狸の思索帖

 昨夜、名も知らぬ狐に言われた一言が気になって、飲まず食わず、木陰のひんやり心地よい岩肌に腹を付けて横臥し、夏の渓谷を眺めながら無心に思索に耽っている。腹を付けた岩が温まってくると、腹を少しずらし、また冷たい箇所に当てるのである。まだ若輩とはいえ、かつてこれほど沈思の中に籠もったことはない。
 狸界において現代の若い狸たちは『たぬきのまじめ世代』と評されている世代である。とりわけ小生はその中でもまじめなほうで、親に言われた通りの生活をし、先生に教えられた通りに考え、世間に笑われないよう思慮深い行動に努めてきたのである。子供の頃「まじめ気質がお前の良いところだ」と父にも誉められ、それを得意としてきたのである。体の健康にも細心の注意を払って、山の自然の食物をなるべく取るようにし、人間の作る炭酸ジュースなどは基本飲まないようにしている。また人や動物を化かすようなことは今までしたことはない。先生の「必要な時にだけ化けよ」という教えを守っている。一部の不良狸たちは未だに人を化かして遊んでいるようであるが、いずれ手痛い意趣返しに遭って後悔するに違いないと心の奥であざ笑っている。
 とにかく小生はこれまで、まじめにまじめに生きてきた。それは誇るべきことだと疑わずにここまでやってきたのである。
 しかし、世の中は不条理にして理不尽なもので、まじめに生きておれば、良い思いができるとは限らないのである。小生の不満は、毛並みや姿形など容姿に関して決して悪くないほうだと自覚しておるのだが、てんで可愛いメスにもてない。言い寄ってくるは、すこぶる好みでないものばかりで、それに本気の恋情をもって近寄ってきている様子ではない。イケメン狸と口では言うが、真剣な愛でないことはこちらにも分かる。そこそこ見て呉れが良いので人間のアイドルごっこのようなものをしたいだけのように思えた。生涯を共にするつがいとして求められていないのである。狸という生き物は一度つがいになると相手が死ぬまで基本的にそのつがいは解消されない。それゆえ軽い気持ちでは一緒にはなれない。小生も妥協はしたくはない。とはいえ、理想が過ぎると滅亡を招く。高望みはいけない。従って、好みでないメスにもそれなりに気を使い幅広く優しく接してきたつもりである。しかし、小生を本気で愛してくれるメスは未だ現れないのである。きっと運が悪いだけだと信じるのみであった。
 小生の不満はそれくらいであり、友人の数も多く、銭の蓄えもある。先ほども述べたが、質実たる我が人生を疑うことなど今までなかったのである。ところが不思議なことに狐の一言くらいで、小生は一夜にして不良になってしまったようである。

二(次のページへ)