ジャニーズ初の国立大生、東京芸大・村治将之助が長唄の道へ 芸名決定「杵屋勝四助」

2017年11月19日9時0分  スポーツ報知
  • 自宅の稽古場で父・杵屋勝四郎(右)の三味線に合わせ、長唄を披露する村治将之助(カメラ・関口 俊明)
  • 稽古場で息子の村治将之助に稽古をつける杵屋勝四郎

 ジャニーズJr.の“三味線王子”として親しまれ、2016年に東京芸大音楽学部邦楽科に現役合格した村治将之助(20)が、本格的に長唄の道に進むことが18日、分かった。

 6月に名取となり「杵屋勝四助」(きねや・かつしすけ)の芸名も決定。23日に父で師匠の杵屋勝四郎(58)と親子共演するリサイタルを前に取材に応じ、「ジャニーズ事務所で培ったことを生かし、近い将来、歌舞伎座に出られるよう厳しい修業にも耐えてがんばります」と熱く語った。

 ジャニーズ初の国公立大生というだけでなく、芸術系の最難関である「芸大」に合格したことは大きな注目を集めた。2年生となった村治は、18日で20歳になった。魅力の甘いマスクはそのままだが、“三味線王子”時代のあどけなさは消え、すっかり大人っぽくなっていた。

 音楽学部邦楽科の長唄専攻に在籍。父・勝四郎は邦楽界で知られた長唄の唄方。入学後に父親と同じ道を進む気持ちを固めたという。幼少時から三味線とともに稽古を積んできたが、伸びやかな声で表現することの奥深さに目覚めている。

 「1年時は先生の演奏会があれば、準備など身の回りの仕事も。裏方の仕事がいかに多く、大事なことかを学んだ。稽古では音階の正確さ、ビブラートにこぶしの回し方など身につけることがいっぱい。でもとても充実しています」

 今もジャニーズ事務所に所属し、先日はダンスレッスンに顔を出した。

 「ジュニアのメンバーと話したり、新しいジュニアと会ったり。久しぶりに踊って体じゅうが筋肉痛に。でも精神面など、ここで培ったことが、すごく役立っています」

 6月に名取となり、初代・杵屋勝四助と芸名も決まった。ゆくゆくは父が名乗る大名跡の7代目を継ぐ立場。

 「初代ですが父の“勝四”と自分の“助”。『助ける』の字があるので、なじみ深さと新しさの両方を感じますね」

 勝四郎は、息子に「やる気をあまり表に出しませんが、意外と度胸はあり、黙々とやるタイプ。でもまだプロとしては物足りない。高い声も低い声もよく通るようにしないといけない。ディテールにこだわり、もっと実践を積まないといけません」とあえて厳しい言葉を送る。

 稽古場。驚くほど親子の声は似ていた。特に高音部の表現が。

 「長唄の世界が好き。早く戦力になりたい。父のように歌舞伎座に出てみたいです」

 物静かな口調の中に、秘めた決意を感じさせた。

 ◆長唄 歌舞伎舞踊の伴奏音楽として発生。歌舞伎の音の表現において大きな割合を占める。演奏者は「唄方」と「三味線方」に分かれる。伴奏は舞台上で行われ「雛壇(ひなだん)」と呼ばれる台の下手から「唄方」、上手から「三味線方」が並ぶ。

 ◆村治 将之助(むらじ・しょうのすけ)1997年11月18日、東京都生まれ。20歳。6代目杵屋勝四郎の長男。3歳から長唄を、9歳から三味線を習い始め、08年「滝沢演舞城」で初舞台。以後、特技の三味線だけでなく歌にダンスに活動した。血液型A。

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