こんにちわ、サユです。
やりたいことがいろいろあるのに身体はさほど自由にならないので、幽体離脱した上で影分身できないだろうかなどと考えている今日この頃です。
多分そこまでやらないと私がやりたいことを全部やるのは無理だと思う。
……いや、まぁそもそも幽体離脱が無理なんですけれども!!
さて本題。
これまで私は、うつ病患者という立場から、言われたくない言葉とか、嬉しくないアドバイスとかについて、自分なりに語ってきました。
「死にたい気持ちを責めるな」とか。
「運動を押し付けるな」とか。
「頑張れって言うな」とか。
でも、同時にちょっとだけ違和感も感じていました。
違和感というよりは、不足感、といった方が正確でしょうか。
「〇〇は禁句」「××はセーフ」「△△は言っても平気」……デリケートなうつ病患者との接し方を、そんな風に単純化してしまっても良いものなのだろうか、と。
同じように「うつ病」と診断された患者でも、病状が違えば適切な対処法は異なるハズだし、置かれている環境が違っても同じこと。
一人として全く同じ患者はいないのだから、適切な付き合い方も患者の数だけあるハズです。
「うつ病患者との付き合い方」を、参考書かマニュアルのように列挙してあるものを見た事があるけれど、十人十色のうつ病患者と付き合うにあたって、果たしてそれだけで十分なのだろうか?
そんな付け焼き刃みたいなもので間に合うんだろうか?
もっと根本的なアドバイスができないものだろうか??
表面的な付き合いだけなら、「マニュアル」に従うだけの対応でも構わないと個人的には思っています。
「禁句って書いてあったから言わないようにしよう」と心がけるだけでも、とりあえず当たり障りのない対応はできるでしょう。
むしろ、患者とそれほど深い付き合いでもないのに、うつ病患者に対して禁句と言われている「頑張れ」とか「甘えだろ」とかいう言葉を向けない気配りができる人を、私は有難いと思います。
それ以上は望みません。十分です。
でも、例えば家族や、親しい人がうつ病に罹ってしまって、真剣にうつ病患者と向き合う必要性が生じた時には、「禁句は言わない」だけでは不十分だと考えます。
もう一歩進んで、「何が禁句で、何を言っても平気なのか」を、自分で判断できるようになる必要があると思うのです。
「マニュアル」に書かれていないことでも「その人にとっては禁句」というケースは、よくあることですから。
どうにかしてもっと根本的なアドバイスができないかと、ずっとずっと考えていて……一つ、思いついた事があるので、今回はその話をします。
前置きが長くなりましたが、うつ病患者と真摯に向き合いたいと考えている人に読んでいただけたら、嬉しいです。
うつ病患者との付き合い方で、覚えておいて欲しいたった一つのこと。
うつ病患者と真摯に向き合いたいという意思を持っている人のために、患者の立場から、たった一つだけ、心に留めておいてほしいことを言います。
「コミュニケーションを伴わない親切は、善意の押し付けにしかなりません」
たった一つ。
これだけです。
善意の押し付けが相手に好意的に受け入れられる、というのが極めて稀な事態であることは、自分が他人から「アレをやったほうがいい」「コレをやった方がいい」とやたら指示される場面をイメージすれば容易に想像がつくでしょう。
どんなに相手のためを思っていても、相手のために良かれと思っていても、そこに相手とのコミュニケーションが成立していなければ、大抵は善意の押し付けにしかならないんです。
例え話をしましょう。
うつ病に運動が効果的らしいという話を聞いた人が、患者のためを思って「運動しなさい」と繰り返しアドバイスしたとします。
けれど、患者は身体が重くてだるくてしんどくて、運動するくらいなら死んだ方がいいと思っています。
結果として、患者はアドバイスを聞き入れず、アドバイスをした側もされる側も気分が悪くなる。
これは非常に不幸なことです。
この場には善意しか存在していないのに、お互い不愉快になるばかりなのですから。
もしも、こういった事態を解消する術があるとしたら、お互いの意思疎通をしっかりと行う以外にないと思うのです。
患者がどう思っているかをちゃんと聞き出すこと。
