「名誉挽回」と「汚名返上」って、よく混同されますよね?
「汚名挽回」などと言ってしまって「汚名を取り戻してどうすんだよ(笑)」などと言われることもしばしばです。しかし最近では、汚名挽回という言葉も、誤用だとは言えないという説もあるようですが。
それはともかく。
先日、名誉挽回、汚名返上に頑張っている人に会いました。今日はそんな人のお話。
陰でいろいろ言われているので、誤解を解きたい
私の同業者の一人に、私と仲良くしてくれる人がいます。仮にAさんと呼びましょうか。
Aさんはすごく優秀な人。難関大学を卒業し、難関国家資格持っている。若い頃に独立を果たし、今ではこの地域でそれなりに名の売れたプロフェッショナル。
私がその人の事務所に遊びに行ったときのこと。
Aさん「最近さ、同業者の間で、俺の悪い評判があるんだけど、知らない?」
私「えーっ、そんなこと言う人がいるの?」(←素で知らない)
Aさん「いるんだよ。もう、腹が立っちゃってさ。根も葉もないこと言われてるんだよね」
私「それはそれは……」
Aさん「だから俺さ、誤解を解きたいと思って。それで来年度、同業者の会合で、幹事役を引き受けようと思うんだよね」
私「幹事役を?それと誤解を解くのと何の関係が?」
Aさん「誠実に努力している姿勢見せれば、わかってくれるかなと思ってね」
私「うーん、なるほどねえ……」
私はAさんのその話を聞きながら、こんなに実力のある成功者のAさんでも、他人による悪い評判が気になるんだと、いたたまれない気持ちになった。それは、かつての私の姿をAさんに見ているような気持ちになったからというのが理由である。
誤解を解く努力をしても、誤解を解くかどうかは相手次第
Aさんが「誤解をときたい」と思うのはとてもよくわかる。私だって、陰でコソコソと、あることないこと噂されたらいい気持ちはしない。私がその立場だったら、食事をしていても、テレビを見ていても、布団に入っていても、何をしていても、私の悪口を言う人達を、ことあるごとに思い出し、その度に怒りをフツフツとたぎらすだろう。
Aさんのように「私は間違っていない」「誤解しているのは向こうの方だ」「だから誤解を解きたい」と思うのは、人間として当然の気持ちだと思う。
私もかつては、こういう時に誤解を解こうと努力をするタチだったのだけど、誤解が解けたためしがほとんどない😅
それもそのはず。誤解が解けるかどうかは、私の努力次第というより、結局は相手次第だからね。
誤解されているのが問題なのではなく、誤解を受け入れられない自分の性格こそが問題
今の私の考えとしては、他人から誤解されるということは問題ではない。本当の問題は、他人が自分を誤解しているという事実を受け入れられない自分の性格が問題なのだと思っている。
何をしても、どう生きても、他人が常に私に対して好意的に評価してくれる保証などない。例えば私は女装をするけれども、それを面白がってくれる人もいれば、嫌悪する人もいる。嫌悪する人は、その人が人生で培った経験や考え方というフィルターを通して私を嫌悪しているのだ。そのようなフィルターを変えることは容易ではない。
仮に、言葉を尽くし、態度で示し、その人が私に好意的な評価をしてくれたとしよう。しかし、いずれまた、私に対して否定的な評価をする人がかならず出てくる。その人の考え方を変えるには、また膨大なエネルギーを使うことになるだろう。否定的な評価をする人のために、エネルギーを消費するってのは、バカバカしいよね。
本当に厄介なのは、誤解されたことを気に病んで、膨大なエネルギーを消費してまでも、変わるか変わらないかわからない他人の評価を得ようとする、私のその性格なのだ。
「他人から誤解されようがどうであろうが、私は常に価値ある存在なのだ」と思うようになれば、こんな苦しみからは解放される。もっとも、簡単にはそんな思考になることはできないのだけれども。
まあAさんには悪いけど、「他人の評価を変えるなんて無理なことをよくやるよ」というのは、他人事だからこそよくわかるよね。
私もこんな偉そうなことを書いておきながら、いざ自分事になると、とたんにネガティブな思いに囚われて、思考停止してしまうんだけどね😅
人の振り見て我が振り直せ。
私は他人の評価から自由になると決めたのだ。そのためにやってきたことを、もう一度思い出そう。
自戒を込めてね😊