その機械が自分の身近にあったことさえ気が付かなかった
パッチクランプとか生体化学のほうは、おそらく糖鎖工学を行ってる連中が詳しいだろう
超音波
これに関して、以前世話になった会社で、その装置の信頼度はNHKの動物番組でその動物の仕組みを調べるのに使用されたり、大学にも協力してる
その会社は多分、今も国立大学のほうでやってるんじゃないかな
自分の友人がいる大学は私立
研究内容がバッティングしないようにしなければいけないし、有らぬ噂・・・なんてものは実態を調査すれば晴らすことが出来るので、問題ではない
どう技術を活かせるか
生体情報工学を入門編をざっくり読んでると、なんでここまで出来るのに調べることが出来ないのかと疑問を持ってしまう
ロボットのほうで活かされてる技術だ
介助機械技術
自分が活かしたい方面は、そちらではない
介助機械技術が、どんなに発達しても、やはり人間自身の機能が劣化してしまえば、選択肢も狭まるし、なによりもそいつ自身が生きる気力を取り戻すことが出来なくなるだろう
線維筋痛症になって、障害手帳を取得して制度を利用しても
どんどん悪化していき、騒ぐことさえできなくなる
そんな連中を見ながら、この発想に至ったわけだが
だからこそ、そんなことで騒ぐ前に、線維筋痛症の症状で一番無くしたいものから緩和させる事が必要で
線維筋痛症という今ある医学知識では説明がされづらい状況のなか、その症名に拘ることで、受けることが出来る治療まで拒否されてしまう現状と時間
無駄だと
線維筋痛症という症名自体が危険ではないかと
事故や怪我との因果関係を証明できなくて、裁判や保証運動に費やす費用と時間
打ちのめされるのは、患者側という事実は、アメリカでも問題らしい
悪化していく自分の姿と薬による感覚の信頼度とか、金と時間の浪費
一部の寄生・異常行動に走る連中による医療や社会への悪影響
これらをざっくり見渡して、さらにその危険を感じるのだが
その件と別で
精神科領域から、アプローチできないのかなとも想像したとき
ヒステリーという言葉を思い出した
体型とか分類なかったかなと
性格とか
・・・
線維筋痛症の症名よりも、その症状に長い時間苦しめれられること
保障生活を得たとしても、苦しみから解放されるものではないぞ まして、癒されるものでもない
働きながらは確かに、キツイものがあるが