2017-11-18

他人をモノ扱いした方がいいかもしれない

私は小さい頃より人付き合いが苦手だった。

 

正義感が強く、向上心も向学心もあり、みんなで助け合えば世界は少しずつ良くなるはず。

 

そんな定番盲目優等生タイプだった。

 

本人がどんな気持ちかも大切だが、それ以上に再発防止や真実を明らかにすることの方が重要だと思っていた。

 

でも困っている人がいれば助けるし、一般的義務は果たす。

 

甘い言葉よりも苦いアドバイスの方が、その先友人のためになるならと、後者を与えていた。

 

しかし、それをやると「人のことを考えていない」、「人はモノじゃない」だなんて言われる。

 

私としては、その人を本当に大切に思うからこその選択だった。

 

目先の雰囲気や厄介ごとや嫌われ者になることを回避するために、おざなり対応をすることの方が人をモノとして見ているじゃないか

 

嫌われても、今後友人が被る災難を1つでも減らすことが思いやりだと思っていた。

 

……どうやらこのやり方は間違っているのかもしれない。

 

試行錯誤して、人生に疲れて来た頃、なにもかもめんどくさくなって、前者の対応を取るようにした。

 

その人のためにならなくても、表層的な、場当たり的な求めている答えや対応をするようにした。

 

私の中では人をモノのように扱っていると思った振る舞いが、なぜか逆に人に好かれ始めた。

 

思いやりがある、優しい、一緒にいたい、信頼できる。

 

そんな言葉をたくさんの人からもらい、なんだか他人ゲームの中のキャラクターのような、

 

良さそうな言葉選択すれば簡単好感度が上がる、単純なプログラムロボットのように思えてきてしまった。

 

今でもその考えは変わっていないし、一部の友人にしか「思いやりのある対応」はしない。

 

それで喜ぶ人・慕ってくれる人・私を好きになる人に関してはそういう見方が拭えない。

 

皮肉ものだが、「他人をモノ扱いするな」というのは一般的に良い人間の心得なのだろうが、現実理想とは違うもので、逆の行いをした方が個人としては行きやすものなのかもしれない。

 

今でも私は罪悪感を感じつつ、たくさんの人をモノ扱いをしている。

 

人間なんて、その場その場の自分欲求肯定するものと、まるで自分人生100%自分選択したという実感だけを求めている、単純なプログラムや、もしくは家畜や虫となんら変わりないんだと思う。

 
 
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