でのあらすじでは、大切な部分が紹介されてないデスよぉ~(爆)

言わずと知れた、清新六十、

>いや、私は、会長を辞めようかとも考えている。今や、学会本部には、世界中から大勢の同志が来る。海外の要人との対応も大事になっています。だから、会長は譲って、世界のために働こうと思っているんです<

この部分デスよぉ~、従来の山本伸一としては有り得ない決断が記された時デスよねぇ~(笑)

あらすじ、などというのであれば、この方向転換の瞬間を紹介するべきでしょうねぇ~(笑)

それとも、都合の悪いコトには頬かむりして誤魔化すのか? もしかして編集上の都合でカットされているのか?

ぜひとも検証してみたいと思ってまぁ~す(爆)


ともあれ、原田怪鳥様、各地各部に新たな布陣などと新任人事が紹介されてマスが、

この人事が、粛清の結果としての人事発表でないように、期待しないで待ってまぁ~す(爆)



 

二十一世紀への対話 175

 投稿者:まなこ  投稿日:2017年11月19日(日)08時05分15秒
  【トインビー】 ただいまの御説明に対する私の解釈が正しいとすれば、大乗仏教の法華経学派によると、“涅槃”とは再生が終わることではないということですね。つまり、再生は無隈に繰り返しながらも、生まれ変わった自我がそのカルマの好転に成功すれば、その生命は、無限に繰り返される再生において苦悩の境涯ではなく、幸福の境涯に入る、しかも幸福は“小我”が“大我”に近づこうとするなかにある、ということですね。
この教義は、ヒンズー教のなかの“小我”の本質は“究極の精神的実在”(“汝はそれなり”)に一致すると信じている学派で立てている教義と、同じものでしょうか。

【池田】 ヒンズー教はインドの伝統的な宗教であり、仏教はそれを変革しようとした非伝統的な宗教である点が対照的ですが、思想的には多くの点で同じ基盤に立っていることが認められます。
ヒンズー教と仏教とは相互に相手の理念を取り入れつつ、独自性を主張してきたともいえるでしょう。仏教は、それ以前、インド社会に影響を与えていたバラモンの教えを用いて、自らの教義を特徴づけています。仏教の後に確立されたヒンズー教も、仏教の影響を多大に受けているようです。
ウパニシャッド哲学の“汝はそれなり”という思想の影響は、仏教の中心的教義にもみられますし、その後のヒンズー教においても中心的な思想となっています。この原理は、インド民族の偉大な発見の一つといってよいでしょう。
ただ、この“小我”が“大我”に接近していくための方法については、小乗仏教が“小我”を滅することによって“大我”の中に立たせようとするのとは違って、大乗仏教においては、“小我”を否定しないで“大我”に融合させることに主眼をおいているのが、特徴であるといえるでしょう。

【トインビー】 結局、欲望に対処するにはいかなる態度が正しいのか――これに対するわれわれの判断は、われわれが“実在”の本質をどう認識するかで決まってきます。私の感ずるところでは、“究極の実在”とは、われわれがここで“宇宙生命”あるいは“大我”(宇宙的・普遍的自我)
と呼んだもののことです。表現としては、後者のほうがより明確でしょう。なぜなら、それは個個の人間の自我における二元性・両面性を示しているからです。
一面では、“小我”は――物理的自然から直喩を借りていえば――“大我”の一断片です。それは、全体から孤立した、全体のなかの一小片であり、――自己にとって最も抵抗の少ない行き方をするかぎり――全体に対して自己主張をし続けます。“小我”がこのような自己中心的な行動をとるかぎり、それは“大我”にそむき、離反することになります。
こうした“小我”と“大我”の関係は、正しいあり方ではありません。これを改めないかぎり、人間は決して善良にも幸福にもなれないでしょう。このことが真実であることは、あらゆる善意の人々が認めるところであると思います。それは、小乗仏教徒でも大乗仏教徒でも、またキリスト教徒でも不可知論者でも、その他の精神生活の求道者でも、同じであるはずです。ただ、彼らが意見を異にする点は、この共通の目的を達成するうえでの、それぞれ独自の処方箋にあるのです。
私の浅い知識の及ぶ範囲内で申し上げれば、あなたは“小我”と“大我”の分離、対立、緊張を克服するための小乗仏教の処方箋について、正しく説明しておられるようです。小乗仏教の阿羅漢は、“小我”を消滅させることによって“大我”との合一・調和を回復しようとします。そして、“小我”の消滅とは、あらゆる欲望を区別、差別することなく、全面的に消滅させることであると考えるわけですが、それ自体は正しい考え方です。
しかし、私も、あなたのおっしゃる通り、“小我”と“大我”の調和・合一を回復するための小乗仏教の処方箋は、実行不可能であると思います。個人は、“小我”を滅することに成功したとしても、それによって“大我”と再合一できるわけではありません。それどころか、むしろ自らを“大我”への接近から断絶させてしまうでしょう。この事実は、あなたが「一貫した自我の存在というものは否定できない。自我の意識は、生命の本然的な特性ともいえる」と指摘された通りです。
これが“我”におけるパラドックスであり、またむずかしいところです。“小我”があって初めて、われわれは“大我”を意識し、それに接近することができます。また、“小我”が自らにとって抵抗の少ない道を選べば、“大我”に背くことになるのも事実です。これら二つの事実が確かなものであるところからみて、小乗仏教の処方箋はあまりに単純すぎます。それどころか、あまりに幼稚です。たしかに“小我”の超克は必要なことです。しかし、われわれの立てるべき目標は“小我”の消滅ではなく、その方向を転換させることでなければなりません。つまり、小乗仏教の分析では“小我”をもってあらゆる欲望の“巣”であるとしているわけですが、欲望にもいろいろな種類があるため、われわれとしてはそれを見分ける必要があるのです。われわれは、自己中心的な欲望は抑制し、従わせていかなければなりませんが、“大我”との調和・合一へと向かう利他的な欲望は、――自我にとってどんなに犠牲が大きくとも――追求していかなければなりません。

