もうだいぶ前から評判になっているので手にとってみたが、たしかにこれは一度読みだしたらやめられない本だ。日本とは全く異なるモーリタニアの生活習慣も興味深いし、バッタの孤独相と群生相の違いなど、他では得られない知識も得られる。何より、クライマックスで「神の罰」と言われるバッタの大群と著者が対峙するシーンは感動的だ。およそバッタにもアフリカにも興味がない読者でも、間違いなく楽しめる一冊だと思う。
しかしながら、こちらのエントリを読んだあとに改めて本書を読んでみると、そこで浮かび上がってくるのは「やりたいことと稼ぐことを一致させる困難さ」だった。著者の前野ウルド浩太朗さんは、心の底からバッタが好きだ。どれくらい好きかというと、「バッタに食べられたい」と考えるほどに好きなのだ。
小学生の頃に読んだ科学雑誌の記事で、外国で大発生したバッタを見学していた 女性観光客がバッタの大群に巻き込まれ、緑色の服を喰われてしまったことを知った。バッタに恐怖を覚えると同時に、その女性を羨ましく思った。その頃、『ファーブル昆虫記』に感銘を受け、将来は昆虫学者になろうと心に誓っていたため、虫にたかれるのが羨ましくてしかたなかったのだ。
バッタが好きすぎてバッタに触るとアレルギーが出るまでになった著者なのだが、残念ながら日本ではバッタ研究の需要は少ない。日本にはバッタの被害がほとんど存在しないためだ。この国に住んでいては、バッタ研究で食べていくのは至難の業になる。プロゲーマー・ウメハラも語っているように、好きなことがあることがかえって「呪い」になってしまうのだ。
プロゲーマーという職業が存在し、ゲーム実況をするユーチューバーがたくさん存在する現在とは違い、ゲームセンターで腕前を競うことが全てだった少年時代のウメハラにとっては、人生で一番打ち込めることが格ゲーだったというのは「呪い」だったに違いない。世界チャンピオンになるほどの腕を持っていても、その道を極めた先に富も名声も得られないような時代を彼は生きてきたのだから、こう考えるのは当然のことだ。
やりたいことの度合いが強ければ強いほど、それで稼げないのは不幸だ。バッタに食べられたい、というほどにバッタが好きなら、他の仕事で稼ぎつつ趣味でバッタ研究をする程度で満足できるはずがない。前野さんはあくまで研究者なのだ。そして研究者として大成するために、前野さんはモーリタニアへ旅立つ。バッタが猛威を振るう現場に赴かなければ、優れた研究者にはなれないと考えたからだ。ところがこの決断が、かえって彼の将来に危機を呼び込むことになってしまう。
唇はキスのためではなく、悔しさを噛みしめるためにあることを知った32歳の冬。少年の頃からの夢を追った代償は、無収入だった。研究費と生活費が保証された2年間が終わろうとしているのに、来年度以降の収入源が決まっていなかった。金がなければ研究は続けられない。冷や飯を食うどころか、おまんまの食い上げだ。昆虫学者への道が、今、しめやかに閉ざされようとしていた。
ろくに言葉も通じないアフリカで通訳やドライバーを雇い、サソリのうろつく砂漠を必死で探し回っても、前野さんはバッタの大群に遭遇することはできなかった。夢破れて帰国したあと、彼は無収入になってしまう。しかし、この無収入であるということが、後に大きな武器となる。
収入源を探していた前野さんが目をつけたのが、京都大学白眉プロジェクトだ。若手研究者の育成を目的としているこのプロジェクトでは、5年間の任期で給料が得られ、しかも研究費も支給される。授業も一切やらなくていい。バッタ研究に専念したい前野さんにとっては渡りに船のプロジェクトだ。
このプロジェクトの面接では、かえって無収入であることがアピール材料になった。収入を失ってまでアフリカに行こうという熱意こそが、本気の証明になったからだ。最終面接に文字通り眉毛を白く塗って臨んだ前野さんは、京大総長から直々に感謝の言葉までもらうことになる。この場面はとても感動的だ。世の中何が幸いするかわからない。
こうして見事に「好きを仕事に」することに成功した前野さんなのだが、彼の体験談を「好きを極めれば成功できる」という美談にまとめ上げることができるとは、自分には思えなかった。むしろ、バッタ研究のような好きなことと稼げることの共通部分が少ないジャンルだと、研究者として生きて行くにはこれほどまでの困難が伴うのだ、という教訓として本書を読むことができるのではないかと思う。好きな道を征くことには覚悟が求められるのだ。
今「好きを仕事に」と言っている人の多くは、結局セミナーなどでそう言い続けることで食べている人が多いのではないかと思う。要はただのポジショントークだ。あるいは、たまたまそうすることに成功した人もこういうメッセージを発する。しかし、一人の成功者の影にはその何百倍もの失敗者がいることは語られない。自己啓発書はすべて成功者が書いているから、そういうものばかり読んでいたら生存者バイアスにどっぷり浸かることになる。
そういう意味で、この『バッタを倒しにアフリカへ』は、「成功者」にはなったものの、好きなことと稼ぐことを両立させるための極めて危険な綱渡りを余すところなく語った体験談として、とても貴重なものだと思う。本書には「好きを仕事に」という綺麗事は一切出てこない。書かれているのはアフリカでのひたすらに泥臭い著者の奮闘と、ときに笑える現地でのトラブルだ。こういう目に遭っても悔いがないという人しか、夢は追ってはいけないのかもしれない。夢への入り口で覚悟の足りない者を追い返すのも、それはそれで優しさだ。著者の意図したところかはわからないが、本書はそんな優しさに満ちている。