占いは好きですか? 古くからある儀式(例えば、地鎮祭とかお宮参りとか……)はやらないと気が済まないタイプですか?
こんにちは。占いやら神頼みやらを全く信じていない、りかです。
でも、占いやら何の願掛けなのかわからないしきたりやらを毛嫌いするというのは、コミュニケーションに悪影響があるんじゃないかなと思っています。
上手に付き合って行くべきかな、と。
名前の字画
長男がお腹の中にいた頃、名前を考えている時の話です。
義母は画数を気にするタイプです。その他にも「氵」がつく漢字はダメだとか、濁点はだめだとかこだわりがあるようでした。
私はというと、全く気にならないタイプです。意味が好きな漢字で、響きがよくて、呼びやすければいいかなと。
この名前をつけると決めていた!とかいうものはなかった私たちです。性別がわかってから、名付けの本を買い、私たち夫婦がつけたい名前と義母が良いという名前の両方が叶っているものを考えればいいかな、と思いました。(私の両親はまったく口を出しませんでした。)
ところが、画数を考えだすと難しいんです。なかなか決まりません。
輪をかけて、私の妹が
「画数なんて馬鹿らしいよ。好きな名前にしたら?」
なんていうもんだから、モヤモヤしてきました。私の妹は、結婚してロシア語の苗字になりました。(妹の夫は、ロシア系フランス人です。)画数なんて考える文化にいないんです。
ふと、私は本を見ながら何気なく自分の名前(旧姓)の画数を調べてみました。すると、すっごい画数が良い名前だったんです。でね、画数なんか関係ないって言い張る私だけど、この結果を見て「わぁ。私の親はきっとすごく考えたんだろうな。」って思っって嬉しくなりました。愛情を感じたんです。
やっぱり息子にも、良い画数の名前をつけてあげようって思いました。画数なんてどうでもいいことだけれども、息子が将来、自分の画数を調べた時に私の愛情を感じてくれるかもしれないというちょっとの可能性にかけて。加えて、少しでも義母の気持ちを汲んで、名前を決めてあげれた方が得策かなと。こんなことでしこりを残したくないですから。
字画なんて、全く関係ないでしょ!と思う私が、良い画数の名前をつけた経緯です。
息子の名前は、考えて考えて平凡な名前になりました(笑)。でも、一所懸命考えた名前ですから、気に入っていますよ。
血液型占い
血液型が性格に関わるという科学的根拠はありません。血液型と性格は全く関係ないという論文はたくさんあります。今のところ関係無い説のほうが濃厚ではないでしょうか。
私も、血液型と性格を結びつけるのは、全くナンセンスだと思っています。それでも
「A型なの?几帳面だからそうだと思った〜!」
「あの子はB型だからね、マイペースなんだよ。」
なんて会話は日常に溢れていますよね。
そんな会話の流れを遮るように
「血液型と性格は関係ないから……。」
と言う人がいたらどうでしょう。その場の空気が冷めてしまいますよね。
血液型の話って、口下手な人が話題を広げるためにも使われているように思います。
「〇〇ちゃんは何型なの?」
ここから、会話が広がることはよくある話ですよね。すごくポジティブに活かされている話題なんですから、ここは紳士に、話を合わせて楽しむほうがいいように思います。
でも、血液型の話で盛り上がるのは日本人だけと聞きます。どこにいっても使える話題ではないということは、知っておきたいですね。
子供が妊娠すると始まるいろんなしきたり
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子供を授かってからというもの、なんだかいろんな行事が多くてびっくりしています。
妊娠中の安産祈願(妊娠5ヶ月に入った戌の日)から始まり、産まれるとお七夜、お宮参り、お食い初め、初節句、餅を背負うやつ(1歳)、七五三。
私、なんだかんだ言ってこれらを、全部やりました!やらないことが原因で、息子の健康や将来に問題出てくることは無いと思っているのですが。
お七夜なんかさ、「無事に生後7日を迎え、人間の子供として認められたことを祝って命名する」なんつって、私の子供は生まれた瞬間に人間の子供だし!っていう気持ちもあるんですよ。
でも、なんだか正直どうでもいいことばかりだけれども何が大事って「子供の健康を願ったり祝うことで皆が集まる」のが重要なんだと思います。
子供を中心としたコミュニケーションのステージが用意されているだけと考えてもいいんじゃないでしょうか。
我が家の場合でいえばこのステージが用意されていることで、義母に会ったり私の両親に会ったりという機会ができています。
やっぱり、海外に住んでいる私の妹はどの行事もやっていませんが、甥も姪も元気に育っています。
街にいる易者さんの話
私の高校の同級生に、すごく占いが好きな子がいます。飲みに行くと、占いをするオモニがいる韓国料理屋に行ったりします(無料だから私も楽しんでいます)。
彼女は酔っ払うと、必ずその辺にいる易者さんに占ってもらうと始まるんです。
いつだったか、すごく酔っ払っていた時に、私も見てもらったことがありました。占いを信じない私ですが、ノリです、ノリ。
その時は本当に会社を辞めたくて悩んでいたので
「会社を辞めたいんですけど、どうでしょう。」
と相談してみました。答えは
「正社員なのかい?んで、やめない方がいいよ。」
でした。
「なんでですか?」
と前のめりで聞く私に易者さんはこう答えました。
「不景気だから。」
……不景気だから! これ、私全然占ってもらってないし!
この答えが面白くて忘れられないんです。
(この後、ちゃんと占いをしてもらったような気もするのですが、詳しく覚えていません、酔っていたので。)
でも、これでもいいような気がするんです、私。
そうかそうか、不景気だもんな、もっとよく考えようって自分で深く考えるきっかけをもらえればそれでもいいかなと。
占いなんて、統計学的なものですから、誰も未来のことはわからないんですよね。それを理解してたとしても、助言してもらいたければ占ってもらえばいいんです。誰だって背中を押してもらいたいことはあるでしょう。背中を押す相手が友人だというのと、占い師だということで結果はそれほど変わらないような気がします。
あの男はダメだよ、次の男を探しなさい。って占い師に言われても、本当に好きな人であれば、そんなことしないでしょ? でも「あの人との将来はないかもしれない。」とうっすら考えている時に、そんな助言をもらったら少し前に進むきっかけになるような気がするんです。占いって、そんなきっかけくらいに考えて楽しむ方がいいかもしれない。
そんな考えの私ですから、人を脅すような「地獄におちるぞ」「このままでは命を落とすぞ」なんていうような占い師は大嫌いです。
まとめ
占いやら、神頼みを全く信じないという割に占ってもらったり、神社にいったりしている私です。
信じないからしない、行かない、何もしない!という選択はないんですよね。
どれも、コミュニケーションなんですもん。
「信じてないから関係ない」という態度が、周りの人を不快にすることだってあります。
例えば、私は結婚式を仏滅にやっても、私自身はなんら問題ないと思いますが、親戚の人たちはどう思うかな?と考えると答えが変わってきます。心配させたり不快にさせたりするでしょうから。そりゃあ、結婚式だって、お日柄がいい日にしちゃいますよね。