【池田】 私は、そうした融合を実現する方途は、博士のいわれる“自己超克”に通ずるものではないかと思っています。そのように考えて誤りがないかどうか――この点を明確にするために、“自己超克”の意味をもう少し具体的に説明していただけませんでしょうか。

【トインビー】 私のいう“自己超克”とは、人間が、“小我”を“大我”に統合させる道程において、自らの“小我”につきまとう欲望を克服することです。個人が啓発され、悟りを開くことは、社会改革の方途として不可欠のことです。なぜなら、われわれ人間が生き、活動する場であるこの現象世界にあっては、行為者はすべて個々の人間であるからです。“自己超克”を達成する具体的な方法は、“小我”の本来的な欲望の一つである慈悲の導くところに従うことです。この慈悲は“小我”の関心の及ぶ範囲を拡大させ、“大我”全体をも包容させようとする欲望です。
このまぎれもなくきわめて重要な点においては、大乗仏教はユダヤ系の宗教――ユダヤ教、キリスト教、イスラム教――からも支持されているように、私には思われるのです。アラビア語で“イスラム”とは“自己放棄”、つまり“大我”に奉仕すべく“小我”を放棄することを意味します。これは、ユダヤ系諸宗教においては、“神”という擬人的な用語に象徴されています。私は、仏教による非擬人的な語彙のほうが、“我”についての言葉で表わせない真実を、より巧みに表現していると思います。

【池田】 私も、そう考えています。仏法では、“大我”とは宇宙生命そのものであると説いています。仏法の生命観の究極は、われわれ個人の生命が、その奥底では、この宇宙生命と一体になっているということです。換言すれば、人間生命は、宇宙生命が個別化、個性化したものであるともいえましょう。
人間生命の特質として、その能動性・発動性としての力をあげることができますが、その力をもたらす根源的実在は、宇宙生命に内在する“法”であるといえます。大乗仏教がユダヤ系の宗教と異なる点は、じつはここにあるのではないかと私は考えています。“神”という――ゴッドにせよ、アラーにせよ――擬人的な存在を想定した場合、人間生命それ自体に内在する能動性・発動性は、人間生命自体のものではなく、他者から与えられたものになってしまいます。とすれば、人間は、外からエネルギーを注入されて動く機械と変わらない、とさえいえるのではないでしょうか。
これに対して、大乗仏教は“法”としてこれを考えます。この“法”は、人間を離れて存在するものではありません。人間生命と宇宙生命とを貫いているものなのです。したがって、人間自身のうちにあるこの“法”を自覚することが、すなわち、人間生命と宇宙生命の一体性を覚知することになるわけです。
つまり、“究極の実在”を、ユダヤ系の宗教では“神”すなわち人間的存在としてとらえたのに対し、大乗仏教では、それを“宇宙生命”、そしてその底流に働いている“法”としてとらえているのです。

【トインビー】 たしかに“大我”は“神”と解釈するよりも“法”と考えるほうが、説得性があるようです。また、小乗仏教の欲望超克の方法は、大乗仏教のそれに比べて実践が困難であると思います。大乗仏教とユダヤ系諸宗教は、人間の行動に関する小乗仏教の規定に相反するものを、ともにもっているように思われます。すべての高等宗教は、人間が自己本位の欲望を克服することを要求していますが、これはじつに困難な課題です。
【池田】 欲望の克服は、たしかに困難なことです。しかし、人間はあえてこの困難な努力をしなければ、その内面にある“獣性”によって支配されてしまうでしょう。
私は、それらの高等宗教が“大我”の正体を明らかにできなかった点に、実践方法のむずかしさを生み出した原因があると考えます。つまり、自我を克服するといっても、では何によって克服するのか、克服される自我が欲望や感情などであることはわかるにしても、克服する主体たる自我とは一体何か、そしてその自我と“大我”とはどう違うのか――ということです。
仏法では、克服の主体である自我は“大我”と同じであり、したがって、悟ってみれば、自我はたんに“大我”の断片ではなく、それはそのまま“大我”それ自体であると説いているのです。ただし これはもちろん“仏界”という究極の悟りであり、それは内心の自覚であって、行動のうえでは“大我”の部分であることには変わりありません。したがって、自我の生き方は、博士のおっしゃるように、常に自己を宇宙に捧げようとすることでなければなりません。
私は真実の宗教の役割とは、人間に欲望超克の力と勇気を与え、その“人間性”を開発することにあると思います。そして、この宗教は、人間をしてその内奥にある“生命”という実在を覚知させ、さらにそれを宇宙生命へと融合させていく力をもっていなければならないと思います。

