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【ネタバレ】藤子F不二雄の短編SF『ミノタウロスの皿』を紹介する【感想・考察】

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どうも、こばやしです。


さて、藤子不二雄という希代の漫画家を語るなら外せないのが
 

短編SF!!
 

ドラえもんやパーマン等で有名ですが、真骨頂はこの短編SFにあると思っています。
子供向けのコメディ漫画を多く執筆かたわら、大人向けのSF作品も世に送り出していました。
 

これまで『気楽に殺ろうよ』『ノスタル爺』等を紹介しましたが、今回はこちらです!!

 

『ミノタウロスの皿』

 

目次

 

あらすじ

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宇宙船の事故で地球によく似た惑星に緊急着陸した主人公。
その星でミノアという美しい少女に救出される。

その美しさから、主人公はミノアに夢中となってしまう。そしてミノアと共に、憩いの一時を過ごす。

 

そんな時、ミノアはバラのトゲに触れ軽い傷を負ってしまう。

この世の終わりとばかりに絶望するミノアと、その家族たち。 

主人公からすると、些細なかすり傷である。

 

妙な違和感を抱いていた主人公だったが、さらに驚きの光景が。

医者と称してやってきたのは、なんと地球の牛にそっくりの生き物だった。

「ミノタウロスの皿 」の画像検索結果

ミノアは何事もなく、大祭?の主役には差し支えない様子。

しかし主人公は医者の牛に「見かけない顔だが、どこの小屋の所属かね?」と聞かれる。

 

人間である主人公は当然、家畜扱いされたことに憤怒する。

「俺は地球から来たんだ!牛の世話になどならない」と訴えるも、相手にされない。

その勢いで、医者である牛を殴ってしまう。

そしてそのまま囚われの身に。

 

一度は捕まってしまう主人公であったが、「宇宙からやってきた文明人」であることが認められ、客人として扱われることとなった。

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そこで、ミノアやその家族たちが「地球でいう家畜・牛に相当する存在」だったことがわかる。

見た目は地球でいう「人類」であったが、この星では「家畜」であり、

逆に「牛」の見た目をしている生物こそが、地球でいう「人類」に相当するのだ。

 

ミノアはなんと肉用として育てられている家畜であり、「ミノタウロスの皿」という大祭で牛たちに食べられる、名誉ある最高級の食材なのだという。

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牛が人間を食べる。

そんな常識ではあり得ない現実だが、当のミノアは喜んで食べられようとするのだ。

食べられるということは当然、死を意味する。

生物である以上、本能的に死を恐怖し、避けなければならないもののはずである。

 

ところがミノアは、大祭の名誉を失うことの方が、死よりも恐ろしいというのだ。

「ただ死ぬだけなんて、なんのために生まれてきたのか、わからないじゃないの」

とミノア。

「発育が悪い」と判定されたり、体に傷や痣がついて等級が下がるとハムやソーセージになってしまう。酷ければ肥料として処分されることもあるのだとか。

肉として人類に美味しく食べられることは、とても幸せなことだという。

 

主人公はミノアが食べられてしまうことを阻止しようと、惑星中のあちこちを回る。

ミノア=牛を食べるのは残虐だ。そのような事は辞めるべきだ…と。

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牛型の人類たちは、総じて温厚で知性がある。

よその星からやって来た人物が、深夜や早朝に突然訪問してきても、とても理性的に応対してくれるのだ。

しかし、会話は出来ても、どうにも話が通じない。

 

牛型の人類は、ミノアら「牛」を家畜としてペットにしたり、労働をさせたり。そして食用として飼育している。

しかし牛型人類は、我々は牛達に衣食住を保証し、愛していると主張する。

虐待には厳しく罰を与え、むしろ、美味しく食べることで牛たちの魂を救うのだと言ってきかないのだ。

 

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主人公は結局、ミノアを救出できずに終わる。

地球から来た迎えのロケットに乗り込み、帰路に就く。

泣きながら、待望のビフテキを頬張りながら。

 

考察

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さて、考察。

この「ミノタウロスの皿」 という作品は文化や倫理観など、人による価値観の違いを描いた内容となっています。

 

牛と人類。どちらも生物であり、死を恐れて生きている。

当たり前の話ですが、それを私たちは普段からきちんと認識しているのでしょうか。

私たちは人類なのだから当然、人類の視点で社会を見ています。

私たちに食べられる牛や豚や鳥といった、私たち以外の生き物は、私たちを見て何を思っているのでしょう。

 

作中で、主人公と牛型人類の話が何となくかみ合っていないのは、主人公はミノアを“人間”として見ているのに対して、彼らは、ミノア“家畜”をとして見ています。

わかりやすくすると、どこかの異星人が地球にやってきて、我々に家畜を食べるのは残虐だからやめてくれ主張するようなものですね。

 

牛型人類らが主人公に主張していた、美味しく食べることで家畜の魂を供養しているだとか、太古より深い友情で結ばれているといったセリフ。

どこかで聞いたことのある話です。

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これを地球人の立場で行っているのが、ベジタリアンと呼ばれる人たち。

ですが、私は決してベジタリアンを肯定したり、否定もしません。

価値観の違いであるだけであって、どちらかが間違っているといったものでもないだろうから。

しかし牛といった家畜が作中のように、人間と同じ言葉を話し、食べないでと懇願してきたとしたらどうでしょうか。

私はそれでも家畜を食べるのでしょうか。

 

普段の日常で当たり前と思っている行動や光景も、少し視点を変えて考えることで、見えてくるものがあります。

作中のラストカットでは、あれだけ牛=ミノアを食べることを否定してきた主人公が、しっかりとビフテキを食しています。

とても皮肉が効いており、印象的なシーンでした。