還暦からの再起動

お料理レシピ、時々、遠距離介護や病気との付き合いなども。人生の下りを楽しむ還暦女子の日常です。

誰かがやらねばならない隙間を埋める:地域で若い癌末期の方を支える

これは、ある親しい方から伺ったお話しです。

 

Aさんは、独身の40歳の男性。

癌の末期で、余命半年と厳しい状況にあります。

 

気づいた時には、すでに転移があり、症状を緩和するためのさまざまな治療のため2か月、専門病院に入院していました。

そして、内服による抗がん剤の投与を続けながら、症状も収まり、退院できるところまで回復。

ところが、Aさんは、独身で両親はすでに他界。

きょうだいとの縁も薄く、ほぼ身寄りのない状態。

運送会社で働いていましたが、病気がわかってから自暴自棄になってしまい、借金を背負って自己破産。

現在の所持金は、1万5千円。

病院のケースワーカーが手続きをして、生活保護を受けていました。

入院前に住んでいたアパートは、家賃滞納で退去せざるを得ず、Aさんは退院先を失ってしまいました。

 

40歳で余命数か月。

そんなAさんが転院できる先がなかなかみつかりません。

療養型の病院は、Aさんの高額な抗がん剤がネックになり、経営的に受けられないとのこと。

とはいえ、このまま専門病院に入院し続けることはできない。

刻々と近づく退院の予定日。

 

 

そこで、白羽の矢が立ったのが、ある介護施設

そこは、利用者さんの平均年齢が85歳という高齢者向けの施設です。

若い、しかも終末期にある方を受け入れるのは初めての体験。

高齢の利用者さんのなかで、Aさんが疎外感を感じることはないだろうか?

同世代のスタッフがキビキビ働く姿をみて、Aさんが何を思うだろうか?

何より、身体も心も、極限近く弱っているAさんを、看ていけるだろうか?

急変したら、どう対処したらいいのだろうか?

しかし、Aさんの窮状を聞くにつけ、「放ってはおけない」気持ちになった施設の管理者。

一度、会ってから決めよう。

そう考え、退院カンファレンスに赴きました。

 

車イスに座り、顔色もすぐれず弱弱しくうなだれるAさん。

以前暮らしていたアパートは、退去が迫られ、生活保護担当のケースワーカーさんが業者さんを手配して、保証人不要の激安アパートに荷物だけは運びこんであるものの、足の踏み場もない状況だとか。

このままその場に帰っても、寝るベッドさえない状況。

Aさんが生きられる時間は限られているというのに、生きていくための環境が何ひとつ整えられてはいませんでした。

 

カンファレンスで、最期は、病院で迎えること、訪問看護サービスで経過をみていくことなどが決まりました。

そして、肝心な、日々の食事や買い物、排泄の介助、洗濯、掃除、そして、心休まる温かな環境をどう提供していくか・・・。

結局、Aさんご本人と会い、高齢者施設の管理者は「受ける」ことを決断しました。

アパートから、Aさんに通っていただき、昼間、食事を提供して施設で過ごしていただくか、アパートにいたければ、ヘルパーを派遣して生活を支えていく。

 

それからです。

退院が成立しなければ、高齢者施設でのサービスの契約には至りません。

まだ、Aさんがお客さんになるかどうかもはっきりしない段階ではありますが、退院したらすぐに、ベッドで休めるよう、トイレが使えるよう、そして、2か月間、電源が切られたまま放置された中身の入った冷蔵庫の悪臭を何とかしなければAさんは暮らせない。

市のケースワーカーも、病院のケースワーカーも、「その日は会議でダメ」「面接でダメ」「出張でダメ」というぐあい。

結局、高齢者施設の管理者が、Aさんの了解を得てスタッフ3人がかりで荷物を整理し、ゴミを出し、ベッドを入れて冷蔵庫も消毒、消臭。

何とか暮らせる手筈が整いました。

 

連絡を受けてやってきたお姉さんは、Aさんと視線を合わせることもなく、「亡くなった時の身元引受人になること」を約束して帰っていかれたそうです。

 

もともと家族のいらっしゃらない方、いても縁の薄い方はこれからどんどんと増えていくでしょう。

癌の治療も進歩し、以前ならば助からなかった方も、症状をコントロールしながら生きる時間が与えられる世の中になりました。

ただ、こうした手厚いサポートが必要な方が、安心して過ごせる場所が当地にはほとんどありません。

病院を退院したその日から、Aさんが困らないように支援していくためには、「これはできない」「あれはできない」なんて言ってられない。

その時、その場にいてできそうな人がちょっと無理をしてでもやっていくしかない。

そう、高齢者施設の管理者は話していました。

 

 

若くして人生の終末期を迎えられた方を、高齢者施設でケアしていくのは新しいチャレンジ。

まだ、システムが整えられていないなかでは、誰かがその隙間を埋めなければ、物事は進んでいかないことを教えられました。

これから「多死」時代。

もはや人の死は、病院のなかでのみの出来事ではなくなりつつあることを感じました。

こうしたチャレンジによって、病気になって命に限りがあろうとも、家族との縁が薄くとも、経済的に困窮していようとも、残された日々の命が輝き続けることのできる地域であって欲しいと願うばかりです。

 

どうぞ、スタッフの方にとって、これが自信になり、将来の糧となりますように!

 

 

 

目を通していただきありがとうございました。

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