【トインビー】 実際には、“小我”も“大我”も同じです。そのゆえに、私は“汝はそれなり”が真理だと信ずるのです。しかし、この“汝はそれなり”というのは、たんなる知的な命題にしかすぎません。したがって、それは倫理的行動によって、まぎれもない真実であることが証明されるまでは、たんに真実であることの可能性を含んでいるにすぎないのです。しかも、この行動は“小我”によって実践されなければなりません。“小我”は、その貪欲性のゆえに“大我”から疎外されています。この貪欲性は、“小我”が、自らの目的のために宇宙を利用しようとする欲望です。貪欲の反対が慈悲です。この慈悲を実践することによって、“小我”は、現実において
“大我”になることができるのです。
 

世界で一番強い言葉

 投稿者:虹の戦士  投稿日:2017年11月19日(日)06時42分37秒
編集済
  法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵王・帝釈・閻魔法王・日月・
衆星・天神・地神・乃至地獄・餓鬼・畜生・修羅・人天・一切衆生の
心中の仏性を唯一音に喚び顕し奉る功徳・無量無辺なり、我が己心の
妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経
とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり、譬えば籠の中の鳥なけ
ば空とぶ鳥のよばれて集まるが如し、空とぶ鳥の集まれば籠の中の鳥
も出でんとするが如し口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて
必ず顕れ給ふ、梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ、仏菩薩
の仏性はよばれて悦び給ふ、されば「若し暫くも持つ者は我れ則ち
歓喜す諸仏も亦然なり」と説き給うは此の心なり、されば三世の諸仏も
妙法蓮華経の五字を以て仏に成り給いしなり三世の諸仏の出世の本懐・
一切衆生・皆成仏道の妙法と云うは是なり。是等の趣きを能く能く心得
て仏になる道には我慢偏執の心なく南無妙法蓮華経と唱へ奉るべき者なり。
日 蓮 在御判

法華初心成仏抄


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南無妙法蓮華経は太陽のように
世界で一番強い言葉
南無妙法蓮華経は母の笑顔のように
世界で一番やさしい言葉
南無妙法蓮華経は蓮華の花のように
世界で一番清らかな言葉
だから今日もいってみる
何回も何回も
一切衆生の幸福と世界の平和を祈って
ひとりのときも
みんなといるときも
何回も何回もいってみる
一切衆生の中には
自分もふくまれてるし
あのひとたちもふくまれている
一切衆生の幸せを祈ることは
国も民族も性別も年齢も関係ない

いつまでおんなじ南無妙法蓮華経
を唱える人たちどうしで互いに争う
必要があるのだろうか。

看板に騙されてはいけない、
一切衆生の幸福と世界の平和を祈る
ひとたちが集まることが大切

日蓮大聖人の名前で
一切衆生の幸福と世界の平和
を忘れた集まりがどこかにあるかもしれない

---------------------------------
池田先生のことを思うと、青春時代の
先生は健康もすぐれず、貧しく、道に迷う
みんなと同じ一人の青年。
その青年が、戸田先生と
出会い、異体同心の信心で折伏をして、
日蓮大聖人様の仏法でみんなを幸せに
していった。

そして、やがて世界のリーダと対話し、
世界中に大学を作り、ノーベル賞の候補にもなった。

まさに、ダメな凡夫が日蓮大聖人様の
仏法で立派な凡夫になれることをみんなに
示してくれた。池田先生を批判したり、
馬鹿にする人たち、おなじことをやって
みてから批判してほしい。

---------------------------------
人は言葉に騙される
憲法改正といったときに
三島由紀夫さんが命をかけて
訴えた憲法改正は自衛隊を
日本を守る存在にしたかったからだと思う。
それは日本を憂う、憂国の叫び。





ところが、安倍忖度の憲法改正は
日本をアメリカの属国にして、
アメリカの思うままに自衛隊を
世界に派遣し、アメリカのために
日本人が血を流すこと。自分の
金儲けしか頭の中にはないように思える。
三島由紀夫さんが生きていたら、
安倍忖度の憲法改正には反対すること
でしょう。

一切衆生の幸福、世界の平和を考えたら
やっぱり私は憲法改正には反対、日米安保も
反対だ。言葉を変えれば、一切衆生の幸福、
世界の平和を実現するならどっちでもいいと
思います。
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サンダーバード様へ

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2017年11月19日(日)05時55分23秒
編集済
  >一時でも関わっていたものとして責任はありますからね<

責任感のお強い方です。

真面目で誠実な方である故に、裏表のある人間が許せないのでしょうね。
ズルく生きられないから、過去に酷い仕打ち(抑圧)を受けられたのかもしれません。


>人間を抑圧する組織<

その痛みがこの一言から伝わってまいりました。

信仰者の組織的な抑圧ほど、たちが悪いものはものはない。
「自分が正しい」と思っているからです。

誰もが「自分が正しい」「自分が正義だ」と思っている。
正義の名の元に、人間を踏みつぶす。
それをサンダーバード様は見てきたのですね。


>先生も嘘つき<

サンダーバード様の心には、良くも悪くも池田先生がいらっしゃる。
先生を忘れていません。


抑圧の痛みの中で失われなかった責任感。
その責任感を、誰も踏みつぶす事はできません。

いまは心を、休めて下さい。

必ず共闘できると虹は信じています。
ありがとうございました。

 

11月18日、おしるこ食べましたか?