威圧せず、強制せず、じっくり時間をかけて患者の話を聞くこと。
何を思っているのか。何が苦しいのか。死にたい気持ちはあるのか。
患者の訴えを解決する必要はありません。大体の場合、自分の苦しみの解決方法が無いなんていうことは患者本人だって理解していますから。
自分の善意を相手にそのまま届けるためには、とにかく、コミュニケーションを取ること。
一番基本的で、でも絶対に欠かせないことだと私は思っています。
うつ病患者を助けたいと思うのならば、あちこち調べて治療法をかき集め、アレをやれコレをやれと患者に押し付ける前に、患者の話を聞いてください。
もちろん治療法や、うつ病に効果的な手法を調べることも大切ではありますが、患者が実践不可能な手法を一方的に「やりなさい!」と提示しても……患者は「自分の苦しみは理解されていない」と感じるか、或いは「言われたこともできない自分はクズだ」と自分を責めるかのどちらかでしょう。
いずれにしても苦しいばかりです。
うつ病患者であることを表に出してブログをやっている私のところには、時々一方的な親切が飛んでくることがあります。
「薬をやめるべきだ」とか「今の体調のままでも働け」とか、ね。
でも、そこにコミュニケーションはありません。
相手は親切で言っているのかもしれません。
心からの善意で言っているのかもしれません。
自分の言うとおりにした方が私の現状が良くなると信じているのかもしれません。
でも、残念ながら私はそれらを善意だとは感じられません。
だって、相手は私の現状や意思を大幅に無視して「自分にとって正しいこと」を私に求めているんですから。
それはやっぱり押し付けだと思うし、押しつけでないならお節介でしょう。
私には私なりに根拠のある「正しい」があって、それを全くの他人のアドバイスによって曲げることはあんまりありません。
……まぁ、この辺りの頑固さは、うつ病とは全く関係のない、私自身の性質なのですけれども。余談ですね。
うつ病患者に対して、自分の価値観を押し付けていませんか?
一方的になっていませんか?
相手のことを把握しようとしていますか?
相手があなたのアドバイスをどう思っているか、把握していますか?
どんなに親しくったって患者は他人です。自分とは違う人間です。自分の経験と想像だけで全て理解できると思ったらそれは甘い考えです。
患者のことで解らないことがあったら、患者本人に訊いてください。
患者の苦しみを完全に理解しなくても良いから、患者の主張を頭ごなしに否定しないでください。
人間が、真摯に向き合える人数には限りがあります。
だからもしも、あなたがうつ病患者と真摯に向き合いたいと願っているのであれば、それはその患者にとって非常な幸運です。
うつ病患者なんて、自分で言うのも何ですけど基本的に厄介で面倒臭い存在ですから、誰からも見向きもされないことだってあります。
支えてほしいと思っても、支えてほしいと願うこと自体が贅沢な望みなのではないかと、そんな風に思うこともあります。
……この記事が、うつ病患者を支えたいと思っている人に読まれれば良いと、そう願いながら書いていますが、そんな優しい人が一体どれくらいいるのか、書きながらだんだん自信がなくなってきています。
この話自体が「コミュニケーションを伴わないアドバイス」ではないかと言われてしまったら、私はそれ以上何も言うことはできません。見知らぬ患者の主張なんか受け入れるに値しないと言うのであれば、それはそれで仕方がないと思います。
私は、自分がうつ病患者との付き合い方に悩む人に対してできる唯一のこととして、できる限りのことを書いています。それしかできませんから。
繰り返します。
もしもあなたが、限りあるエネルギーの一部をうつ病患者と向きあう為に割いてくれるというのなら、まず何よりも優先するべきはコミュニケーションです。
話をしてください。
話を聞いてください。
もしかしたら簡単なことではないかもしれないけれども、相手のことを信用して、そして知ってください。
その中で、今の患者ができることは何なのか、どれくらいのことならばチャレンジできるのか、患者本人と一緒に考えながら、病に立ち向かい、治療を行ってほしいと願っています。