嫌いというより存在を認めたくない。
あんな美しいアニメキャラの声を出しているのが醜い人間だなんて認めたくないのだ
何かで「アニメーションと言うのはパラパラ漫画の要領で、幾つもの絵を連続して映すことによりさも動いているかのように見せているのだ」ということが描いてあった。
アニメの中の彼らは、それこそ生きているとしか言いようのない存在感を放っていた。
そして一回のアニメの放送時間は三十分だ。あれらを30分もの間、動いているように見せるために一体どれだけの労力と枚数が必要なのだろうか。冗談だろう?と思ったものだ。でも冗談でも嘘でもなくこれは本当のことらしい。
あまりのことに想像が追いつかなくなって思考は別の方向に動いていった。
では声は?
アニメのキャラクターや世界がテレビの中に存在しているのではなく、絵によって作られたものだったとしたら。
だとしたら声はどこから出ているのだろうか?彼らが存在していないのなら声もまた誰かによって作られていなければならない。
そう、それが出来るのは人間だけだ。
あまりのことに泣きそうになった。
あんなに美しい魅力的なキャラクターの声が、実は醜い人間の声だったなんて。
(注意しておくが声優が特に醜いというわけではない。人間は誰だって醜いものだ。私だって例外ではない。毎朝鏡の前で自分の顔を見るたびに吐きそうになる)
あれから何十年たった今でも折り合いをつけられずに居る。
アニメの声を出しているのが人間であると、ひたすら理解しようとした。だがそんな努力は無駄だった。そんなことをしたら見ているだけで吐きそうになる。
私に出来るのは、アニメを見ている間はひたすら声優の存在を頭から締め出し、「この声はこのキャラクターが発している声だ」と思い込むことだけだった。
だからニコニコ動画なんかでキャラクターが喋っているときに声優の存在を思い出させるようなコメントが付くと嫌悪感で吐きそうになる。
何で皆この事実に平気でいられるんだろう?
何で平気で声優について語れるんだろう?
例えて言うなら、どんなに美しい少女でも、体を開けばグロテスクな内臓が詰まっていて腸の中には大便が詰まっていると言ってるようなもんだ。そして彼らはそのグロテスクな臓器について喜々として語っている。
正気とは思えない。
頭がおかしいのか?
我々だって体を開けば中にグロテスクな内臓が詰まっていることを知っている。腸の中には大便が詰まっていることも。だがそれらは喜々として語ることではない。
あえて見まいとしている暗部に目を向けてそれを持ち上げることになんの意味があるんだろう
僕には理解できない。