 投稿者:原田奴隷学会  投稿日:2017年11月19日(日)05時22分38秒
  衣食住という整った環境に感謝も出来ずに、有らぬことばかりを妄想する創価貴族たちよ!
お前らがいる限り、鋭い追求の言論が止むことはない。
いくら同調圧力をかけても、人心は益々離れて、お前らは軽蔑され侮蔑されて誰も見向きもしない存在となり果てる。覚悟することだ。
呑気に会議ばかりやっている、その背後で組織崩壊の序章が始まっており、取り返しのつかない時を迎えてしまった。

おしるこ食べて、題目唱えて下さいね・・・
私はあなた方には協力も援助もしません、もちろん祈りませんよ!無駄な時間を費やすことになり、悪徳の眷属になりますからね。頑張って下さい・・・
 

弟子の時代

 投稿者:dekahappy  投稿日:2017年11月19日(日)04時30分39秒
編集済
  すべての組織が崩落をはじめています。

外に帰属を求めても、確かなものは何処にもなくなってしまいました。

一見、自由な時代ですが、絶望の時代でもあります。

確かなものは、外には、何にも無いことに気がつく時代。
また、本当は、気がついていても、気がつかないふりをする時代、何かにしがみつく時代なのかもしれません。

確かなものを当然探していくでしょう。

平たくいって、一番確かなことは、どんな人も死をむかえること。平等であり、絶対的です。

核が存在する核時代でもあり、死を見つめざるおえない時代。

死を忘れた文明から、死を直視する文明への移行にも思えます。
死を直視するか、逃げるか、ごまかすか、死に逃げ込むか。
きわどい時と思います。

絶望に対しての希望とは何でしょうか?
本当の希望を見つける時なのでしょう。

信仰と死は直結しておりますので、様々な反応があると思います。

以前アルベアさんが教えて下さいました、キューブラロスの死の五段階からのご展開を最後に添付させていただきます。

弟子の時代。池田先生に触れた我々世代。
仏法者とするならば、重くまたありがたい時代と思います。

私も私の立場で、希望を見つけて頑張ってまいります。

dekahappy



アルベア様のご投稿より

「衝撃の五段階」と「気づきの五段階」はエネルギーの「変換」「還元」「循環」現象です。人々が誰でも日常的に繰り返している現象です。この繰り返しの現象の中で「探究」を続けているのです。
少し慣れると誰でも「自己観察」できる現象です。
?
?
1段階 「否認」
突然の出来事に遭遇すると、人々は大きな衝撃を受け、「こんなはずない」と否認する段階。「仮にそうだとしても、自分は助かるのではないか」といった部分的否認の形をとる場合もある。
第2段階 「怒り」

なぜ自分がこんな目に遭うのか、嫌な思いをしなければならないのかという怒りを周囲に向ける段階。
第3段階 「取引」

取引である。「悪いところはすべて改めるので何とかしてほしい」あるいは「助けてくれればどんなことでもする」などと直面・回避・逃避する取引を試みる。神(絶対的なもの)にすがろうとする状態。
第4段階 「抑うつ」

取引が無駄と認識し、運命に対し無力さを感じ、失望し、ひどい抑うつに襲われなにもできなくなる段階。すべてに絶望を感じ、間歇的に「部分的悲嘆」のプロセスへと移行する。
第5段階 「受容」

部分的悲嘆のプロセスと並行し、死を受容する最終段階へ入っていく。最終的に自分が現実を受け入れざるをえない事がわかってくる。受容段階の後半には、突然「気づき」が生じる場合もある。
「気づき」の五段階

「気づきの促し」から、もたらされた「成仏」「昇天」の五段階を紹介します。キューブラ・ロスの「死の五段階」とは真逆・反転現象の「気づきの五段階」です。
第1段階 「気づき」

自分自身の全てを受容した瞬間に、「キッカケ」により「気づき」が生じます。「キッカケ」とは家族の一言・友人・仲間・映画・演劇等の言葉等が「キッカケ」になる場合が多いです。
第2段階 「喜び」

「気づく事」により、全身にわたる感動・喜びの反応がもたらされます。生まれ変わりの確信等、愛に包まれていたことに「歓喜」するのです。
第3段階 「確認」

自分自身が気づいた事を確かめる「確認現象」がもたらされます。「全てこれでよかったのだ」という満足感に満たされるのが観察されます。
第4段階 「検証」⇒「感謝」

「確認」したことを自分自身で「検証」します。例えば、生まれてきた事、育てられてきた事、出会った人々への感謝が言葉となって自然に語られます。「光の中にいる事」を体感するのです。
第5段階 「反転」

「光」「光の中」を感じると自然に「反転現象」がもたらされます。真面目に・素直に、正直に在る事が生きる事で大切な事だったことに気づくのです。
?
※私は「死の五段階」を「衝撃の五段階」と呼んでいます。人は誰でも予期せぬ出来事に遭遇した時、同様な段階を経ていくからです。「衝撃の五段階」は「身体機能」の学習にもなるのです。
「気づきの五段階」は「非二元・悟り現象の五段階」として見る事もできます。
今まで紹介してきた「非二元」「悟り」の体感・体験者が語る「悟りの階梯」をわかりやすく時間軸に沿って示すと次の通りです。2017.8/5.3:32.ブログ参考
「悟りの階梯」と「気づきの五段階」
「探究」⇒一瞥体験⇒「悟りの迷い」(自分がある)⇒「悟り」自分自身が消える
「気づき」⇒「喜び」⇒「確認」⇒⇒「検証」⇒⇒「反転現象」
「衝撃の五段階」と「気づきの五段階」は「反転の関係」「作用反作用」の働きでもあります。
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?
?
 

