「織田徳川vs武田」長篠の戦い、通説の9割は嘘

「騎馬隊も3段撃ちも…」最新の日本史を紹介

Q6. ところで、最初の目的だった長篠城はどうなったのですか?

信長が派遣した別働隊により、設楽原での決戦の日に救援されました。

決戦の前日、信長はひそかに自らの親衛隊と家康軍の一部隊を合わせた4000の兵を迂回路から長篠城に送り、翌日の設楽原での開戦とほぼ同時に敵の包囲から長篠城を救いました。

これで、織田・徳川連合軍の当初の目的だった「長篠城の救援」は達成されたうえに、設楽原でも「武田軍本隊に壊滅的な打撃を与える」という思わぬボーナスが追加されたため、勝利の印象がより鮮烈なものとなりました。

「新たな史料の発見」で日本史は大きく変化している

戦国時代後期には、鉄砲が戦場での主要兵器となり、「合戦の様相」はそれまでとは大きく変わりました。

信長はこの鉄砲にいち早く着目し、鉄砲の力で天下統一を目指したことは間違いありません。ただし、彼の前に立ちはだかるライバルたちも、鉄砲を手にしていました。

なかでも大坂の石山本願寺は、鉄砲の製造と使用に秀でた雑賀衆(さいかしゅう)とともに激しく抵抗を続け、信長はその攻略に11年もの歳月がかかったことで、道半ばで生涯を閉じる結果となったのです。

『いっきに学び直す日本史』は「教養編」「実用編」合わせて20万部のベストセラーになっている(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします)

日本史では「新たな史料」の発見や研究の成果により、しばしば「史実」が置き換わっています。

教科書でそれまで「常識」とされていた内容でも、変更や削除、まったくの新事項の追加が行われています。特に「最近の記載の変化」は目まぐるしいものがあります。

今回の「長篠の戦い」のように、「かつて学校で習った日本史」と「最新の日本史」では、実態が大きく異なるケースが多々あります。

ぜひ「最新の日本史」を学ぶことで、その違いを実感しつつ、「大人に必要な教養」までいっきに身につけてください。

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  • NO NAMEefe569a0756c
    BSで放送された「英雄たちの選択-長篠の戦い 戦国最強・武田軍はなぜ敗れたか?」や、同じくBS放送番組「風雲大実験 戦国鉄砲隊VS騎馬軍団」の内容を検索してみると良い。

    以前からも言われていたことで何を今さら、と思う人が多いのもわかるが、一方で何度も訴え続けていくことで、史実の「更新」はなされていく。いまだなお、更新が成されていない人がいる点も無視できない。

    up35
    down11
    2017/11/18 12:57
  • NO NAMEef25f7929b47
    歴史は後世による評価であり、常にいろんな見解や評価が変わりゆくから面白い。
    科学の分野でも、数年前まで有力とされた考え方がガラリと変わるのはよくあることなので、別に歴史学が特殊ということではない。
    up16
    down0
    2017/11/18 21:14
  • NO NAMEd9555624ac5b
    1990年頃日本史を授業で受けましたが、先生が脱線気味に話してた内容と変わらないような
    up18
    down5
    2017/11/18 10:39
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