先日の上京では、何人かの友人と久しぶりの再会を果たしました。
親も見送った人、介護の真っ最中の人。
そんな友人のひとりが、
「えぇって感じ!、翌日病院に行ったら、ICUで人工呼吸器がついちゃってたのよ!」と。
その友人のお父様は、87歳。
かれこれ7~8年前から、呼吸器の病気で治療を続けており、今年に入ってこれが2度目の入院。
自宅で在宅酸素療法を続けながら、デイサービスにも行き、好きな将棋を楽しみ、穏やかな時間を過ごしていたとのこと。
ところが、今月に入って体調を崩し、熱と息苦しさが強くなり、その日の午後に病院を受診したところ、今回も肺炎を起こしていることがわかり、その場で入院となったそうです。
脱水もみられたため、点滴が開始されました。そして、抗生物質の投与も。
夕方の5時頃主治医から病状説明がありました。
「肺炎を起こしているので、炎症を抑える治療をして、早くお家に帰れるようにしましょう」
という内容だったそうです。
この時には、翌日、人工呼吸器が装着されるほどの重症になるとは、全く予想もしていなかったとのこと。
友人は、こう話しました。
「もう、高齢だから、いつ何があっても驚かないんだけど、人工呼吸器だけは勘弁して欲しかったのに・・」と。
お父様ご自身も、何度か入院を繰り返しており、人工呼吸器をつけて治療を続けておられる患者さんを見てきたとのこと。
そして、「アレだけは勘弁して欲しい。もう、ずいぶんと長いこと生きてきたから、もう十分。息苦しいのは辛いから、苦しくないように楽に逝かせて欲しい」と話しておられたとのこと。
にもかかわらず、お父様は、人工呼吸器が装着され、管が何本も入り、機械に囲まれて意識を落とす薬で眠ったままだとのこと。
「こんなハズじゃなかったのにね・・」と涙ぐむ友人。
「入院した時に、もしもの時は、機械をつけないでと話しておけば良かった」と後悔しているようでした。
その時、ひとりの友人が、
「うちは、入院するときに聞かれたのよ。延命治療はどうしますかって」
どうやら、その場で尋ねられるかどうかは、病院やその場でたまたま当たった医師によって違うようです。
入院治療が決まり、「さあ!頑張って治しますよ!」っていう時に、「それで、呼吸や心臓が止まったときにはどうしますか?」とは医師も尋ねにくいのかも知れません。
当事者の友人も、今回も10日程度の入院で、また元気に自宅に戻ってくるものとばかり思っており、「もしもの時」のことまで頭が回らなかったといいます。
お父様についている人工呼吸器。
「これは、もう、抜けないのでしょうか?」と恐る恐る尋ねたところ、自力で十分な呼吸が回復すれば抜ける可能性はあるものの、実際のところ、それはかなり難しい現状にあるという答え。
「もう、覚悟はできているのよ。80を越えてから病気ばかり。母親も先に逝ったことだし、むしろ、もう楽にさせてあげたい。十分、頑張ってきたからね。楽にさせてあげたいのに、こんなことになっちゃって・・」と涙ぐむ友人。
かける言葉も失ってしまいました。
つける前なら、選択が可能。
でも、いったんついてしまったら、中止することができない人工呼吸器。
たとえ、本人が日ごろから家族にそのことを伝えていたとしても、中止はそのまま息の根を止めてしまうことにつながるからでしょう。
散々、自分を責める友人を
「誰もそこまで気が回らないよ。家族は、もしもの時のことなんて、その場では思いもしないもの」
と慰めつつ、
「どうすれば良かったんだろうねぇ・・」という疑問が。
自分が望まない苦痛を伴う治療が長期間施され、機械に囲まれて迎える最期。
それを回避したいなら、させたいのなら、自分や家族の意思を文章にして、医療者に提示する準備をしておかなければならないのかも知れません。
臓器提供の意思を免許証の裏に書き込むように、
・もしもの時には、人工呼吸器をつけるのかつけないのか
・胃瘻を望むのか望まないのか。
もちろん、その時の病状、回復可能性によっても気持ちは変わるでしょう。
ただ、こうしたことを常に話し合い、その時が来たら「本人の気持ちはこうなんです」と示すことのできる用意はしておきたい。
その後、夫とこのことについて話しました。
夫は、延命のための人工呼吸器は断固拒否。
ただ、胃瘻については、「その時が近づいて来ないと決められない」そうです。
これから何度も何度も折りあるごとに話し合い、文章など、かたちにしておきたいと思っています。
思いがけないお父様の展開に戸惑う友人。どうかもう、自分を責めないでと願うばかりです。
目を通していただきありがとうございました。
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