昨日は組織信仰からの魂の独立記念日

 投稿者:ニューリーダー間鹿メール  投稿日:2017年11月19日(日)02時55分49秒
  これからが本当の信心ができますね。うれしいですね。わくわくしますね。もう組織をとうさず池田先生直決の時代が個人個人できるようにすべて池田先生が手を打たれたのだと私は思っております。もう、自由です。無理な打ち出し、夜中の会合、無意味な公明党支援全部終わりました。これから苦しんでいる人の為に法のため師匠のために動けると思うと最高に喜べます。もう、私も男子部の中で差別を受けることもないと思うとホッとします。組織活動やめて最高に今が幸せです。                                              

お先に御免

 投稿者:サンダーバード  投稿日:2017年11月19日(日)01時51分55秒
  >ここまで強く創価学会を批難されているのは、
心に深い傷と痛みをお持ちだからではないでしょうか。<


嘘つきだらけの創価学会には興味もなく

馬鹿馬鹿しくて関わりたくないのですが

一時でも関わっていたものとして責任はありますからね


あとやはり認識が甘いですね

創価学会公明党(完全同一体、国民を騙して別々の組織をよそおっているだけ)は民衆の敵ですから

人間を抑圧する組織ですから

創価学会公明党が多くの人から強く批難されるのはあたりまえ


先生も嘘つき、宮川さんも嘘つき、私も嘘つきと結論もでたし

あとは時間の問題と思われるので関わるのはやめます

お先に失礼します
 

21世紀への選択 「真理こそ神」ガンジーの宗教観 P340 を投稿します。

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年11月19日(日)01時49分50秒
  第十章世界市民の要件「共同体」と「世界」の往還のなかで

21世紀への選択 「真理こそ神」ガンジーの宗教観 P340 を投稿します。

ポイント
*、池田
 "神は真理であるというより、真理こそ神である"と主張し、セクト性を徹底して

排したのが、ガンジーでした。

 彼は真理について、こう述べています。

「真理に対する献身は、我々の存在を意義あらしめる唯一のよりどころです。

 我々の活動のすべては真理を中心とすべきです。

真理は我々の生命の息吹そのものにならなければなりません」

「真理をぬきにして、生のいかなる原理も規範も認識することはできません」


*、テヘラニアン
 彼の進めた非暴力の実践、その中核をなす「サティヤーグラハ(真理を求め、堅持する

こと)」の運動はすべて、人間の善性を信じ、呼びかける「対話」を基盤としていました。

ですから、"敵"と思われる存在に対しても、彼は分けへだてなく人間的な心をもって

接しました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

池田先生が倒れられてから、怪鳥を始め、主任副会長たちはこう言ったに違いありません。

【「やめなさい、友よ。悲しむな。嘆くな。われらは、かの偉大な修行者からうまく解放された。】

言うまでもなく、偉大な修行者とは釈迦であり、池田先生です。

鈴之助

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まなこ様の法華経の智慧 第一巻 より いただきました。 感謝!!
如是我聞の意義

名誉会長: その通りです。日蓮大聖人は「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・
未来までもながるべし」(御書 p329)と仰せになっている。

次元は異なるが、一般にも、本当に民衆を思う強い一念は、その人が亡くなった後でも人々の心
を動かしていく。

マハトマ・ガンジーは、こう遺言したと伝えられている。
「私の精神が世界の光明であり得るなら、私は墓の中からでも語り続けよう!」と。

そして、未来の人類まで救おうという師匠の一念を「不二」で分かちもつ弟子の戦いによって、
現実に人は救われていく。現実に「法」が、慈悲の働きを及ぼしていくわけです。

師匠がいる間は、まだ、いいかもしれない。師弟というのは、それが本物であるか否か、師が
いなくなったときに試されるのです。仏法は厳しい。

釈尊が入滅して、皆が嘆き悲しんでいたとき、一人の老僧がもらしたという。

「やめなさい、友よ。悲しむな。嘆くな。われらはかの偉大な修行者からうまく解放された。

『このことはしてもよい。このことはしてはならない』といって、われわれは悩まされていたが、
今これからは、われわれはなんでもやりたいことをしよう。

またやりたくないことをしないようにしよう」(中村元訳『ブッダ最後の旅 ?- 大パリニック
バーナ経』、岩波文庫)と。

この老僧を、諸君は、とんでもない人間だと思うだろう。

しかし、現実に人の心というのは、こういうものなのです。

二十一世紀のリーダーである諸君の使命は重大です。

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法華経の智慧 第五巻
国家崇拝を拒否

名誉会長: 「大勢力」を誇る四衆が、何の力も持たない不軽菩薩をバカにし、迫害した。
四衆の「力」と傲慢に対して、不軽菩薩は「精神」で挑んだ。

「暴力」に対して「非暴力」で戦った。「多数」の横暴に対して「一人」で戦った。

それは近代においては、インドのガンジー、マーチン・ルーサー・キング師の戦いを想起させる。

民衆による人間愛の人権闘争です。
 

21世紀への選択  「真理こそ神」ガンジーの宗教観 P340

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年11月19日(日)01時46分10秒
  21世紀への選択  「真理こそ神」ガンジーの宗教観 P340

