皆さんは新聞を読みますか? ぼくは『日本経済新聞』と『日経MJ』の電子版を読んでいます。去年、日本新聞協会の企画「イマドキの大学生×新聞~大学生が新聞を考える~」に、ぼくのゼミが参加しました。お題は、「大学生に、新聞を読んでもらうための提案」というものです。他の大学の5つのゼミとともに、そのアイディアについて、学生が発表しました。
そのための準備をゼミでしたのですが、次々に衝撃的なことが分かりました。まず大学生は、特に自宅生でない場合は、新聞を購読していません。また、ご存じのようにネットニュースには新聞社の記事が結構あって、実際には読んでいるはずなのですが、そんなことにはあまり気づいていません。「若者の新聞離れ」というやつです。
さらに驚くべきことは、「紙の新聞=オヤジが読むもの」という強固なイメージが形成されていることです。電車で新聞を折りたたんで読む姿はいかにも「オヤジくさい」ので、自分はそんな真似はしたくない、というのです。人前で新聞を読むのは恥ずかしい、というのです。
これが今日のトピック、使用者イメージです。多くのモノやサービスには、実際のターゲットが誰なのか、ということ以前に、「誰が使っていそうなのか」というイメージが共有されていることが多いです。例えば、競馬場とディズニーランド。若い女子は、どちらに行きそうでしょうか? 後者のディズニーランドですね。
この使用者イメージは、誤解であることも少なくありません。例えば、居酒屋もまたオヤジがいくところ、という使用者イメージがあります。しかし実は女性同士での居酒屋利用が多く、その証拠に居酒屋の「女子会プラン」は非常に人気があるそうです。
じゃあ使用者イメージについて考えることは重要ではないのでしょうか? いえ、大事です。なぜならば、自分がその使用者イメージと違う人だと思ってしまうと、その製品とかサービスを使おうと思わないからです。牛丼屋は男性客が多いというイメージがあるからこそ、女性はあまり食べようとしないし、牛丼屋に女1人で入ることに躊躇を覚えるのです。
使用者イメージは、誰がターゲットなのか、ということだけでなく、誰がターゲットではないのか、ということについてのイメージです。そのイメージがゆえに排除される潜在的な顧客がいるのです。
うちのゼミの学生からすれば、新聞の使用者イメージはオヤジということになります。オヤジが読むものを自分が読む気にもならないし、ましてや人前で読むことなど、恥ずかしくて出来ません。
そんな使用者イメージがある新聞を、若者に読ませるにはどうしたら良いのか? うちのゼミの学生がじっくり議論して考えついたのが、次の2つのポイントです。第1に、オヤジくさいという使用者イメージを払拭してもらうことです。第2に、その上で、若者が新聞を読む機会を作りだして、実は意外と読みやすく楽しいコンテンツであることを体感してもらうことです。
こういったアイディアを、新聞社各社からわらわら集まった大量のおじさんの前で、うちの学生が発表しました。そのスライドの1枚が次のようなものです。新聞は女子大生からすれば、牛丼やこってりしたラーメンと同様に「タブー」だそうです。いやタブーって(ため息)。
このプレゼン、好評でして、そのアイディアを実行してみたいと、ニュースパーク(日本新聞博物館)の方から、ありがたいお話を頂きました。ゼミの学生が何ヶ月も準備をして、12月16日にニュースパークにて、こんなイベントをすることになりました。これがこのイベントのビラです(すべて学生が作っています)。
「シンコラ」とは、新聞記事を使ってコラージュをするという「遊び」です。クールで面白いコラージュを作るには、それなりに記事を読まなくてはなりません。こういった機会を作ることで、意外と読みやすく楽しいコンテンツであることを体感してもらうことが可能になります。第2のポイントですね。
では、その前の第1のポイントは、どうでしょうか? イベントに呼ぶゲストを「オヤジと真逆の世界の人」、すなわち「若者のあこがれの対象」にするのが良い、と学生は考えました。そこでゲストになって頂くよう学生がお願いしたのが、美大生の「はましゃか」さんです。ぼくはこのお方は全然知りませんでしたが、若者の間ではたいへん影響力のあるインフルエンサーだそうです。「はましゃか」さんは、オヤジをインフルエンスの対象としていないようなので、ぼくが知らないのは当然とも言えますね。「はましゃか」さんが大好きな若者が集まることが期待されます。実はこれは、準拠集団というコンセプトを上手に使ったやり方であると言えます(準拠集団ということばについては、いずれ紹介します)。
「こんなことをして、新聞を読む人が増えるの? 意味あるの?」と思う人もいるかもしれません。しかし、このイベントは、単に「シンコラ」を作る楽しみを経験してもらうものではありません。新聞の良さを知るという(初めての?)経験を得てもらうことが、真なる目的です。これを消費者行動論では「露出」(exposure)を作る、と言います。
新聞というメディアが紙という形で残ることは将来的には難しいでしょう。しかし新聞記事は、本来的には、プロの記者が丁寧な取材をして裏付けをとって書かれたいわば優良コンテンツです。さっと数十分で書いたネット記事とは違います(もちろん素晴らしいネット記事もたくさんありますが)。しかしネットでしかこうした情報に触れない若者の中には、こうした違いが知覚されていないようです。これは新聞にとっても若者にとっても不幸なことです。
しかしこのもったいない状況を作り出している大きな理由のひとつが、「新聞はオヤジのもの」という使用者イメージです。良いはずのものが届かない。使用者イメージは、実は侮れない難問なのです。
使用者イメージが顧客拡大や獲得の障害になっている例はたくさんあります。例えば、日本のマンガ出版社は、英訳マンガをアメリカ人に売るのに昔から苦労しています。なぜならば、アメリカ人の中には、アメコミなりマンガなり、コミックというものは「男の子が読むもの」という使用者イメージが強固にあるからです。そのため少年マンガは売れますが、少女マンガや大人向けのマンガをアメリカでヒットさせることは、非常に難しいのです(ということを研究した本を来年出します)。
それにしても紙の新聞がないと困ることがありますね。紙の新聞、便利ですよ。ゴミ箱の底に敷けば臭い予防になります。革靴が雨で濡れたときは、くしゃくしゃにした新聞を靴の中に入れて斜めにしておけば良いです。魚をおろすときにまな板の上に敷くと片付けがラクです。
紙の新聞はメディアであると同時に、紙というマテリアルでもあります。シンコラは、メディアとマテリアルの関係性について思いを寄せるイベントになるかもしれません。
●まとめ: 「誰が使っていそうなのか?」という使用者イメージは、顧客を集めるだけでなく、排除する力もある。