テヘラニアン
 ええ。そして第三には、現代世界の増大する複雑さに相応する倫理を発達

させるために、在来の諸文明の伝統を適応させようとしている多種多様な宗教的世界観と

世俗的世界観があります。

 これらのなかにも、原理主義者と神秘主義者、全体主義者と自由主義者、現実主義者

と理想主義者が見られるのです。

そこで私の立場ですが、私は自身をマハトマ・ガンジーのような真理の探求者と

みなしております。

 つまり、すでに真理を発見したというのではなく、常に真理を実験するのが好きな

人間なのです。

真理は、それを得たと思った途端に失うものだと、私は思っております。

すでに得たと思えばそれ以上の探求はそこで終わってしまいますし、他の人たちと

ともに真理を求めて対話をしなければならないのに、それも停滞してしまうからです。

ですから、私の考える真理とは、「対話による真理の探究」なのです。

池田
 おっしゃる意味は、よくわかります。

 "神は真理であるというより、真理こそ神である"と主張し、セクト性を徹底して

排したのが、ガンジーでした。

 彼は真理について、こう述べています。

「真理に対する献身は、我々の存在を意義あらしめる唯一のよりどころです。

 我々の活動のすべては真理を中心とすべきです。

真理は我々の生命の息吹そのものにならなければなりません」

「真理をぬきにして、生のいかなる原理も規範も認識することはできません」
(竹内啓二訳『私にとっての宗教』、新評論)と。

また彼は真理を、「内なる声が語ること」であり、「万人の胸の内に存在するもの」

であり、「活気づける力」であると位置づけました。

彼のこうした「真理」に対する考え方は、すぐれて内発的であるとともに、実践的で

あったと思います。だからこそガンジーは、「一人に可能なことは、万人に可能である」

と言いえたのだと、私は考えるのです。

テヘラニアン
 同感です。彼の進めた非暴力の実践、その中核をなす

「サティヤーグラハ(真理を求め、堅持すること)」の運動はすべて、人間の善性を信じ、

呼びかける「対話」を基盤としていました。

ですから、"敵"と思われる存在に対しても、彼は分けへだてなく人間的な心をもって

接しました。

彼は、味方だけでなく敵にも、正しい道を発見し歩めるよう自身の内面を観る

ように求めたのです。

当時、インドにいたイギリス人の多くも、彼の勇気と謙虚さに影響を受けずにはおれ

ませんでした。

こんなエピソードもあります。

・・・ガンジーを獄に投じたイギリス軍の司令官は、自分の長靴に穴があいているのを

苦にしていました。

そのことに気づいたガンジーは、獄中で苦労して長靴をつくり、「あなたのご多幸を祈る

」との言葉を添え、その司令官に進呈します。

感動した司令官は、生涯その靴を自分の部屋に誇りをもって展示し、それをイギリス

とインド両国の友好の証としたのです。

私たちがいま、世界に広めていかねばならないのは、セクト性にとらわれない、広い

意味での宗教的・人道的な精神ではないでしょうか。

池田
 ガンジーは自らの宗教観について、「(私の言う)宗教とは、宗派主義を意味しない。

宇宙の秩序正しい道徳的支配への信仰を意味する」と述べています。

また、その宗教とは「人の性質そのものを変えるものであり、人を内なる真理に

しっかり結びつけるものであり、人を常に清めるものである。

それは、人間性の普遍的要素である」とも述べています。

この開かれた精神性、宗教性こそが、現代社会に求められているのです。
 

杞憂であればいいが

 投稿者:悩める会員  投稿日:2017年11月19日(日)00時32分54秒
  いま、公明党と自民党、公明党と創価学会の分離工作が、各方面でなされています。

ここを拝見するに、憲法9条、真の池田門下のスローガンを掲げる学会員の諸君が多数おられることは、大いに結構。
しかし、反安倍や理念のみを唱え、具体案の全く無い共産や社民と同じレベルにまで落ちたり、あるいは彼らと協同しないでいただきたい。

現実を直視した誇り高き平和勢力たれ。
 

サンダーバード様

 投稿者:男子部Nメール  投稿日:2017年11月19日(日)00時26分31秒
  こんばんは。

一連の流れを見させていただきましたが、サンダーバード様も間違いは間違いと認めるべきではないでしょうか?

サンダーバード様を応援している、平田さんや、太ちゃんさん、虹と創価家族さんに申し訳ないです。

自身の一凶を見破り、お題目を上げ切りましょう!
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2017年11月18日(土)23時53分19秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に

サンダーバード様へ
嘘は駄目です、礼儀知らずも駄目です
一緒に、真剣に題目を唱えましょう
おやすみなさい
 

>>戸田記念講堂(巣鴨)取り壊し??

 投稿者:サモンナイト@バンダイナムコ ゲームス  投稿日:2017年11月18日(土)23時21分32秒
  >>戸田記念講堂(巣鴨)取り壊し??

たしか、昭和時代の戸田講堂は、潰れたボーリング場を買い取って改装し、
その後、平成に入ってまもない時期に建て替えをした二代目のはず。

事実だとするならば、築30年程度で取り壊しって、まるで「正本堂」並みの扱いだよな…
 

同盟題目!

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年11月18日(土)22時59分9秒
  23時に同盟題目を開始します。団結の題目を唱えていきましょう。池田先生と奥様のご健康を祈ります。  

アエラの記事

 投稿者:花の輪  投稿日:2017年11月18日(土)22時01分34秒
編集済
  アエラの記事が真実ならば
安保反対した人達、その為に解任、除名になった人達が、憲法9条を守る起爆剤になった事になります

もし、その人達がいなければ…
原田学会に言われるまま公明、自民を支援する人ばかりだったら…
原田学会は、政権にへばりついて、自分達の私利私欲ばかり考え、会を衰退させ、日本の平和をも危うくしたでしょう
宿坊の皆さん、天野さん、元職員3名さんの頑張りは、創価の歴史に、その名を刻むことになるでしょう
なんと刻むか?
「真の池田門下なり」と

ネット対策チーム様
賛同致します

虹の戦士様
賛同致します

 

サンダーバード様へ

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2017年11月18日(土)21時45分50秒
  ご投稿をいつもありがとうございます。
悪に対する正義の声に、いつも心が奮い立ちます。

勝手に想像して申し訳ございませんが、
ここまで強く創価学会を批難されているのは、
心に深い傷と痛みをお持ちだからではないでしょうか。

投稿文から、見えない痛みが伝わってきます。

虹も査問を受けてから、
デマに躍らされた学会員が増えるたびに、
悲しく悔しい思いをしています。

真実を知ろうともしないで、
家族にまでレッテルを貼るのです。

サンダーバード様に比べたら、浅い痛みだと思います。
だからこそ聞いて頂きたい事がある。

天魔が最も恐れるのは、正義の声を上げる方々が団結することです。
逆に、天魔が最も喜ぶのは仲間割れ。

「団結する智慧」こそ、天魔を倒す最強の武器です。

一人ひとりが、未来の創価学会を背負った使命の人。
一騎当千だからこそ、個性的でユニークな方が多い。
そしてなによりも、一人でも強い。

皆が、ちょっとだけ寄り添えば、
「団結」という最強の武器を手に取れる。

しかし強い故に、この「ちょっと」が、なかなか難しい(笑)

だからこそ考えてみませんか、
自分にしかできない団結の智慧を。

 

「徳」は知恩、報恩の心に内在する!

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年11月18日(土)21時36分9秒
   確か、関西方面から北陸本線に入る列車には、米原回りと、湖西線回りがあったはずです。どっちがどっちだったか忘れましたが、サンダーバードと、雷鳥の名の特急列車がありました。いまもあるのでしょうか。どっちに乗っても、敦賀、福井、石川、富山方面にはゆけたはずです。

 鳥の雷鳥は、夏と冬の姿ではまるっきり違うはずです。夏は褐色系で、冬は真っ白になったはずです。雪に姿を隠す保護色だと聞いた記憶があります。

 話は変わりますが、「徳」とは「智慧」です。経済的に“裕福”というのも、この「徳」があるからです。「良い行いをしたからといって、良くなるわけでもない」――内村鑑三が晩年に悩んだことです。待っていて「徳」がくることはありません。

 「徳」とは、「身」「口」「意」三業(行)の徳です。裕福になる「身行」なのか、福徳のある「口行」なのか、豊かなる「意行」なのかということです。まったくもって、「行い」の中にあります。裕福な人は、「身」で善行を起こしています、「口」で善の言葉を発してしています、「意(こころ)」で他者を思いやっています。「業」はここでは「行為」、つまりカルマの意味です。その「行」ずる「智慧」があるということです。そこに「徳」があります。

 「衆生本有の妙理」というのは、この「意行の徳」であるのでしょう。それは、何を中心に置くかです。大宇宙の「法」である「南無妙法蓮華経」を置くか置かないかです。自身の九界も、周囲の九界も、その「南無妙法蓮華経」を中心に「調和」を開始します。一個の人間にあっても、社会にあっても、この原理は同じです。「一念三千」です。「衆生本有の妙理」というのは、論理のこね回しでもなく、何かにすがることでもなく、「南無妙法蓮華経」という「如来」を引き出すことにほかならないということです。

 病いの時に病いのない仏を、貧しい時に貧しくない仏を、智慧のない時に智慧のある仏を、徳のない時に徳のある仏を、安穏でない時に安穏である仏を、慈愛のない時に慈愛のある仏を、つまり「南無妙法蓮華経」という「如来」を自身の中に引き出せというのです。もうこれは、胸中に「妙法蓮華経」という「仏」があることを信じ、「南無妙法蓮華経」を引き出すよりないようです。「唱題行」です。

 「恩」を感じることが重要だということのようです。見える“世界”が異なって見えます。「作礼而去」「而去不去」と同じです。

 その時、同時に、「法性」が立ち上がっています。「知恩」や「報恩」の「徳」に、自らの内にある三毒・四悪はじめ六道が「礼」をなして去り、同時にその「心中」の「法性」立ち上がっているということのようです。菩薩、縁覚、声聞の三乗は踊躍歓喜し、その人を仏道に向かわせしめています。四恩の父母の恩、衆生の恩、国主の恩、仏・法・僧伽の三宝の恩は衆生に与えられた基本の恩です。それに恵まれなかっても「師恩」があります。自ら「師」と決めれば「師恩」は平等に手にできます。そこに「法性」立ち上がっています。「知恩」「報恩」を行ずれば、「徳」が得られるということです。

 池田先生の「一生成仏抄講義」に、こんな一節がありました。「唱題行」についてです。

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 「唱題行」の実践は、大聖人御一代の弘教における骨格をなしています。日蓮大聖人の仏法は、既存の宗派のように神仏を礼拝する宗教ではありません。万人の己心に内在する仏性を触発し、仏界の生命として湧現させる唱題の実践をもって、法華経の理想である万人の成仏を実現する道を確立されたのです。

 唱題には「信の題目」と「行の題目」があります。
 「信の題目」は心の次元の実践です。その本質はわが己心の無明との戦いであり、魔性との闘争です。信の力で仏性を覆う無明を打ち破り、仏界の生命を湧現させるのです。
 「行の題目」は南無妙法蓮華経と唱える唱題であり、また、題目を他の人に弘めていく化他の実践です。心における無明との戦いの証として、口と身の次元で自行化他の実践を起すのです。

 南無妙法蓮華経と唱える唱題は、自他の生命の仏性の名を唱え、仏性を呼び起こします。無明と戦い、信が勝てば、本来具わる仏性の力が題目の声に呼ばれて、自ずからわが生命にわき起ってくるのです。
 このように成仏の方途を確立したことこそ、日蓮仏法が他の諸宗と一線を画す肝要の点があります。ゆえに大聖人は、この成仏の大道を、立宗以来、御入滅に至るまで一貫して強調されていくのです。この人類宗教としての救済の骨格は「一生成仏抄」の冒頭に余すところなく明瞭に記されています。
 「夫れ無始の生死を留めて 此の度決定して 無上菩提を証せんと思はば すべからく衆生本有の妙理を観ずべし、衆生本有の妙理とは・妙法蓮華経是なり 故に妙法蓮華経と唱へたてまつれば衆生本有の妙理を観ずるにてあるなり」(御書三八三㌻)

 (一生成仏抄講義9~10㌻、2006年1~7月大白蓮華掲載、2007年1・26発行)

 ******

 「虚像」と言ったら叱られてしまいますが、「心」は、「形而下」の世界のことですから、「姿」「形」がありません。それが「在る」と信じないことには「仏道」とはならないようです。「信じる」というのは「決める」ことでもあります。それが、「唱題行において、絶対に忘れてならないことは、『妙法蓮華経とは自分自身のことである』という一点です」(一生成仏抄講義)ということなのでしょう。「自身が『妙法蓮華経』である」と決めなければ、祈りは叶わないということです。「自身が『妙法蓮華経』であると決める一念」、あるいは「決められる一念」が「徳」そのものと言えます。

 「五陰」は、仮和合、「衆生」「国土」の世間も縁起の万別のものです。夢と夢、仮想と仮想の組み合わせが「心」の世界だともいえます。しかして、「心は是れ身の主なり」(道場神守護事979㌻)です。「心」にしか、「仏」はいないのです。

 「嬉しい」から元気になります。「楽しい」から元気になります。「おいしい」から元気になります。みんな、如々としてきたる「如来」が訪れてきてるからです。嬉しい、楽しい、おいしいと「如来」が訪れるから元気になるのです。「如来」とは「心」を一杯にする躍動のものに違いありません。「如来」とはきっと、「歓喜」の“塊”に違いないのでしょう。

 この「歓喜」の“塊”の有無、その大小こそが、十界各別の正体であるやに知れません……。


 

ありえない?

 投稿者:二眼の亀  投稿日:2017年11月18日(土)21時21分32秒
編集済
  戸田記念講堂(巣鴨)取り壊し??

twitter.com/kosho_no_kanata
 

ウォーク・ディス・ウェイ

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年11月18日(土)20時41分16秒
  元職員のブログが更新されています。
『「11・19(日)東京座談会」へのメディア取材のお知らせ』
http://harunokoime20150831.blog.fc2.com/blog-entry-146.html
参加された方、もし可能ならどの局、メディアが取材に来たか、教えて下さい。

獅子の子さん、ありがとうございました。うっかり忘れてしまうところでした。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/76604
11・18お汁粉、御馳走になりました。5・3はカレーでしたね。その前に3・16は豚汁。

“こうやって歩くのさ、こう話すんだ こうやって歩くのさ、こうやって”
“こうやって歩くのさ、こうやって こうやって歩くのさ、こう話すんだ こんな風にさ”
『ウォーク・ディス・ウェイ』エアロスミス
https://www.youtube.com/watch?v=pL4uESRCnv8
 

広宣流布の偉業は北朝鮮核爆撃するのである!

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年11月18日(土)20時06分30秒
  南無公明党佛。南無公明党佛。南無公明党佛。広宣流布の偉業は北朝鮮核爆撃するのである!  

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